ノーベル賞を作った動機、アルフレッド・ノーベル
(* ̄∇ ̄)ノ 奇才ノマが偉人を語る。
( ̄▽ ̄;) このエッセイには筆者の主観が多大に混入しております。注意せよ。
ノーベル賞
1895年に創設された、今では世界的に有名な賞のひとつ。
物理学、化学、医学または生理学、文学、平和推進の五つの分野で功績を残した人物に贈られる国際的な賞だ。
このノーベル賞はアルフレッド・ノーベルの遺言で作られた。
アルフレッド・ノーベル
スウェーデンの科学者にして発明家であり、実業家という多才な人物。彼がノーベル賞を作った想いとはなんだったのだろうか?
◇◇◇◇◇
ある日、アルフレッド・ノーベルは新聞記事を目にして首を傾げた。
「はあ? なんだこりゃ?」
その新聞の記事とは、
『死の商人、ついに死す。
1888年4月12日、アルフレッド・ノーベル死去。
新型爆弾を開発して販売して巨万の富を得た死の商人がついに死にやがったぜ。あいつの作った高性能爆薬のせいで、今の戦場は悲惨なことになっちまった。死人の数がエライことになっている。
大規模殺戮兵器を販売するビジネスで金持ちになりやがって、なんて酷い奴だ。許せねえよな。
だけど神は見ておられる。ついにあの悪党は死んだ。これが天罰ってもんだ。ざまあ!』
ヘイト満載の記事にアルフレッド・ノーベルは呆然と呟く。
「えー? なにこの新聞? なんでワシ、ここまで言われなアカンの?」
新聞の見出しには『死の商人、死す』とある。アルフレッド・ノーベルのことは、ダイナマイトを発明し大勢の人間を殺害する方法を発見して富を築いた人物、といった悪意のある書かれかたをされていた。
「つーか、ワシ、生きとるし。まだ死んどらんし。なにこの記事?」
自分の死亡記事を見て首を傾げるアルフレッド・ノーベル。
実は死亡したのはアルフレッド・ノーベルの兄、ルドヴィッグだった。新聞記者が兄と弟を間違えたまま記事にし、新聞の死亡記事になったのだった。
後日、この新聞は訂正記事を載せた。
しかし、新聞を見た人たちからは、
「はっ! ついにあの死の商人が死にやがったぜ!」
「どんなに稼いでもあの世に金は持っていけねえんだよ!」
「爆弾売りの外道め! ざまあ!」
と、街では酷い言われようであった。
ダイナマイトという高性能爆薬が戦争で使われたことで、戦場の被害は大きくなり悲惨なことに。
ダイナマイトを開発したアルフレッド・ノーベルは死の商人というイメージが世間に広まっていたのだ。
「確かにダイナマイト作ったのはワシやけど、戦場で使っとるのは軍やのに……」
実はアルフレッド・ノーベルは武器商人でありながら平和主義者であった。
1876年からアルフレッド・ノーベルの秘書兼家政婦として務めたベルタ・フォン・ズットナーもと伯爵令嬢。彼女は平和活動の先駆者であり、彼女の影響でアルフレッド・ノーベルは世界平和について深く考えるようになっていた。
天才アルフレッド・ノーベルにとってダイナマイトが戦争で使われることは予想の範囲内。自分が発明しなくとも、いずれ人は破壊力の大きな兵器を開発しただろう。
むしろ破壊力の大きな兵器は使えば多大な被害を出すことで、戦争抑止力として働くとアルフレッド・ノーベルは考えていた。
しかし、人類はアルフレッド・ノーベルが考える程に優しくは無かった。それどころか軍におけるダイナマイトの使い方はアルフレッド・ノーベルの想像の斜め上を行く想定外だった。
アルフレッド・ノーベルはアメリカの軍人、シャフナーの一件を思い出す。
「おう、ノーベル、お前のダイナマイトすっげえな」
「あ、どうもどうもシャフナーはん。またダイナマイトの注文ですか?」
「これからもずっと注文し続けるだろうよ。軍ってのは相手よりも強い兵器を相手よりたっぷり用意しておかんとな。だからもう儲かって儲かってしょうがないだろノーベル?」
「いやいや、あれは開発費エライかかってますから」
「なに言ってやがる。今じゃダイナマイト王とか呼ばれてんじゃねえか。ダイナマイトはまだまだこれからも売り続けられる商品だろ? だからよー、ノーベル?」
「な、何ですかシャフナーはん? 改まって?」
「ダイナマイトの権利、俺にくれ」
「はあ? なに言ってますの? アレはワシが研究して開発したもんで、いきなり権利くれとか言われても、無茶言わんでください」
「あ? なにノーベル? お前、逆らうの? 俺のことナメてんの? アメリカ軍ナメてんの?」
「い、やその、ナメてるとかナメてないとかいう話やなくて。なんでワシの権利をシャフナーはんに譲らないかんのかいう話で」
「あぁ? そーいう態度でいいと思ってんの? お前何様? じゃ、今後、軍でダイナマイトでなんかあったら全部、ノーベルのせいにすっからな。賠償覚悟しとけよ。兵隊が転がったダイナマイト踏みつけてスッ転んで頭打ってタンコブできたのも、お前のせいにすっからな。なにもかも全部ノーベルの責任な」
「いぃ? そんな難癖の付け方アリ?」
「はい、ざーんねーんでーしたー。もう法案可決しましたー。手遅れでーす」
「うっそ!? マジで!?」
アメリカ連邦議会でニトロの使用で事故が起きた場合、責任はノーベルにあるとする法案が成立した。
権利問題で面倒になったアルフレッド・ノーベルは、軍事における使用権をシャフナーに譲渡することに。
高性能爆薬の普及により、軍が戦争を激化させるほどにアルフレッド・ノーベルの『死の商人』という悪名は高まっていく。
「……確かにワシがニトロもダイナマイトも作ったんやけどな、ワシが戦争しとるんじゃないっちゅうの。それなのに死の商人とか死神とか、えらい言われよう」
アルフレッド・ノーベルは新聞記事とそれを見た街の人たちの様子から不安が高まる。
「え? ちょい待って。もしワシが本当に死んだらこの新聞みたいな書かれかたされんの? ワシが死んだら皆、ざまあ!ざまあ!って喜ぶの? ……イヤや、」
アルフレッド・ノーベルは号泣する。
「イヤや! そんなんイヤや! ワシが死んだらワシのこと惜しんでくれるのはおらんの? 葬式で泣いてくれるような人はおらんの?」
アルフレッド・ノーベルは内気な性格の男であった。妻はいない。子供もいない。
結婚願望はあっても積極的に女性にアプローチできる性格では無かった。
結婚相手を見つけようと努力したときも、女性秘書を募集する広告を出すという不器用ぶり。
この広告を見てやって来たのが、ベルタ・フォン・ズットナー。アルフレッド・ノーベルは期待して彼女との結婚を前提に秘書として採用したものの、彼女が秘書の応募に来たときには既に婚約者がいた。
そしてアルフレッド・ノーベルには性格的にNTRは無理だった。
微妙に女運の無い男、アルフレッド・ノーベル。生涯独身。ダイナマイトの発明で財を得たものの、その為に悪名が付きまとう。結婚して家庭を持つのは難しい。
「死の商人とか死神とか言われとるけどなあ! ワシかて人間やぞ!! 誰か1人くらいワシが死んだら泣いてくれる人はおらんの!? さみしいやないか!!」
この死亡記事の一件からアルフレッド・ノーベルは死後の評価を気にするようになったという。
そして天才と呼ばれた頭脳を駆使して打開策を考える。
「人に惜しまれるにはなんか良いことせんと。でもボランティアとか寄付とかありきたりやしなあ。なんかこう世間の人がワシのこと見直すような、そんな発明をやな……、せや、今までに無い世界で初めての賞とかどやろ?」
1895年、アルフレッド・ノーベルは財産の大部分をあてて毎年授与する賞を創設するとした遺言状に署名した。
当時、賞というのは国王や為政者が自国の国民に贈るのが一般的。
国籍を問わず、国境を超え、多くの人々に貢献した者を受賞対象にする国際的な賞とは、このノーベル賞が世界初となる。
「この賞ができたならワシのこと惜しんでもらえるやろか? 遺産の相続で親戚がモメそうやけど」
1896年12月10日、アルフレッド・ノーベル死去。12月30日に遺書が開封。
遺書には国籍を問わず人類に最も貢献した人々に贈る賞の設立が書かれていた。
アルフレッド・ノーベルは国際賞にすることを希望していたため、スウェーデン国内では激しい論争が起こる。他国の人を受賞対象とするのは当時の常識では考えられないことだった。
また、ノーベルの遺産の相続を当てにしていた親戚が手に入らないことで揉める。遺書の解釈を巡り指名された相続執行人は頭を抱えることになる。
紆余曲折を経て1901年、ノーベル賞の授賞式が初めて行われた。12月10日、アルフレッド・ノーベルの命日である。
この日はやがて、スウェーデンとノルウェーでは祝日となる。
人は死ねばその骸は『死体』と呼ばれる。
しかし、人は親しくした者の亡骸を死体とは呼びたくは無い。なので『死人』と呼ぶ。
骸を『死体』と呼ぶか『死人』と呼ぶか。これを分けるのは遺された者の想い出に依る。生前の行いと結んだ縁が呼び方を変える。
もしあなたが死んだとして、遺された者はその骸を『死体』と呼ぶだろうか? それとも『死人』と呼ぶのだろうか?
余談になるが、1905年、女性で初めてのノーベル平和賞を受賞した人物がいる。
小説『Die Waffen nieder!』(武器を捨てよ!)の著者であり、熱心な平和活動家。
ベルタ・フォン・ズットナー
かつてアルフレッド・ノーベルの秘書を務めていた女性だ。