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8話

 駅で蓮田と落ち合い、電車に二時間ほど揺られて、地元についた。外に出ると、パラパラと雨が降っていた。アスファルトはいつもより濃く暗い色になっており、雨の日特有の香りを放っている。


「ここに来ると、色々思い出しちまうな」


 生温い雨に打たれながら、蓮田は空を仰いだ。彼にも思うところがあるのだろう。蓮田は思い詰めたような表情をしている。


「越生。ごめんな」

「は? 何がだよ」


 蓮田は突然謝った。


「俺、やっぱ最低な奴だよ」


 彼は苦しそうに言葉を吐き出している。


「だからどうしたんだよ。何か悪い物でも食ったのか?」


 なぜ彼が謝るのか、全く分からない。蓮田に感謝する事はあれど、謝罪される理由は一切ない。


「謝んなよ。蓮田がいなけりゃ、双子だなんて気付けなかった」


 僕がそう言うと、蓮田は尚更辛そうに顔を歪めた。


「そっか……そうだよな」


 なぜそこで顔を歪めるのか、理解できなかった。


「同行するとか言っといて悪いんだけど、俺、先に墓参りに行って来るわ」


 蓮田はそのまま、スタスタと進んで行ってしまった。


「え、あ……おい」


 伸ばしかけた手を、すぼめてしまう。後を追いかける気になれなかった。だって彼は、今にも世界が終わってしまいそうな顔をしていたから。


 ☆★☆★☆★


 そんな蓮田の背中を見送ってから、バス停のベンチで雨宿りしながらバスを待った。十五分程でやって来たバスに乗り、雨で曇った窓をぼんやりと眺めながら心を落ち着かせた。


 バスは数分で目的地に着き、停車ボタンを押して降りる。パラパラ降る雨に打たれながら歩き、来夏の住んでいたアパートに向かった。


 お世辞にも綺麗とは言えないアパートだ。元々はクリーム色だったのだろうが、ところどころ浅黒くくすんでいる。彼女の住む部屋は、二階の一番右にある。


 ギィギィと軋む階段を登り、来夏の実家の前に立つ。一度深呼吸をしてから、インターホンを押した。あの偽物の来夏もこんな風に緊張しながらインターホンを押していたのかと思うと、少し胸が痛む。


 インターホンを押したところで、中から返事はない。少し時間を開けてから、もう一度インターホンを押す。それでも出てこないので、二度三度ノックをし「すみません」と声を掛ける。少しして中から「誰ですか?」という不機嫌そうな声が聞こえて来た。ドアが開き、来夏とは似ても似付かない鋭い瞳をした女性が出てきた。彼女はボサボサの茶髪に、ピンクのジャージという格好をしている。


「あの、僕は越生優太と言います。来夏さんとは仲良くさせていただいていました」


 来夏という単語を聞いて、彼女は眉をピクリと動かした。


「ああ、優太くんね。覚えてるよ。来夏がよく家で話していたから」


 言いながら、彼女は僕を睨んだ。足元からから頭の先まで、舐めるように見られる。正直、気持ち悪かった。彼女の爬虫類のような鋭い瞳も、実の娘に暴力を振るうような腐った性根も、全部憎くかった。


「ところで、君は何の用で来たの? まさか、復讐とか?」


 僕はこの街に住んでいる頃、来夏の母親を見かける度に睨んでいた。あいつが来夏を苦しめる張本人かと、酷く恨んでいた。そして彼女は、僕のそんな瞳が気に入らなかったらしい。家に帰り、来夏が僕の話をする度に彼女を殴っていた。


 今、この女に復讐してやりたい気待ちが無いわけではないが、それをやったらこいつと同レベルの人間になってしまう。僕はそんな人間になりたくなかった。


「いえ、違いますよ。ちょっと失礼を承知で聞きたいことがあって来たんです」


 僕は一度息を吸って覚悟を決めた。


「実は、来夏さんに双子の姉か妹がいるのではないかと疑っているんです。お母さん、何か心当たりはありませんか?」


 そう問われた来夏の母親は、瞳を丸くして僕を見た。その表情は「こいつは何を言っているんだ」と、口外に語っている。


「双子の姉か妹って、なんでそんなことが気になるのよ」

「まあ、色々あってそう疑うようになったんですよ」


 僕がそう言うと、来夏の母親は嫌な記憶でも思い出したのか、苦い顔になった。


「それってつまり、私の離婚した旦那がもう一人を引き取ったって言いたいの?」

「そうなりますね」


 彼女は、はーっと深いため息をつき、不機嫌そうに頭をわしゃわしゃとかいた。


「そんな訳ないでしょ、いい? 私の旦那はね、来夏が産まれる前に私達を捨てたの、他に女を作ってね。双子の片割れを引き取る? そんなことする訳ないでしょ」


 彼女の表情は、まさに鬼のようだった。鋭い瞳から、今にも煮え繰り返りそうな感情が伝わってくる。


「私には来夏しか娘がいないの。その来夏だってもう死んだし、今はもう娘なんていないのよ」


 彼女はそう吐き捨て、家の中に入っていった。中から、男の声と甘い猫なで声を出している来夏の母親の声が聞こえた。


「なんだよお前、娘なんていたのかよ」

「いたよ〜。でもいいじゃない、今はもういないんだからさ」


 クソみたいな会話だと思った。この調子だと、家の中には来夏の遺影すら飾られていないのかもしれない。


 これ以上そんな会話を聞いていたくなくて、僕はアパートから去った。どうしてあんな親から来夏のような子が産まれたのか、不思議でならない。本当に、僕は来夏を守りたかった。なのに、どうして守れなかったのだろう。


 結局、来夏は双子ではなかった。あの偽物の来夏の正体は、未だ謎のままだ。一度見えかけた解決への道も、もう閉ざされてしまった。また、一からやり直しだ。


 ☆★☆★☆★


 同じようにバスに揺られ、来夏と凪沙さんが眠っている墓場へと向かう。入り口から、蓮田の姿が見えた。彼は凪沙さんの墓の前で、死んだように突っ立っている。近くまで行き声をかけると、彼はゆっくりとこちらに視線を向けた。


「来夏の実家に行って来たよ。来夏は双子じゃなかった」


 僕がそう言うと、蓮田はふっと笑って「だろうな」と答えた。


「だろうなって、それ、どういう――――」

「越生。俺はお前に謝らないといけない」


 僕の言葉を遮り、蓮田はそう切り出した。


「何をだよ」


 少しイラついて、口調が荒くなる。


「俺さ、お前が羨ましくて嘘を付いたんだ」

「は? なんだよそれ」

「なあ越生。お前にとって今、世界はどんな色してる?」

「おい。どうしたんだよ蓮田。お前らしくないぞ」

「いいから答えてくれよ」


 蓮田は真剣な表情で僕を見ていた。決してふざけているわけではないようだった。


 僕は少し考えてから、口を開いた。


「灰色、かな」


 どれだけ考えても、それ以外答えが見つからない。来夏がいなくなったあの日から、僕の日常は灰色に染まっている。


「そうか。俺も同じだよ。だからこそ、俺達は友人になれたんだ」


 でもさ、と呟いて蓮田は続ける。


「昨日、見ちまったから。越生が、来夏さんと一緒にいるところを。だから俺、凄く不安だったんだ。怖くて怖くて仕方なかったんだよ」


 蓮田はぐしゃっと前髪を掴んだまま、俯いた。


「俺、最低だよな。お前が幸せになっていくのが、許せなかったんだ。お前の人生が、彩られていくのが、怖かったんだ。お前には、俺と一緒にずっと絶望してて貰いたかった」


 だから嘘をついたんだと、彼は説明してくれた。


「あの双子の事件は、お前が来夏さんを疑うように仕向けた俺の創作だ。現実に、そんな事件はない」


 彼のその言葉に、僕は素直に納得してしまった。あの時の蓮田は、話をそらしたりと、いつもの様子と違っていたから。


「今回お前に付いてこの街に戻ってきたのも、来夏さんの墓を確認する為だったんだ」


 蓮田の視線の先には、来夏の墓がある。


「な、最低だろ?」

「ああ、最低だな」


 だからといって、蓮田を責める気にもなれなかった。僕と蓮田の立場が逆だったとしたら、僕も同じ行動を取ってしまうと思ったからだ。


「越生。頼みがある」

「なんだよ」

「一発殴ってくれ」


 僕はその言葉に少し間をあけて頷いた。


 次の瞬間にはもう僕は蓮田を思い切り殴り飛ばしていた。これで蓮田の気が済むというなら、いくらでも殴ってやる。


 蓮田は赤くなった頬をさすりながら、笑っていた。


「なんだよお前、いつからそんなマゾになったんだよ」

「たった今。お気に入りの女王さまを見つけたからな」

「気持ちわる」


 蓮田は憑き物が落ちたような表情をしていた。


「来夏は確かに死んでただろ」


 僕は彼女のお墓に視線を向けながら言った。確かにそこには、来夏の墓がある。彼女はもう、この世界にはいない。


「ああ、お供え物一つされてない墓に安達来夏って刻まれてたよ」

「可哀想な奴なんだよ」

「あんまりにも可哀想だったから、俺が饅頭供えといたよ」


 言いながら、蓮田はもう一度空を見上げた。


「越生。断言するぞ、お前に付きまとっている来夏さんは偽物だ。それは間違いない」

「だろうな。僕もそう思う」


 問題はそこじゃないんだ。偽物だと分かっていても、抗えない感情がある。


「なあ越生。これはあくまで俺の考えだから、参考程度に聞いておけよ」


 一拍おいてから、彼は続けた。


「俺は、その来夏さんを信じていいと思う。そいつが来夏だってことにしていいと思う」


 彼は来夏の墓を見ている。それでもなお、信じてもいいと言った。


「なんでだよ。何を企んでるか分からないんだぞ。騙されてからじゃ――――」

「遅くないんだよ。俺達には、もう何も残されてないから。騙されたところで、失う物なんて一つもない」


 彼の言葉に、ハッとした。


「凪沙が死んだ日から、俺の人生は空っぽだった。無駄に酸素を吸って、空虚な人生を送ってる。未来なんてどうでも良かった」


 蓮田は僕をまじまじと見つめた。


「俺さ、凪沙が死んだ日から、毎晩毎晩、思ってることがあるんだ。こんな人生、もういらねえやって」


 それは確かに、僕も日々考えていたことだ。こんな人生にどんな意味があるのか。それを、来夏が死んでからずっと考え続けていた。


「なあ越生。俺だったら、その来夏さんを信じるぜ。信じて、最後まで信じて、裏切られても信じ続けて、最後にどうしようもなくなって見捨てられたら、人生終わらせる」


 蓮田の目は、虚ろだった。彼はもう一度空へ視線を移し、その虚ろな瞳のまま「ふっ」と笑った。


「結局、俺達は長く生きすぎたんだ。一人でいるのが辛いのに、ずっと、ずるずる生き続けてしまった」

「お前、死ぬ気かよ」

「冗談だよ」


 彼は笑っていた。しかし、その目は笑っていなかった。


「俺はこんな世界は偽物だと思ってる。水槽の中に浮かんだ脳が見てる、ただの地獄だと思ってる。俺の人生は、地獄だからな」


 蓮田は虚ろな眼差しのまま、もう一度僕を見た。


「だから俺にとっては羨ましいんだよ。最後に、夢を見れるお前がさ」


 蓮田の心はもうとっくに壊れていた。


「嘘を付いて悪かったな。お前、俺のことは気にせず、最後くらい幸せになれよ」


 彼はひらひらと手を振りながら墓場の出口へと向かう。そして最後に「ああ、そうだ」と呟いてからこちらに振り返った。


「もしも夢から覚めたのなら、また話し相手になってやるぜ。そん時は電話しろや。少しはお前の希望になってやる」


 じゃあな、と言い残して彼は墓場から立ち去っていった。


「おい蓮田!」


 無意識のうちに、大声を出していた。彼は僕に背を向けたまま、一度立ち止まった。


「お前はいつまでも嘲笑ってろ。水槽の中で明るく楽しくハッピーにしてる奴らを、何にも分かってない奴らを!」


 自分でも何を言っているのか分からなかった。だが蓮田は、右手をつき上げてからもう一度歩き出した。彼はそのまま墓場から消えた。


 それから僕は来夏の墓の前でしばらく立ち尽くしてから、駅へ向かった。


 朝と同じように電車に揺られて帰り、ホームから出ると空はオレンジ色に染まっていた。外で夕食を済ませてからアパートに戻ると部屋の前にまた新しい料理が置かれていた。ラップに包まれた料理が緋色に輝く太陽に照らされ、赤く燃えている。卵焼きと生姜焼きだ。僕がよく、来夏に作ってもらっていた料理だ。


『多分そろそろ体調が戻って来たと思うから、優太くんの好きなやつを作っておいたよ』


 ラップには、そう紙が貼られている。


 チラリと、蓮田の言葉が脳裏をよぎる。


 ――俺達には、もう何も残されてないから。


 ――信じて、最後まで信じて、裏切られても信じ続けて、最後にどうしようもなくなって見捨てられたら、人生終わらせる。


 もう、騙されても良いかもしれないと思った。夢を見るのも、有りかもしれない。

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