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6話

 身支度を整えてから、外に出た。未だに喉の奥には不快感がある。途中のコンビニで買った菓子パンとミネラルウォーターで不快感を押し込んでから、最寄りの駅へ向かった。そのまま二駅電車に乗り、駅近のカラオケ店に入った。


 別に、行き先はどこでも良かった。


 ただ、家にいたくないだけだ。


 僕の家は来夏にバレている。このままではいつ彼女がやって来るのか分からない。できる限り、彼女と遭遇する確率を減らしたかった。


 無意識のうちにカラオケ店に来てしまったのは、あの記憶のせいだろう。


 レジで受付を済ませ、店員に指定された薄暗い部屋に入る。カラオケに来るのは数年ぶりで、しかも一人で来るのは初めてだ。なんだか妙に落ち着かない。フリータイムで入ってしまったが、これは一時間も持たないかもしれない。


 タブレット端末を操作して、あの曲を入れた。僕と来夏の、思い出の曲を。


 緩やかなメロディーと共に歌い始めたが、何一つ面白いと思えなかった。来夏といる時はあんなに楽しかったカラオケも、一人で歌っていると何も楽しくない。ただ、僕は一人になってしまったんだという虚しさだけが残った。あの頃はきっと、来夏が隣にいたから楽しかったんだ。やっぱり僕は何をしていても来夏がいなくなった悲しみを感じてしまう。


 もうカラオケから出よう。一曲だけ歌って帰るという意味の分からない客が一人くらいいてもいいだろう。


 部屋から出ようと立ち上がった時だ。ガチャリと、扉が開いた。初めは、店員が何かを持ってきたのかと思った。しかし、そうではなかった。


「来ちゃった」


 僕の前には、来夏がいた。昨夜追い返した、あの来夏だ。


 一瞬だけ、胸の中がじんわりと暖かくなっていく。しかし、すぐにそんな感情は振り払った。


「来ちゃったじゃないだろ」


 出来るだけ声を低くして、彼女を睨みつける。そうでもしないと、来夏に気を許してしまいそうだったから。


「なんで僕の居場所が分かった。後をつけていたのか?」


 今後はしっかりと尾行も注意しなければならないと思った。


「優太くんの事は何でも分かるんだよ」


 来夏はいつものように笑って部屋に入って来た。そしてそのまま、僕の隣に座る。


「優太くんは何を歌ってるの? あ……」


 タブレットを操作して履歴を見ていた彼女の手が、止まる。


「アイネクライネだ」


 彼女は両手で口元を覆って、タブレット画面を見つめていた。その瞳は、微かに揺れている。


「なんで来夏の好きだった歌を知っているんだ」


 僕の声は震えていた。その震えは恐怖から来るものなのか、別のところから来るものなのか、そんなの、知りたくもなかった。


「だって、本人だもん」

「下調べが完璧なんだな」


 そうは言ったものの、目の前にいる来夏は、どこからどう見ても本物の来夏だった。理性でどれだけ否定しようとも、来夏にしか見えない。


「来夏はもういないんだ。君は来夏じゃない」


 それはほとんど、自分に言い聞かせるための言葉だった。


「じゃあ逆に聞くけど、私は誰だっていうの?」


 面と向かってそう言われると、言葉に詰まった。これだけ似ていて、来夏じゃないとしたら何だと言うのだろう。


 少し考えて、振り絞るように言った。


「君は、クローン技術で作られた偽物だ」


 何らかの犯罪組織が、死んだ人間を利用するためにクローン技術を用いてクローン人間を作った。


 そんな事が本当にあるのだろうか。自分で言っていて恥ずかしくなる。でも、死んだ人間が生き返るというのよりは信憑性は高いだろう。現在の技術でクローン人間を作れないという事はない。


「あははっ! そんな訳ないじゃん」


 来夏は僕を馬鹿にしたようにお腹に手を当てて笑っている。その目尻には、微かに涙が浮かんでいた。


「じゃあ、君はなんだって言うんだよ」


 僕がそう聞くと、来夏は一度黙ってしまった。


「ごめんね。それは言えないんだよ。でも、私は来夏なの。それは本当なんだよ」


 彼女は確かに来夏だった。姿形も、喋り方も、間の取り方も、絶対に半袖を着ないところも、全て来夏だった。彼女とずっと共に過ごしてきた僕だから分かる。でも、来夏は死んだ。それは、決して揺らぐ事のない事実なんだ。


「それじゃあ信じる事は出来ない。さっさと帰ってくれ」

「それは嫌だな。やっと、優太くんに会えたんだからさ」

「じゃあ、僕が帰る。もう帰ろうとしていたんだ。金は置いていくから、好きにしろ」


 一刻も早くこの場所から逃げ出したかった。これ以上この場所にいて、来夏を傷付けるのが怖い。


「ちょ、ちょっと待ってよ!」


 慌てたように、来夏が僕の肩を掴んだ。彼女の髪が揺れて、甘い香りが鼻腔をくすぐる。彼女の手の温もりも、髪の香りも、何一つあの頃と変わらない。


「じゃあ、こうしよう。いつもの勝負だ」


 そう言って、来夏はマイクを持った。


「今回はカラオケで勝負ね!」


 僕と来夏は、意見が食い違うと何らかの勝負をしていた。勝った方の言うことを聞く、というやつだ。今回はカラオケ勝負という事だろう。


 少し考えて、その勝負に乗ることにした。


「私と優太くんのカラオケの実力は五分五分。お互い良いとこ80点ってところだったよね」

「そうだな」


 お互い下手すぎて、地獄のような勝負になるかもしれない。


「これなら、公平な勝負ができると思うんだ」

「ルールは負けた方が勝った方の言う事を聞くって事でいいのか?」

「もちろん。それでおっけーだよ!」


 僕は心を鬼にして、口を開く。


「じゃあ僕が勝ったら、もう二度と僕の前に現れないって誓ってくれ」


 来夏は一度顔を伏せて「分かったよ」と呟いた。彼女はそれなりの覚悟を持って勝負を挑んでいるようだった。


「その代わり、私が勝ったら今日一日付き合ってもらうよ」

「分かった。何でもするよ」


 僕は今、何でもすると約束した。彼女が偽物なら、僕に近づいて来た理由があるはずだ。彼女が何かを企んでいたら、僕に何かしらの要求をしてくるに違いない。そうすれば、来夏の正体に近づく。


 僕が勝ったら来夏は二度と現れない。負けても、正体に近づける可能性が高い。勝っても負けても、僕に損はない勝負だ。


 マイクを握りしめて、曲を入れた。


 ★☆★☆★☆


「やったー! 私の勝ちだ!」


 液晶に華々しく映った81点という数字を見て、来夏は飛び跳ねて喜んでいた。


「これで今日一日は優太くんと一緒にいられるよ!」


 狭い室内で、来夏はぴょんぴょん飛び跳ねている。


「いやー、まさか十八番を歌って78点とはね。もー、本当に下手だね」

「うるさいな」


 来夏はニヤニヤしながら僕を見ている。確かに僕の歌はお世辞にも上手だったとは言えない。だが、来夏の歌だってそこそこ下手くそだった。人を馬鹿にできるレベルではない。


 そんな風に言い返してやりたかったが、思い留まった。こいつは偽物だ。昔のような態度を取るのはやめた方がいいだろう。


 僕は負けたら何でもすると言ったんだ。そのうち、こいつは本性を出す。絶対に出す。出さない訳がないんだ。じゃないと、辻褄が合わない。


「優太くんさ。さっき何でもしてくれるって言ったよね」


 ほら来た、と思った。来夏は確認するように聞いてくる。


「言ったよ。どんなことでもやるよ」


 もちろん、不可能な、命に関わるような要求をされたら約束は破る。いったい何を要求してくるのだろうか。金だろうか。何か犯罪に関わる事を手伝わされるのだろうか。


「優太くんって今、大学生だよね」

「そうだよ。そこら辺の下調べだって済んでるんだろ」


 僕の言葉を無視して、彼女は続ける。


「私は訳あって大学には行けてないんだよ。だから少しだけ大学生っぽいことをしてみたいんだ」


 言いながら、来夏は持っていたバッグを漁った。


「ジャジャーン」


 ドンッと勢いよくテーブルに置かれたのは、とあるボードゲームだった。僕は最初、何を出されたのか分からず唖然としてしまった。


「うぇいうぇいランドです!」


 来夏はパチパチと手を叩きながら楽しそうに笑っている。


「なんだよその頭の悪そうなボードゲーム」


 辛うじて出た感想が、これだった。見紛えた分、損した気分になる。


「お酒と融合したボードゲームって言えばいいのかな?」


 言いながら、彼女はボードゲームの箱を開けた。そこには、クライナーの小瓶が十二本入っていた。カラフルで可愛らしい見た目をしているが、度数はそれなりに高い。


 ざっとルールを確認してみると、どうやら止まったマスに応じてこのクライナーという酒を飲んでいくらしい。


 遊び慣れていないのだろうか。これはどう考えても、二人でやるようなゲームではない。


「私も二十歳になったからさ、飲みゲーやって大学生みたいなことしたいんだよね」

「大学生をなんだと思ってるんだよ」


 彼女の目的が見えてこない。飲みゲーをして、何をしようというのだろうか。度数の高い酒を用意し、酔っ払った僕を拉致する気だろうか。


 しかし、これは逆にチャンスでもある。僕と彼女は同じ条件だ。彼女が酔えば、何かしら正体に近づく失言をするかもしれない。彼女の一挙一動を見逃さず、絶対に何か裏がないか暴き出してやる。


 ☆★☆★☆★


 結果から言うと、来夏はボロなんて出さなかった。むしろ、その行動の全てが来夏そのもので、逆に面食らってしまった。


 目の前にいる来夏は、もしかしたら本物なのかもしれない。だって、どこからどう見ても、彼女は来夏なのだから。偽物だという要素が、目の前の来夏にはない。


 気付いたら僕は泣いていた。来夏に逢いたい思いが爆発しておかしくなっていたのだろう。頭がふわふわしていて、思考が回らない。


 目の前でマイクを握っていた来夏が「大丈夫!?」と心配そうに駆け寄って来る。どうやら僕はだいぶ酔っ払っているようだ。昨日、一切睡眠を取らなかったツケがここに来て回ってきてしまった。自分がどれだけのお酒を飲んだのか、あまり覚えていない。意識がブラックアウトしていて、記憶を探れない。


「ごめん。沢山飲ませちゃったよね。ちょっと待ってて。今、水持ってくるから」


 ☆★☆★☆★


 そこからまた、記憶が飛んだ。


 次に意識が戻った時には、空はとっくに暗くなっていた。


 僕は来夏に背負われてアパートの前にいるようだった。タクシーでも呼んだのだろうか。どうやってここまで来たのか、全く覚えていない。


「あ、良かった。目、覚ましたんだね」

「いいから僕を下ろせ」


 自分で言っていて、本当にクズだと思う。家まで連れて帰ってもらっておいて、よくそんな口が聞けるなと思う。でも、そう言うしかなかったんだ。そうでもしないと、この来夏に心を許してしまいそうだった。


「ダメだよ。絶対、今の優太くんじゃまともに歩けない」


 来夏はアパートの階段をゆっくりと登って行って、部屋の前で僕を下ろした。彼女もそれなりに酔っているのだろう。来夏の頬は赤く染まっている。


「ここまで来ればもう大丈夫だ。お前はさっさと帰れ」

「そう言われても、さっきから全然鍵取れてないじゃん。優太くん、めちゃくちゃお酒弱いんだね」


 来夏の言う通り、ポケットを弄っているのになぜか鍵が取れない。そもそもポケットに手を突っ込めているのかも分からない。


「どんなに酔っ払ってても、優太くんは暴力を振るわないから好きだよ」


 来夏はしゃがみ込み、頬に手を当てて僕を見つめた。そのうち、僕があまりにもポケットから鍵を取り出せないのが面白かったのか、来夏は笑い始めた。


「ほら、私が取ってあげるよ」


 彼女は僕の隣に来て、ポケットから鍵を取り出した。


「ほら、今度は開けられるかな〜」


 茶化すように言って、彼女は僕に鍵を渡す。


「それくらいはできる」


 言いながら鍵を開けようとするも、鍵が刺さらない。


「あははっ! 優太くん、それ反対! 刺そうとしてるの、鍵の持つ方だよ!」


 来夏はひとしきり笑った後、鍵を開けてくれた。


 見慣れた玄関が現れる。無事家に着いた事で安心したのか、一気に吐き気が襲ってきた。慌ててトイレに駆け込んで、胃の中からせり上がってくるものを全て吐き出す。今日だけで、何回吐いてるんだ。頭が痛くて、喉が熱い。最悪だ。


 その時、背中に暖かい感触があった。柔らかなその手のひらは、僕の背中をさすってくれている。


「優太くん、大丈夫?」


 ポタポタと、トイレの床に水滴がこぼれ落ちた。来夏は、滴る汗も拭わずに僕の背中をさすってくれている。


 なんで、こんなに健気なんだよ。


「ほら、水飲みなよ」


 彼女はペットボトルを僕に差し出してくる。


「辛かったらもっと吐いていいんだよ。ごめんね。私が変な遊びに誘っちゃったから」


 なんで、こんなに優しいんだよ。


 僕は彼女に酷いことをしたのに、酷いことを言ったのに、なんでこんなに親身になってくれるんだよ。


 彼女に甘えたい。彼女を抱きしめたい。彼女に抱きしめてもらいたい。止めなくちゃいけない思いが、溢れてくる。


 このままじゃ、この来夏に心を許してしまう。楽になりたいと心が叫んでいた。


 もう、ダメだった。頭がおかしくなりそうだった。これ以上近くに、いて欲しくなかった。


 だから、僕は声を荒らげてしまった。


「やめてくれよ!」


 来夏の手を背中から振り払おうとして、右手を振るった。


「きゃっ」


 それが間違いだったと、すぐに気づいた。


 僕の右手は来夏の頬に当たり、彼女は後ろに倒れてしまった。


「あ、ごめ」


 謝ろうとして、咄嗟に口を閉じる。来夏の偽物に、謝ってはいけない。


 吹っ飛ばされた彼女は瞳を震わせ、涙をたっぷりとためたまま、それでも僕に近づいてくる。


「ほら、今は優太くん酔っ払ってるから、少しおかしくなってるんだよ」


 彼女の事を、本当に愛おしいと思ってしまう。理性でいくら否定しようとも、行動でいくら拒絶しようとも、心が、彼女を求めていた。


 考えがまとまらない。自分の中の気持ちに、矛盾が生じている。来夏は偽物なんだ。気を許してはいけない。この来夏に恋をしたって、虚しいだけだ。騙されて最終的に傷付くのは僕の方なんだ。なのに、どうして、こんなにも――


 僕は思考を断ち切り、心を鬼にして叫んだ。


「お前が、偽物が、優太くんなんて呼ぶなよ。ふざけんなよ。もう二度と来ないでくれ。僕の前に、現れないでくれよ。もう、辛いんだ。来夏を思い出すのは、苦しいんだ」


 言ってから、激しい後悔があった。彼女に嫌われてしまうかもしれないと、恐怖した。


 だが、ここで止まってはいけないと自分を奮い立たせる。


 ふらふらと立ち上がり、来夏の手を掴んだ。彼女の目は赤く腫れていて、僕を上目遣いで見ている。


「そんな目で見ないでくれよ」

「ごめんね」


 引っ張って彼女を立たせてから、背中を押していく。ショックですすり泣く彼女は、何も抵抗することなく、素直に家の外へ出ていった。バタンと扉が閉まり、部屋の中に静寂が訪れる。先程まで聞こえていた来夏の笑い声も、来夏のすすり泣く音も、何も聞こえない。


 壁に寄りかかって、深くため息をついた。なんだか、酷く胸が痛かった。取り返しのつかない過ちを犯した気分だった。僕はまた、来夏を深く傷付けてしまった。でも、あいつは本物の来夏じゃない。本物の来夏のはずがない。だから、僕は間違っていない。間違っていないんだ。

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