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2話

「越生さん。元気出しましょうよ。そんな風にムスッとしてても、幸せが逃げていっちゃいますよ」


 バイトから帰宅した後の事だ。ソファに蹲って興味もクソもない番組を垂れ流していると、天の声が喋りかけてきた。


 元気を出せと言われたところで、元気が出るわけがない。


「無理だよ。明日が何の日か知ってるだろ」


 テレビの上に置いてあるデジタル時計に目を向けると、そこには七月六日と表示されていた。時刻は二十一時を過ぎた頃で、あと数時間もすれば日付が変わってしまう。


「知ってますよ。来夏さんの誕生日ですよね」

「だから元気なんて出るわけないんだよ」

「来夏さんの誕生日だからこそ、少しは楽しそうにすればいいじゃないですか。きっと、天国の来夏さんもそうして欲しいに決まってますよ」

「お前に来夏の何が分かるんだよ」

「ま、越生さんよりかは来夏さんの気持ちは分かってると思いますけどね」

「よく言うよ」


 飄々とした調子で、天の声は続けた。


「来夏さんの分も用意してパーっとお酒でも飲んだらどうですか? 生きていたら今年で二十歳になるんでしょう?」


「そうだよ」


 あの時お守りを落としていなければ、あの時拾いに行ったのが僕だったら、今頃僕と来夏は二人で酒でも飲んでいたのだろうか。そんな未来が、僕達にはあったのかもしれない。この時期になると、いつもそう思う。


 来夏がいなくなってから、何をしていても満たされる事はない。新しい恋を見つけようにも、僕の前に来夏以上の存在が現れる事なんて無いと思った。


 線をなぞるように、敷かれたレールの上を歩くように、ただ過ぎるだけの毎日を送っている。何か良い事が起こったって、僕の隣に来夏がいないのなら虚しくなるだけだ。


 そんな僕の思考を見透かしたように、天の声が告げた。


「あの、これ、言おうかどうか凄く悩んだんですけどね」


 そう前置きして、彼女は続ける。


「そろそろ、越生さんにも良いことありますよ。貴方にも幸せが訪れます。だからどうか、悲観しないでください」

「いや、無いね」


 天の声のその言葉を、僕はすぐに切り捨てる。


「む……それがあるんですって。だからパーっといきましょう。パーっと」


 いいことなんて、ある訳がない。どんな奇跡が起きようとも、どんな幸せが訪れようと、来夏と一緒にこの感動を味わいたかったと虚しくなるだけだ。


 僕はそういった思いを込めて、天井を睨んだ。何となく、そこら辺に天の声がいる気がしたからだ。


「そんな怖い目でみないでくださいよ。ま、とにかく楽しみにしといてください」


 そう言い残し、天の声は消えてしまった。それから、彼女の声は聞こえなくなった。


 これから先、僕が喜ぶような未来があるのだろうか。そんな未来が来るとは思えなかった。だが、ある訳がないと決めつけてしまう事も出来ない。


 天の声は時々、未来を予知したような発言をする。ある時は宝くじの当選番号を教えてくれた。その時、実際に数百万の金額が当選した。地震や事故を予知してくれた事もある。そんな彼女が、僕にとって良いことが起こると教えてくれたんだ。それを無視する事なんて、できるはずがない。


 この先、来夏のいない世界で僕は笑っているのだろうか。そう思うと、胸が苦しくなる。


 そんな事を考えていると、スマホが震え出した。画面を確認するとそれは蓮田はすだからの着信だった。


 蓮田直人はすだなおと。彼は僕の唯一の友人だ。来夏が死んで、僕には親しいと呼べる存在がいなくなってしまった。そしてこれから先、心を許せるような存在は一生現れないだろうと思った。しかし、どうやらそれは間違いだったようだ。


 蓮田と出会ったのは、二年前の冬。僕が地元を出る直前に、来夏の墓参りに行った時のことだ。彼も同様に、恋人の墓参りに来ていた。


 蓮田は墓の前で声を押し殺しながら泣いていた。


「凪沙、どうして」


 こぼれ落ちる涙を拭いながら、蓮田は何度も女性の名前を呼んでいた。


「凪沙、凪沙、なんで、どうして、俺を置いていかないでくれ」


 その姿を見て、ああ、こいつはきっと、僕の仲間なんだろうなと、勝手に思った。


 僕の悲しみを理解してくれて、同じように世界に絶望してくれる。彼のような仲間が一人いるだけで、僕の心はだいぶ安らぐだろうとも思えた。だから、気がついた時には僕の方から声をかけていた。


「すみません。貴方も、最愛の人を亡くしたんですか?」


 自分にそんな勇気があるなんて、その時までは知らなかった。多分、あの時の僕はかなり精神的にやられていたのだろう。我ながら、クソみたいなファーストコンタクトだったと思う。ぶっ飛ばされても文句なんて言えない。


「貴方も? って事は君も?」

「ええ、そうなんです」


 しかし、蓮田はかなり頭の良い奴だった。少ない言葉から僕の伝えたい事を汲み取り、おまけに僕がどういった理由で話しかけたのかも理解しているようだった。


「そうですか。じゃあ、俺達は仲間ってことですね」


 そう言った彼の姿は、酷く寂しそうに見えた。更には、病んでいるようでもあった。彼は完全に、僕と同類の人間だった。僕達はこうして、友人と言える関係になった。


 電話に出ると蓮田はいつも通りしわがれた声で話し始めた。


「よう、久しぶりだな越生。生きてるか?」

「生きてるよ。ギリギリのところだけどな」

「ああ、それなら良かった。明日は来夏さんの誕生日なんだろ?」


 どうやら蓮田は、僕を心配して電話をかけてくれたらしかった。それから彼と数分間話して、飲みに行く事になった。奇遇なことに、彼と僕の地元は同じで、上京した今も二駅ほどの距離に住んでいる。何から何まで、僕と彼は似ていた。友人になるのは、必然だったとすら思える。


 駅前の居酒屋チェーン店前で彼を待っていると、約束の時間より五分早く彼は現れた。


 頬のこけた、浅黒い痩せぎすの男だ。初めて会った時と比べると、かなりやさぐれてしまった。


 二、三の言葉を交わしてから、僕達は店へと入った。薄暗い店内に入ると、二人用のこじんまりとした席に通された。彼はモヒートを注文し、僕はモスコミュールを頼んだ。


「どうだよ越生。やっぱり、世界は憎いか?」

「そうだな。来夏はもうこの世にいないのに、地球は今日も明るく楽しくハッピーですって雰囲気で回ってる。なんか、嫌になっちゃうよ」


 蓮田は乾杯もせず、店員の持ってきたモヒートを一口飲んだ。


「分かるよ。でも実際のところ、今現在でも内戦とかで苦しんでる奴が沢山いるんだけどな。ハッピーとは程遠い世界が、この世にはある」

「内戦とかそんなのは関係ないんだよ。ただ、僕の前で楽しそうにしてる奴らが憎いんだ」


 人は目の前で起こっている事だけを自分の世界と捉えるクセがある。それ以外の事は、マンガやアニメの中と同じくらいの認識なんだ。僕達人間は総じて、想像力が足りない。


「その気持ちも分かる。たまたま歩いてて夏祭りの音とかが聞こえてくると、全部ぶっ壊してやりたくなるよな」


 スマホを取り出しながら、蓮田は振り絞るように言った。


「なあ、この写真見てくれよ」


 蓮田はスマホを見せてきた。そこには蓮田と、その隣で笑顔で佇む女の子が写っていた。


「これは俺と凪沙の二人で福寿岬ってとこに行った時に撮った写真なんだけどよ、俺達にも幸せな時は確かにあったんだよな」


 蓮田は懐かしむように居酒屋の天井を見つめた。


「でも今はさ、幸せそうな奴を見てると、なんかぶっ壊したくなっちゃうだよな。なんかもう、全部を終わらせたいって思っちまう」


 テーブルに投げ出されていた拳が、硬く握り締められた。蓮田の表情を見ると、彼は唇を噛み締めている。


「でもさ、そういう時にどうすればいいのか、最近になってようやく分かったんだよ」


 彼は中途半端に生えた髭を触りながら言う。彼の瞳は、まるでこの世の真理を見つけたと言わんばかりに怪しく輝いていた。


「なあ越生〈水槽の脳〉って知ってるか?」

「水槽の脳?」


 聞きなれない言葉に、つい聞き返してしまう。


「俺も詳しくは知らないんだけどよ」


 蓮田はもったいぶってモヒートを一口飲んでから続けた。


「俺達が体験している今この瞬間、俺達が生きているこの世界、それらは全て水槽の中に浮かんだ脳が体験しているに過ぎないってことだよ」

「つまり、僕達の現実は水槽の中の脳が見ている夢ってことか?」

「物分かりがいいな。まあ、そういうことだよ」


 言って、蓮田は拳を右に左に振った。


「俺は今右手を動かしただろ? でも実際は右手を動かしたと錯覚してるだけなんだ。俺達の本体である脳は今も水槽の中でピクリともせずに浮かんでる」


 なるほどな。それを否定するだけの根拠は、残念ながら分からない。


「それで? 結局何が言いたいんだよ。それとさっきの話とに、どんな関係があるんだよ」


 蓮田らしくないと思った。彼はこんな風な、要領を得ない話は滅多にしない。


「いや、そう思えばどんなに世界が憎くても、どんなに周りが幸せそうでも耐えられるかなって思ったんだよ」


 蓮田は店員につまみと新しいカクテルを注文してから、続ける。


「だってそうすりゃ凪沙が死んでたってみんな水槽の中だからな。そこら辺で幸せそうにしてる奴らも、現実では全員水槽の中だ。幸せもクソもない」


 彼の言いたいことが、ようやく見えてきた。確かに、そう思えば少しは楽になるかもしれない。


「そうだったとしたら最高かもな。揃いも揃ってみんな不幸だ。それって、全員平等でいいよな。でも、そんなこと思い付くなんてお前病んでるよ」

「確かに病んでるかもしれないな。幸せそうに並んで歩いてる男女を見ると、この世界から消えて無くなりたいって思う時があるよ」


 蓮田が今語って聞かせてくれた事は、間違いなく彼の本心なのだろう。蓮田の心は、間違いなく壊れかけていた。

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