5話:"姿を現した『芸術家』"
西へと傾いた橙色の太陽が、教会のステンドグラスをより神秘的に輝かせる。
そのガラスには、王様と思わしき人物が禍々しい竜を退治する様子が描かれていた。それを仰向けになったまま、頭を動かさずに眺めるクロ。
教会内部に、紙をめくる音が響くように聞こえた。
…そんな静かな一時は、こんこんと戸を叩く音によって終了した。
誰かが訪ねてきたようだ。
「エルゼちゃーん、じゃなかった…シスター、いるー?」
「あ、ベトちゃん。ちょっと待っててね。」
本を閉じ、立ち上がって扉を開けるシスター。
扉の向こうにいる彼女の友達――ベトを向かい入れる。
「こんな時間にどうしたの?」
「あー…作品のことなんだけど、ちょっと行き詰っててェ…。
自分以外の意見も欲しいから、見てほしいなぁって。」
「いいですよ。ベトちゃんの作品を見るの好きですから。
さ、どうぞ入って入って。」
「えっ、いいの!?いやぁ、助かる!!」
ベトは、布で包まれたおそらくキャンバスであるものを片腕に抱え、もう片方の手にペンキバケツを持ちながら入室してきた。
白黒のメッシュの髪で、目には不健康そうな隈があり、徹夜で作業していたことが伺える。
シスターは両腕が塞がって扉に触れられない友人に代わり、その扉を閉めて部屋全体を見回すと、「あれ?」と不思議そうに呟いた。
「…?どうしたの?」
「いえ…さっきまで冒険者さんがいたんですけど、いつの間にかいなくなってて…」
「えっ、ホラー?怖いんだけど。」
「んー…まぁ、いいや。」と怖がる素振りを見せずに呑気そうに答え、布に包まれたものを壁に立てかけると、巻かれた布を掴みそれを取り上げる。
見えた中身は、やはりキャンバスだった。そこには、少し暗い民家の部屋の様子が描かれていた。
「おー…部屋の絵、ですね?」
「そう、部屋の絵。」
今まで見せられた絵は外の風景画が多かったし、彼女は外の絵を描くことが
なによりも好きだった為、急に見せられた部屋の絵にシスターは困惑したが、
新しいことに挑戦したのだろうとすぐに思い直した。
「けどねェ、この作品…まだ完成してなくて。何か物足りないんだよねェ…。」
「そう、ですか?私にはよくできてると思いますけど…。」
「んー、ありがとう。…でもこれだけじゃ駄目なんだ。
何でもいい、教えてくれない?」
お願いッ!頼むよぉと手を合わせながら必死に頼み込む友人に、はぁ、わかりました。素人目線ですけど許してくださいねと背を向け、友人に言われた改善点を探す為、絵に集中するシスター。
ベドはいやー助かる助かると感謝し、
―――自分の絵に集中して見ているシスターに気付かれないよう、
ナイフを音を立てずに取り出した。
「えーっと、そうですね…あっ。」
そしてニタニタと笑いながらそのナイフを構え、音を立てずシスターに近づき、突き立てようとする。シスターは絵に夢中で、後ろにいる友人の様子に気付けていない。何も知らない彼女に、悪意が牙を突き立てようとしている。
…しかし、そのナイフがシスターの背中に刺さることはなかった。
床を破壊する音と共に、黒い塊がベトを潰すかのように落ちてきたからだ。
ベトはその落下する気配に気付いたのか、後ろへと下がる。
「机に果物が入った籠なんか描いてみるのは…
…って、なんですか今の音!?――えっ?」
突然の轟音に驚いて、シスターは後ろを振り返った。
そこには、教会の床を素手で貫いた、姿を消した筈の冒険者と、ナイフを持ちながら殺気を放つ友人が対峙していた。ベトはシスターが無事なことに、黒い塊――クロはベトが無事なことに対し、舌打ちした。
「…あーあ、お前のせいで失敗したじゃん。どーしてくれんの?」
「…潰せたと思ったんだがな。気付かれたか。」
噛み合わない会話。
友人である筈の彼女が、殺意を持って襲ってきたことに動揺しつつ、
シスターは震えた声で聞いた。
「ベ、ベトちゃん…?な、何で…?」
「ん、あぁ。何でかって?それはねェ…んふふ、それはねェ…
…私の作品をより美しくする為さぁ…。」
そう答え終わると、ベトは酔いしれるように全身を抱きしめる。
「友人の死体から抽出された血液、そして肉体を使った我が芸術品…
…あぁ、あぁ…どんな美しいものが出来るだろうか!!
楽しみで、楽しみでしょうがない!!」
まるで甘いものを食べた少女の様に、狂ったように踊りながら幸せそうに笑った。
シスターは、友人の言動に絶句する。そして感情の赴くまま、拳を強く握りしめ糾弾した。
「――ふざけないで…ください!!何故、人を殺そうとしてッ!!
そんな、嬉しそうな顔を浮かべているんですかッ!!」
普通の生活を過ごしている人間であればまずやることはない、非道徳的な行為。
それを彼女は嬉々として行おうとした。彼女が信ずる神も、人を害する行為を許していない。彼女が怒るのも当然だろう。
幸福そうな顔を浮かべていたベトは、シスターの言葉に顔を不満足そうに歪め、拗ねた子供のように答える。
「ん?あぁ、何?理由?何回も言わせないでよ。私の芸術の為さ。
それ以外に何がある?」
さも当たり前だろと返ってきた答えに、シスターは何も言えなくなった。
そんな彼女にクロは一言、肩をすくめて聞こえるように呟く。
「…あれはもう、お前の知っている友人ではない。説得は無駄だ。」
◇
対峙する冒険者と、殺人鬼。お互い動く気配はない。クロは口を開く。
「…お前だろう?『芸術家』というのは。」
目の前の敵が起こした行動は、妙に手馴れていた。殺すことに、躊躇いが無かった。また、普通動機には恨みなどが多いのだが、彼女はシスターに対し作品、芸術などと、普通の動機ではないことを言っていた。
『芸術家』も、死体で作品を作っていたと、シスターは言っていた。
故に、彼女が『芸術家』――昨日出会った鎧の怪物で間違いないだろうとクロは予測した。
「へェ、そんな名前で有名になってるんだ。嬉しいねェ。…バレたんなら、
もう敬語も必要ないかッ…!!」
「っ、あれは昨日の…!」
ベドは嬉しそうに目を細めると――突如、昨日会った熊のような鎧の怪物に姿を変え、猛スピードで突進してきた。
クロは、冷静に背負っていた槍を取り出して、防御の構えを取る。
しかし勢いを消せず、長椅子を壊しながら巻き込んで、後ろへと吹き飛ばされた。
埃や塵が教会中に舞う。
「うーん…まずは一撃、かねェ。」
「く、クロさん!!」
シスターは心配そうに、クロが吹き飛ばされた場所に顔を向ける。
彼は長椅子の残骸から、槍を支えにしてのそりと起き上がった。無事のようだ。シスターはホッと胸をなでおろした。熊鎧の怪物は、立ち上がったクロを眺め、くくっと嗤う。
「槍、折れなかったか。私の一撃に耐えられるなんて、
頑丈だねェその武器。…けど、2度目はどうかねェッ!!」
そう咆えた後、両手を床に勢いよく付け四足歩行で迫る。
クロは槍を投げて牽制しようとするも、貫くことなく鎧に弾かれた。
そして、接近され――ベドは、魚を捕る熊の様に腕を大きく振りかぶる。
クロに防御する手段は無く、回避しようにも敵との距離が近く、長椅子などが阻害している為不可能に近く、攻撃はどうしても当たるだろう。
シスターはこれから起こるであろう光景を想像し、恐怖から目を瞑る。
「潰れなァッ!!」
「ッ!!」
――ゴォゥ
大きな音を響かせて、力任せの一撃はクロに向かって振るわれた。