第七話 前途多難
「ただいま戻りました、お嬢様」
「お帰りなさい、ヘンドリック様は何と?」
厨房の隅に寄りコソコソと会話をする。
「快く協力を申し出てくださいました。支度のために場所も人も要るだろうから我が屋敷を使ってくれと。それから、ドレスもあちらで用意してくださるそうです」
「なんてことっ!さすが、私のヘンドリック様……!海よりも深い御心だわ!」
「うん、お嬢様のではありませんけどね」
私がヘンドリック様の御心の深さに感激しているところで水を差す者が現れた。
「アルミリア!!!」
厨房内に響く怒号。甲高い声に載せられた怒りはこちらの耳に多大なるダメージを与えてくる。
「は、はい!お義母様、どうなさいましたか?」
わぁ〜お、これまた一段と深い眉間のお皺ですこと。
「どうなさいましたか、じゃないわよ!!あなた王子様に余計なこと吹き込んだんじゃないわよね!?」
「はい?………キャッ!!!」
唐突に髪の毛を引っ張られ地べたに倒される。
そして、そのままズルズルと外に引っ張っていかれた。
感じたことのない頭の痛みと石にぶつかり擦れている脚の痛み。
「や、やめてください、お義母様!」
ちょっと待ってよ。これは流石の私でも痛いって!
どこまで行くのか知らないが、脚から何箇所も血が出ているのはわかる。
「……っ!」
ドサッ!と髪の毛を無造作に突き放された場所は、先程まで私が草むしりをしていた庭園だった。
「この阿婆擦れ女!!」
視界に持ち上げられた継母の手が目に入る。
バチンッッ!と良い音が静かな庭園に響く。
同時に私の頬には激しい痛みが。
「薄汚いドブ鼠が!いい加減、自分の身の程でも知りなさい!」
そのまま、二、三発叩かれたとき、話を聞きつけてやってきたセドリックが止めに入ってくれた。
「大丈夫ですか?お嬢様」
ミアはグズグズと泣きながら私の頬を冷やしてくれている。
「叩かれたのは初めてだったわ」
正直、ちょっとショックだ。
脚は擦り傷だらけ、膝などは見るに耐えないほどだった。頬は腫れ上がっているし、継母の長い爪で何箇所か切り傷のようになっていた。
「コレ、明日のお茶会でごまかせるかしら」
「厳しいのではないでしょうか……」
「そうよねぇ………」
取り敢えず、夜中の間に二人で冷やし続け次の日、なんとか外に出れるくらいには収まっていた。
「あの方々には、私がお嬢様を隣町まで買い出しに行かせた、と言っておきますね」
「ありがとう、頼んだわ」
フードを身に着け、招待状だけを入れた買い物籠を持って屋敷の裏口からこっそりと出ていった。
貴族の屋敷は王城を中心に周りを囲むように立ち並んでいる。
身分が高いほど城門に近い位置に屋敷があり、我がエルゼルト公爵家も王城から数分のところに位置していた。
ヘンドリック様は、現在、ロンジャーの姓を名乗っているが、生まれはバナッシュ伯爵家の次男である。
騎士団長になったことでロンジャー伯爵位を国王陛下から賜った。
とは言っても伯爵位の屋敷は公爵位の屋敷とかなり離れている。
ヘンドリック様の屋敷はエルゼルト公爵家からは、馬車で十数分という位置だが、歩けばかなり時間がかかる。
仕方ない、と割り切りシャキシャキ歩いていると、一台の馬車が道の脇に止まっていた。
よく目を凝らしてみると、一人の長身の男性が立っている。
それも、黒髪黒目……。
屈強な肉体と醸し出される優美さは、どこからどう見てもあの人に違いない。
「へ、ヘンドリック様!?」
私の小さな驚きの声を聞き取れたのか、ヘンドリック様はパッとこちらに顔を向けた。
花が咲くような笑みで、こちらにブンブンと手を降っている。
「ナニアレ、天使?」
彼が天使だとするとあまりにも屈強すぎるような気がするが、そんなことはどうだっていい。
駆け足でヘンドリック様に近づく。
「御機嫌よう、ヘンドリック様。こんなところまでどうされたのですか?」
「余計なお世話かとも思ったが、近くまで迎えに来た…………。その頬、どうしたんだ」
ヘンドリック様の怒気を含んだ低音の声に、ビクリと体がはねた。
「……取り敢えず、馬車に乗ってくれ」
どちらとも無言のまま、ヘンドリック様から差し出された、節くれだった騎士らしい手をとり、馬車に乗らせてもらったのだった。