レギル教授と顧問弁護士
ある日、レギル教授のもとに届いた書簡
そこには脅迫と思われる文面が記されていた
あせり、うろたえた教授は早めに仕事を切り上げ、家路を急ぐのであった
レギル教授と顧問弁護士
レギル教授は汗をかいていた
「はぁ、はぁ、まさか…」
まだ肌寒い春先なのに、汗が止まらなかった
「いったい誰が…」
大学から早帰りしているのは、今日届いた書簡が原因だった
もう仕事どころではなく、早く帰って対策を考えなければならなかったからだ
いつもより早く家に着く
高級住宅地の1画にある、レンガ調の邸宅
ロココ調の門扉を開けて、いつものように郵便受けの中身を取り出し、玄関まで敷きつめられたレンガを歩きながら、深呼吸した
銀の真鍮のドアノブに手をかけ、これから妻と話す内容を頭の中で予行練習し、ゆっくりと中に入る
玄関の音に気付いた妻が、リビングから顔を出した
靴を脱ぐため、妻を背にして玄関に座る
「あら、今日はお早いですね」
「あぁ、急きょゼミが無くなってね…」
「早く帰ってくるなら連絡くださればいいのに」
「いや、書斎で調べ物があるから、夕食ならありあわせで大丈夫だ」
「そう、じゃあ、あとで降りて来てくださいな」
そう言うと妻はリビングの扉を閉めた
玄関からすぐの階段を上がり、妻と顔を合わせることなく書斎へ向かうことに成功した
書斎に入り、自分の机に向かう
机のライトだけ付けて、郵便受けから取り出したものを無造作に机に投げ置く
2年前に買ったお気に入りの黒革のチェアに深く腰をかけた
部屋の左右には天井まで伸びる高い本棚が並び、分厚い本が並んでいる
窓を背にして座るこの位置は、書斎が一望できるお気に入りの配置だ
「ふぅー」
大きく深呼吸して背もたれに体をあずけ、最近大きくなりだしたお腹の上に両手を置く
帽子を脱ぐと、汗で内側の色が変わっているのが見えた
白い髪を掻きむしり、必死に考えてみる
「なぜだ、いったい誰が…」
内ポケットから書簡を取り出し、もう1度読み返してみる
『レギル教授へ』
『すぐに大学をお辞めください』
『さもないと、あなたのしたことが公表されます』
短い文章だが、レギル教授が怯えるには充分だった
「ど、どうする…ただのイタズラだろうか、それにしては…」
その時、郵便受けから取り出したものに目が止まった
「これは…」
その紙には、こう書いてあった
『秘密厳守!クライアントの利益を最優先!あなたのトラブル解決します』
『ニール法律事務所』
いわゆる投げ込みのチラシだ
その法律事務所は家から近すぎず遠すぎず
この件を相談するには打って付けに見えた
教授は無造作にチラシを折りたたみ、内ポケットに入れた
街の中心から少し外れた雑居ビルの6階の事務所
その中で男は応接ソファに座り、過去の資料をまとめていた
ブルーのジャケットにノーネクタイのワイシャツ
短くそろえた髪の毛は、少し白髪が混じり始めている
「お嬢、今日は大学はいいんですか?」
男は資料に目を落としながら、振り向きもせずそう言った
後ろの窓側に置かれた木製の大きな机には、若く美しい女性が座っている
長いブラウンの髪、薄い口紅
白いブラウスと膝下までのネイビーのキュロット
お嬢と呼ばれたその女性は、その机でマニキュアを塗りながら気だるそうにこたえる
「今日はいいの」
「毎日ココに来たってヒマでしょう」
ここはニール法律事務所
街のしがない弁護士事務所だ
「そのうち忙しくなるわよ」
爪に息を吹きかけながらお嬢が言う
「なんです?お父様に何かあったんですか?」
「さぁ、どうかしら…」
ニール弁護士はお嬢の父親が経営する会社の顧問弁護士だ
そのつてで、お嬢のことは小さい頃から知っている
子供の頃はお嬢を遊園地に連れて行って遊んであげたりしたが、最近になってから事務所に入りびたるようになっていた
「将来弁護士になりたいんなら、ウチにいても案件なんて来ないんだから、勉強にはなりませんよ」
ニール法律事務所の収入のほとんどは、お父さんの会社の顧問料だ
一般の相談なんて、ほぼ来ない
「別に弁護士になりたいってわけじゃないんだけど…」
「でも司法試験に受かったんでしょう?在学中に受かるなんて大したものです。お父様もよろこんでいましたよ」
「大学受験の延長で受けただけよ」
サラッと言うお嬢だが、ニール弁護士は本当に感心していた
この国の司法試験は難しい
ニール弁護士は30歳になってやっと受かったくらいだ
「お嬢なら一流の法律事務所でも就職できますよ」
「そうかしら?」
お嬢が通う大学は超一流の難関大学だ
そこに通い、司法試験にも受かったお嬢
しかもとても綺麗な女性になった
なのに最近少し元気がない
大学に受かって半年くらいしてからだろうか
連日のように事務所に入りびたるようになったのも、ちょうどそのころ
何か悩みでもあるのだろうか…
コンコン
事務所の扉をノックする音
「はい、どうぞ」
ニール弁護士が応えると、ゆっくりと扉があいた
スーツ姿の初老の男性
帽子の下から白髪が見える
少しお腹が出ている
「こんにちは、ちょっと相談があるんですが…」
帽子をぬいで挨拶する男
「どうぞ、こちらにおかけください」
ニール弁護士はテーブルの資料をしまい、男を応接ソファに案内した
「ここは秘密厳守で問題を解決してくれると聞きまして…」
男は座るなりチラシを見せた
しかし、ニール弁護士はそのチラシに見覚えがない…
ニール弁護士が作っていないなら、あと1人しかいない
お嬢がさっき、そのうち忙しくなるって言ったのは、このことか?
まったく、いつの間にチラシを作ったんだか…
「まぁ、法律事務所ですから秘密は厳守します」
「私はこういうものでして…」
名刺を差し出す男
レギル教授…
お嬢の大学の教授か…
「それで、ご相談内容は?」
「実は…」
「脅迫状?」
「はい、身に覚えは無いんですが、私も家族がいますので、心配で…」
「それなら警察や興信所の方がよろしいんじゃないですか?」
「いや、仕事柄、おおごとにはしたくないのです」
「と言うと?」
「大学という所は名前や名誉を重んじます、たとえ身に覚えが無くても、こういうことは表に出したくないのです」
「で、ご依頼内容は?脅迫状の犯人を突き止めたとして、どうしろと?」
「内密に示談にして欲しい」
「ふむ、それではその脅迫状を見せてください」
「すいません、脅迫状は怖くて捨ててしまいました」
「はぁ、それでは手がかりが…お受けするのは難しい……」
「お受けしますよ、教授」
後ろからお嬢が口をはさんだ
「我が法律事務所は依頼者の利益を最優先しますので」
「お嬢、そうは言っても何の手がかりもないんですよ、これではお受けしても何の成果もないかもしれない」
「成功報酬ならよろしいんじゃないですか、ニール先生」
「おぉ、事務員さんありがとう、ぜひそれでお願いするよ」
教授はお嬢を事務員だと思ったようだ
「つまりあたし達は、脅迫状を出した犯人を見つけて、もうそんなことをしないように示談にすればよろしいんですね?教授」
「あぁ、そうだ、おたくの事務員さんは話が早くて助かる」
「じゃあ、こちらにサインを…」
お嬢は相談依頼書を教授に渡した
「お嬢、なぜ受けたんです?」
教授が出ていったあと、ニール弁護士はお嬢に詰め寄った
「いいじゃない、どうせヒマなんだし」
机にほおづえをついているお嬢
「しかし、何の手がかりも…」
「ウチの大学の教授なんでしょ?」
「まぁ、そうですが…」
「気になるじゃない?」
「で、どうするんです?これだけの情報では…」
「とりあえず、教授の交友関係を洗って」
「は?私がやるんで?」
「当然!ニール弁護士、よろしくね」
にっこり笑ったお嬢は子供の頃と変わらず無垢な表情だが…
やれやれ、お嬢の暇つぶしに付き合わされてる感じがするな
とは言ってもニール法律事務所として依頼を受けてしまったんだ
私が動かないとな…
レギル教授は事務所から大学に向かいながら考えていた
「うまく犯人を突き止めて示談になれば、それはそれで良し、突き止められなければ報酬は無しだ」
「いずれにしろ、あんな町の弁護士なら、真実にはたどり着けまい」
私は私で、心当たりを探ってみるか…
『もしもし、教授から電話なんてめずらしいですな』
「ちょっとお伺いしたいことがありまして…」
教授は大学の個室で電話をかけていた
『ははは、教授にはお世話になったから、何なりとおっしゃってください』
「実は、ご子息様のことなんですが…」
『……』
「あの件で、お伺いしたいことが」
『教授、あの件はもう終わったことです、失礼ですが、もうお話しすることはありません』
「そ、そうなんですが、その…」
『お金ならもうお渡ししたでしょう、これ以上はその件でお話しすることはない!では失礼!』
ガチャン!
「ふぅ、どうやら違うか…」
それにしても、バレたらお互いにマズいんだ
依頼者じゃないのかもしれない…
「お嬢、洗ってみましたよ、教授の交友関係」
「どうだった?」
机に肘をつき、爪の手入れをしながら話すお嬢
その前でニール弁護士は立ちながら報告する
まるでお嬢が事務所長みたいだといつも思っているが、社長令嬢なだけに口には出さずにいた
「教授は交友関係が広いですね」
大学教授としては想像以上の関係者がいた
「議員、芸能人、元スポーツ選手、企業経営者…」
その中には、お嬢のお父さんも…
「そのお友達と大学とのつながりはある?」
「え?つながり、ですか?」
「そう、例えば、大学の出身者とか、子供が大学に通ってる、とか…」
「なるほど…そこをもう少し探ってみますか」
「お願い」
『教授、今さらなんなんです』
「いや、あの時は申し訳なかったと思いまして…」
教授は次の心当たり先に電話をかけていた
『前金の時に承知しています、もういいでしょう』
「いちおう、お詫びを…」
『そんな必要はありません、もう連絡しないでもらいたい!』
ガチャ!
「落ちた方かと思ったが、そっちでもないのか?」
「関係ありましたね、異色のご友人9人中6人の子供が大学に通ってます」
「残り3人は?」
「えぇ、違う大学に入学してますが、受験はしています」
「その3人と接触できるかしら?」
「まぁ、できるか分かりませんが…」
「もし会えたら、こう話してみて」
そう言ってメモを渡された
お嬢はいったい何を考えているんだ…
ひとりだけアポイントが取れた
とある会社経営者だ
レギル教授の件で会いたいと言ったら、予定を変更してまで会ってくれた
お嬢の睨んだとおり、何かありそうだ
面談場所は、その会社の社長室
秘書がお茶を置いて出ていくのを待って、本題に入った
「それで、レギル教授とは、どんなご関係ですか?」
「法律事務所の先生が、レギル教授を探って、どういうワケですか?」
「どうやら教授は誰かに恨みを買っているらしいのです」
「うらみ?」
「えぇ、社長は心当たりありませんか?社長なら何かご存知なんじゃありませんか?」
「なぜ私が…」
「いわゆる、親心というやつです」
お嬢の指示どおりのセリフを言う
「…」
顔色が変わった
何かあるな…
「これは刑事事件になりますか?」
「いいえ、私達は教授からの依頼で調査しています、教授は大事にはしたくないそうです」
「では教授は何をお望みで?」
「示談です」
「…なるほど、そう言うことですか…」
「何かご存知で?」
「教授にお伝えください、私はもう無関係だと」
もう…?
「では先生、お引き取りください」
「お話いただけないのですか?ご友人の教授がお困りなのに」
「友人ではありません、ただの知り合いです」
「ところで、ご子息様はどこの大学に?」
「そこまでご存知なら、もういいでしょう、私も大事にはしたくありません」
「それでは、最後にひとつだけ」
「なんですか!」
「教授から社長に連絡があっても、私のことは内密に…」
「とまぁ、こんな会話でしたよ、お嬢」
「それで充分、ありがとう」
「何か分かったんですか?」
「あとは教授に直接聞いてみましょう」
「え、教授に?」
「えぇ、教授を呼んでください」
「で、ニール弁護士、何か分かりましたか?」
前よりもフランクなポロシャツとジャケットという服装でやって来た教授は、応接ソファに座るなり詰め寄ってきた
「えっと…」
ニール弁護士は言われるまま教授を呼んだが、何を聞けばいいのかお嬢から聞かされていない
「まだ何も分かってないんですか?犯人の目星は?」
「それはですね…」
目で後ろのお嬢に合図する
「何も分かってないなら、私は帰りますよ」
(しょせんは町の弁護士事務所だったな)
教授が席を立とうとすると、お嬢が話し始めた
「犯人と思われる人から接触がありました」
え?お嬢?
「ほ、本当か事務員さん、なら示談の交渉に…」
「犯人は教授の退職を要求してきました」
「な、なんですと!」
「お嬢、いつの間に…」
後ろを向くと、お嬢は机に両ひじをついて手を組み、そこに顎を添えてまっすぐ教授を見ながら、ゆっくり話し始めた
「教授、入学をあっせんしてやると言いましたね」
入学のあっせん??
裏口入学か!
「それなのに、金銭の授受があったのに、なぜか落ちた学生がいる」
静かに話すお嬢の言葉に、教授の顔色が変わった
「や、やはりそうか!そいつらの誰かが犯人なんだな!」
裏口入学…
教授を脅迫したのは、金を払ったのに落ちた学生の親か?
「教授、あたしがお伺いしたいのは、なぜお金を払ったのに落ちた学生がいるのか、ということです」
「わ、私は何もしていない!」
「何もしていない?でもお金は受け取ったんでしょう」
「そんな事はできないと言ったが、彼らが、親が…」
「そんな事はできないとは?教授、裏口入学のためにお金を受け取ったのに?」
「そうだ!私は何もしていない、受け取ってくれと言うから受け取っただけだ」
「でも、渡した方は、そのつもりだったんでしょう?」
「そりゃそうかもしれないが、それは親心、安心料だ!」
この教授…
裏口入学をチラつかせ金を受け取り、何もしなかったのか…
「落ちた学生からも?」
「前金だけだ、微々たるものだ!」
「ということは、合格した学生の親からは、何もしていないにもかかわらず、合格料を受け取ったのかしら?」
「ご、合格したんだから、いいじゃないか!」
「教授、本当に何もしていないの?」
「あぁ、していない、私ごときが何か細工して合格できるようなシステムじゃないんだ!」
この教授、とんだペテン師だな
それにしても、お嬢に連絡してきた人物とは…?
「では教授、示談の内容ですが…」
「う、うむ、いったいいくら払えばいいんだ」
「退職してください」
「な、何を言っているんだ!それでは示談には…」
「犯人は落ちた学生の親ではありません」
「な、なに!では誰が…」
「合格した学生です」
「な、なぜ!なぜ合格したのに私に脅迫状を…」
「私達は依頼者の利益を最優先します」
「な、なら示談金を交渉…」
「このまま相手の要求を無視すれば、この件が明るみにされます」
「な!私は何もしていない!なのに…」
「犯人は退職さえすれば、この件は表に出さないと言っています」
「そ、それでは私の利益を優先していないではないか!」
「教授なら、元教授の肩書きで再就職も可能でしょう」
「お、お嬢さん、あんたは何を言っているんだ…」
「ここでお金で解決などと提案したら、さらに相手の怒りを買い、この件が明るみにされます」
「あ、明るみにされたら、私は…私の名誉が…」
「ご退職されるのが、教授の最大の利益です」
「し、しかし…私は何もしていないのに…」
「何もしていない?」
「そ、そうじゃないか!私は合否の細工などしていない!何もしていない!」
「お金を受け取ったでしょ!」
「…し、しかし…」
お嬢は教授を睨みつけながら、少し強い口調で話し始めた
「教授、学生がこのことを知ったら、親が裏口入学のためにお金を払ってることを知ったら、どう思います?」
「自分は裏口入学かもしれない、実力で合格したんじゃないかもしれない、そう思うんです、ずっと、一生!」
「親を騙してお金を受け取ったこと、さも裏口入学ができるように吹聴したこと、そして学生の気持ちを踏みにじったこと」
「普通なら刑事事件になるところを、退職だけで免責されるのです」
「教授、これが最善の策です」
「ご退職ください」
「く……」
その後、レギル教授は一身上の都合により退職したそうだ
「お嬢、いちおう一件落着、ですか…」
「そうね…」
「ところで、脅迫状を出したのは誰だったんです?お嬢に連絡してきた犯人は?」
「さぁ、誰かしらね」
「お嬢知ってるんでしょ?」
「秘密厳守でしょ」
「まったくお嬢は…」
ここで秘密厳守を持ち出すとは…
仕方なく、ニール弁護士はお嬢が言った言葉をもとに自分で推理してみた
教授と知り合いの有力者9人
犯人は合格した6人の中の学生
教授が持っていたチラシ…
「お嬢!まさか!」
「そのへんにしておきましょう、事件は解決したんだから」
そうか、お嬢が言った言葉…
(学生は一生、実力で合格したんじゃないかもしれないと思う)
お嬢の父親が金を払っていたかは分からない
でもお嬢は教授の裏口入学のことを何かで知った時、自分もそうかもしれないと思ったのだろう
お嬢はその真相を知りたかったのかもしれない
親が金を払っていたとしても、実力で合格したんだという事実を
脅迫状もチラシも、お嬢が仕組んだ事なのかもしれないな…
「しかし、教授は自業自得ですな」
そもそも教授が相談に来なければ、案件にすらならなかったのだから…
「ニール先生、問題はね…」
「はい?」
「問題はね、問題にしなければ問題にすらならないのよ」
レギル教授と顧問弁護士
おしまい
初めて書いた謎解きミステリーです
いかがでしたか?
後学のために感想などいただけると幸いです




