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拙い色彩  作者: N
2/7

二話

 俺は神に感謝しながら走ってあの子が落とした紙を拾った。それは折りたたまれた一枚のルーズリーフだった。黒のマジックでたくさんの言葉が書き殴られているのが見えた。それに少し驚きながらも取り敢えず階段を上っていく目の前の彼女に声を掛けた。

「あのさ、ほら、これ、落としたよ」

 同年齢であることを見越してタメ口で話し掛けた。これで親しみやすい印象を受けてくれるだろうか。それとも馴れ馴れしいと思うか。吉と出るか凶と出るか。

「どうも」

 吉も凶も無かった。彼女は俺の手から紙を取りそれを一瞥すると、リュックに戻すこともせずぐしゃぐしゃに握り潰してスカートのポケットに突っ込んだ。彼女の気だるげな目に一瞬陰惨な影が走った。しかしそのまま階段を上りきってラウンジに入っていってしまった。俺は階段に立ちすくんだ。

 近くで見て確信した。マジでタイプ。性格はちょっとキツそうだけど余裕で許容範囲だ。かわいこぶってる奴よりは断然マシ。

 俺もこのままラウンジに入っていってしまえばあの子と話すことが出来る。だけど何だかあの時の冷たさに気圧されてその日は入ることが出来なかった。それがあの子との最初の出会いだ。


 その後、数日が経った。あの子は平日にも関わらず毎日図書館に来ていた。同族なのかもしれない。

 今日も彼女は来ている。コンビニのサンドウィッチをラウンジで食べていた。話しかけよう話しかけようと思いながら今日までずるずると話しかけられていない。うじうじしていても仕方がない。とうとう俺は決心して、コンビニ弁当を持って偉大なる一歩をラウンジに踏み込んだ。

 ラウンジは十席のカウンター席と、二つの自販機が置いてあるだけの簡素な造りだ。小さな子供を連れたお母さんや爺さん婆さんが昼飯を食べていて、程々席は埋まっていた。あの子の隣は空いていた。俺は独りほくそ笑んで隣にいった。

「隣り、いいかな?」

 俺のことを気だるそうな目がちらりと見た。

「どうぞ」

 当然だが俺には全く興味が無いという声音だった。取り敢えずここまでは順調だ。ここからどうやって話しかければいいんだ?

 今は行っていないが学校では普通に女子と話すことも出来たんだけどな。見ず知らずの女子となると途端に緊張する。ナンパは難しい。やっぱりイケてる奴らってすごい。

 そもそも人間関係を断ち切りたくて不登校になった俺が逃げ場所で人と関わりを持とうというのも変な話ではある。結局俺は無い物ねだりをしているだけなのかもしれない。まあ、友情が欲しいのと性欲は別か。

「よく来てるよね、本好きなの?」

 コンビニ弁当をつつきながらそれとなく言ってみたが我ながらなかなか気持ち悪い。

「別に」

 キモかったしこの返答は仕方ない。無視しなかっただけこの子の懐は広いと言ってもいい気がする。

 あれ? これなに話せばいいんだ? 必死に頭を探っても妙案は出ない。

「覚えてっかな。前にさ、君に君が落とした紙を渡したんだけど。あれ、ぐしゃぐしゃに潰しちゃってたけど大丈夫だったの?」

 何かないかと考えていたら触れてはいけないかもしれないと思っていたことがころりと口から転げ落ちた。慌てて何か言って誤魔化そうとして口を開きかけると彼女が先に口を開いた。

菖蒲あやめ

「え?」

菖蒲茅あやめかや。……私の名前。今時人に君とか呼ばれるとむず痒いから」

 ナンパ成功か? 喜びのせいか奇妙な汗をかいてしまった。

「オッケー、菖蒲さん。俺の名前は坂出隼人さかいではやと。よろしく!」

「いや、別にあんたの名前聞いてないし」

 汗の気化熱ってすごいらしい。めちゃくちゃ寒くなった。

「あと、あの紙はいらないものだったから。それでも一応、拾ってくれてありがとね」

 その声は冷たかったけれど確かに温かった。菖蒲さんは肘をついてもう片方の手で持っているサンドイッチをじっと見ている。ただのコンビニのサンドイッチの筈なのに俺には妙に美味しそうに映った。

「図書館来て何してんの?」

「大体勉強。たまに本読む」

 ——学校はどうしてんの? 

 そんな分かりきった質問を言ってしまいそうになった。それが顔に出ていたらしい。菖蒲さんは俺の顔をちらりと見てから小さく一つため息をついて、片手で弄んでいるサンドイッチに目を戻すとそこから視線を外すことなく見るからに重い口を開いた。

「学校は行ってない。坂出も同じでしょ。制服は着ないともったいないから。私、花の女子高生だし」

 そう言いながら視線は動かないし、さっきからずっとぶすっとした顔のままだ。最後のが冗談だったのかも分からない。掴めない人だなと思った。けれど、綺麗だと思った。当然顔はドストライクだけど、それだけじゃなくて、どこまでも真っ青な空と白い砂しかない景色みたいな、荒涼とした美しさが彼女にはあった。

「ご名答、俺も学校行ってねえ。半年くらい行ってないや。もう慣れたもんよ。そっちのキャリアは?」と聞いたら

「一ヶ月。あんたに比べたらまだビギナーだね」と少し口角を上げて微笑んだような顔をしてくれた。

 あまりに眩しくて、目を逸らして殆ど食べられていない弁当を食べることに専念した。味はしなかったけれど美味かった。

 いつの間にか菖蒲さんはサンドイッチを食べ終えて、席を立っていた。

「どこ行くの?」

「学習室で勉強。じゃあね」

 そのままさっさとラウンジを出ていってしまった。

 俺も明日から勉強始めよう。俺はそう誓ってから、唐突に味が戻った美味くない弁当を平らげた。

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