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騎候物語

作者: 神田大和

「――姫様がさらわれた!」


 報せは騎士の心をふるわせた。

 騎士にとってその人は、自分が初めて助けた相手であり、騎士として仕えるべき主だった。


「蛮族どもめ、奴らから要求はあるか!」


 状況はこうだ。敵国は我々の姫様をさらい、その安全と解放を引き換えに最前線の城塞を要求している。

 騎士団としても、国としても、飲むことのできない要求だ。

 たとえ国王の娘、この国の姫様とはいえ、城塞ひとつよりは軽い。

 仕方のない決定であり、騎士もそれには反対しなかった。

 騎士が訴えたのは、救出作戦の実行。

 しかし敵城塞の奥に姫は捕らえられており、正攻法での突破は不可能と判断された。

 騎士の属する騎士団は、姫を見捨てたのである。


 ……剣も、盾も、鎧も、全てはこの為に鍛え上げ、馴染ませてきた。それが姫様への忠誠を、この心を阻むというのなら。



 ――その日、男は剣を、盾を、鎧を、騎士団へと返上した。


「かのご高名な若騎士殿が、このようなところにいか様ですかな?」


 騎士であった男は、影の中に居た。

 この国も、かの国にも広がる闇の一端、国の手及ばぬ裏ギルド。

 全てを金で解決する無法者たちの中に、その身を置いていたのだ。


「姫様を救出したい。道案内を頼めるか?」


 今まで貯めてきた金の全てを、男は目の前の斥候へと差し出した。騎士としての男に与えられてきた全てだ。


「ふむ、命をかけるに足る金額はあるようですな」


 そう斥候は丹念に金貨を数え始める。


「しかしあの姫様を救おうなどとは酔狂なお方だ。市井の娘との間に生まれた子、疎んでいる方も多いでしょう?」


 斥候は男の表情を知ってか知らずか、そう笑みを浮かべた。


「私にとっては剣を捧げたお人だ」


 ◆


「――覚悟はよろしいかな? 騎士殿」


 男は、久方ぶりに軽装で戦いに挑もうとしていた。

 騎士であった時のような、鋼の鎧も、鉄の大剣もなく、革の鎧と粗末な短剣だけが男に与えられた武器であった。


「ああ、それで作戦はいかに?」

「簡単なことです。かの国の仮面舞踏会に潜入するのですよ。

 彼奴らは今、姫を捕えたことで浮かれております。所詮は蛮族の新興国ですな」


 男は騎士であった頃を思い出し、彼奴らとの戦いを反芻した。愚かでありながらすっとした、武人としては一瞬の共感を覚える者たちであったが、奴らも策に落ちたのだ。

 そして我が国は、あのような手合のために姫様を……。


「よかろう。では、参ろうか」


 敵国の地方貴族を襲い、仮面舞踏会への招待状を手に入れる。そんな作戦内容を聞かされたのは、敵国へと潜入した後のことだ。


「私に追い剥ぎのような真似をしろと?」

「追い剥ぎのような真似ではございません。追い剥ぎそのものでございます」


 ローブを深く被った斥候が妖艶な笑みを浮かべているように、男は感じた。


 ◆


 地方から舞踏会へと向かう道、馬車の前に一人の男が立ちはだかった。無粋な鎧と粗末な刃を持つ、ただの男が。


「男爵様の馬車を止めるとはいい度胸じゃないか、何者だ?」

「……ただの追い剥ぎ、だ」


 腕利きの用心棒たちは、ただ一人の男の前に敗れ去った。


「今宵、貴方の身分をお借りしよう」


 こうして男は、地方貴族としての外見と、招待状を手に入れたのである。


「騎士殿は何故、あの姫様を助けようと?」


 舞踏会へと向かう馬車の中、ドレスに仮面の斥候が、男にそう尋ねていた。

 男は最初こそ、その性別に面を食らったが、今は慣れてしまっていた。環境への適応は速いほど良い。戦場で学んだ事だ。


「まだ姫様が、市井の娘として育っていたときのことだ。彼女が人さらいの一団に捕まったことがあった」

「ああ、国王陛下が姫様を見つける一件ですね」

「うむ。あのとき、俺は自分の弟を助けるために、あいつらのアジトに乗り込んでいた。そこで姫様と出会ってな。それ以来、姫様にはよくしてもらっていたんだ」

「なるほど、特別な人というわけでありますな」

 

 斥候の言葉に、男は薄く笑みを浮かべた。

 騎士であった日でさえ、手の届かない人だったのだ。

 ましてや、今となっては。


「さぁ、ここからは敵の腹中――気を付けてくださいな? 騎士殿」


 ◆


 仮面舞踏会、それは半分ばかりは名ばかりで、半分は名の通りであった。

 名ばかりであったのは舞踏、周囲の国のそれを真似ただけで、まだ歴史の宿らぬものでしかなかった。

 名の通りであったのは仮面、この仮面をつけているだけで男は怪しまれることなく会場内にまで侵入できた。


「おお、貴殿は。葡萄畑は盛況ですかな?」

「む……まぁ……」

「いえいえ、今宵は仮面舞踏会。現の事を語るなど、礼を失してしまいましたな」


 男の前には、怪しげな紫の仮面をした貴族が現れていた。


「ところで、かの国の姫を捕えましてな。これがまた見目麗しい。私と貴方の仲だ、特別に見せて差し上げたい」


 男は計りかねていた。

 目の前の紫仮面が、身分を借りたあの貴族の知り合いなのか、それともこちらに気づき、外に出そうとしているのか。

 どちらでもありうる。あの地方貴族は、背丈は自分と似ていたのだから。


「それは、願ってもない話ですな」


 そして男は、紫仮面に乗ることを選んだ。


「しかし条件がありますぞ。貴方のお連れを一曲ほど、お借りしたい」

「ええ、構いませんわ。よろしいでしょう? 我が主様」

 

 臨機応変に対応した斥候は、紫仮面の手を取った。

 空色の仮面と透き通る雪のようなドレスが美しい。その白金の髪に、とても似合う色合いだ。

 ――妖艶なその姿に、どこか姫様の面影が重なる。


「良い時間でした、お嬢さん」

「ええ、私もです。またの機会を心待ちに」


 そう社交辞令を交わす。


「さて、では、参りましょうか。かの姫君の元へ」


 舞踏会会場を後にしてから、男は神経を集中させていた。

 このまま、兵士たちに突き出されてもおかしくはない。そんな恐怖が、全てを鋭敏にしていたのだ。


「さぁ、こちらです」

 

 荘厳な扉は開かれ、その向こう側に、確かにその人は居た。


「――ッ!」

 

 姫様!と駆け出さなかった自分を、男は褒めた。


「……離しなさい、下郎! いつまでもこのような狼藉が続けられると……!」

「これが続けられるのですな、貴方の国は貴方を見捨てましたぞ」

 

 ええい、連中め、既に交渉すらも打ち切ったというのか。


「――いえ、見捨ててはおりませぬか。ここに一人、ご客人が来られたのですから」


 扉を閉じ、貴族は仮面を脱ぎ捨てた。


「……謀略将か」

「ああ、いかにも。そういう君は、かの国のナイトだろう? 歩き方で分かるよ」


 男もまた仮面を外す。


「騎士様……!」


 かの姫君の騎士が、彼女だけの騎士が、そこに居た。


「よろしい、ここに彼女を捕える首輪の鍵がある」


 鍵を掲げる謀略将は、部屋に飾られていた剣を抜いた。


「抜きたまえよ、武器くらい持ってきたのだろう? 鍵を奪って見せよ」


 仕込み刃を抜く。


「元よりそのつもり。姫様を、返してもらう!」


 二つの短剣を用い、刃を受け止める。かつてのように盾も鎧もない。

 剣は二本合わせても、あの大剣よりもなお、軽い。


「まったくまったく貴公の国には呆れ果てる。麗しの姫を救う為に、軍の一つも動かしもしないとは」

「ふん、この程度の国に、軍なんぞ必要ないということだ」

 

 左の刃で剣を弾き、右の刃で首を狙う。

 しかし相手は武と知に優れる、かの謀略将。容易に刃は届きはしない。


「ハハ、言うな。膨張しなければ維持できぬ国など、いずれ滅ぶさ」

「それが分かっていて!」

「分かっているから、私は刻むのだ。歴史に我が国の名を」


 剣が迫り、再び両の刃がそれを防ぐ。

 ……防戦一方か。

 迫りくる疾風を巻き込んだ刃を、防ぐ事しかできない。

 綱の上を渡るような拮抗が続く中、一瞬――瞬きほどの隙が、敵の構えに見えた。


「ならば好きにしろ。姫様だけは――返してもらう!」


 左の刃を投げ、右の刃で押し開く。

 短き剣は将の腹に届き、騎士は鍵を、奪い取った。


「取ったぞ、謀略将――!」


 両の刃を仕舞い、騎士は姫のもとへとひざまずいた。


「お助けに参りました、我が姫君」


 姫は騎士の顔が見えなかった。自らの瞳から零れるものが、それを阻んだ。


「騎士様、騎士様……!」


 騎士は姫の戒めを解き、その肩を抱き上げた。


「さぁ、行きましょう。姫様」

「はい……お願いします、私の騎士様」


 扉を開き、騎士と姫は光を浴びた。


「……逃げ、切れるかな? 忠義のナイトよ」

「逃げ切るさ、そのためにここまで来たんだ」


 そして二人は外へと駆け出した。


 ◆


 姫と騎士は敵の城の中を、駆け抜けていた。

 敵兵に見つからぬよう、気を払いながら。


「捕えろ!」


 挟まれた――そう切り抜ける覚悟を決めたとき、目の前の兵士は地面に転がった。


「情けないですな、騎士殿」

「助かった、逃げるぞ!」

「はいはい、それでは」


 まだ舞踏会用の仮面をしたままの斥候は、どこに隠していたのか、重りのついた鎖を手にしていた。


「お初にお目にかかります。この騎士殿の道案内めにございます」

「はい、大義でした。心よりの礼を……」

「それはそれは光栄の極み」


 そう斥候が笑ったとき、城に爆音が響いた。


「お前――」

「――なに、これくらいの花火がなければ斥候など務まりませんよ」


 そして城の外、庭まで出たときのことだった。前方に、備えている兵士たちが見えたのは。


「……あれを越えるのは、骨が折れそうだな」


 まだ見つかってはいないが、いまさら引き返す余裕もない。


「そうですね、では……」


 斥候は、その仮面に白い指をかけた。


「私が囮になりましょう」


 初めて見えたその素顔は、姫様に瓜二つだった。

 そしてそれに気を取られている間に、彼女は、斥候にあるまじき特攻を始めたのだ。


「――お姉ちゃん!」

 

 彼女を追おうとした姫様を抑え、騎士は心を殺した。

 そして姫と同じ顔をした女に、兵士たちは持っていかれた。


「……行きます! 姫様!」


 姫を抱きかかえ、騎士は走り出した。城塞の外、広がる森へと。


 ◆


「どういうことなのです、姫様」


 森の中へと逃れた騎士は、姫へとそう尋ねていた。


「……私がまだ、ただの町娘だった頃、双子の姉は売られていったのです。てっきりもう、死んだものだと思っていたのに」


 彼女の言葉には、涙が乗っていた。

 騎士の胸を、殺したはずの心が、打ち始めた。


「……なるほど、私もただの斥候だと思っていたのです」


 抑えねばならぬ、殺さねばならぬ。

 ここで姫様を救えねば、全てがふいとなるのだから。


「……無茶なことだと、分かっています。けれど、けれど、助けて、私の姉を……お姉ちゃんを助けてください! 騎士様!」

 

 胸を打つ心が、炎となるのを騎士は感じた。

 蘇ったのだ、いや、殺せなかったのか。

 確かに今、心が騎士を、動かし始めたのだ。


「……この先で落ち合いましょう。必ず連れてまいります。

 彼女を、私の相棒を、貴方のお姉様を」


 ◆


 遠く昔に別れた妹を救い、ここで果てるか。

 ……なんて、くだらない人生だろうと女は自嘲した。

 私を売った親を、私は恨んでいる。けれど妹は好きだった。

 だから、あの騎士殿が私のところに来るように仕向けたんだ。


「怯むな! 相手は女だぞ!」


 鎖を放ち、首を絞める。こうなったら一人でも多く道連れにしてやる。

 そんなことを思いながら、とうとう鎖は、千切れてしまった。


「今だ! かかれ!」


 終わったか、そう、身体の力を抜いた時だ。


 ◆


「――渡さん、貴様らに、持っていかせるものか!」


 騎士の声が、耳に響いたのは。


「なにを、考えて――!」


 騎士は敵兵の武器を奪い、まばたきのうちに三人を倒している。そうして三度、まばたきをしたころに、あいつは私のもとに、たどりついたんだ。


「お前を救え、姫様と、私の願いだ! 帰るぞ! 私には帰りの道案内が、姫様には姉が必要だ!」

 

 騎士が私に短剣を持たせる。……戦えと言うのか、まだ、私に。


「……それは、高くつきそうな仕事、ですなぁ」

「ああ、他の誰にもできぬ仕事だ」

「では、まだ死ねませんね」

「うむ、では――」


 ◆


 ――後ろに響く剣戟を聞きながら、再び刃を振るう。

 元より無謀な賭けであった。騎士団が攻略不可能と判断した砦に潜入し、姫様を救出する。

 今、考えても馬鹿馬鹿しい作戦だ。もう少し私に思考する余裕があれば、これに付き合った斥候の異常さに気づいていただろう。そして、そうならば、きっとここまではたどり着けなかった。


「――騎士殿!」


 死角より放たれた一撃を、斥候の放った刃が弾く。

 そしてその一瞬があれば充分だった。


「なぁ、友よ――」


 無数の刃を弾き、その元を絶ちながら、彼女に向けて言葉を紡ぐ。


「――私の事ですかな、騎士殿」

「他に、誰がいる?」


 今一度、彼女と背中合わせになる。

 敵の数が減るようなそぶりはない。次々と増援が送り込まれているのだ。


「それもそうですな。では親愛なる友人よ、なにようですかな」


 曲芸師のように身体をねじ曲げ、刃を滑らかに通していく斥候が、また妖艶に笑った。


「帰還の後、お前は、何を望む?」

「……気の早いお人だ」

 

 そう笑いながら、彼女はその笑みをほどいた。


「なに、久方ぶりに家族の時間というものを、過ごしてみたい。それくらいの望みしか、ありませんよ」


 ――その言の葉が、騎士にとって最後の仕事を完遂させる一手となった。



 日が明けたとき、その一角に立っている者は一人もいなかった。

 かの謀略将がその兵員の半数を割き、捜索に当たらせたが姫の遺体も、彼女を助けるために忍び込んだ二人の遺体も発見できなかった。また、その祖国に帰還したという報せもない。

 ――三人の行く先は、誰も知らない。


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