第四話 深海で死ぬんかい?
前回のあらすじ
・お約束のシーン。
・お祖父ちゃんの仕事場訪問。
・実は厨二病。
2016/11/20 イラストを追加しました。
「ノーチラス?」
ツトムの疑問に、ナガトはきっぱり答えた。
「”のちるうす”だ。本場フランスの発音だ。最初の”の”にアクセントがある」
そか、ジュール・ベルヌってフランス人だっけ?
つか、お祖父ちゃん厨二属性だったのか。
そんな疑念はすぐに心の棚に上げられ、ツトムは”のちるうす”に夢中になった。
全長は二十メートルほど。側面に突きだした補助推進器を除くと全幅四メートルなので、ずんぐりした魚雷型だ。艇首にはこじんまりとした司令塔がある。
調査用の潜水艇としてはかなりの大型で、動力はMg空気電池。海中では空気がないから、液体酸素のタンクも搭載されている。航続距離は千海里(約千八百キロ)以上なので、ほとんどの調査航海では母船が必要ないという。これも、潜水調査艇としては異例らしい。
なんでも、このへんの仕組みは海自の主力潜水艦”うずしお”型と同じらしい。さすがは元海自……というか、大丈夫なんだろうか、機密保持的に。
「どれも民生技術だからな」
民生の技術水準が充分に上がると、技術そのものは機密で無くなるらしい。むしろ、電池や酸素をそれだけ積むか、というスペックの部分が機密だとか。それなら問題なし。
「で、お祖父ちゃん、これから出航するの?」
やはり、実物を目にしただけでサヨウナラは辛い。乗れるものなら乗ってみたいのが男の子だ。
「うむ。折角だから二人とも深海調査の旅へご招待だ」
ナガトの一声で、同行が決まった。ワンマン極まれりだが、この研究所はナガト以外の正規職員はいないので、文字通りのワンマン企業だから問題ない。ちなみに、”のちるうす”の整備などは、フローティア港湾課からの派遣で賄っているという。調査依頼の一件あたりが結構な金額な反面、依頼そのものは不定期なのでこうなっている。ナガト一人ではこなせない事務仕事は、適宜、妻のサリアが補っているとか。
ナガト、ツトム、タリアの順で、小ぶりな司令塔のハッチから梯子を下る。色々やばいので、ツトムはなるべく下を向いて慎重に降りることに徹した。
「ツトム、今、上見たらあかんでぇ」
背中のデイバックから”くもすけ”が茶々を入れる。本気でドックの海中に捨ててこようかと思うツトムだった。
梯子を下りたところは、レバーや表示パネルなどメカ満載の操縦室だった。ツトムにとっては、まさにご馳走だ。
室内は直径四メートル弱の球状で、正面はガラス状セラミックとなっている。海中の様子がそのまま見えるわけだ。今はドックに浮いているので、水面が窓の上三分の一くらいにあって、建物内部とドックの底が同時に見える。
それ以外の内壁には、至る所に計器やレバーや液晶パネルが並んでいた。
座席は三つ。正副の操縦席と、その間に腹ばいになるように外を覗ける席があった。その腹ばいの席には、腕が届く範囲に強化外骨格のフレームのようなものがあった。
「お祖父ちゃん、このフレームは?」
ツトムの問いかけに、ナガトは答えた。
「今は収納してるが、この下に装備している作業用マニュピレータの操作用だ」
なるほど、調査船っぽいぞ。しかも両手だ。
「ツトム、タリア。とりあえずどっちがどちらの席に着くか決めてくれ」
しばし悩んだが、副操縦席の方が色々見渡せるので良さそうだ。
「タリア、僕が副操縦席でいいかな?」
「いいわよ。私は何度か乗せてもらっているから」
ナリアも母親と乗ったことがあるらしい。意外と祖父は家族サービスしてるようだ。
「じゃあ、出航の前に他の部分を見せておこう」
操縦室の後ろには、居住用の船室があった。これも同じサイズの球状をしている。水圧に耐えるための耐圧球だ。
「吊り棚式の寝床だが、四人分ある。今日は日帰りの調査だから必要ないけどね」
ナガトの言葉どおり、船室の左右にそれらしいものがある。さらに、トイレらしい個室と、小さなキッチンもあった。
「この船、どのくらい潜ってられるの?」
ツトムの質問に、ナガトは答えた。ちょっと得意げか?
「海中に滞在するだけなら一か月以上だ。移動が入れば、その分縮まるがね」
呼吸用とMg電池用の酸素は共有なので、そうなるらしい。
「さて、次なるこれこそが、わが研究所の優位性だ」
さらに奥の水密扉を抜けると、三つ目の耐圧球になっていた。ツトムの視線は、その壁面に吊り下げられている、金属製の人型に惹きつけられた。
「これって……」
ナガトが解説する。
「硬式大気圧潜水服、通称殻服だ」
布などで出来た通常の潜水服では、水圧がそのまま体に加わる。ところが、人間の体は一気圧の地上に適応しているので、高圧が加わると色々な危険があぶないのだ。
まずは酸素中毒。海面下十メートル、二気圧で起こる。この状況で純粋な酸素を吸うと、人は漏れなく意識を失い、溺死する。
そのため、大気と同じように窒素を含ませると、今度は窒素酔いが発生する。こちらは深度と潜水時間によって程度が変わるが、次第に酒に酔ったように判断力が落ちていく。これも悪化すれば生死にかかわる。
窒素の代わりにヘリウムや水素などを使えばそうした症状は出にくいが、どんなガスを使っても浮上の時にゆっくりと時間を掛ける必要がある。急げば炭酸飲料の栓を抜いたように血液が泡立ち、血栓ができて脳梗塞などになるのだ。いわゆる潜水病である。
こうした問題を解決したのが、殻服だ。
強固な外殻で水圧を打ち消し、酸素が続く限りは潜り続けられる。そんな理想的な潜水服だが、問題は例によって予算だ。可動部分のジョイントが極めて高価で、普及のネックとなっている。重量も百キロ以上あるため、クレーンなどの設備が必要だ。軽くて丈夫なMg合金でもこの重さなので、昔の鋼鉄製だと五百キロあったという。ただ、水中では浮力のおかげで、かなり自由に動ける。
球形をした船室の床は中央部がハッチになっていて、シェルスーツを海中に吊り下ろすことができるようになっている。そうなるとダイバーが必要だが、こちらも潜水作業の業者と契約しているという。ただ、船が移動しなければ、ナガト一人でも着用や潜水は可能になっている。
「この潜水艇もそうだけど、こんな高そうな装備まで。お祖父ちゃんって、もしかしてお金持ち?」
先日、どこかの大富豪がこのスーツで海底探査をしている番組がネットに流れていた。
ツトムの質問に、ナガトは微笑んだ。
「だったら良いんだけどね。実際には設備投資ってことで、まぁ、言ってみれば借金だ」
ツトムは顔をしかめた。
「借金なんてして大丈夫なの?」
ナガトは微笑んだままだ。
「遊びのための借金なら良くないが、仕事で儲けを増やすためにする借金が無いと、世の中は回らなくなってしまうんだよ」
どうもその辺はツトムにもよくわからない。とりあえず保留だ。
ところで、気が付くと”くもすけ”が静かだ。何か突っ込んでくると思ったのだが。
「あ、電波が圏外だ」
頭部の小さなLEDランプが消えていた。
”くもすけ”はクラウドに置かれたAIだから、ネットが繋がらなければ元の子守ロボット以下だ。内蔵されていた音声認識機能はショボすぎるので、今は外してしまってる。
最近は地下鉄や旅客機でも普通にネットに繋がるので、滅多にない体験と言えるかもしれない。
ナガトが顎に手を当てて答えた。
「ネットか。潜航していなければ、船舶用の無線ネットが使えるぞ」
潜ってしまえば無理か。それはまぁ仕方ない。
操縦室に戻り、船舶用無線の電源を入れてもらう。”くもすけ”の額のLEDランプが点り、頭部のカメラアイがツトムをまじまじと見つめた。
「おう、お帰りやす。早かったやないか」
「まだこれからだよ。お祖父ちゃんが船のネットを起動してくれたんだ。潜ったらまた切れるからね」
ツトムの言葉に、”くもすけ”は不満そうだった。
「しょーもないのう。このユビキタスの時代に」
新しそうで古いキーワードだ。確か、ツトムの生まれる結構前くらいの。
「さて、そろそろ出航しても良いかな?」
おっと、そうだそうだ。
祖父の言葉に、海中の旅のことを思い出す。
「”くもすけ”、潜ったらちょっとの間、別行動だね」
副操縦士の席に座り、”くもすけ”の体をデイバッグに押し込む。
「ちょいまちや! 仕舞うの早すぎるで!」
「善は急げって言うじゃん」
「それ、『善』ちゃうで」
仕方ないので、首だけデイバッグから出しておいてやる。ネット接続が回復すれば、すぐわかるはずだ。
「では、出航だ」
ドックの正面の水門が開き、かすかなモーター音と共に”のちるうす”は港の海面を進みだした。速度は二ノット、人が普通に歩く程度だ。
座席に座ると、水面は頭上になった。日光がキラキラと反射して美しい。海中はまさに青い世界。そこも海面からの光に溢れている。
行き交う船は結構多い。小型船が殆どだが、漁船のように見える。
「島の周囲に広がる生簀に行くんだろう」
深海の海水は栄養分が豊富なので、それをくみ上げて流し込むだけでプランクトンや魚がどんどん育つという。その魚を相手にする釣り船が、沢山出ているらしい。
やがて、”のちるうす”は港の外へ出た。
「よし。いよいよ潜航だ」
ナガトは操縦席の前のボタンを押した。後ろの方で、シューっと空気の抜ける音と共に、水音が聞こえて来た。同時に、展望窓の上の方にあった水面が上がり始め、視界は全て海中となった。
「おお、これが海の中……」
”くもすけ”のつぶやきが途中で消える。額のLEDランプは消えていた。
「また後でね」
デイバッグを座席の背もたれにかけて、ツトムは青みを増していく海中の光景に見とれるのだった。
船が行き交う海上に対して、海中は大小さまざまな魚が泳ぎまわってた。時折、かなり大きな影が視界の隅を横切る。
「イルカよ。可愛いわね」
タリアが指さした。展望窓の端から、すぐ近くを”のちるうす”と同じ方向に泳ぐイルカの頭部が見えた。
「好奇心旺盛だからな。良く来るんで、名前を付けてる。あいつは”タロウ”だ」
ナガトに言われて、ツトムは窓の外のイルカに話しかけた。
「こんにちは、”タロウ”」
分厚い船殻越しだから聞こえるはずはないのだが、イルカはスイっと船首側を回ってから去って行った。
「今日の調査は、フローティア下部の付着生物だ。周辺部から底部に潜り、螺旋状に中心部へ向かう。最大で千メートルまで潜ることになるな」
祖父の言葉に、ツトムは質問した。
「付着生物って?」
答えるかわりに、ナガトは制御卓のキーを叩いた。ツトムの席の前のスクリーンに、ブツブツ黒い穴が無数に開いた岩のようなものが表示された。
「うわ……キモっ」
いわゆる「蓮コラ」のように生理的にダメで、思わず声が出た。タリアも苦手なのか、顔を背けている。
「フジツボだ。本体はその穴の一つ一つに棲んでいる小さな虫だが、貝殻のような石灰成分で船底などに付着して、水の抵抗を増やして速度を落としたり、船体そのものを痛めたりする」
他にも牡蠣などの貝類が含まれるらしい。
「牡蠣はフライとかにするけど、フジツボって食べられるの?」
「大きく育ったものは高級食材になるな。身は小さいが、蟹と卵を合わせたような味だ。味噌汁の出汁にもいい」
へぇ、食えるんだ。こんなのがねぇ。カニ玉味か。
「でも、船と違ってフローティアは浮いてるだけだけど、邪魔になるの?」
ツトムの疑問。ナガトはうなずくと答えた。
「フローティアはMg合金製だからな。Mg合金は元来、腐食に弱かったんだ。今は改良されてるが、表面の保護コーティングが無くなると傷んでくる。フジツボが大量に長期間張り付いているとそうなる可能性があるので、定期的な調査が必要なんだよ」
フローティアのサイズではドックに入れるわけにもいかないから、海中での点検や修理が必要なのだろう。
気が付くと、展望窓の外はかなり暗くなっていた。
「深度百メートルだ。フローティアの下に潜るぞ」
最後の陽光が遮られる。フローティアが海底に落す直径二キロの影の中に入ったのだ。艇首の上部から強力なサーチライトが照らされた。海中を漂うプランクトンが白く照らし出され、雪の中を進んでいるかのようだ。
同時に、ピン、という甲高い音が聞こえて来た。
「これって、ソナー?」
ツトムの問いにナガトはうなずいた。
「衝突防止に加えて、フジツボなどの確認だ」
フローティアの底面はなめらかな外観なので、付着生物がつけば反射音が変わるらしい。直径二キロの面積は六百万平方メートルにもなるから、全部肉眼で見るのは時間がかかりすぎる。反射音が変化したところだけ、司令塔に設置した上方カメラで確認するという。
「なるほど、それなら効率いいね」
しかし、真っ暗な中をゆっくり進むだけで、変化が乏しい。それでも時折、暗闇の中に金属性の巨大な構造物がライトに浮かび上がる。ナガトは巧みな操船で、そのカーブを描く外壁に沿ってかわして行った。
「お祖父ちゃん、あれは?」
「海洋深層水の汲み上げ施設だ」
フローティア底部の周辺部分からは、このような円錐状の突起が十二本、海底へ向けて突き出している。基部は直径数十メートル、先端は深度四百メートル近くに達するという。その先端からはさらに深度千メートルまで取水パイプが伸び、深海から冷たい海水をくみ上げっている。この深層水と海面の暖かい海水との温度差で発電を行うことで、フローティアの電力のほとんどを賄っているという。
「ツトム、しばらくは退屈だろうから、後ろの船室で休むと良い。タリア、お茶やお菓子を出してあげなさい」
「わかったわ、パパ」
タリアが正副操縦席の間のシートから体を起こし、ツトムの方を向いた。
「お湯を沸かすわね。緑茶でいい?」
「う、うん」
彼女が腹ばいになってたシートは操縦席より前に出ていたので、体を捻った拍子にミニスカがめくれたのが見えてしまった。さっきのイルカ並みのドルフィンキックで、ツトムの目は力強く泳ぐのだった。思春期前だというのに。
やがて、操縦室の後ろから声がかかった。
「ツトム、お茶が入ったわよ」
「あ……うん」
さっきの光景が脳裏から抜けないのか、ツトムは生返事だ。それでも座席から立ちあがり、後ろへ向かう。
「パパも良ければどうぞ」
「そうだな。もう少ししたら自動航行に任せられる」
海洋深層水汲み上げの突起は周辺部にあるので、その内側に入れば障害物は無くなる。
ツトムが後部の船室に向かうと、壁に折りたたまれていたテーブルが広げられ、パイプ椅子が三脚置かれていた。テーブルの上には湯気の立つマグカップと、菓子が盛られた深皿。”のちるうす”が調査船だからか、どちらもステンレス製だ。
こっちへ来てから、日本茶をよく飲むなぁ。
そんなことを思いながら、ツトムはパイプ椅子の一つに腰かけた。
「ツトム、こっちよ。そこはパパの席」
タリアが、自分の隣の椅子を指さす。
「え、そうなの? ごめん」
テーブルのタリアがいる側に回って腰かける。
……タリアが近い。どのぐらいというと、喋れば耳に吐息がかかり、体温が感じられるほど。
「えーと」
「御茶菓子、あられとミニドーナッツ、どっちが好き?」
「……両方」
この雰囲気。緑茶がアルコールなら、まさしくガールズバーなんだろうけど、未成年で思春期前のツトムにわかるはずがなく。
操縦室から入ってきたナガトは、そんな二人を見て踵を返そうとした。
「お祖父ちゃん、一緒にお茶しようよ!」
ツトムの声に、ナガトは振り向いて席につこうとした。まさにその時。
操縦室から警報音が響いて来た。
「厄介な奴が来たな」
苦い顔でナガトは呟き、操縦室へ戻る。直後、大きな揺れが”のちるうす”を襲う。
「わぁ!」
「きゃぁ!」
二人ともパイプ椅子から放り出され、床に倒れ込む。ツトムの上にタリアが落ちて来て、押しつぶされるツトム。
「ぐえっ」
「ご、ごめんなさい!」
タリアの膝が、ツトムの股間を直撃していた。
ああ、このまま死ぬのかな。
そんなことを思った時もありました。はい。