第一話 赤道直下でgkbr?
2016/11/13 物語の舞台や背景が分りにくかったので、大幅に加筆修正しました。
2016/11/20 イラストを追加しました。
(歯の根が合わないって、こういうことなんだ)
福島ツトムの歯はカチカチなり続け、つぶやこうにも言葉にならない。おまけに周囲は真っ暗で、何も見えない。
この春、中一になったばかりの彼は、右手でずり落ちたメガネを押し上げた。その手も細かく震えている。細い体のもう片方の腕は、肘のあたりを同い年の少女に掴まれていた。
何とか歯を食いしばって歯の鳴るのを止め、声をかける。
「タリア、大丈夫?」
そう呼ばれた少女は言葉も出せず、激しくかぶりを振った。相当冷えているらしい。普段はくるくる良く動く表情豊かな瞳は固く閉じられており、健康的な小麦色の肌も青ざめて見えるのは、スマホの画面からの薄暗い明りのせいではない。
(タリアはポリネシア系だし、もしかしてこんな寒さ、生まれて初めてなのかも)
ならば、一刻も早く脱出すべきだ。
(こんな時に限って、”くもすけ”とは繋がらないし)
ツトムはスマホの待ち受け画面をちらりと見た。電波は圏外だ。メガネの視界の右隅にAR表示されている気温は六℃。東京の冬の朝と変わらないが、二人とも夏真っ盛りの服装なのがいけない。ツトムはTシャツに膝までのハーフパンツ。タリアに至ってはタンクトップにホットパンツだ。さっきまではタンクトップの裾を縛っておへそを見せていたが、さすがに今はほどいて降ろしている。
頭上を振り仰ぐと、真っ暗な空間が広がる。歩き回って確かめた限りでは直径二十メートル程の六角柱で、高さは百メートル以上はあったはずだ。
なんとかして、上に戻らないと。なんでまたこんな羽目になったやら。必死にこれまでのことを思い起こすツトムだった。
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「母さん、そりゃないよ」
母親の唐突な宣言に、ツトムは面食らった。いや、普段から色々やらかす人ではあるけど。
「大丈夫。お祖父ちゃんも喜んでるから」
「いや、でもさ、僕にも都合ってのが」
必死に抗議するが、まるで聞いてくれない。
「ほらほらいいから、さっさと荷物をまとめなさい」
今は春休み。小学校を卒業し、来月からは中学生。初めての「宿題の無い長期の休み」だ。ツトムとしては、色々やりたいことだらけだった。
父親の福島セイジが高名なロボット工学者だったので、ツトムは物心ついてからずっと機械やAIに強く惹かれていた。父の熱心な手ほどきもあり、今やいっぱしのメカオタク。自作の小型ロボットやらドローンなどで、あちこちのイベントに参加し、結構名を広めていたりする。この春も大きなイベントが企画されていて、当然参加するつもりでいたのだ。
そんな予定が、母親の海外転勤で全て潰れてしまった。
ツトムの母、福島マコは、大手の建設会社、いわゆるゼネコンに務める技術者だ。元々仕事熱心だったが、五年前に夫のセイジに先立たれ、一人息子のツトムが小学校に上がって手がかからなくなると、ワーカホリックに拍車がかかった。ツトムを子守ロボットに任せて東奔西走の日々で、魔術でも駆使しているかのように仕事をこなしていくため、職場では「魔法のマコちゃん」と呼ばれているらしい。
もっとも、ツトムの方はすぐにその子守ロボットを分解改造して、遊び相手というより、悪戯の共犯者に仕立て上げたので、この親にしてこの子あり、ではあるのだが。
「フローティア、良いところよ。絶対気に入るから」
今朝も、簡単な朝食を用意すると、そう言い残して颯爽と出勤していった。
フローティアとは、マコの勤め先が建設した人工島だという。彼女もそのプロジェクトに関わっていたようだが、この時は本社での設計業務だけで、出張はほとんどなかった。これが数年前に完成し、今度は海外の別な大規模プロジェクトの現地リーダーに抜擢されたと言うわけだ。そのプロジェクトの前準備が終わり、いよいよ本格的な建設となるため、海外赴任となる。
「……参ったな。どうしようか、”くもすけ”」
ツトムは足元にうずくまる子犬ほどのサイズの「それ」に話しかけた。
「そな、ママさんおらなんだら、この家におれへんのやろ? 行くしかないやんけ」
怪しい関西弁のオッサン声で答えるのは、かつての子守ロボット。ツトムが改造してクラウドに置かれたAIとつないだので、”くもすけ”と名付けられた。もっとも、ツトムは「雲助」の本来の意味は知らない。興味のないことは知らなくても気にならないたちなのだ。
元は四本脚で歩く犬型ロボットだったが、ツトムが首の部分を拡張して胴体と両腕を追加したので、小さなケンタウロスのようになっている。頭部にはアンテナを兼ねた兎の耳のようなセンサーも付けた。
ちなみに、AIは父のセイジが開発中だったものだ。基本部分は出来上がっていたので、ツトムと対話しつつ一緒に成長した、言わば兄弟みたいな存在なのだが、どうしてこうなった。
「やっぱ、追い出されちゃうんだろうなぁ」
ツトムが母と住んでいるのは、母の勤め先の会社の社宅だ。ツトム一人で住むわけにはいかないから、退去するしかない。会社の方も、何年もの海外赴任の間、遊ばせておくわけにもいかないので、次の借り手が決まっているのだ。そんなわけで、既に母マコの方は荷物を梱包済みだ。残っているのは備え付けの家具や家電、送るより現地で買った方が安い食器などだけ。
ハムエッグとトーストの朝食を牛乳で流し込むと、ツトムは”くもすけ”を連れて自分の部屋に戻った。
ツトムの部屋は、父の形見とも言える機材の山だった。ツトムが受け継いで五年経つが、今でも個人が持てる範囲を越えたものが大半だ。ツトム自身はこの部屋を「工房」と呼んでいる。
PCにNC工作機械の数々。特に圧巻なのは、超高速3Dプリンターだ。樹脂だけでなく各種の金属も使え、ミクロン単位の精度で三十センチ立方の物体を数時間で形成できる。”くもすけ”の胴体や両腕なども、これがあってこそ作れたと言える。さすがに等身大ロボットのような大物は無理だが、ツトムが普段作る小型ロボットやドローンの部品なら、充分なサイズだ。
こうしたハイテク機材が六畳ほどの洋間の大半を埋め尽くしており、ツトムの寝床はPCデスクの下だった。一応、金属粉などはPCの大敵なので、離して置いてある。
「これ全部運ぶの、大変だなぁ」
ぼやくツトムに”くもすけ”が突っ込む。
「プロに任せるんやな。勉強しまっせ、の」
関西で有名な「引越のナントカ」のことらしいが、ツトムは関東圏在住だ。どうやらAIのくせに、関西弁に魂を引かれているらしい。何を食いつぶそうとしているやら。
とはいえ、十二歳の子供の力では梱包すら無理なので、やはり五年前にこの家に引っ越してきた時のように、業者に頼むしかないのは確かだった。はっちゃけた母親ではあるが、マコはツトムのためにかなりの引っ越し費用を用意してくれていた。あり難く使わせてもらおう。
ツトムはPCを立ち上げると、ディスプレイいっぱいに引っ越し業者の見積もりAI画面を並べ、調べ始めた。
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業者のAIはそれぞれ結構熱心に売り込んできたが、ツトムは精密機械を扱った実績が豊富だというところに決めた。翌日には担当者が訪問して機材の寸法や重量を測り、契約を行った。しかし、依頼主が十二歳の少年だということで、相当驚いたようだ。
「送り先は東京都特別区フローティア・ワン第一埠頭五〇四一、でよろしいですね?」
「はい。お祖父ちゃんがそこにしろというので」
荷物の送り先など確認のため祖父にメールしたところ、この住所を指定された。多分、祖父の仕事場なのだろう。祖父は昔、海自に勤めていたという。今は退官して、海洋調査などの仕事をしているらしい。
「船便になるので、到着まで一週間ほどかかりますが」
「……仕方ないですね」
鉄筋コンクリートのこの社宅でも、床が耐えきれないかもしれないからと母親が一階にこだわったほどだ。空路では金額がもの凄いことになる。
その翌日、業者が派遣した運送係によって、ツトムの機材は綺麗に梱包されて搬出されて行った。担当者は強化外骨格を装備していた。足腰などを補助するフレームだけの装備だが、ツトムが興味津々だったのは、言うまでもない。
その日の夕方。何もかも運び出されてがらんとした部屋に立ち、ツトムはつぶやいた。
「この部屋、こんなに広かったんだな」
ドアから寝床に行くまでで、下手すると痣を作りかねない部屋だった。しかし、機材や机などが運び出されると、なかなか居心地の良さそうな空間が現れた。
「フローティアに行ったら、工作の場所と寝起きの場所、分けた方がいいね」
「それやから、おじい殿は住居以外の場所を指定しなはったんやろ」
ツトムのつぶやきに、”くもすけ”が突っ込んだ。
「まぁ、そうだろうね」
しかしまさか、かの地に到着してから判明する祖父の都合が「この祖父にしてこの母ありき」だと思い知らされるとは、夢にも思わないのが今のツトムだった。
「ツトム、準備は終わったわね。それじゃあ、行くわよ!」
威勢のいいマコママに手を引かれ、五年間過ごした家を後にしたツトムだった。その背中のデイバッグから顔を出して、”くもすけ”がささやいた。
「あんじょうしいや。わてがおるで」
うん。君、なにもしてないけどね。
あえて声にせず、ツトムは呟いた。
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「はい、じゃあお母さんはここまでね。あとはがんばれ~」
成田離婚ならぬ、成田子離れキタコレ。
空港のラウンジで夕食を取ったあと、母親のマコはここから中東経由で北アフリカへ。息子のツトムは豪州ケアンズ経由で、ニューギニアの東の海上、赤道直下のフローティアへ。福島家の放任主義、ここに極まれりである。
「ケアンズでの乗り継ぎは、航空券のチップに刷り込んであるAIが案内してくれるから。フローティアについたら、お祖父ちゃんが何とでもしてくれるわ」
アバウトである。インドは西の方だよね、と船出したコロンブス並みのいい加減さだ。それでも何とかなってしまうのが、日本クオリティ。一応、最低限、搭乗ゲートまでは見送ってくれたのだから、母の愛情を疑ってはいけないのだ。日記にはそう書いておこう。
今から夜の便で飛べば、ケアンズまで八時間程なので到着は早朝。南北の移動なので、時差もほぼ無し。これなら宿代が浮くと言うわけだ。流石に、十二歳の子供一人を泊めてくれるホテルは無い。
ところで、ケアンズで案内してくれた航空券チップ在住のAIは、なぜか名古屋弁だった。きっとこれには言及してはいけないのだと思うツトムだった。乗り継ぎ先が空港内ではなく、海の港の方だったので、案内そのものは助かった。
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母親に渡されたパンフレットによると、フローティアは、半径1キロの円形の人工島だ。岩礁を埋め立てるのではなく、いわゆるメガフロートの大規模版で、比喩ではなく本当に海に浮いている。赤道の周囲を流れる海流に乗って、西へ東へとたゆたっているという。
海に浮かぶフロンティアだからフローティア。なんとなく、名付け親が誰か分りそうだ。
ツトムがケアンズで乗り換えたのは、通常の航空機ではなかった。海面上数メートルを飛翔する地面効果機だ。地面や海面すれすれに飛ぶと、翼との間の気圧が上がり、機体を支える力が増す。この地面効果を活かして、高空を飛ぶより多くの物資や旅客を運ぶのが、地面効果機だ。
この便の名前は”はまつばめ”というらしい。プロペラ機だが、エンジンではなく電気モーターなので、音も低い。”くもすけ”にも使われているMg電池で駆動されている。胴体の下部は船のような形状で、海面に離着水するタイプだ。
ケアンズから珊瑚海を東南東へ三千キロ、時速六百キロで五時間。高度が上がらない分、気圧変化で耳が痛くなることもない。おかげでツトムは爆睡だった。ケアンズまでのジェット機では、ほとんど眠れていなかったのだ。
「ツトム、起きいや。そろそろ着くで」
胸に抱えたデイバッグの”くもすけ”に起こされた。窓から覗くと、水平線の向こうから蓮の花が咲き開くところだった。
フローティアの中央タワーだ。
「きれいだな」
文学的なボキャブラリは豊かと言えないツトム。月並みな表現だが、本心からのものだ。
その塔は、南国の陽射しに輝く白銀の骨組みと、そこからこぼれんばかりの植物の緑で形作られていた。上に行くほど開いていく、双曲線を描くシルエット。天に向かって音楽を奏でる白銀のラッパか、蓮の花か。その建造物が、水平線の彼方から伸び上がっているところだった。
やがて、”はまつばめ”は高度を落とし、波静かな赤道直下の海面に着水した。そのままフローティアの港へ進むと、あのラッパのような中央タワーが存在感を誇示し始める。
「大きいなぁ……」
例のパンフレットによると、高さ千メートルだという。耐震規制が厳しい本土では、なかなか実現できない高さだ。地震などない洋上だからこそ、実現できたと言える。
港の事務所で手続きを終えて、外に出ると……想像以上の炎天下だった。
「影が短いな……」
時刻は正午。赤道直下の太陽は、まさに真上からジリジリと照り付けていた。影はほぼ、足元にしか落ちない。
「ツトムはん、やばいで。わてのあんよが融けそうや」
イマイチ危機感にかける”くもすけ”の言葉だが、ツトムは慌ててその筐体を抱き上げた。自宅のフローリングを傷つけないよう、”くもすけ”の四肢は先端がゴムでコーティングされている。その接地面が、確かに融けかけていた。
「ここ、歩いても足を火傷しないかな……」
スニーカーを見下ろす。そんな心配をしていると、初めて聞く少女の声が響いた。
「福島ツトムくんですか?」
ラノベ風のを書きたいな、と思って、昔思いついて放置してたネタを持ち出してみました。
すこし書き溜めがあるので、第六話あたりまで毎朝8:00に予約投稿とします。
次回:第二話 家族が続々?