第十四話 求愛期間
医務室を出た俺とハクアが訪れたのは、スルトン王国の首都ベルカにひっそりと店を構える、サンドイッチで有名な鮮魚店だ。
鮮魚店の傍ら店主が趣味で作った料理らしく、今や本店の売り上げの八割を占めてしまっているというから驚きだ。
いっそのこと売れない魚屋から足を洗い、軽食屋一本に絞った方が儲かるのではないだろうか。
〈ダブルヘッド・シャーク〉の白身を揚げたフライを硬めのパンで挟み、たっぷりのデミグラスソースをかけたサンドイッチは、一度食べたら病みつきになること間違いなしだ。
スダニア学園からそう遠くないこの店は、知る人ぞ知るという隠れた名店であり、食通を自称するモニカから教えてもらった店でもある。
ハクアを連れて来てしまってから気が付いたのだが、女の子へのお礼に食い物ではまずかったか。
俺ならまず間違いなく大喜びするところではあるが、常識的に考えれば花とかアクセサリーとか、もっと洒落たもんの方が良いに決まっているだろう。
いくら女子とまともに付き合った経験がないからといっても、この選択は流石に酷過ぎる。
いったい何を考えてお礼などと切り出し始めたんだ――あの時の俺よ。
サンドイッチを並んで買い、ハクアの元へ戻るという手筈だったが、戦利品を手に戻ってもベンチで待っているはずのハクアが居なかった。
トイレだろうかと思いつつ、しばしベンチに座って様子を伺うが、一向に戻ってくる気配はなかった。
「まずいな……」
『まずい』のは持っているサンドイッチのことではなく、勿論この現状についてだ。
この辺りは治安もまずまずということで選んだ場所だったが、今更ながら少女を一人きりにしたことを悔やんだ。
反省など後でいくらでもできるし、まずは周囲を探してみるべきだろう。
街中で探していると、出店で囲まれた路地の暗がりに、いくつかの人影が見えた。
薄汚い路地の最奥部では、数人の男たちが円を描くような陣形をとっている。
用心深く気配を悟られないように近づいていくと、男たちで作られた円の中心にハクアが居るのが分かった。
「お前ら、いったい何やってんだっ」
俺は声を振り絞って叫んだ。
相手は屈強な男どもが十人前後に対し、俺はたったの一人。
まともに戦ってもまず勝ち目はないので、とにかく声を出して、通りの人々に助けを求める方が良いと踏んでの行動だった。
「あぁん? 誰だてめぇはって、お前は…… うわぁぁっ!」
振り返った大男は、いつしかの――ギルドでモニカに喧嘩を売ってきた性悪男だった。
俺の姿を目で捉えるなり、まるで化け物でも見たかのように、腰を抜かして尻餅をついてしまった。
仲間の呼び声から察するに、この大柄で粗暴な男はゴードンという名前なのだろう。
「その子は俺の知り合いなんだ。傷つけたりしたら許さないからなっ」
どうにかハクアを助けたい俺は、精一杯背伸びをして凄んだ。
こんな柄でもないことをすると大抵は失敗するもんだが、現状を鑑みれば四の五の言ってる暇はなかった。
それにしても、世の中いろんな人間は居るとは言うけれど、こいつはどんだけ懲りない奴なんだ。
モニカが目の敵にしているのも、今更ながら十分に納得できた。
「ひえぇぇっ おい、どけっ」
すっかり怯えた様子のゴードンは、仲間を乱暴に突き飛ばしながら、まるで化け物でも見たかのように慌ててその場を去っていった。
取り巻きの男達も、ゴードンの変貌を不審に思ったのか、すぐに後を追いかけていった。
きっと、あの戦いがゴードンのトラウマになったのだろう。
どんな理由であれ、ゴードンに大怪我を負わせてしまったのは俺だし、後できっちりと謝罪しておかなくては。
毎回あのような態度を取られては、妙な噂が広まってしまうのも時間の問題だろうし。
まぁなんにせよ、ハクアが乱暴されてないようで本当に良かった。
「かっこいい……」
そう呟くハクアの瞳は眩しいくらいに輝いており、惚けたように俺を見つめていた。
「あー、なんていうか今の奴は俺の知り合いなんだ。怖い思いをさせてごめんな」
「全然そんなことないよ。カズキが守ってくれて、僕本当に嬉しかった……」
なんだかそう言われると妙に照れるな。
こんな美少女に礼を言われるなんて、現実世界ではまずあり得なかった出来事だ。
思わず『異世界万歳』と心の中でガッツポーズをしたのは――俺だけの秘密だ。
「とりあえず、落ち着ける場所で一休みしようか」
「うんっ」
◇ ◇ ◇
目的の休息地へと向かう途中、
「おわっ」
階段の僅かな段差でつまづいた俺は、ハクアが肩を寄せてきていることもあってか――結果的にハクアの胸に手で軽く触れるような形になってしまった。
「もう、カズキのえっち……」
ハクアは舌先を出して、悪戯っぽく笑って見せた。
どうやら嫌われてはないようなので、ほっと胸を撫で下ろした。
ハクアにとっては失礼なのかもしれないけど、触った感触はどこか慎ましい印象で、胸の大きさは俺と良い勝負なのかもしれないと思った。
目的地に辿り着くまで、ハクアはずっと俺にもたれかかる形で寄り添って歩いていた。
自分で言うのもなんだが、なかなかに良い雰囲気じゃないか。
そんな俺とハクアが腰を落ち着けたのは、街の全容が見渡せるほどの小高い丘に作られた自然公園。
首都ベルカの郊外に位置するこの公園は、街の喧騒とは相反した静寂に包まれていた。
小鳥のさえずりや木々のざわめきが聞こえるなか、二人並んで木陰のベンチに腰掛けた。
ハクアが人混みが苦手だと言うので、なるべく人通りの少ないこの場所を選んだのだ。
恐らくハクアはその優れた容姿から男に声をかけられる機会が多く、面倒事を避けたいと考え俺にあらかじめ提案してくれたのだろう。
「……良い場所だね」
「そうだろ? ここから見ると何でも小さなことに思えてくるんだ」
異世界に圧倒されて目を背けたくなったとき、俺はいつもこの場所で自分を見つめ直すことにしているのだ。
「街がこんなに美しいものだったなんて知らなかったよ。実はあんまり外が好きじゃなかったんだけど、カズキのお陰でとっても楽しめたよ」
街の様子なんて、つい数週間前に来た俺よりこの国出身のハクアの方がよっぽど知っているはずなんだが。
もしかすると、何か別の事情があるのかもしれない。
売店で買ったサンドイッチをハクアに手渡し、二人して大ぶりなサンドイッチにかぶりついた。
「おいしいっ こんなの食べたことないよっ」
ハクアの小さな口にはサンドイッチは大き過ぎたのだろう、サンドイッチを頬張るハクアの口元にはべったりとソースがついてしまっていた。
「ハクア、口にソースが……」
ポケットから取り出したハンカチを手渡そうとした俺だったが、
「おわっ」
ハクアが俺が持っているハンカチに顔を突き出し、俺の手に顔を押し付ける形で口の汚れを拭き取った。
ハクアの唇の感触がハンカチ越しに生々しく伝わり、俺は心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
「えへへへ……」
茶目っ気たっぷりに笑うハクアは猫のように可愛い。
もうこのままお持ち帰り(テイクアウト)したいくらいだった。
「さっきはありがと。あの人達に話しかけられてどうしたらいいか分からなくて……」
ためらうような上目使いで、ハクアが頬を染めながら呟くように言った。
「その…… カズキは凄くかっこ良かったよ……」
静かに俺に肩を寄せてきた。
どうやらすっかり俺を美化しているらしく、ハクアの表情は完全に夢見る少女のそれだった。
「ふわぁぁ。なんだか眠くなって来ちゃった……」
食後の眠気に襲われたのか、俺の膝上に頭を乗せてきた。
「ちょ……」
なんだこの可愛らしい生き物は。
気分屋な性格も態度も、まるで実家の猫そっくりだ。
そのまましばらく、俺はハクアの温もりを感じながら眼前に広がる晴天を見続けた。
「ハクア様っ」
突然、背後から低い男の声が聞こえ、俺ははっと目を覚ました。
どれくらい眠ってしまったのか、気が付けば空は真っ赤に染まり、俺とハクアの顔には西日の影ができていた。
「あんたは……?」
声のした方に目をやると、老齢ながら背筋を真っ直ぐと伸ばした男が俺を見据えていた――