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魔女問答  作者: 秋月 アスカ
第三章 毒りんごを召し上がれ
9/26

(4)

「全く別の毒?」

 オーレリーは魔女の言葉を繰り返しながら、意味が分からないというように眉根を寄せた。

「でも、林檎以外に毒を持ったものなんて、あの場には」

「分からない男だね、アンタも。毒を盛られたんだよ、そうとしか考えられないだろう」

「まさか」

 これまでで一番とんでもない話を聞いたというように、オーレリーは目を見開いた。

「なにかの間違いでしょう。この屋敷に、母を手にかけようとする人間なんているはずありません」

「アンタん家の事情なんて知りやしないさ。あたしは状況から判断しただけだ」

 しかし、となおも食い下がろうとしたオーレリーは、開きかけた口をぐっと引き結んだ。

「……もしそうだとしたら、誰がいつ、どんな毒を」

「誰とかいつとか、ひとまずそれはどうでもいい。今知るべきは、どんな毒なのかという一点だけだ。もしかしたら、既に毒入りの食べ物は犯人に処分されているかもしれない。毒が分からなけりゃ、解毒剤を作るのは難しくなってしまう」

 魔女は、オーレリーの絶望に染まった顔をぐいと覗きこんだ。

「いいかい、これからすぐに動くよ。動けるね?」

「――はい」

「私が単独で出ていったんじゃ、却って話がややこしくなるからね。アンタが行くんだ。あの時、母親に出されたティーセットを、中身ごと押さえるよ」

「リシュー、あなたは?」

 こんな時にまで、縋るような目で見ないでほしい。だが――ええい、くそ。このひよっこ一人に任せておいては、うまくいくものも行かなくなる!


 魔女は無言でローブの隠しポケットに手を突っ込み、そこから小さな種を一つ取り出た。ひょいと口に放り込むと、歯で噛み砕きながら密かに呪文を唱えてみせる。すると、魔女の身体に異変が起こり、その身はあっという間に小さく縮んでいった。まもなく兎の大きさに、そしてネズミの大きさになる。

「すごい!」

 オーレリーが感嘆の声をあげ、ついには人の小指ほどになった魔女の側に屈み込んだ。今の魔女にとっては、オーレリーの鼻息一つでさえ、身を吹き飛ばすに十分な暴風となる。あまり顔を寄せないでほしかったが、彼が膝をついたのをこれ幸いに、オーレリーの足をすばしこくよじ登ってやった。そのまま上着のポケットにぽすりと収まり、ポケットから顔だけ出して、早く母のもとへ行けと促してみせる。オーレリーはそんな魔女の様子を物珍しそうに眺めていたが、気を引き締めたようにしっかりと頷き、その場を勢いよく駆け出した。

「うわっ、ちょっ、人を殺す気かい!」

 走るオーレリーの上下動が、ポケットの中の魔女を容赦なく振り回す。気を抜くと外に放り出されてしまいそうで、魔女は必死になって服の布を握りしめた。抗議の声を上げてもみたが、オーレリーには全く聞こえていないようだ。


 ようやく動きが止まったのは、それから間もなくのことである。ぐったりとしていた魔女の耳に、オーレリーが誰かと言葉を交わす声が届く。どうやら母親の部屋の前まで到着し、見張りの使用人に中へ入れるよう交渉しているようだ。初め使用人は断るそぶりを見せていたが、領主の息子に強く出られて退けることは難しかったようで、結局は部屋へ立ち入ることに成功した。



「……母上」

 オーレリーがぽつりと呟く声が耳に入る。魔女も神妙な顔つきでポケットから顔を出した。

 部屋の中には誰もいない。苦悶の表情を浮かべ、身を固めたオーレリーの母親以外には。


 先ほどと、露ほども変わらぬ部屋の様子。時を止めた母親に触れるなという魔女の言いつけは守られたようだ。まずはなによりも、それが大事。魔女はほっと息をついた。


「母の手元に先ほどのティーセットのトレイも残っていますね。あれを持っていけばいいですか」

 気を取り直した様子でオーレリーは魔女に問いかけた。だが、魔女は大慌てで首を振る。

「駄目だ、あれに触れちゃあ! あれも術中に取り込まれているんだよ。トレイに触れれば、術は解けてしまう!」

「そ、そうですか。しかし」

「母親のかじったパンが、確かベッドの下に転がり落ちたはずだろう。それを探しな」

「分かりました」

 魔女に言われるがまま、オーレリーはベッドの周りを確認し始める。魔女もポケットから身を乗り出して見当をつけた辺りを念入りに確認するが――


 パンの欠片は、どこにも見当たらない。


 おかしい、確かに彼女の手元から転がり落ちたのをこの目で見たのに。


「……駄目か」

「誰かに片付けられてしまったのでしょうか」

「だとしたらまずい。毒の特定ができないよ」

「台所に行けば、材料は残っているはずです。そこになら毒を盛られた食材があるかも」

「誰かが故意に毒を混ぜたのだとしたら、そんなところに証拠を残しておくはずがない」

 そして、ほぼ間違いなく、故意に毒を盛られているに決まっているのだ。


 ――どうする。

 確信は持てずとも、とにかく思い当たる解毒剤を作ってみるしかないのか。しかし、チャンスは恐らく一度きりだ。時を止める魔法を解き、母親に解毒剤を一気に飲ませ、様子を見る。万が一見当外れの解毒剤であった場合、彼女は次の解毒剤を口にする間もなく息絶えてしまうだろう。毒の種類はどうであれ、あれは即効性の猛毒には違いないのだ。


「なにをしている、オーレリー」


 その時、焦る魔女たちに冷や水を浴びせるがごとく、背後から冷たい声が掛けられた。


「兄上」

 慌てて魔女が顔を引っ込めたのと同時にオーレリーが振り返る。どうやら声の主はユーベルのようだ。彼の足音がこちらに近づいてくるのが魔女にも分かった。

「どうしてお前がこんなところに? 父上に閉じ込められたはずだろう」

「抜け出してきました。じっとなんてしていられるはずありません!」

「魔女はどこだ」

「魔女? 彼女は」

「あいつも部屋にいなかった。二人揃って抜け出したんなら、別々に行動しているはずがない」

 ぎろり、と布越しに睨みつけられた気がして、魔女はポケットの中で身をすくめた。恐らくこれは、バレている。

「彼女の部屋を訪れたのですか? 一体どうして」

「事情が変わったから、話を聞く必要が出てきたんだ。まあ、森の魔女が鍵一つのあんな部屋で大人しくしているはずがないのは分かっていたが」


 ――ああ、なにかがおかしい。


 兄弟二人の話を耳に捉えながらも、魔女はじわじわと身に異変が起こりつつあるのを感じていた。身体の中がぐるぐると落ち着かない。魔力が暴れ出すかのよう。規則正しく構築された術の組み立てが、少しずつ暴かれていく。


「そこら辺にでも隠れているんだろう。さっさと出てこい」

 言われるまでもなく、魔女にとっても限界だった。

 魔女はオーレリーのポケットから勢いよく身を乗り出すと、そこから飛び降りようとした。だが、その間にも術は解け始め、元の大きさに戻りつつある。しかも――これはまずい。“完全に”術が解けてしまいそうだ。老婆の姿さえ、保てない!

「くそっ!」

 思わず舌打ちをした魔女は、そのまま地面に転がった。その頃にはもはや全てが露わになっている。真っ黒なローブから覗く自身の手足は、いやに白くしなやかで、皺も染みもまるで見当たらない。同じくローブからわずかに零れ落ちた長い髪は、透き通るほどの薄いブロンドだ。今しがたの舌打ちでさえ、それが若い娘の声であることを明白に示していた。


「リシュー!」

 オーレリーが混乱しながら名を呼んだ。こいつは今日どれだけ驚けば気が済むんだろうと見当違いのことを考えながら、魔女は深いため息をつき、立ち上がる。

「これが魔女の正体か」

 鉄面皮と思われた兄のユーベルも、多少は驚いた顔をしていた。ほんの少し溜飲が下がったような、余計に腹立たしいような。


「全く、とんでもない目に遭ったよ」

 こうなりゃ物のついでだ、魔女は今一度盛大に舌打ちをしてやった。

「リ、リシュー。一体どうして、元の姿に」

「アンタの兄にやられたんだよ。本当に厄介な一族だね、アンタんところは」

「え? しかし兄には魔術を使うことなんて」

「無意識なんだろ、だから厄介だって言うんだ」

 ただでさえ魔術で老婆の形をとっていたのに重ね、不安定な材料で変化の上塗りをしたのもよくなかった。ユーベルの発する魔力に、魔女の術が完全に散らされてしまったのである。身に馴染んだ老婆への変化ならば、今これからでも取りかかることができるだろうが、それももはや面倒だった。


「この際、その辺のことはもういいよ。それよりユーベルとやら、アンタ、私から話を聞きたいって言ってたね。なんなのさ、聞いてやるから言ってみな」


 両腕を組んで不遜な態度を見せる魔女に、ユーベルはどこかむっとした様子を覗かせたが、あえて突っかかることはなく、懐から紙包みを一つ取り出した。


「お前たちが探していたのはこれだろう」

 包みの中から現れたのは、一口かじられた跡のある、パンの欠片だ。

「兄上が持っていたんですか!」

「あの時、初め母上は指ですくって林檎を召しあがっていた。メディスの毒は一瞬で回るはずなのに、あの瞬間はなんともなかったのが引っかかっていたんだ。パンの方に毒が塗ってあった可能性も考えられるかと思い、確認していた」

 なんとまあ! 魔女は密かに感心した。あの一瞬の状況を、ここまで冷静に観察していたとは驚きだ。しかし、お陰で希望は繋がれた。

「それで、毒の特定はできたのかい」

「ああ。メディスの林檎の毒じゃなかった。コアニンと呼ばれる植物の根から採れる、全く別の猛毒だ」

「なるほどね」

 頷く魔女に、首を振るオーレリー。

「待ってください。コアニンの毒は、即効性があると言っても、死に至るまで半刻ほどの猶予があるはずでは?」

「毒を抽出する過程で魔力が使われているんだよ。だから、その解毒剤をとなれば、同じく魔を操る人間でなければ生成できない……そういうことでいいね、ユーベル」

 話を振られたユーベルは苦々しげに頷いた。

「で、解毒剤を作るのに必要な材料は?」

「揃えてある」

「それを作ることのできる魔術師は?」

「……この場にはお前しかいないだろう、嫌味な女め」

 魔女はふんと鼻で笑ってやった。

「そういうことなら仕方がない。ここまで来たことだし、もうひと肌脱いでやるかね」



 それから半刻後。

 寝室に、再び同じ顔触れが集まった。


 領主とその二人の息子たち、そして屋敷の使用人が三名ほどだ。皆が緊張した面持ちをしていたが、同時に、突如うら若き娘の姿に打って変わってしまった森の魔女が気になって仕方がない様子でもある。


「ほ、本当に、そなたに任せてもいいのか……?」

 領主が弱々しい声で呟く。魔女が年若い女性になったことで、いささか遠慮しているようだ。

「そんなもん、私の知ったこっちゃない。初めからこっちはそう言ってるんだよ」

 煮えきらない領主の態度に、魔女もさすがに業腹だ。ぶつぶつ呟いていると、兄弟二人が父を諌めるように前へ出た。

「父上、いい加減にしてください。なお彼女を疑おうというのですか? 初めから、彼女の行動に一つの間違いもなかったではないですか!」

「父上のお気持ちもよく分かります。ですが、他に道はないのもまた事実。ここは懐を広く構え、成り行きを見守って頂きたい」

「ぐ、ぐうう……」

 二人の息子に揃って諌められることなど滅多にないことだったのかもしれない、領主は二の句が継げない様子で押し黙った。そんな親子のやりとりを横目で眺めながら、魔女は生成したばかりの解毒剤を片手に、時の止まったままの彼らの母親の側へそっと身を寄せる。


 魔女は、解呪の言葉をゆっくりと紡いだ。彼女に直接触れれば問答無用で術は解けるが、身体にかかる負担が大きすぎるのだ。


 ――ほんのわずかの間。

 それから時は、動き出した。


「うっ! げほっ!」


 オーレリーの母親が、大きく咳き込んだ。

 それから身体を小さく丸めながら、ひゅーひゅーと喉を鳴らして苦しみに耐える仕草を見せる。


 さあ、悪夢の続きがやってきた。


「これを飲みなさい!」

 魔女は間髪入れずにそう告げると、無理やり彼女の顎を持ち上げ、手にしていた小瓶を口にあてがった。彼女は訳が分からない様子でもがこうとしたが、魔女がそれを許さない。

「解毒剤だよ! 飲めばすぐに楽になる!」

 魔女の言葉が届いたのかどうか、オーレリーの母親は、ほとんど無理やりという体で薬を口に含んだ。ごくり、と液体を嚥下えんかする音が確かに響く。それでもしばらく苦しみに悶えていた彼女だったが、その動きもやがて小さくなっていった。


「う……、ああ」

「母上」

 オーレリーがベッドの側へ一歩踏み出す。すると彼女は確かに視線を動かした。揺れる瞳で、それでも息子の姿を捉え、安心したように目元を緩める。それから完全に目を閉じて、枕元へと倒れ込んだ。


「は、母上!」

「大丈夫だよ、眠っただけだ」

 魔女は溜め息をつくついでに、教えてやった。

「本当に?」

「コアニンの毒にやられたなら、最後は痙攣が治まらなくなる」

 冷静な魔女の言葉に、オーレリーはその状況を想像したのか、整った顔を真っ青に染めた。

「本当の本当に、妻は助かったのだな!」

 疑り深さでは恐らく当家随一であろう領主が、重ねるように念を押してくる。魔女はあえてなにも言わず、黙って頷いてやった。これ以上この一家に無駄に噛みついて、話が長くなっても面倒である。

「よかった、本当によかった! ああ、これで一件落着だ!」

 ここ一番の晴れやかな笑みを浮かべ、領主は一人でしきりに頷いた。

 能天気オヤジめ。魔女は喉まで出かかった言葉を、それでもなんとか呑み込むことに成功したのだが。


「まだですよ、父上」


 すっかり気の緩んだ領主に、魔女に代わって釘を刺す一言――思った通り、声の主はユーベルであった。彼だけは、緊張した面持ちをわずかたりとも崩してはいなかった。場の面々をざっと見渡し、氷のような声で告げる。


「まだ、母上に毒を盛った犯人を確認していない」

 はっ、とその場の全員が息を呑んだ。

「林檎のつけ合わせとなるパンを用意したのは誰だ」

 彼の視線が使用人たちへ向けられる。傍目にも分かるほど身体を揺らし始めたのは、三人のうちの真ん中、栗毛の娘だった。確か彼女は、魔女がこの屋敷へ来た時に案内を任されていたうちの一人である。

「わ、わた、わたくしが、パンを、ご用意致しました。でも、奥様に、毒だなんて、全く、身に覚えが」

 歯の根が合わないまま、彼女はどうにかそれだけ答える。

「しらばっくれても意味などないぞ。林檎の毒じゃなかったことはもう分かってるんだ」

「でも、でも」

 泣き出しそうな娘の顔。そしてそんな彼女を冷ややかに見つめる、周りの面々。魔女は静かにその様子を観察していた。

「アイラ、君が……」

 オーレリーの悲しそうな声が、彼女の琴線に触れたのだろうか。突然娘はわっと泣き出した。

「本当に、違うのです! わたくしは奥様をお慕いしておりますのに! 毒など、誓って!」

「お前、いい加減に」

「ちょっと待ってくれないか」

 場の空気が白熱しかけたその刹那、魔女がぽんと一言を投げた。

「私も、その娘が毒を盛ったか疑わしいと思う」

 ゆっくりと、そしてしっかりと、言葉を繋げる。

「と、言うと?」

 まるで納得のいかない様子のユーベルに先を促され、魔女はベッドで眠る彼らの母親へと視線を向けた。

「まだ、アンタらの母親の膝上に、ティーセットのトレイが残っているね。用意されたパンは、かじられたものも併せて三切れかい。母親がどれを食べるかは分からなかったはずから、当然全てのパンに毒が入っているだろうね?」

 そう言いながら、魔女はトレイからパンを一切れ手に取った。躊躇もせず、それを自らの口へ放り込む。


「あっ」

 たった半日前の惨劇が、皆の脳裏に甦ったに違いない。言葉を失くしたまま呆然と立ちつくす顔ぶれを気にも留めず、魔女はパンを咀嚼した。


「……ううん、なんの異変も感じられないが」

 魔女は肩をすくめてみせた。

「本当にパンに毒は入っていたのかねえ」

「それなら、毒は一体どこから」

 領主の問いかけに答える代わりに、魔女はもう一度三人の使用人たちへ視線を向けた。

「ティーセット一式を用意したのは、アンタたちのうちの誰だい?」

「え……」

「もっと言えば」

 魔女はトレイの上から、バターナイフを取り上げた。

「このバターナイフを用意した人間だけ、分かればいい」

「――」

 その瞬間、二人の使用人の視線が、ただ一人をぴたりと捉えた。

 視線の真ん中に佇んでいるのは、赤毛の娘である。これも、やはり最初に魔女の案内を任された娘。メイと呼ばれていたのだったか。


「お嬢さん、アンタなんだね」

「……」

「この刃に、毒を塗った憶えは?」

「……」


 彼女は魔女の問いかけに答えなかった。

 いや、答えらえないのか。

 この娘は、言葉を話すことができない?

 ああ、ならば合点がいく――。


「アンタ、使い魔か」


 魔女の言葉に、はっ、とメイは顔を上げた。

 人形めいた無表情はそのままに、妖しい光が目に宿る。


 なおも魔女が追及しようとした、その瞬間。

 小柄な娘の体が、糸の切れた操り人形のように床へと崩れ落ちた。完全に床へ身を打ちつける直前に、娘は大きな蛇の姿へと変化する。これこそがメイという使用人の本当の姿に他ならない。


 蛇は他の使用人たちの足元を器用にすり抜け、逃げ出そうとした。魔女はすかさず手近な花を一輪手に取り、硬化の術と共にそれを蛇へと投げつけた。ナイフ同等の鋭さを持った可憐な花は、しっかりと蛇の尾を捕らえた――はずだったのだが。


 ――次の瞬間、蛇は黒い炎と共に燃え上がった。

 あっという間に、蛇と一輪の花は灰となって消えていく。


 これは、魔女の術ではない。


 蛇は何者かによって、始末されたのだ。




「どうにも釈然としない」

 不機嫌な表情を隠しもせず、ユーベルはそう呟いた。

 魔女は出された紅茶を飲みながら、そんな彼を横目で捉える。更にオーレリーは、出されたクッキーをつまみながら、そんな魔女を困ったように見つめていた。


 今は領主の屋敷の客間にて、三人テーブルを囲っているところである。

 魔女はあの後すぐに帰るつもりだったが、彼らの母親がもう一度目を覚ますまではと領主に泣き落とされ、こうして屋敷に留まるハメになったのである。まあ、気を失っているのも一時のことだ。まもなく彼女は意識を取り戻し、魔女はお役御免となるだろう。


「なぜパンではなくナイフに毒が仕込まれていたと分かったんだ」

「なんだろうねぇ、魔女の勘ってやつかね」

「勘で、毒が入っているかもしれないパンを食べてみせるのか?」

「あたしにコアニンの毒は効かないよ。耐性がある」

「……」

 ユーベルは胡散臭いものを見るような視線を魔女に向けた。

「言っておくが、勘と言えども、当てずっぽうとはまた違う。あの毒薬には、魔力が仕込まれていただろう。だからなんとなく『匂い』を感じ取れたのさ」

「そうだ、そこも分からない」

 ユーベルはなおも詰め寄った。

「毒を盛ったあの使い魔は、何者だったのか」

「メイという使用人は数年前から雇い入れていたんだったね? そんなに長く使い魔が人として暮らすことはできないだろうから、ごく最近、本人になりすまし、入れ替わったんだろう。本物の彼女がどこでどうなっているか、あたしには知る由もないが」

「……気づかなかったのは、迂闊だった」

「そうだねぇ。せっかくの魔術を見抜く能力は、宝の持ち腐れに終わったってこったね。怪しげな森の魔女だけでなく、普段から周りの人間に気を向けるこった」

「しかし、あれはなぜ母の命を狙ったのか」

「アンタたちに心当たりがなけりゃ、私に分かるはずがない」

「くそ、なんとしてでも捕まえて、口を割らせるべきだったな」

「使い魔ってのは、人に化けたところで基本的に人語を操ることはできないよ。捕まえたところで、何を知れたとも思えないがね」

 そこまで話が行きついたところで、これまで黙りこんでいたオーレリーが、意を決したように口を挟んできた。


「あの」

「なんだい」

「なぜ兄を、この場に同席させたのですか」

 なんとも不安そうなオーレリーの顔。


 魔女はゆっくりと瞬きをした。


 そう、この場にユーベルを呼んだのは、他ならぬ魔女なのである。


「それは俺も疑問だな。母上が目を覚ますまで、お前たち二人で待っていればいいだろうに」

「今回の報酬の件を、話したくてね」

 魔女は気が乗らないながらも、観念をして口を開いた。

 あまり話題にしたくない件ではあったが、いつまでも実のない会話で誤魔化し続けているわけにもいくまい。

 ――いやしかし、やっぱり止めようか。いやいや、臭いものに蓋をしても仕方がない。

 やはり、今切り出すしかないのだ。


「報酬って、どうしてまたこのタイミングで」

「そういえば、報酬の内容については決めていませんでしたが」

 嫌な予感がする、と、兄弟の顔に揃って書かれてある。

「今回の報酬は、要らないよ。その代わり、あたしの言うことを一つ聞いてもらう」

「つまり報酬を要求するのと同じだろう」

「全然違う! あたしにとってはひとっっつも旨みのない要求なんだからね」

 そこだけは宣言しておかねば。要求の中身だけを見られては、魔女の沽券に関わる。

 魔女は、すうと息を吸い込み、それから再び口を開いた。


「――ユーベル、あんた、しばらく私の洞窟に通いなさい」


 その直後の二人の顔といったら、なかなかの見ものであった。

 性質は違えど、やはり血の繋がった兄弟なのだ。愕然とした表情は、瓜を二つ並べたようにそっくり同じ。


(画家にこの顔を描かせて、屋敷の壁に飾らせてやりたいところだね)

 魔女はこの後の七面倒くさい現実から目を逸らし、そんなどうでもいいことを考えたのだった。

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