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魔女問答  作者: 秋月 アスカ
第六章 開かずの扉
21/26

(2)

 目が覚めて、魔女は深々とため息をついた。


 まだ真夜中もいい時間帯だろう。

 洞窟に朝も夜もないものの、それくらいの判断はつく。


 自分の寝床に、珍しく、黒猫の姿があった。

 魔女のすぐ側で体を丸め、すやすやと眠りこけているようだ。魔女は何とも言えない気分になって、その黒猫の首根っこを掴んで持ち上げた。猫特有の柔らかさと、血の通った温かさがある。


「にゃあ!」


 安眠を妨害された黒猫が、明瞭な抗議の声を上げた。

 夜行性の生き物だからか、どうやら眠りは浅かったようだ。


「どうしてお前がここで寝てる」

 黒猫は魔女の手から逃れると、そのまま少年の姿に変化した。

「乱暴なことをするなあ! ちょっとあなたの『気』を分けてもらおうと思って添い寝していただけなのに。四六時中側にいるのはお互い気持ちが悪いけど、眠っている時ならそれほど気にならないでしょう?」

「大いに気になるね」

 第一、と魔女は鼻を鳴らした。

「私はアンタの主人になるつもりはないと言ったはずだが?」

「まあそれは、おいおい考えるってことでいいじゃない。それよりも、随分夢見が悪かったようだけど、大丈夫?」

「……」

 魔女が黒猫を睨むと、猫はわずかに肩をすくめた。

「別に、夢を覗いたわけじゃないよ。そんなに怖い顔しないでってば」

「そうかい、そうかい。思いもかけず暑苦しい毛玉が人様の寝床に入り込んでいたからか、確かに悪夢を見たようだ。さあさあ、私の安眠のためにも、さっさとここから出ておいき」

 しっしっ、と追い払う仕草をすると、黒猫はまたもとの黒猫に戻り、不満そうな眼差しを向けながらもおとなしく寝床から飛び降りた。


 そこへやって来たのは、使い魔のカラスである。


 黒猫と入れ違うようにして魔女の寝床に降り立ったカラスは、そのくちばしに何かをくわえている様子だ。実際のところ、明かりを落とした薄暗がりの中ではほとんど何も見えやしないのだが、その「何か」がほのかに魔力を帯びていたことで、それと判別できた。


「戻ったか」

 魔女は術で部屋に明かりを灯した。

 カラスのくちばしにあるものは、明かりの下でもなおよく見えない。差し出した手のひらに乗せられたのは―― 一本の、長い髪の毛だ。

「よくやった」

 魔女はわずかに口の端を持ち上げると、寝床から抜け出し、魔道具を漁りついでにカラスへ褒美の餌をやった。すぐに道具の山から小さな巾着を見つけ出すと、失くさぬよう注意しながら髪の毛を仕舞い込む。

 抜け落ちた髪の毛は、時間が絶つほどに「呪具」としての効力を失う。

 だから、時が来るまでは特別な術を施した袋なり箱なりに入れて保管しておかなければならないのだ。


 黒猫が魔女の足にまとわりついてきた。

 この髪の毛の持ち主が誰であるか、聡いこの猫ならば十分に理解していることだろう。

「明日、動くよ。何ならお前は飼い主のもとへ戻ってもいい」

「にゃあ」

 心外だ、とでも言うように黒猫は鳴いた。

 そしてそのまま洞窟の隅で丸まると、寝息もたてずに眠り始めた。



 日が昇ると、すぐに魔女は動き出した。


 いつもの黒いローブを身にまとう。

 だがしかし、その中身は老婆ではない。魔女は変化の術を使わずに身支度を済ませると、カラスと黒猫を連れて洞窟を後にした。


 いかにもな風貌に、お供のカラスと黒猫。子供にだって、この一行が何者であるかは容易に想像がつくというものだろう。街中を行く人々があからさまに彼らを遠巻きにしているものの、そんなことには全く頓着しない魔女である。


 やがて、領主の館が近づいてきた。

 カラスは高く飛び上がり、館の周囲をぐるぐると旋回している。黒猫は魔女の足元にぴったりと寄り添いつつ、決して蹴り飛ばされない器用な距離を保っていた。


 館の門戸を叩くと、すんなり魔女は通された。


 広い玄関に、領主夫婦とその息子二人、それに国家魔術師達が総出でお出迎えときたものだ。ただでさえ気が進まない訪問だというのに、ずらりと並んだその面子を前に、魔女の心は鉛よりも重く沈み込んだ。

 だがしかし、この期に及んで逃げ帰ることなどもちろんできない。そもそも、逃げるくらいなら初めから自分の足で乗り込んだりはしていない。


 ――もう、後戻りはできないのだ。


「おお、魔女殿、よくぞいらっしゃった」


 最初に口を開いたのは、領主その人である。

 彼の第一声から、既にこの場の全員が魔女の「正体」を知っていることは想像がついた。


「私の使い魔が、森を出たあなたの様子を伺っておりました。それで、こうして皆さんとご到着をお待ちしていた次第なのです」

 国家魔術師のサラシャが、尋ねてもいない事情を説明してくれた。彼女の肩には、純白の美しい小鳥。それが彼女の使い魔なのだろう。

 そして彼女のすぐ側には、また別の国家魔術師の姿があった。

 四十手前と見える壮年のこの男を、魔女はかつて見たことがある。遠い昔にまだ魔女が城で暮らしていた頃、父の部下として働いていた魔術師の一人が彼だったはずだ。

 相手も魔女にかつての少女の面影を見たのだろう、強張った表情で魔女の姿を凝視している。


「それで、魔女殿」

 サラシャが落ち着いた声で言葉を続けた。

「今日こちらにいらっしゃったのは、どういうご用件でございましょう? はぐれ魔女ディージアの件でしょうか、それとも、あなたご自身の身の振りについて?」

「――そのどちらもだ」

 魔女ははっきりと答えた。

 それから、場の面々をぐるりと見渡す。

「どうやら私の出自については、今更隠し立てしても無意味なようだね。私は、現国家魔術師長ウィレッツの娘、リシュール=ウィレッツだ。子供の頃に家を出て、大魔女ベリアメルに拾われた。今は彼女に代わって『森の魔女』を名乗り、洞窟に住み着いている」


「お嬢様……、本当に、リシュールお嬢様なのですね」

 震える声で、魔術師の男が語りかけた。

 一歩足を踏み出した彼に、魔女は剣呑な眼差しを向ける。しかしそんな彼女の視線を気にした様子もなく、男は更に言葉を続けた。

「憶えておいででしょうか、私はお父上の部下のマーティンです。魔術省に遊びに来られたお嬢様と、何度かお話させて頂いたことがありました。……昨晩、領主殿からあなたの話を聞かされた時には、にわかには信じられない思いでしたが。ああ、しかし、そのお父上譲りの真っ直ぐで歪みのない魔の気質。間違いない、本当にリシュールお嬢様だ」

 魔女は苦虫を噛み潰したような表情になった。今更「リシュールお嬢様」として扱われる以上に気持ちの悪いことはない。もはや、魔女は魔女なのだ。それ以外の何者にもなれないことは、自分が一番よく知っている。

「お嬢様。とにかく一度城へお戻りください。そしてウィレッツ魔術師長とお会い頂きたい。もちろんご心配は無用です。幼いお嬢様が魔女に連れ去られ、魔女としての生活を強いられていたからといって、誰がそれを咎めることがありましょう。やっとまた、元の生活に戻ることができるのですよ。お父上もずっと、あなた様のことを」


「……アンタに言いたいことは二つだ」

 魔女は白けた声でマーティンの言葉を遮った。


「一つは、私を『お嬢様』だなんて金輪際呼ばないでもらいたい。おぞましくて虫唾が走る。――そしてもう一つ。はっきり言っておくが、私には城に戻る気なんてさらさらないんだ。こうなってしまった以上、何事もなく見逃してもらえるとは思っちゃいないがね。今日ここへやって来たのは、アンタ達に干渉は不要と告げるためでもある」

 魔女の応えを受け、マーティンは信じられないとでも言うように目を見開いた。

 お咎めなしで国家魔術師の庇護下に戻れるという「寛大」な処置に、涙を流して感謝するとでも思っていたのだろうか。


 魔女は改めて一同を見渡した。


「本題に入ろう。はぐれ魔女ディージアを捕える下地が整った。今夜、仕掛けるつもりだ。領主一家も、国家魔術師どもも、あの女には手を焼いているのだろう。だったらここは、一つ手を組もうじゃないか。そして、事が首尾よく運んだ暁には――」


 不意に、オーレリーと目が合った。

 魔女は、感情を押し殺したまま、するりと視線を外す。


「――私はこの領地から出ていこう。そして二度と一家を煩わせることはない。ただし、だ。当然ながら、城へ戻る気も毛頭ない。だから、私の行方については干渉せず、私という魔女の存在も黙認してもらいたい。なに、それほど悪い話じゃないはずだ。国が認めていないとはいえ、はぐれ魔女なんてどこにだって潜んでいるもんなんだからね。私はこれからも、裏社会で細々と生きていければそれでいい」

「おじょ……魔女殿、それは!」

 マーティンが食い下がってくるが、魔女は首を横に振る。

「何があっても、国家魔術師のもとに降ることだけはあり得ないよ。もしアンタや父親たちが、ほんの少しでも私を憐れんでくれるのならば、どうか私のことは見逃してくれないか」


「魔女殿の仰る旨は、よく理解できました」

 女魔術師のサラシャが冷静に話を引き受けた。

「しかし、私どもの一存で結論を出せるお話ではありません。この場では、魔女殿のご意向を承るまでに留めさせて頂きましょう。魔術師長へは、私どもが責任を持ってご報告させて頂きます。今は、それでお許し願えませんでしょうか」

 サラシャの言うことはもっともだ。彼女たちに、魔術師長の娘の何を決められるわけでもない。そんなことは魔女自身も重々承知である。ディージアを捕えようというのだって、もともとは姉弟子の不始末を野放しにはできない魔女の勝手なプライドの問題だ。本来、駆け引きの材料になるとも思っていなかった。

「それでいい。とにかく今は、ディージアを捕えることに専念しよう」

 魔女が頷くと、領主は明らかに安堵したような表情になった。

「そうですな、サラシャさんと魔女殿の言う通り。まずは今夜、必ずディージアを捕えましょう! そのために必要なものがあれば、こちらで全て手配しますぞ」

 全く、現金な男だ。だがしかし、領主の気持ちも分からないではない。目の前の魔女の身の上話よりも、妻に仇なす悪しきはぐれ魔女を捕える方が、彼にはよほど重要なのだろう。


 ともあれ、こうして玄関で長く立ち話を続けていた魔女達は、ようやく奥の部屋へと歩みを進めることができたのだった。



 その後は、すぐに今夜に向けての打ち合わせと下準備に取りかかった。


 一室でひたいを突き合わせているのは、魔女とサラシャ、そしてオーレリーとユーベルの四人だ。領主夫婦はあの後すぐに来客の予定があったため、早々に別室へ消えてしまった。もう一人の魔術師マーティンはといえば、密かに夫婦の護衛についている。


 サラシャの話によれば、現在、彼ら魔術師は、当番制でこの屋敷に駐在し、使い魔を駆使して魔女ディージアの様子を監視し続けているのだという。

 そのディージアといえば、以前ユーベルに聞いた通り、とある地方の領主の愛人の座に収まり左団扇の生活をしているらしい。

 愛人とはいえ実質的には正妻よりも権力を持っている状況で、金を湯水のように使ってやりたい放題だというから、国としても頭の痛い問題であるようだ。

 実害が出ているのならばさっさと国が介入すればよいと魔女などは思うのだが、事がそう簡単には運ばないのがお上の世界というやつだ。各領地には「領主権」というものが存在し、国への謀反を企てるなど余程のことがなければ、国王とてみだりに領内の統治に口は出せない。今回のディージアの一件もまた、彼女が魔女であるという明確な証拠がない限り、国として動くことは難しいのだろう。

 そんな訳で、国がディージアを捕えようとするならば、秘密裏に動かねばならなかった。

 だからこそ、今回の騒動は国にとってまたとない好機なのである。


「それで、魔女殿はどのようにして仕掛けるおつもりで?」

 サラシャの問いかけを受け、魔女は懐から小さな袋を取り出した。

「ディージアの毛髪を入手した。これであの女を夢繋ぎの術にかけようと思う」

「夢繋ぎの術? ……しかし、相手も魔女。素直に術にかかるでしょうか」

「もちろん、そのためのエサも他に用意する。今のディージアが一番欲しくてたまらないものをね」

 そう言って、魔女は足元に丸まっていた黒猫の首根っこを持ち上げた。

「……その猫は?」

 ユーベルが怪訝そうに眉を顰めた。

「元はディージアの使い魔だ。アンタはもう忘れたかい? 社交パーティーの折に、私達を庭まで誘い出した、あの時の猫だよ」

「こいつが!」

 ユーベルが声を荒げると同時に、黒猫は身をよじって魔女の手から逃れた。そしてそのまま少年の姿に変化し、魔女たちからわずかに距離を取ると、猛烈な抗議の声を上げる。

「もう! 乱暴に掴まないでってば。本当に、あなたは弱者に対する愛護精神というものがとことん欠落しているよ! 第一、どうして僕があなたに手を貸す前提になってるの? 勝手だ、横暴だ、断固拒否する!」

「これが、使い魔? 人の子にしか見えません」

 サラシャは、信じられないものを見たとでもいうように、目をまん丸に見開いて黒猫もとい少年を見つめている。

 魔女は、周囲の驚きにも当人の怒りの声にもまるで慌てた様子はなく、ただニヤリと笑って見せた。

「おやおや、アンタこの間言ってたじゃないか。ディージアの行く末を、その目でしっかり見届けたいってね。だからとびきりの特等席を用意してやったんだろう? ――いいかい、アンタはこの兄弟の母に化けて、ディージアを夢の中に誘い込むんだよ。あれは今、魔力を失いながらも自ら動くことができず、やきもきしている。こちらから仕掛けてやれば、それが罠であろうと飛びかからずにはいられないはずさ」

 黒猫は、心底嫌そうに顔を歪めた。

「はあ、全く。その横暴ぶり、まさに森の魔女らしい鬼畜の所業だね。いたいけな猫の僕に、元の主を罠にかけるような真似を強要するだなんて」

「そりゃあどうも。だって私は、森の魔女だからね」

「嫌な女!」

 黒猫はそっぽを向き、それから元の猫の姿に戻った。


 そのまま再び魔女の足元で丸まったあたり、何だかんだと魔女の脅迫――いや、頼み事を受け入れてくれたようだ。魔女はほんのわずかに目元を綻ばせて、それから猫の黒い背中を一撫でしてやった。

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