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魔女問答  作者: 秋月 アスカ
第四章 天秤は気まぐれに傾く
13/26

(4)

 その男は、歳の頃は三十より少し手前といった程度だろう。

 美男子とは言えないが、特別劣った容姿でもない、人の印象に残らない地味な顔立ち。そこに、今夜のユーベルに負けず劣らずの、いかにも作り物めいた笑みを貼りつけていた。


 男は、どこともなく周囲を見渡しながら、時折手の中のワイングラスを口元へ運んでいる。そうしてゆったりと人波を縫って歩く様子は、この場に彼の顔見知りがほとんどいないことを示していた。


「あいつだね」

 魔女は人混みに紛れつつ、じっと男を観察した。

 意識しなければ気づけなかった。だが、今ならはっきりと分かる。ユーベルの睨んだ通り、彼からかすかな魔力が滲みでているのだ。


 魔女は舌打ちでもしたい気分になった。招かれざる客を見つけるのが己の仕事だというのに、その務めはまるで果たせず、結果的にただユーベルの虫除けとしてフロアをうろついていただけだったというわけだ。いや、もちろん、領主一家のために粉骨砕身働くつもりなどは端からない。だが、技量を見込まれ頼まれた仕事に失敗するというのは、魔女にとっては耐え難い屈辱だった。


「絶対あいつを捕まえるよ」

 密かに握りこぶしを作りながら、魔女は低く呟いた。


 それでも、今日の魔女は若く淑やかなレディである。勇み足になりそうなところを何とかこらえ、踊るような軽やかな足取りで男の側へと近寄っていく。さてこのまま男の腕を引っ掴んでいいものか。ダンスホールで大きな騒ぎを起こしては、後々面倒なことになるかもしれない。距離を詰めつつも逡巡していた魔女だったが――男の方が、不意に動いた。


 ちらりと魔女へ一瞥をくれると、浮かべていた笑みをぐっと深めたのだ。その瞬間、確かに男は魔女を認識した。いや、もしかしたら舞踏会の初めから魔女の存在に気づいていたのかもしれない。ここへ来てからわずかたりとも術を行使していない魔女だったが、長年の時を経て体に染み付いた「魔」の気配を感じ取ることも、高位の魔術師ならば可能だろう。


 一瞬、魔女は気後れする。その隙をつかれた。魔女の足が鈍った間に、男は踵を返して悠然とフロアを出て行ってしまったのだ。


「どうした?」

 後を追いかけてきたユーベルが怪訝そうに魔女へ声をかけた。

「いや」

 魔女は小さく頭を振って気を取り直した。

 男が深く微笑んだ瞬間、彼から放たれる魔力の気配が大きく膨らんだのにはもちろん気がついた。彼は魔女を挑発したのである。ようやく“闖入者”の存在に気がついたか、愚かな魔女よ。こちらはすっかり待ちくたびれた――そんな彼の台詞が聞こえてくるかのようだった。


「逃げられた。すぐに後を追おう」

 そう言いながらも、魔女は冷静に部屋全体へ視線を滑らせた。

 領主とその妻は、今は豪奢な椅子に腰掛け、華やかな会場を眺めながら歓談をしている。周りに怪しい影はない。

(向こうは問題なさそうだ)

 ならば、さっさと男を捕まえてやらなければ気が済まない。魔女は勢い込んでフロアを後にした。


 意外にも、男の背中がまだ見える。彼は魔女たちから逃げているわけではないのだ。追いたいなら追えばいいと、その背中が誘っていた。彼にしてみれば、魔女たちなど恐るるにたらない存在だとでも言いたいのだろうか。


「待ちなさい!」


 ちょうど男は角を曲がった。その先は階段だったはずだ。

 魔女とユーベルも急いでそれに続いた。階段を下る男の軽快な足音が響いている。険しい表情でその足音を追う魔女たちを、通りすがりの招待客らが驚きながら見送った。



 男が向かったのは、屋敷の中庭だった。

 それほど広くもない庭だが、今夜のために、魔道具の照明で美しく照らし上げられている。


「――なかなか素敵な庭だね」


 不意に男はぴたりと足を止め、続く魔女たちを振り返った。

 夜の気配に溶け込んでしまいそうな、怪しくも脆い存在感。その中で、彼の瞳だけが爛々と輝いている。男が常人ではないと、魔女でなくとも嫌でも分かるというものだった。

「この屋敷は全体的に気に入ったよ。じっくり探索してみたくなるな」

「生憎と、招待客のリストにあなたは入っていないようだが」

 ユーベルが魔女の前へ一歩を踏み出した。彼が鋭く睨みつけると、男はおどけたように肩をすくめる。

「おお、嫌だ嫌だ。そうやってすぐ人の本性を暴こうとするの、止めた方がいいよ。敵意のない相手に向かって失礼じゃない?」

 男は見た目とは裏腹に、どこか子供っぽい口調でユーベルを咎めた。目の前の男は、本性を隠している。姿形も偽りのものに違いなかった。


「敵意はなくとも、悪意はあるだろう」

 ユーベルは全く容赦をしなかった。


 一際強い力でもって、相手の魔術を解きにかかる。術を一切行使していない魔女でさえ、ユーベルの相手を捻り潰すような強力な魔力に目まいを覚えた程だ。それを真っ向から受け止めている男の方も、流石にたまったものではなかったらしい。わざとらしく両手を上げて降参のポーズをとった。


「分かった分かった、僕の負け。でも、少しくらい手加減してよ。僕の術が解けたら、君たちと言葉を交わすことすらできなくなってしまうんだから」

「どういう意味だ?」

「本当は僕もこんな面倒なこと、引き受けたくなかったんだよね。だけどまあ、長いこと僕のご主人だった人だしさ。今となってはどうでもいい存在だけど、最後くらいは餞別代わりに協力してあげてもいいかなって」


 魔女はぐっと眉間にしわを寄せた。

 ――しまった、こいつ。


「それと、そこの魔女さんに会ってみたかったってのもある。会ってみて拍子抜けしたけどね。あのベリアメルの弟子がこの程度なんてガッカリだ。新しいご主人候補その三くらいだったけど、やっぱり論外」


 彼の視線が刃物のように魔女を刺した。直後、「彼」を形作る輪郭が急激にぼやけ始める。ユーベルの魔力が効いたのか、それとも男が自ら形を崩したのか。


 男の本性が次第にあらわになっていく。

 どんどん小さく縮んでいく黒い影は、明らかに人間のものではなかった。


 後に残ったのは、一匹の、しなやかな黒猫だ。


「使い魔か!」

 魔女が忌々しげに言い捨てると、黒猫はそれに応えるように「にゃあ」と鳴いた。それからひょいと近くの垣根を越えて、姿をくらましてしまう。


 ――全くもって、してやられた!


 人外の生き物が魔術を行使する時、「それ」は必ず魔術師の主を持っている。当然、正体が黒猫であったからには、あれも使い魔に他ならない。あそこまで滑らかに人マネをやってのける使い魔がいるとは驚きだが、そのせいで魔女は完全に相手の思惑にはまってしまった。

 あの黒猫は、魔女とユーベルをおびき出すためのエサなのだ。

 今こうしている間に、主である魔術師は、きっと――。


「すぐにダンスホールへ戻ろう」

 ユーベルが冷静な声で提案した。はらわたが煮えくりかえりそうな気持ちをどうにか鎮めて、魔女はぎこちなく頷く。


 ああ、本当に腹が立つ。腹が立って腹が立って、気が変になりそうだ。間抜けな自分に対するそこはかとない怒りを、どこへ押しやればいいのだろう。


「急ぐぞ。今ならまだ間に合うかもしれない。細かいことは、全部後だ」

 魔女の穏やかでない心中を察したのだろう、ユーベルはしっかりと釘を刺した。彼の言葉に、魔女はどうにか顔を上げた。

 間に合うかもしれない……いや、間に合わせなければならないのだ。



 ホールを出ていった時の十倍の慌ただしさで駆け戻って来た魔女たちは、先程と変わるところのない、軽やかな楽団の演奏と招待客の甲高い笑い声によって出迎えられた。皆、何事もなかったかのように相変わらずダンスに興じている。


 舞踏会の開催主である領主夫妻も、変わらず上座に腰掛け互いに談笑していた。彼らの周囲に密かに配置されている警備の人間たちも、異変を察知した様子はない。


「なんだ? さっきの猫は囮じゃなかったのか?」

 ユーベルが怪訝な声で呟き、周囲を見渡す。

 一方の魔女は、ホールに入ってすぐに気がついていた。

 ――このホールのどこにも、


「オーレリーの姿が、見えない」


「なに?」

 ぎょっと目をむいて、ユーベルもすぐさま弟の姿をホールに探した。が、彼もやはり魔女と同じ結論に達したようだ。眉間のしわを一層深めて、低い声で呟いた。

「どういうことだ。暗殺者の狙いは、母だけじゃなく、俺たち一家全員だったのか?」

「とにかくオーレリーを探すよ。単に疲れて別の部屋で休んでいるだけかもしれないし」


 魔女は言いながら、自分でもあまりに楽天的な見解だと分かっていた。意味あり気に自分たちを誘い出したあの黒猫の存在を考えれば、その間に何かしら別の思惑が進行していたと考える方が自然である。


 魔女たちは、ホールの一角で固まって話しこんでいる若い娘たちのところへ足を向けた。先程までオーレリーを囲んでいたはずの集団である。彼女たちならば、オーレリーの行く先を知っていてもおかしくはない。


 案の定、彼女たちは事の顛末をよく承知していた。

 ユーベルが声をかけるや否や、鼻にかかった甘い声で我先にと自己紹介を始めた彼女たちだったが、話がオーレリーの件に及ぶと、今度は憤然とした様子を隠そうともせず、口々に不満をぶちまけ始めてくれた。曰く、


「私たち、皆で仲良くオーレリー様とお話ししておりましたの」

「オーレリー様は私どもに分け隔てなく接して下さって、それはそれはとても楽しい時間でした」

「それだというのに、後からいらした一人のご令嬢が、あっという間にオーレリー様を誘い出してしまわれて」

「オーレリー様は、まるで魔法にかかったみたいにぼんやりとした表情で彼女の後について行かれ」

「私たちはこうして取り残されてしまったんですわ」

「一体、どちらのご令嬢だったのかしら。あまり見ないお顔でしたけれど」

「私たちにはろくなご挨拶も頂けませんでしたものね」


 話はここからが本題だと言わんばかりに息巻き始めた彼女たちだったが、際限なくそのご令嬢とやらの悪口を聞かされるのは敵わない。魔女たちは愛想笑いを浮かべてやんわりと彼女らの話を遮った。とにもかくにも、どうやらオーレリー達はテラスへ連れ立っていったようだ。


「ユーベル、私がテラスの様子を確認してくる。あんたは両親のそばについててやりな」

 当然のように魔女と共にテラスへ向かおうとしたユーベルを手で制し、魔女はきっぱり告げた。ユーベルは納得のいかない様子で口を曲げる。

「何を今更」

「今だから言うんだよ。『暗殺者』にとっちゃあ、これからが本番だろうからね。当初の通り、あんたの母親が狙いだってんなら、今こそ注意が必要だ」

「そうかもしれないが……」

「オーレリーのことは、私に任せな」

 それでもなお何かを言い募ろうとするユーベルを無視して、魔女は踵を返した。こんな場面で聞き分けのない子供のように駄々をこねる男ではあるまい。



 テラスに出てみると、そこは思った以上に広かった。

 フロアをぐるりと囲む形になっており、手の込んだ装飾の柱が等間隔に並ぶ間から、遠くまで見晴らせるようになっている。今は陽が落ちてよく見えないが、眼下にはちょうど街の中心が広がっているようだ。


 テラスには既に先客が何組もいて、魔女を戸惑わせた。

 ダンスホールで気の合った男女が、二人きりの世界を求めてこちらにやってきているらしい。なるほど、わざわざ灯りの抑えられたこのテラスは、カップルが愛を語り合うのにぴったりだ。ユーベルを置いてきて正解だったと魔女は辟易せずにはいられなかった。こんな雰囲気の中をあの男と二人で練り歩くなど、居たたまれないにもほどがある。


(この中のどこかに、オーレリーがいるんだろうか)

 そう思うと、今度はなぜだかこれまでとは違う意味で、無性に腹が立ってきた。

 全くあのバカ男は、こんな時にどこの馬の骨とも知れない女と二人きりでフラフラと出歩くだなんて、無防備にもほどがある。母親の命が狙われた理由が分からないなら、自分が狙われる可能性も十分考慮し、気を引き締めておくべきだったのに。

 そもそも、頼みを聞いてわざわざこんなところまで出向いてやったというのに、魔女に礼の一つも寄こさないとはどういう料簡なのか。どころか、魔女がホールに入っても、視線を合わせることすらしなかった。手放しで喜び、駆けつけられても迷惑だが、ちょこんと会釈をしてみせるくらいの気配りはあってもよかったのではないか。


(……ああもう、嫌になる、本当に!)


 差し当たっての問題とはかけ離れた方向へ憤りを募らせているのは、魔女自身自覚している。だからこそ、そんな自分が嫌で仕方がないのだ。もっともっと嫌なのは、先程からオーレリーの存在に感情を乱されがちになっているという事実。

(恋に目覚めた年頃の小娘でもあるまいし)

 魔女は心底憂鬱げに溜め息をつき、それから気を取り直してテラスを見渡した。


 今は馬鹿馬鹿しい問題に心を揺らしている場合ではない。

 見たところ、このテラスはそのまま隣の棟まで続いているようだ。今日ばかりは男女の語らいの場となっているが、普段は棟と棟の渡り通路として使われているのだろう。


 不躾にならない程度に、男たちの顔を確認して歩く。ああ、何とも屈辱的な作業! オーレリーを見つけ出した暁には、絶対にガツンと言ってやろう、と魔女は静かに決意した。


(いた)


 オーレリーは、一際目立たぬ柱の陰に佇んでいた。

 闇夜に溶け込んでしまいそうな、淡い金の髪が風にさらりと揺れる。そんな彼が少し俯き気味なのは、目の前の小柄な娘と視線を合わせるためだ。そう、彼の向かいには、華奢な一人の娘の姿がある。

 距離があるせいで二人が何を話しているのか魔女には分からないが、少なくとも事務的な事柄を話しているような雰囲気ではない。


(ああ全く、くそ)

 湧きおこる不快感を腹に押し込め、魔女はこっそり深呼吸をした。


 こうして魔女が比較的簡単にオーレリーを見つけられたのには訳があった。

 相手の女から、ほんのわずかに魔力の気配が滲んでいたのだ。

 恐らくは先程の黒猫と同じように、この主も姿を魔術で偽っているのだろう。しかし、こうまで巧妙に魔力を隠すとは、相手も只者であるまい。言い訳にしかならないが、媚薬を混ぜた香水を身にまとう他の女たちの方が、よほど“魔力臭い”ではないか。


 とにかくも、オーレリーのお相手がただの娘でないことはもはや明らかだ。

 魔女は表情を引き締めて、ゆっくりとオーレリー達へ近づいた。

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