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魔女問答  作者: 秋月 アスカ
第四章 天秤は気まぐれに傾く
10/26

(1)

 男の嫉妬ほど見苦しいものはないと、魔女は常々思っている。


 では女の嫉妬は微笑ましいかと言えば、別にそういうわけではない。むしろ、陰惨・陰湿・卑劣で冷酷、悪魔でさえも逃げ出すような所業を平気で行うのは、嫉妬に駆られた女の方だ。


 魔女はこれまで、そうした女たちと幾度となく向き合ってきた。もちろんそれは、仕事の上での話である。

 彼女たちが魔女に何を依頼するのかと言えば、これがまた十人十色。邪魔な女をひと思いに殺す毒薬ならばまだ「思いやり」のある方で、顔がただれる薬だとか、髪が抜け落ちる薬だとか、魔女の想像の範疇すら超越するえげつない依頼を寄こす者も数多い。下手に被害者たちから恨まれても面倒だから、そうした依頼を受けたことは一度もないが。


 しかし、自らの感情に基づいて、そうまで徹底して邪魔者を排除しようとするならば、むしろ清々しいと魔女は思う。

 ただ延々と愚痴を言っているようなのは頂けない。面倒くさく、扱いづらい。

 そして大抵、こうした行動を取るのは男の方なのである。

 断っておくが、別に統計を取ったわけではないので信憑性については保証しない。どころか観察対象は一人である。そこから推察しての結論なので悪しからず。いや、そもそも結論などはどうでもいいのだが。


 とにかく魔女が言いたいのは、目の前のこの面倒くさい男を誰かどこかへやってくれということだけだ。


「アンタもねえ、男のくせにいつまでもグダグダ言ってるんじゃないよ」


 魔女は皺だらけの手に棒を取り、大鍋の中身をかき混ぜながら、溜め息と共にそう言った。


「グダグダ言っているわけではありません。これは正当な抗議です」


 そんな魔女の背中に、若い男の声がかかる。魔女が振り返りつつ胡乱な視線を投げてやると、薄暗い洞窟の中、古びた椅子に腰掛けるオーレリーの姿があった。何とも生意気なことに、憮然とした表情でこちらを睨んでいる。


「なぁにが『正当な抗議』だい。あたしがいつどこで何をしようと、あんたから抗議を受ける謂われはないね」

「まだそんなことを言っているんですか?」

 オーレリーは立ち上がり、憤然と魔女の側へ歩み寄った。

 今日の彼は、えらくお怒りだ。今日というか、ここ最近は常にお怒りだから手に負えない。


「あなたへの僕の気持ちは、もう十分お分かりのはずでしょう。それなのにこんな仕打ちを受けて、黙っていられるはずがない」


 皺だらけの魔女の顔を覗き込むようにして、オーレリーは言い放った。こう直球で来られると、さしもの魔女もたじろいでしまう。長らく恋愛云々とは無関係の日々を送ってきたので、自分に好意を向ける相手をうまくあしらう方法が分からないのだ。特にこのオーレリーという若者は、皺くちゃの婆である魔女に長らく恋心を抱いている変人なのだから、いわゆる正攻法では追い払えまい。


 オーレリーがこうも不機嫌なのには訳があった。


 魔女が魔女暮らしを満喫している森の奥のこの洞窟、普段訪れるのは、魔女に相談事がある人間だけだ。やれ惚れ薬を作ってくれだの、怪我を治す薬を作ってくれだの、依頼の内容は多岐にわたる。オーレリーも、初めは魔女に恋愛相談を持ちかけるべくやって来た。いつだって魔女は来訪を受ける立場。これまで魔女が自ら人を招いたことは一度もない。


 しかし、つい先日、初めて魔女が人をここへ「招く」事態が発生した。

 その相手というのが、オーレリーの実の兄、ユーベルなのである。

 断っておくが、魔女とて好き好んで彼を自らの住処へ招待したわけではない。のっぴきならない事情があり、止むに止まれず、しょうがなしに呼んだのだ。だが、そこをオーレリーは納得しない。


「兄をここへ呼ぶのは絶対に反対です。しかも、週に一度通わせているだなんて。僕には用もないのに来るんじゃないと冷たく言い放ったその口で、週に一度自分に会いにやって来いと、あなたは!」

「微妙に解釈を捻じ曲げるんじゃないよ! 私に会いに来いなんて、一っ言も言ってない!」

 魔女はめまいを覚え、眉間を指で強く押さえた。


 ユーベルをこの洞窟へ通わせるのには、正当な理由がある。

 彼に魔術を教えるためだ。


 もともとユーベル自身、魔術の習得など望んでいないし、魔女もできることなら放っておきたかった。だが、そうもいかないことを嫌というほど魔女は理解していた。彼は、放っておくには危険なほどの、非常に強い魔力の持ち主なのである。


 魔術を使うのに必要なのは、まず第一に「魔力」。そして魔力を操る「素質」。そして「発想力」。それから「知識」だ。これら全てを習得することで、自在に魔術を操ることができる一流の魔術師となれる。逆に言えば、そもそもの魔力がなければ、どれだけ豊かな発想力を持っていようと、どれだけ深い知識を得ようと、魔術を行使することはできない。努力だけではどうにもならない壁が存在する、それが魔術というものなのである。


 時折、本人は全く魔術師になるつもりがないのに、魔力にだけはやたらと恵まれた人間が存在する。そういう人間は非常に厄介だ。なにせ、その魔力を制御する術を知らない。というより、そもそも制御するつもりがない。そうなると、魔術の垂れ流しという現象が発生する。特に周囲に影響を与えない者もいるが、まるで台風のように周りを巻き込む種類の人間もいるのだ――そしてユーベルは、完全に後者であった。


 しかも、ユーベルの場合、ただ強力な魔力を抱えているだけでなく、素質もかなりあると見える。初対面の魔女が老婆の皮をかぶっていたことにもすぐに気がついたし、あげくの果てには、その魔女の変化術を眼力だけで無理やり解いてしまったのだ。あんなことは魔女にとっても初めてで、にわかには信じられないほどだった。ユーベルは、特に相手の魔術を無効化する能力に優れている。それは間違いなかった。


 もしこのまま放置すれば、彼の魔力はますます暴走することだろう。思いもよらぬところで人を傷つけるかもしれない。積極的に魔術を使うつもりがなくとも、それを制御する術を知っているか否かでは、大きな違いだ。そういう意味で、魔女はユーベルをこの洞窟に通わせることを決めたのだ。


 あともう一つ、魔女には心積もりがあった。


 先日、オーレリーとユーベルの母親が、何者かにより毒を盛られる事件があった。

 犯人は、屋敷の使用人。しかし、単なる使用人ではなく、魔術を操る「使い魔」だったのだ。使い魔の背後には、もちろん、主人である「魔女」がいる。暗殺を目論んだ黒幕やその狙いは分からずじまいだが、今後同じようにオーレリー達の母親が狙われないとも限らない。その時に、ユーベルが正しく己の魔力を操る術を習得していれば、彼が母を守ることができるかもしれない。魔術の無効化、それはあらゆる魔術師にとって脅威の技だ。


 初めは洞窟通いを渋っていたユーベルも、魔女の考えを知って考えを改めたようだ。本人も、自分の能力が肝心な場面で活かされなかったことに思うところがあったらしい。それ以来、嫌々ながらも、きちんと週一回、ユーベルはこの洞窟に姿を現している。彼の父である領主も、そういう事情ならばと息子の洞窟通いを容認しているようである。

 納得していないのは、本来関係ないはずのオーレリーただ一人であった。


「リシュー、お願いです。兄と二人きりになるような真似はよしてください」

 オーレリーは、潤んだ瞳を真っ直ぐ魔女へと注ぎ、彼女の手を両手のひらで包み込んだ。

「あのねえ、何度も説明しているが、これはアンタ達一家のためのボランティアなんだよ。感謝されこそすれ、嫌がられるのは心の底から心外だ」

「なら、兄に代わって僕が魔術を学びますから」

「アンタじゃ力不足だね、残念だけど」

 オーレリーは魔女の手を握りしめたまま、しゅんと項垂れた。ほんの少し可哀想な気がしなくもないが、こればっかりは仕方がない。とはいえ、オーレリーとて、全く素質がないわけではないだろう。恐らく、こんな老婆姿の魔女に恋心なんぞを抱けたのは、無意識に魔女の変化を見破っているからだ。自覚はなくとも、魔女が若い娘であることに気づいている。やはり、兄のユーベルと同様にそれなりの力を秘めているのだ。だが、いかんせん比べる相手が悪すぎた。


「――おい」


 その時、地を這うような低い声が魔女とオーレリーの間に割って入った。


 振り返ると、洞窟の細い通路をやって来たらしいユーベルが、仁王立ちで居住区の入り口に構えている。


「老婆と弟が見つめ合う様というのは、なかなか見るに堪えない光景なんだが」


 ユーベルの軽蔑のまなざしを受け、魔女は慌ててオーレリーの手を払いのけた。途端、オーレリーは泣き出しそうな顔になる。全く、いい年をした男が、情けないにもほどがあるというものだ。

「もう約束の時間かい。見苦しいものを見せて悪かったね。私もすぐに準備しよう」

 魔女は頭を切り替えるべく、小さく息を吐いた。

 しっかり気力を保たねば、この男の前では老婆の姿でいることすらままならない。

「オーレリー、アンタはもう帰んな。ユーベルがこっちにいる間は、アンタが母親のもとについていてやるべきだ」

「でも」

「いいから、帰るんだ。邪魔をするなら――」

「……分かりました。今日は、帰ります」

 捨てられた子犬のような目で魔女をちらりと見やったオーレリーは、肩を落とすと、とぼとぼと出口へ向かって歩き出した。風が吹けば飛んで行ってしまいそうなほど無気力な歩みだ。

 呆れ半分で去っていく彼の背中を見つめていた魔女の隣で、ユーベルは肩をすくめた。

「本当にあいつは、しょうがないな。こんな婆さんと二人だからって、何があると言うんだ」

「全くもって同感だよ」

 魔女が見た目通りの年齢ではないことを知っているユーベルだが、さりとて、目の前にいるのが百歳近い老婆となれば、おかしな気など起こるはずがないに決まっている。


「でもまあ、あいつは今回に限らずいつもああなんだが」

 ユーベルは溜め息交じりに席に着いた。先程までオーレリーが腰掛けていた椅子だ。こうして見ていると、彼らの座り方はとてもよく似ている。さすが兄弟というところか。


「いつも、というと?」

「あいつは、俺と比べられることにひどく怯えている。劣等感を抱いているんだ」

 ユーベルの言葉に、魔女は若干驚いた。およそ常人の思考回路など持ち合わせていなさそうなオーレリーが、彼に劣等感を?

「昔から、親にも周りの人間にも俺たちは比べられてきたからな。仕方のないことかもしれない」

「もう一人、長男もいるはずだろう?」

「俺たちが母親似なのとは違い、一番上の兄は完全な父親似だ。周囲も比べる気にはならなかったらしい」


 そうなのか。魔女は、三兄弟が並んだところを想像してみた。あの薄ぼんやりとした領主似の長男に、美しく聡明そうな母親似の次男・三男。なるほど、オーレリーが生まれる前ならいざ知らず、比較の対象となるのは必然的に下二人だろう。

 しかしそうなると、オーレリーも確かにかわいそうかもしれない。ユーベルはこうして傍から見ていても、ほとんど非の打ちどころのない人物だ。見目の良さだけを取れば、ユーベルもオーレリーも互いに引けを取らない。だが、兄の方は常識的で思慮深く、頭がいい。その上、人の上に立つ者としての気品や度量を兼ね備えている。彼とは短い付き合いである魔女でさえ、それはよくよく感じているのだ。そんな男と比べられては、大抵の人間は、たまったものではないだろう。


「だからあいつは、あんたを俺に取られるんじゃないかと戦々恐々としているんだよ」

「……ははは……」

 それについては渇いた笑いしか出てこない。美形兄弟が、皺枯れた婆さんを巡って火花を散らす。どんな喜劇だ。


「そんなことより、さっさと本題に入ろう。今日は、炎を操る練習だったな」

 ユーベルに促され、魔女は頷いた。


 火は、魔術の礎となる基本の要素だ。魔術師の見習いは皆、火の扱いを学ぶところから入る。もちろんその前に魔術の何たるかを座学で学ぶ必要があるが、優秀なユーベルは、この洞窟へ来た時点ですでに自習を済ませていた。いやはや、生徒の鏡である。


 炎の魔術の入門。まずは、蝋燭に灯した炎を魔術で揺らす。

 意識を研ぎ澄ませ、目に魔力を込めるのだ。そうして炎を見つめれば、ゆらりと大きく揺らめくはず。初日、ユーベルは炎を揺らそうとして、消してしまった。本当は火を消す方が難しいのだが、やはりそこが彼の特性であるようだ。だが、二回目の授業で、彼は炎を揺らすことに成功した。そして三回目の授業では、無から蝋燭に火を灯すことにも成功し、非常に順調な経過を辿っている。思った通り、筋がいい。

 今日は、炎を自分の思い描いたように動かす練習を行う予定だった。例えば、炎の軌跡で宙に文字を書いてみたり、ボールを投げるように弧を描いて火の玉を飛ばしてみたり。ここまでできれば魔術の基本は習得できたと考えていい。


 魔女は机の上の蝋燭立てに、蝋燭を一本用意した。それから、机を挟んでユーベルの向かい側に腰掛ける。

「さあ、これに火を灯してごらん」

 促されるまま、ユーベルが揺るぎない瞳で蝋燭を見つめた。間もなく、蝋燭に火が灯る。

「炎をゆっくり、大きく揺らすんだ」

 ますますユーベルの集中力が研ぎ澄まされていくのが、彼の真剣な眼差しから読み取れた。彼の茶色い瞳が琥珀のように輝き始める。次の瞬間、きらきらと輝く彼の目に吸い寄せられるように、炎が大きく揺らめいた。魔女もついその眼差しに見入ってしまいそうになり、我に返る。

「……いいね。では次は、炎を高く上に伸ばしてみなさい。消えてしまわないように、天井に届くほど、細く高く」

 一瞬、炎が突風に煽られたがごとく、激しく揺れた。ユーベルの集中力が乱れかけたのだ。炎にそれまでと違う動きをさせるためには、集中の種類を変えねばならない。その繋ぎ目とも言える瞬間は、一番術が乱れやすい。

 それでもユーベルは、何とか立て直した。少しずつ、少しずつ、炎が細い紐のように天井へと伸びていく。

「よし。その炎を、蝋燭から切り離すんだ。そうすれば、炎は、完全にお前のものになる……」

 魔女は暗示をかけるように囁いた。ユーベルの意識を支えてやるためだ。最初の挑戦でここまで出来るとは思っていなかったが、せっかく出来たのだから、次の段階まで進んでしまいたい。

「大丈夫。切り離しても、炎はなくならない。なくならないよ」

 すうっと、音もなく、炎は蝋燭から身を離した。紐状のまま宙に浮かんだ炎が、少しずつ身を縮め始める。それが、ゆっくりと時間をかけて、球体へ。


「――すごい!」


 思わず魔女が弾んだ声を上げると、その声でユーベルの集中力が散ってしまったらしい。炎の玉は幻のごとく消え去ってしまった。魔女は慌てて手で口を塞いだが後の祭りだ。師であるはずの魔女が、教え子の術の邪魔をしてしまった。

「す、すまなかったね」

「いや……構わない。もう限界だった。あれはキツい」

 ユーベルは目を伏せつつそっと息を吐いた。椅子の背もたれに背中を預けている様子から、確かに疲れているようだ。

 しかしそれにしても、たった四回の講習でここまで習得してしまうとは尋常ではない。魔女は久しぶりに胸の奥がわくわくするのを感じていた。才能ある芽を育てるというのは、こんなにも楽しいものなのか。自分が弟子を取るなど全く考えも及ばないことだったが、なるほどなかなか悪くない。


「……魔女というやつは、とことん魔術バカらしいな」

 火の消えた蝋燭越しに魔女の様子を眺めていたユーベルが、不意に、呆れたように呟いた。

「なんだって?」

「魔術以外の話をしている時は、いつもむっつり不機嫌そうな顔をしているくせに。こうして術に関わっていると、珍しく楽しそうな顔をする」

 その指摘を受けた瞬間、魔女は顔中の皺という皺をかき集めてしかめっ面をした。

「おい、汚い顔をするな」

「うるさいね! 四六時中どんな時でも顔色を変えないアンタに言われたくないよ!」

 全く、せっかくの上機嫌が台無しだ。

 これだからこの兄弟は嫌なのだと、魔女はむっと口を曲げた。

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