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第三章 不運な少年+シリアスパート=半笑い(愛のメモリー)

   第三章 不運な少年+シリアスパート=半笑い(愛のメモリー)


 昔、ある所に二匹の野良猫がいました。一匹は真っ白なオス。もう一匹は三毛猫のメスでした。この二匹はいつもケンカばかりしていて、ある時、ケンカに気を取られていて車にひかれてしまい死にかけていました。その時、近くで学習塾を開いていたおばさんが二匹を介抱してくれました。

 治療の甲斐あって二匹は数ヶ月後には全快し、その後もおばさんの家に顔を出すようになりました。学習塾にやって来る子供達にはちっとも懐くことはありませんでしたし、顔を合わせればケンカをすることもよくありました。しかしそのおばさんが現れると、二匹はぴたりとケンカを止めてすり寄っていきました。他にも一緒に昼寝をしたり、猫じゃらしで遊んでもらったりしているうちに、二匹の仲も次第に良くなっていきました。

 ですが、楽しい生活は長く続きませんでした。ある日、子供達が帰っておばさんと猫達だけになった学習塾に強盗が押し入ったのです。二匹の猫はおばさんを守ろうと必死に飛びかかっていきました。しかし、興奮していた犯人に猫達は殴り飛ばされ、そのまま死んでしまいました。おばさんが助かったのかどうかもわからないまま。

 それを不憫に思った神様は、猫達を人間に転生させました。今回全うできなかった分まで生を謳歌するように、と。しかし神様はこの時、一つ失敗をしてしまいました。二匹の猫だった時の記憶を消し忘れていたのです。

 そして、その結果が今―



 メルヘンデンジャラスランドに行った後は、何事もなく過ぎていた。土日もタリスが何か仕掛けてくるんじゃないかと警戒していたのだが、何も異常はなかった。

 その頃タリスは、生活費確保のためのアルバイトで必死だったのだが、それを清樹達が知るわけもない。

「とはいえ、流石に学校では何か仕掛けてくるだろうな」

『全く、人間ってのは面倒くさいもんだな。その逢華って女を見つければ、天使は満足して帰るんじゃねえのか?』

 自室で制服に着替えながら、清樹は窓枠に立つシロと話していた。シロの足元には昨日の残り物のアジの開きが置いてある。

「そうもいかないだろ。目当ては俺なのかもしれないし、どっちにしてもそんな見殺しみたいなマネはできないよ」

 猫に限らず動物の世界は過酷だ。他人の世話を見る前に自分が生き抜くことで精一杯なのだ。当然清樹にもそれで苦労した記憶は残っているが、人間として一〇年以上生きてくるうちにすっかりお人好しになってしまっていた。それに―

『ふん。それともその女とツガイにでもなるつもりか?』

「いや、そういうんじゃなくてだな、その……」

 猫相手にもしどろもどろだ。ちなみにツガイというのは、動物でいうところの夫婦のことだ。

『ま、好きにすればいいさ。失敗しても死ぬわけじゃなし。それにお前がいなくなったところで、俺が生きていくには何の問題もないからな』

 シロはそれ以上何も言わずに、ひたすら足元の魚にかぶりついていた。


 同時刻。清樹とシロの会話とは対照的に、逢華とミケは穏やかな口調で話していた。

『逢華、今日からまた学校だけど、例の天使のことは大丈夫?』

「う~ん、わかんないや。まだアタシ達は疑われてないみたいだけど、満月が近付くほど見つかりやすくなっちゃうしね」

 髪を整えながら鏡を見ると、明らかにネコミミは濃くなってきていた。普通の人には一切見えない代物だが、天使にはそろそろ薄っすら見え始めるかもしれない。

 しっかりと髪の中にネコミミを折りたたむと、今度は鞄に教科書類を詰め込み始めた。

『その割にはのんびりしてるわね。清樹って男の子、そんなに信頼できるの?』

「あ、ミケってば疑ってるでしょ。清樹はとっても頼りになるんだよ。ちょっと神経質で不運体質だけど、最後には必ず助けてくれるんだから」

 逢華にまで言われるか、不運体質。

『あらあら。まるで王子様みたいね。私だってまだ彼氏がいないのに、先を越されちゃったかしら』

「だ、だから、そういうのじゃなくて……う~ん、何て言ったらいいのかな」

『それより、そろそろ家を出ないといけない時間じゃないの?』

「あっ! いっけない、それじゃ行ってくるね!」

 教科書を詰め終えた鞄を持つと、逢華は慌てて飛び出していった。

『本当に大丈夫なのかしら……』



 いつものように不運に巻き込まれつつも(今朝は迷子を交番に届けて、夜勤明けで寝ていた警官を起こすくらいで済んだ)、清樹は問題なく教室まで辿り着いた。斗貴は既に来ていて、周りには隣のクラスの逢華と黒呼もいた。

「お、やっと来よったな」

「あら、今日はそんなに疲れてなさそうじゃない」

「でもHRギリギリに来たってことは、やっぱり何かあったんだよね」

 三者三様のリアクションではあったが、全員が清樹の不運体質を正確に把握している反応だった。

「あー、どうせ俺はいつも通り不運ですよ。それで、朝からどうして逢華と猫谷さんがウチの教室にいるんだ?」

 逢華、という単語で斗貴がニヤリと笑う。黒呼も似たようなニヤニヤ笑いで逢華の肩を叩く。そして、逢華は困ったように視線をさ迷わせて、最終的に軽く清樹を睨みつけてきた。

(……? 何か悪いこと言ったかな?)

 気付いてみれば、周りにいる他の生徒の雰囲気も少しおかしい。

「ふっふっふっ……清樹、お前にとって良い知らせと悪い知らせが一つずつあるんや」

「まず良い知らせは、今朝の一時間目の国語はウチと蒼葉君のクラスの担当の先生が出張で自習になったわ」

 斗貴と黒呼がテンポよく語り始める。と同時に、周りのクラスメートも含めてじりじりと清樹に近付いてきた。逢華は逃げようとしたようだが、黒呼に手をしっかりと捕まえられていた。黒呼の方が背は低いのだが、陸上で鍛えた足腰は伊達じゃない。抵抗する逢華をずるずると引きずってくる。

「……悪い知らせってのはなんだ?」

 長年の不運体質からろくでもないことが起こることをひしひしと感じつつも、清樹は訊いた。もしもの時にはダッシュで逃げようと後ろを確認するが、既にクラスメートによって退路は絶たれていた。

「いやなに。ちょーっと気になることがあるもんやから、皆で検証してみようと思ってみたわけなんや」

「そうそう。ねー、逢華?」

「わわっ!?」

 引っ張られていた所を一転、急に前に押されてバランスを崩した逢華を清樹が咄嗟に支えた―その時!

『蒼葉清樹と名神逢華ラブラブ疑惑!?真相はどーなんだ!?』

 斗貴と黒呼の息の合った宣言に、周囲のクラスメートが一斉にヒートアップする。

 人の不幸は蜜の味、という言葉がある。しかし、思春期の少年少女達にはそんなものを遥かに凌駕するものが存在する。すなわち―

〈人の恋愛話(こいばな)は蜜より甘い〉

 中学生のこの手の話題に対する興味を侮ってはいけない。私も過去にそれで色々酷い目に……思い出すと泣けてくるので話を進めよう。

 とにかくそんなわけで、清樹と逢華のここ数日の急接近っぷりが斗貴や黒呼を始めとする周囲の人間の好奇心に火をつけたようだ。

「さーて、話してもらうで~。結局二人はどういう関係なんや?」

「言っちゃった方が楽になるわよ~」

 この前の遊園地騒動で今までよりも進展した二人としては、多少のお礼の気持ちもあったのだが、いざ始まってしまえば好奇心がそれを完全に上回ってしまっている。もっとも純粋に心配で聞いたところで、結局は余計なお世話であることに違いはないのだが。

「それを言うなら斗貴と猫谷さんこそどうなんだよ!?」

 苦し紛れに放った一言がクラスメート達の視線を一斉に動かした。まるで新たな獲物を見つけたかのように斗貴と黒呼を見る。

「甘いで、清樹。俺は堂々と言ったるわ! ええか、俺と黒呼はな―」

 ゲシッ!

 全て言い終える前に、黒呼の強烈な後ろ回し蹴りが斗貴の腹にめり込んでいた。そのまま声も出さずに崩れ落ちる。

「私達の関係は見ての通りよ。納得できない人はよーくわかるように自分の身体で体験してみる?」

 黒呼の表情は笑おうとしているようでこめかみが引きつっている状態だった。誰だって触れば暴発するとわかっている爆弾になんて触れたくはない。結果、視線は清樹達に戻されることになる。

「どうしよっか……清樹」

「失敗だったな。確かに学校で下の名前を呼びあってればこういう誤解も受けるか……」

 誤解、と言った辺りで隣の逢華が不満気に一瞬強く睨みつけた。さっき睨まれた時は照れ隠しに近かったが、今度は明らかに睨んでいた。

(マズイ……もしかして、また地雷踏んだか?)

 何が原因かわかるほど清樹は女心がわかっちゃいないが、とうとう周りから味方が誰もいなくなったことを察することができる程度には敏感だった。

 いよいよどうしようもなくなった清樹に、予想外のところから助け舟が入る。

「君達、もう始業時間ですよ」

 教室にタリスが入ってきていた。手に抱えているのは大量のプリント。

「自習用のプリントを持ってきました。放課後までに提出だそうですよ」

『ええーっ!?』

 一斉に挙がるブーイング。それはそうだろう。同じ自習でも課題があるのと無いのとでは大違いだ。

「とりあえず、ここにあるのが基礎科の皆さんの分です。あとは発展科のプリントと二組の分も取って来ないといけないので―蒼葉君に名神さん、運ぶのを手伝ってもらえますか?」

 ちょうど皆に囲まれる形になっていた二人を指名した。クラスメートは楽しみを取られるようでやや拍子抜けしたようだったが、課題が出た以上いつまでも騒いでいられない。特に反対したりすることもなく、バラバラと自分の席に戻っていく。

(偶然、か?)

(バレたのかな……)

 内心、緊張はかなり高まっていたが、いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。

「はい、わかりました」

 清樹はちらりと目配せして、十分気をつけるように無言で促してから二人はタリスに続いて教室を出た。


 無言で廊下を歩くこと数分、三人はプリントが置いてある印刷室の前にいた。ここまでのタリスの態度から、清樹は何かあることを察していた。自然と、印刷室という狭い空間に足を踏み入れるのは危険なように思えてくる。

「さて、と……それじゃあ手早く運んでしまいましょうか」

 タリスが印刷室のドアを開けるのと同時に、重苦しい空気が流れ出した。印刷室に熱気がこもっていたわけではない。体感的に気温が高いのではなく、なにか身体に空気が纏わりつくような重苦しさだ。

「さあ、どうぞ―」

 戸惑っていた二人の手を、タリスはその細身からは想像できない力で印刷室へと引きずり込んだ。そして素早く後ろ手でドアを閉めて逃げ道を塞ぐ。

「タリス先生、何のマネですか?」

 慎重に言葉を選びながら問う清樹。

「……君達には、前世の猫だった頃の記憶が残っている。そう―頭にネコミミが生えていますね?」

「っ!?」

「……やっぱり、そうか」

 いきなり核心を突かれて慌てふためく逢華と、半ば確信していたとはいえ悔しそうに歯噛みする清樹。

「どうやら間違いないようですね」

(くそっ……どうしてバレた? 少なくとも俺はまだ疑われてもいなかったはずなのに)

 遊園地で着ぐるみに入ってたら偶然聞けちゃった、なんて馬鹿馬鹿しい理由を思いつけるわけもない清樹は、これまで間抜けの塊というイメージしかなかったタリスに初めて人外の存在の恐ろしさを感じていた。

「驚いているようですね。一教師である私が何故そんなことを知っているのか、と。」

 いつになく得意気に自らの正体を語ろうとするタリス。しかし、その気分を一瞬で吹き飛ばす一言が放たれた。

「知ってるわよ! タリス先生の正体が天使だってことくらい!」

「なにーっ!」

 頭の上にガーンッ! という文字が浮かび上がらんばかりに驚くタリス。思わず数歩後退り、棚においてあったプリントの束をバラ撒いてしまった。

「それだけじゃないわよ。あなたの目的はアタシ達の前世の記憶を消すことで、誰が前世の記憶を持つ人間か調べるためにカツオ節を配ったり、夜中に叫んで警察に追いかけられたりしたでしょ!」

「そ、そこまで知っているのか!?」

 タリスはさらに動揺して、自らバラ撒いたプリントに足をとられてすっ転んでしまった。

「くそっ! 一人だと思っていた前世の記憶を持つ者は二人もいるし、しかも何故こんなにまで私の秘密がバレているのだ?」

 そりゃアンタ、隙だらけな上に、やり方があれだけ直球ならねえ……。

(これは、チャンスかもしれない)

 逢華とタリスのやり取りを眺めていた清樹は、咄嗟に思いついたアイディアを賭けではあったがすぐに実行することにした。

「タリス先生、いや、タリス。俺達の情報網を甘く見てもらっちゃ困るな。そのぐらい、とっくに調べ済みなんだ」

「むぅ、だがそれがどうした! ここで前世の記憶と一緒にこの一週間ほどの記憶を消してしまえば、任務は無事に完了する!」

 印刷室の中の空気の重苦しさが、より一層酷くなる。やはりこの場で記憶を消してしまうつもりだったようで、何らかの準備がされていたようだ。

「そうかな? 前世の記憶を持っているのが俺達二人だけなんて誰が言った? ここで俺達の記憶を安易に消すと、他の連中が警戒して逃げ出したり、やけになって暴れ出したりするかもしれないぞ」

 普段は決してしない自信たっぷりの表情で言い放つ清樹。逢華も何がなんだかわからない表情をしていたが、タリスが視線を向けてくると取りあえず得意気な顔をしておいた。

「他の連中、というと一緒に遊園地に来ていた有坂君と猫谷さんかな?」

「どうして、遊園地に行ったことを知っている? 尾行してたのか?」

「ふっ―あの時、私は幸運のファンキーキャトの中でバイト中だったのだ。あれで自給一二五〇円は中々割りのいいバイトだった」

 黙ってればいいのに、素直に暴露するタリス。おかげで、清樹が抱いていたタリスへの底知れない恐ろしさも掻き消えてしまった。

 ちなみに、本来は公務員のアルバイトは禁止されている。あしからず。

「あー、あの二人はマジで違うから。なんなら二人の頭をしっかり見てみろよ。俺達のネコミミは薄っすら見えるだろ?」

「むう……」

 タリスは近眼の人が小さい文字を見る時のように、目を細めて二人の頭を見た。確かに薄っすらとではあるが、ネコミミが見えている。

「俺達の要求は一つだけ。べつに前世の記憶を消さないでくれって言うわけじゃない。ただ心の準備をする時間がほしいだけだ。そうすれば、他の連中も一緒に連れてくる」

「しかしだな―」

「次の満月までに処理すればいいんだろ? できるだけ大人数の前世の記憶を消した方がセリオンとかいう上司も喜ぶんじゃないか?」

「っ!?」

 まさか上司の存在まで知られているとは思わなかったタリスは、今までで最も大きく目を見開いた。そして右手を一振りすると、部屋の中の重苦しい空気がきれいさっぱりなくなってしまった。

「……いいでしょう。ただしこの町から逃げようとしたら、すぐに記憶を消します。いいですね?」

 そう言い残してタリスは立ち去って―行こうとしたのだが、自分がバラ撒いたプリントをしっかり整えてから出て行った。

 去り際まで、ある意味見事なかっこ悪さだ。

「清樹、仲間っていうのは―」

「……ああ。ただの時間稼ぎだ」

 精一杯の虚勢を張って疲れたようで、ズボンが汚れるのも構わず床に座り込む。

「あーあ、結局見つかるまで一週間とかからなかったか。ったく、偶然行った遊園地のマスコットの中で偶然バイトしてるなんて、どこまで不運だよ」

 自嘲的な笑みを浮かべる清樹。対する逢華はゆっくりと彼に歩み寄ると、勢いよく頭を下げた。

「ごめんなさい! アタシが遊園地に行こうとか言わなければ……」

 そう言って何度も頭を下げる。その内に目が回ってきたようで、だんだん足元がおぼつかなくなってきた。

「あー、はいはい。とりあえず謝るの、というか頭振るの止めて。目、回ってるだろ」

 危うくヘッドバットされかけたのを避けながら、逢華を止める。

「べつに逢華のせいじゃないよ。どうせ他の場面でバレたかもしれないし、今さら言ってもしょうがないし。それより、これからなんだけど―」

「うんうん」

 期待に目を輝かせて近付いてくる逢華。

「見事に何も思いつかない」

 珍しく清樹ではなく逢華がすっ転んだ。べつにいつものお返しで冗談を言ったわけじゃなくて、本当に何もアイディアが無いのだ。

「まあ、そんなに焦ることもないさ。記憶を消されたって死ぬわけじゃないんだし」

「でも、前世だけじゃなくて、この一週間の記憶も―」

 焦って言い募る逢華だったが、清樹はあくまでも冷静に、

「とにかく、一応時間は稼いだんだ。すぐに記憶を消されるわけでもないし、身辺整理が必要ならその間にしておけばいい。何にしても、少し落ち着いて考えてみよう。よっ、と―」

 自習用のプリントを手に取ると、清樹はさっさと印刷室から出て行く。

 そんな清樹の態度を前に逢華にできたのは、自分のクラス分のプリントを持って追いかけることだけだった。



 その日のそこから先の授業は、二人にとってまるで意味の無いものだった。居眠りをしているわけでもないのに、何にも頭に入ってこない。クラスメート達からは印刷室で何かあったのかとはやし立てられたが、それに対して適当な言い訳を作る余裕も無い。流石に斗貴と黒呼は二人の異変に気付いたが、同時に二人が他人に構われることを拒絶しているのもわかってしまい、どうすることもできなかった。

 そして、彼ら自身にも、他の誰にもどうにもできないまま、気が付いたら既に日は暮れていた。

(はあ、何やってるんだろうな、俺。たかが記憶、しかも前世とここ一週間の記憶だってのに)

 彼は自分の部屋のベッドで、仰向けに寝転がっていた。母親から夕飯ができていると呼ばれたけど、食欲が見事なまでに失せていて断った。この調子だと明日の朝食も入るかどうか怪しいものだ。

『どうした? とうとう正体バレたのか?』

 器用に窓を開けて入ってきたシロが、清樹の腹の上に立っていた。

『やれやれ、だからその女を犠牲にして誤魔化せって言ったんだ。まあ、不運なお前にしちゃ頑張った方じゃないか?』

「ああ……そうだな」

 嘲るようなシロの言葉に、清樹は特に反論をしなかった。すっかり呆けてしまって視線はずっと天井に向けられたまま、シロを見てもいない。

『…………』

 対するシロはじっと清樹を見ていた。それでも何も反応しないので、そっぽを向いて立ち去ろうとしたが、最後にもう一回向き直った。

『なあ、お前の前世の猫ってのは、どんなだったんだ?』

「俺の、前世……?」

 やはり視線は合わせないまま清樹は呟くと、ぼんやりとその頃のことを思い出した。

 暖かい縁側に座った三〇代くらいの女性。その左ひざには真っ白な猫が。右ひざには三毛猫が眠っている。時折目を覚ましては、どちらが可愛がられているかとケンカをする。

(この白い猫が、俺だったんだよな)

『お前もわかってるとは思うが―』

 シロは胸の辺りまで歩いてきて、清樹と自ら視線を合わせた。

『猫ってのはよく薄情だって言われるが、本当に大切なことは忘れていない。ただ全てを覚えてるのが億劫だから、いらない記憶を忘れてるだけだ。ということは、今お前が思い出していた記憶は大切なことだったんだろうさ』

「大切な、記憶」

『そして、この一週間はどうだった? 俺は生まれて数年しか生きてないからよくわからんが、人間は何十年も生きるんだろ? その全てを覚えておけるわけもない。普通ならたかが一週間の間に起こった出来事に、どうしても覚えておきたいことなんてそう多くはないはずだ』

「…………」

 対する清樹は無言。しかし、今まで天井に合わせられたままだった焦点が、今、確かにシロへと向けられた。

『……疲れた。寝る』

 清樹の目を見たシロは、特に笑うでもなく無表情のままスルリとベッドの下に潜り込んでしまった。

「……とりあえず、夕飯食べてからかな」

 ベッドから起き上がった清樹は、引き出しに放り込んでおいた枯節をベッドの下に滑り込ませてから食堂へ下りていった。



『ねえ、べつに記憶なくなっちゃうって決まったわけじゃないんでしょ?』

「う~ん、確かにそうなんだけど~」

 名神家ではずっとミケが逢華を励まし続けていた。彼女の場合、清樹よりも神経が二回りほど太いので、夕飯は既にしっかり食べていた。

『いつもだったら、清樹がどうにかしてくれる、って言ってるのに』

「そうなんだけど……もしかしたら清樹はそこまで記憶に拘ってないのかもな、って思っちゃって」

 そう言って思い出すのは、おばさんのひざの上で眠り、もう一匹の猫とじゃれ合いながら暮らす三毛猫の時の記憶。

 逢華は前世の記憶に、清樹以上に思い入れがあった。ミケと会話ができることもあるし、記憶自体が大切だということもある。特に危ないところを助けてくれたおばさんがまだ生きているのなら、是非会いたいとも思っていた。

 今回の引っ越しも、べつに父親の単身赴任でもよかったのに、引っ越し先の写真を見てなんとなく見覚えがあったから、もしかしてあのおばさんに会えるかも……という思いつきだけで一緒に引っ越すことにしたくらいだ。

「アタシにはどうしても覚えておきたい前世の記憶があるけど、清樹はそうじゃないのかもしれないから……」

『ふう……まあ、確かにあなたの経験は特殊だからね。あなたの言う通りかもしれないわね』

「だよねぇ……」

 いざ同意されると、なんだか逆に落ち込んでしまう逢華。

『でも、このままだとこの一週間の記憶も消されちゃうんでしょう? 清樹って子もそれは嫌なんじゃないの?』

「……どうだろう」

 実際の所、逢華が悩んでいるのはまさにそこだった。記憶を消されるとか以前に、自分との思い出が消されることを相手が何とも思っていないのかどうかが気になって仕方がない。

「はぁ……わかんないや」

 清樹が考えていることも、自分が何について悩んでいるのかもさっぱりわからない。わからないだらけで、意味も無く叫びたくなるほどだった。

『そうね……。でも、細かいことを黙って考えるなんてあなたらしくないわ。やりたいようにやってみなさいな。あなたは天然なんだから』

 ミケは前足の肉球で逢華の頬をぷにぷに押すと、部屋から出て行った。

「ふう……いいや、とりあえず寝よう。明日になれば、何か思いつくかもしれないし」



 次の日、清樹はいつもよりもかなり遅めに家を出た。何事もなく学校まで行ければギリギリ始業ベルに間に合う時間だ。いつもなら不運な出来事が起こるのを前提に動くので、こんな時間に登校することは絶対にないのだが―昨日の今日だ。彼女の前でどんな顔をしていればいいのかわからなかった。

 ―だというのに、

「おっはよー、清樹。今日は随分遅かったのね」

「どうして、ここに?」

 清樹の家と彼女の家は学校を挟んで正反対にある。だから、ここにいるはずがないのに、彼女は―名神逢華は家の前で待っていた。

「ねえ清樹、もしかして記憶なくなってもべつにいいかな、って思ってる?」

「……それを聞いてどうするんだ?」

「いいから、答えて」

 逢華の目はいつになく真剣だった。斗貴と黒呼の時や、他にも真剣な表情の時は何度もあったが、今回は迫力が違った。

「……じゃあ、これが答えってことでいいか?」

 清樹が渡したのは一冊のノートだった。

「これは?」

 逢華がパラパラとめくると、中には字がぎっしりと書き殴られていた。相当慌てて書いたようで、ところどころ字が読めない部分もあるが、そのノートの一ページ目には大きく

〈タリスに記憶を奪われないためには〉

 と書かれていた。

「それじゃあ……!」

「ふう、色々悩んだんだけどな。昨日、逢華にはああ言ったけど、俺だって記憶をなくしたくないよ。まだ良いアイディアは出てないんだけど、頑張ってみるさ」

 そう言う清樹の顔はもの凄く恥ずかしそうだ。こんなことなら昨日余裕ぶった態度なんか取るんじゃなかった、と激しく後悔していた。

「アタシも! アタシも協力するから、絶対に記憶は守りきろうね!」

 嬉しそうに詰め寄ってくる逢華だったが、それが余計に清樹を困惑させることに彼女は全く気付いていない。

 師曰く、天然の女性は常に思春期男子の天敵である。

「と、とにかく! 今は学校行くぞ。これで揃って遅刻した日には斗貴達に何を言われるかわかったもんじゃないからな!」

「あ、待ってよー」

 赤くなっている顔を隠しながら、清樹は学校へ向かって走り出した。


「どうしたんや、珍しい。遅刻するなんて今日はどんだけでかい不幸だったんや?」

「うう……こんな時まで不運だとは」

 意気込みも新たに出発した二人だったが、そんな時でも清樹の不運っぷりは遠慮なく発揮された。

 学校へ向かう途中で、駅への道がわからずに困っているお婆さんがいた。お婆さんを駅まで連れて行ってあげるくらいなら、いつものことだ。

 だが今日はここからが凄かった。お婆さんは杖をついていたため、逢華が心配だと言い出し、ホームまで一緒に行って電車に乗るまで見届けることになった。これだけでもかなりのタイムロスだったが、電車に乗った後、お婆さんがハンカチを落としているのに逢華が気付いた。ハンカチを渡そうと逢華は慌てて電車に飛び乗り、さらに彼女を止めようと清樹が追いかけて電車に乗ると同時に、ドアが閉じた。さらに乗った電車が特急で一時間近く止まらなかったのは、むしろ当然の流れだった。

「―と、いうわけなんだ」

「それはまた……久しぶりにキツイ不運やったな」

 既に現在は昼休みだった。事情を話すと担任の岡田はあっさりと信用してくれたため、特に叱られたりはしなかったが、叱られるまでもなく清樹はとっくに疲れきっていた。

「で、それはともかく、お前はどうして朝から名神さんと一緒におったんや? 家も逆方向やのに……何でや?」

 楽しそうにニヤニヤしながら訊いてくる斗貴。

「それは、だな……ええい! 偶然だ、偶然!」

 清樹は言い訳するのも面倒になって、強引に誤魔化すことにした。昨日散々周りからからかわれたばかりだ。今さら斗貴にからかわれるくらい、どうってことない。

「くくくっ、冗談や冗談。ちっとは元気になったみたいやな。昨日は何があったか知らんけどメチャメチャへこんでたやろ」

 そう言うと、斗貴は教室から出て行った。

(心配かけたみたいだな……)

 心の中で、清樹は友人に感謝し―

「おーい、黒呼! 今日の部活の後なんやけど~!」

「うるっさいわね! 馴れ馴れしく話しかけないでよ!」

 ―感謝しかけたのだが、

「そんな照れんでもええやん。昨日は映画のチケット喜んで受け取ってくれたのに」

「う、うるさいうるさいうるさい!」

(感謝取り消しだ。あれだけ面倒かけられたんだからな)

 とりあえず弁当だけでも食べておかないと、と思った清樹は鞄から弁当箱を取り出そうとして、自分の顔に影がかかるのを感じた。視線を上げると、そこには爽やかな笑顔を浮かべたタリスが立っていた。

「よかった。心配したよ蒼葉君。逃げたわけではなかったみたいだね」

 後半は周りの生徒に聞こえないように小さめの声だったが、瞳の奥に一瞬冷たいものが光るのを清樹は見逃さなかった。

「ええ、そりゃもう。満月までゆっくり心の整理させてもらいます」

「そうですか。助かります」

「いえいえ、どういたしまして」

 余裕の態度で答える清樹。対するタリスも負けずに笑みを深くすると、にこやかな睨み合いを続ける。

「ですが、名神さんはどうですか? 彼女は抵抗しようとするのではないですか?」

「…………」

 どう答えるべきか迷っていると、教室のドアが勢いよく開いた。

「先生、あっぶなーい!」

 その声が発せられると同時に、斜め上から放物線を描きながら花瓶が飛んできた。猛スピードで飛んできた花瓶は、普通の反射神経では避けられるタイミングではなかったが、タリスは一応天使だ。飛んでくる花瓶を見上げると素早く手を伸ばし、片手で受け止めてしまった。

「ふっ……このぐらいどうってことはな―」

 ゴズッ!

 さっきの花瓶の後ろに隠れるように飛んできていたもう一つの花瓶が、見事にタリスの顔面を直撃した。そのままぶっ倒れるかと思いきや、タリスは意外にもその場で立っていた。

 ただし、上を向いていたタリスの顔面に綺麗に刺さるように当たった花瓶は、顔面の上に乗ったままだ。

「すいませーん。ひびが入った花瓶片付けてたら、足滑らせちゃって」

 ちっとも悪びれずに、教室に入ってきた逢華が言う。

(このひびは今入ったんじゃないのか……)

 清樹が顔面にのっているそれをしげしげと眺めていると、

「ふふふ、なーに、これくらい平気さ。私が本気になればね」

 花瓶をのせたままタリスが話し始めた。そして、ゆっくりと顔の向きを元に戻すと同時に、花瓶も下に落下し―

「うぐっ!」

 タリスの足の甲に直撃した。

 流石に天使だけあって身体の頑丈さは人間の比ではないが、不意をつかれると普通に痛いようだ。さらに追い討ちをかけるように鼻血が……。

「それでは、私は次の授業の準備があるので失礼するよ。名神さん、これからは気をつけてね」

 鼻血まみれの顔で精一杯爽やかな笑顔を浮かべると、タリスは去っていった。

「ふう」

「ふう、じゃない。何をやってるんだ、何を」

 ざわざわしている周りを気にしながら、清樹は急いで花瓶を片付け始める。

「何って、助けてあげたんじゃない」

 他の生徒に事情を知られるわけにはいかないので声こそ小声だが、その表情は得意満面の一言に尽きる。一歩間違えれば花瓶が当たっていたかもしれない清樹としては、どうも素直に喜べない。

(というか、目立ち過ぎだ)

 ネコミミのことを知ってるかどうかとか関係なく、これからしばらく奇妙な目で見られるのは避けられないだろう。もっともタリスの異様な頑丈さも十分に異常だったので、同じように注目されているだろうが。

「それよりも清樹、今日の放課後って空いてる?」

 声の大きさを普通に戻して、訊いてくる。

「いや、特に予定はないけど。何か思いついたのか?」

「うーん、思いついたというか……お願い、かな。詳しいことは放課後に話すね」

 じゃあねっ、と言うと逢華は自分のクラスに戻っていった。清樹もさっさと戻って食べ損ねていた弁当を食べようと思ったのだが、

「さーて、蒼葉君。詳しい話を聞かせてもらおうか?」

「ふっふっふ。楽しみは皆で分けあわないとねえ」

 結局、彼は逢華との関係についてクラスメートに質問攻めにされ、弁当を食べるタイミングを逃してしまった。


 そして放課後。清樹の放課後は限界に近い空腹を満たすために、四時間遅れの昼食を食べることから始まり、逢華は弁当をがっつく清樹の前に陣取っていた。他の生徒はさっさと帰るか部活に行くため、教室には二人しか残っていない。

「それで、昼休みに話したことなんだけど」

「んぐ、ああ」

 お茶で弁当の最後の一口を流し込みながら、清樹は答えた。

「実は、人探しを手伝ってほしいの」

「人探し?」

「うん。アタシの、前世でお世話になった人」

 前世で、という部分が気になった清樹は、気分を今までより真剣なものに切り替える。

「前世でお世話になった人、か。探してどうするんだ?」

「いや、その、向こうはわけわかんないだろうけど、お礼言っておきたいなって思って。あ、べつに記憶のことを諦めたわけじゃないんだよ! でも、念のため、そう! 念のために先にお礼言っておきたくて」

 次第に早口になって、身振り手振りも激しくなっていく。もうしばらく放っておけば、昔の漫画みたいに目をうずまきにして倒れかねない勢いだ。

(前世の恩人、か……)

 清樹にもそう呼べる人がいた。だからこそ、彼にも逢華の気持ちがわかった。

 えー、というか皆さんはもうお気付きですよね? 二人の前世。

「わかった。そういうことなら手伝うよ。どうせ、タリス対策ばっかり考えててもいいアイディアが出るとは限らないしな」

「本当!?じゃあ、早速なんだけど、コレ見て」

 逢華は開いた小冊子を取り出して、そこに載っている一枚の写真を示した。

「……これが、どうかしたのか?」

 そこに映っていたのは、髪の薄い人達の強い味方。アデラ●スの事務所だった。

(もしかして、その人にカツラか養毛剤でもプレゼントするつもりなのか?)

「違うって。ア●ランスじゃなくって、その隣」

「隣?」

 その事務所の隣には、最近では珍しくなってきた純和風の一軒の家があった。

「この家に見覚えがあるの。このパンフレットって、お父さんが転勤する前に会社でもらったこの町のタウンガイドなんだけど、これを見てアタシも一緒にこの町に引っ越すことにしたの」

 たったそれだけのヒントで引っ越してまで恩人を探しにきていた逢華に、清樹は素直に感心していた。しかし、そうなると疑問が残る。

「そこまでわかってるなら、行ってみればいいじゃないか。その人、まだ住んでるかもしれないだろ」

 清樹が当然のように言うと、逢華はため息をつきながら、パンフレットの裏を見せた。

〈一九九八年発行〉

 今から一〇年も前のパンフレットだった。

「アタシも引っ越してきてからこれに気付いてね。この場所には行ってみたけど、家も、あとついでにアデ●ンスの事務所もなくなって、今はメイド喫茶になってた」

「となると、結構難しいかもな……」

 何か手掛かりは他にないものかと写真を隅から隅まで観察する。すると、

(あれ……? 何か俺もここに見覚えがあるような気が……)

「……とにかく、この場所にもう一回行ってみよう。店の人に聞けば前にそこにあった家がどうなったのか、わかるかもしれない」

「うん、案内するね!」



「なんだか凄いことになってるな……」

「……うん」

 例の家の跡地にできたメイド喫茶は、出来谷町の中でもかなり端の方、隣の久米畑(くめばた)市に近い所にあった。自転車でそれなりの距離を走ってきた二人は、軽く汗をかいていたのだが……目の前の光景のせいで急速に身体が冷えていくのを感じていた。

 〈ピローズ〉と丸文字で書かれた看板と、たくさんのメイドさん。その数倍はいるであろうオタクの行列。彼らのやたら鼻息が荒い様子は、そういう趣味でない人を引かせるのには十分だった。

「本日はご主人様感謝デーになっておりまーす♪ ピローズ特製バナナところてんパフェを注文されたご主人様には、もれなくメイドさんと一緒に写真撮れちゃう券をプレゼントしちゃいまーす♪」

 どうやらオタク達の目的はこれのようで、全員テンションが異様に高い。

「いつもなら、たくさんポイント貯めるまで一緒に写真は撮れないでござるからな!」

「絶対にボクはミュウちゃん指名~!」

「俺はルリたんと撮ってもらう!」

 ちょっとしたアイドルのサイン会状態だ。メイド喫茶と言っても様々で、中にはカップルで行く人もいるような普通の喫茶店もたくさんある。

 だが、ここはオタク向けの要素がかなり強いようで、並んでいる人達が放つ独特の雰囲気は全員似たものだった。

「店長に話聞きたいだけなんだが……並ばないと入れそうにないな」

「いいんじゃない? アタシもこういう店入ったこと無いからちょっと興味あるし」

 オタク達の列に並ぶ二人は、随分浮いていた。周りの妙なテンションの中で数十分待つのはなかなかの苦痛だったが、逢華を見て怪しげなことを言ってくる人間がいなかっただけマシだったと言える。

 そして一時間に届こうかという頃、ようやくあと一組まで順番が回ってきた。この辺りまで来ると、店内の様子もいくらか見ることができる。

「お待たせしました~。こちらメイドさんのおまかせリゾットと、特製バナナところてんパフェになりまーす♪」

「お帰りなさいませご主人様! ご注文はお決まりですか?」

 スタンダードなメイドさんや、ミニスカのメイドさん。それに何故か頭にウサミミやネコミミをつけたりしているメイドさん達が、満面の笑顔で忙しそうに動き回っていた。

「へー、こういう風になってるんだ。メイド服って女の子から見ても可愛いよねー」

「っと、そろそろ店長に話聞けるように頼まないと。俺達は写真撮ってもらいに来たんじゃないんだから」

 近くを通りかかったメイドさんに声をかけようとした、その時、

「えー! キャンペーンもうしめきっちゃったんですか!」

「申し訳ありません。人数が多いので、五分ほど前にしめきってしまいました」

「そんな~」

 新たに列に並ぼうとしていた、清樹と同じくらいの年頃の男子が叫んでいた。

「あれは……」

 清樹はその男子に見覚えがあった。タリスが一時は疑っていたネコミミマニアの少年、宅一郎だ。

「ねえ、アタシ達は店長さんに話聞くだけでいいんだし、代わってあげたら?」

「そうだな。あの―」

 清樹は少年と話しているメイドさんに声をかける。

「俺達、客じゃなくて店長さんに聞きたいことがあって来たんです。代わりにその人を並ばせてあげてください」

「そうですか? それではそちらのご主人様、列へどうぞ。それと店長には今連絡しますので、こちらで少々お待ちください」

 メイドさんは笑顔であっさり了承すると、ゆっくりと店の奥へと入っていった。

「あ、ありがとうございます! これ良かったら受け取ってください!」

 一郎は深々と頭を下げると、手のひらサイズのカプセルを差し出してきた。中には妙に目が大きく背中から羽を生やしていて、おまけに頭にネコミミのついたフィギィアが入っている。

「い、いや、その、気持ちだけでいいから」

 清樹はできるだけ相手を刺激しないように、丁寧に断った。この相手とは深く関わり合いにならない方がいい、というのは逢華も同意見なようで、ひきつった笑顔を浮かべて黙っていた。

 一郎は、そうですか? と言って、最近ではしている人をほとんど見ないウエストポーチにフィギィアをしまいこんだ。

「お、おいさっきのフィギィアって、限定版のりりかちゃんエンジェルバージョンじゃなかったか?」

「激萌え~!」

 よくわからないが凄い一品だったようで、周囲のオタク達がざわついていた。

 もっとも、それが一層二人を引かせるのだが。

「それにしても、やっぱりネコミミは最高だよ~! ほら、あのメイドさんとか」

 一郎は店内で働く一人のメイドさんを指差して言う。そのメイドさんは、頭にネコミミを装着して、お客さんの間を笑顔で行き来していた。テーブルに行く度に、オタクな方々にフィギィアやらピンバッジやらを見せられているのだが、彼女もそういう趣味なのかそれともプロ根性なのか、それに対応する彼女の笑顔には一点の曇りもない。

「あ~、萌え萌えだよ! 世界がネコミミで溢れてればいいのに~」

 そのネコミミのせいで苦労している二人からすれば、なんとも微妙な気分だ。

「おまたせしました、店長がお会いになるそうです。どうぞこちらへ」

 オタクトークについていくのもそろそろ限界だった二人に、ナイスタイミングでさっきのメイドさんから助け舟が出された。二人はメイドさんに案内されて、スタッフ用の通路を奥へと進んでいくと、店長室と書かれたネームプレートが掛かっている部屋の前にやって来た。

「こちらになります」

 メイドさんはそう言って立ち去ろうとしたが、不意に逢華の肩を掴んで、

「どんな目にあったのかわからないけど、ビシっと言っていいからね。ビシっと!」

 今までの笑顔から一転、勇ましい表情でよくわからない激励をして、メイドさんは今度こそ去っていった。

「今の、なに?」

「さあ……なにか勘違いしてたみたいだけど」

 考えても仕方ないので、二人はノックしてから思い切ってドアを開けた。すると目の前には―土下座をしたオジサンがいた。

「え―」

「あの、店長さん?」

「申し訳ありませんでしたーっ!」

 二人が戸惑っているうちに、店長らしきオジサンは本格的に謝り始めてしまった。しかし、とくに謝られる覚えがない二人は混乱するばかりだ。

「謝罪ならいくらでもします! 社会的制裁も受けましたし、どうか、どうか裁判沙汰は勘弁してください!」

 なんだか物騒な言葉も飛び出し始めているが、二人にはやっぱり思い当たる節がない。

「あの、俺達は聞きたいことがあってきただけですから……その、顔をあげてください」

 腫れ物に触るようにおそるおそる言うと、オジサンはゆっくりと顔をあげた。すると、

「ああーっ!」

 今度は逢華が大声で叫んだ。不意を突かれて、オジサンだけでなく清樹もその身を硬くさせる。逢華は固まってしまっているオジサンの顔を改めてまじまじと見ると、一人納得したように大きく頷いた。

「清樹、この人の顔どこかで見たことない?」

「え? そう言われてみればそんな気も……。う~ん」

「ほら、ニュースで!」

「ニュース? ああっ!」

 清樹も思い当たったようで大声を出して頷いた。同時にオジサンはさらに小さくなってしまった。

「某専門学校でインチキオーディションをしていて問題になった……確か名前はアーツ竹田!」

 清樹の父親がスクープした事件―その事件を起こした社長が、何故かメイド喫茶の店長として目の前にいた。

 えー、この事件及び人物名は現実の人物・団体とはなんの関係もございません。あしからず。

「でも、どうしてこの人がここにいるんだろ? たしか事件は示談で解決して、社長は新しい人に代わったはずでしょ?」

「確かにそれも気になるけど、今は早く用事を済ませようぜ」

「あの―」

 二人の会話に、おそるおそるといった感じで店長が口を挟む。

「もしかして、例の事件のことでいらっしゃった方ではない、のですか?」

 可哀相なくらい怯えている店長に二人が頷いてやると、相手はようやく背筋を伸ばして立ち上がった。もっとも、それでもどこか逃げ腰に見えてしまうが。

「失礼いたしました。私、この店の店長をしております、竹田(たけだ)(あつし)と申します。先日の不祥事で社長を解任されまして、副業で経営していたこのメイド喫茶が最後の砦なのです」

 竹田アーツ改め、本名、竹田淳(五〇)は深々と頭を下げた。清樹達は被害者ではないとわかっているのだが、メディア各誌に相当叩かれたのか、誰に対しても下手に出るようになってしまっているようだ。

 清樹達にとっても、店長がそういう人物であったことは全くの予想外だが、尋ねたいことがある彼らとしては、相手が下手なのは好都合だ。

「あのですね、俺達は本当に例の事件のことで来たわけじゃないんです。この店が建つ前にあった小さな学習塾がどうなったかをご存知じゃないかと思って」

「学習塾? 申し訳ないのですが、この店を建てる時には私はほとんど関わっていないのです。なにしろ、その頃はまだ会社の仕事がたくさんあって……いや、失礼」

 自分で言ってて悲しくなったのか、涙を拭いながら話す店長。

 しかし、店長でも知らないとなるとこの店に手掛かりはもう無いと言っていいだろう。

「仕方ない。べつの方法を探すか」

「そうだね。店長さんありがとうございました」

 結局、その日は一時の欲に流されて人生の成功を無駄にしてしまったオジサンを一人見ただけになってしまった。



 次の日、学校が終わってすぐ二人は市役所にやって来た。正攻法で転居先を聞き出そうとしたのだが、引っ越す以前に学習塾は閉鎖してしまったようで、個人の転居情報は第三者に教えることができない、と言われてそれまでだった。

 その翌日には、メイド喫茶近くで聞き込みをしてみたものの、あの辺り一帯が再開発されたようで当時の住民が誰も残っていなかった。当然、手掛かりがつかめるはずもない。

 それならばと、さらに翌日には広範囲で聞き込みをしようとしたのだが、ここでは清樹の不運が炸裂して厄介ごとに巻き込まれて中断になってしまった。ちなみにその内容は、テレビ局から出てきたガチャ●ンとム●クが目の前でケンカを始めてしまい、その仲裁をして事情聴取に付き合っているうちに日が暮れてしまった、というものだ。



 そして、気がつけばもう土曜日。学校が休みなので、二人は学校の校門前に集まっていた。

「結局、まだ手掛かり一つ無いな……」

「うん……」

 二人ともかなり疲労が溜まっていた。学校が終わってから探し回っているための肉体的疲れもあるが、それ以上に精神的なものが大きかった。いくら満月まで手は出さないと約束したとはいえ、学校ではタリスが妙な行動をしないか気にかけないといけないし、人探しについて何の成果もあがっていないことも効いていた。

(記憶を消されないための対抗策も何も思いつかないし、今日も手掛かりが無いようなら……諦めるしかないかもな)

 清樹は冷静にこの捜索にタイムリミットを感じていたが、逢華の一生懸命さの前に未だに言い出せずにいた。すると、

「ねえ清樹、今日も何も手掛かり見つからなかったら、探すのやめよう」

 逢華が自ら捜索の中断を提案してきた。その表情はいつもの自然な笑顔ではなく、明らかに無理に明るく振舞っていた。

「……いいのか?」

「うん! タリス先生対策もしないといけないし、それに、タリス先生から記憶を守りきれば時間はいくらでもあるんだし!」

 いくら天然ボケ娘の逢華でも、タリスから前世の記憶を守りきれない可能性が頭に無いわけではない。いや、それ以前にその恩人が既に亡くなっている可能性だって、ちゃんとわかっている。それでも諦められなかった逢華にとって、この数日の捜索は自分自身にとっての区切りでもあった。

「……うん。そうだな。それじゃ、早速探しに行くか!」

「おー!」

 逢華に合わせるようにして、二人の間に流れかけていたどんよりムードを強引に払いのけていく清樹。

 二人は自転車に乗ると、颯爽と捜索のためにペダルをこぎ始め―数メートルで清樹の自転車がパンクした。


 結局、逢華の自転車に二人乗りして(当然こぐのは清樹である)彼らは商店街にやって来た。メイド喫茶からはかなり離れていたが、デパートのような大型量販店の無い出来谷町では最も人通りが多い場所のひとつだ。休みで買い物客は普段よりも多く、聞き込みをするにはもってこいの場所だ。

「よし、それじゃあ俺は南通りから探すから、逢華は北通りを―」

「待って清樹。アレ見て!」

 清樹の言葉を遮って逢華が示す先には、見覚えのある一人の少女がいた。いつもなら制服の上に黒マントだけなのだが、今日は黒のワンピースに黒マントに魔女がかぶるようなてっぺんの尖った帽子をかぶり、さらに手には杖まで持っていた。この前の仔猫は足元ではなく、少女の肩に乗っていた。学校だけでなく商店街でまでも異彩を放つ少女―その名は天道院エカテリーナ一七世、本名山田よし子である。

「休日の格好はまた一段と凄いな……」

「うん、それにあの看板」

 彼女はただ立っているだけではなかった。どこからか運んできた机には紫の布がかけられ、椅子が対面に並べられている。そして横に設置された看板には、こう書かれている。

〈相性から死に方まで。どんなことでも占います。魔女占い。お試しサービス期間中につき一回五百円〉

 魔女占いって……どうにもこうにも胡散臭い。おまけに、誰がわざわざ死に方を聞きたがる。いや、いるかもしれないけど、少なくともそれはセールスポイントじゃない。

「せっかくだし、見てもらう?」

「しかし、アレとは関わらない方がいいような気も……」

 二人が迷っている間に、向こうが気付いてしまったようだ。俯き気味の顔に含み笑いを浮かべると、二人に手招きしてきた。

「手招き、してるね」

「……そうだな」

 覚悟を決めたのか、二人はゆっくりとエカテリーナに近付いていく。そして、一言。

「こんにちは、山田さん」

「エ・カ・テ・リ・ー・ナ。天道院エカテリーナ一七世です、蒼葉先輩」

 彼女は杖を清樹の顔面に突きつけながら訂正した。その顔は相変わらず含み笑いを浮かべているが、明らかに怒りを含んでいる。

 その表情に若干身を引きながら、清樹は一つの疑問を口にする。

「どうして、俺の名前を知ってるんだ?」

「ふふふ。そのくらいのこと、私の魔術の前では簡単なことですよ。蒼葉清樹先輩、名神逢華先輩。うふふふふ」

 今にも口が耳元まで裂けそうな深い笑みを浮かべるエカテリーナ。邪悪な表情、とでも言えばいいのだろうか。さらに肩の仔猫までもミャ~オ、とまるで相槌をうつように鳴いた。

 かなり気持ちの悪い光景だ。清樹もそう感じたようで、さらにニ、三歩離れたのだが、

「すごーい!!」

 逢華は猛烈に食いついていた。

「それって本当の魔法なの? エカテリーナちゃんって本物の魔法使い!?」

 強烈過ぎる食いつきに、今度はエカテリーナが驚かされる側かと思いきや、彼女は声援に応えるようにマントを翻して朗々と語り始める。ちなみに表情は基本的に含み笑いなのだが、少し、いやかなり嬉しかったのか頬には赤みが差し、邪悪さもかなり軽減されている。

「うふふ、正確には魔法ではなく、魔術ですけれども。まだまだ魔術師としては未熟な身ですので大したことはできませんが、修行も兼ねて毎週土曜日にはここで占い師などさせてもらっています」

 えー、中学生が商売をしてはいけません。というか、タリスを散々取り逃がしていることといい、この辺りの警察の目は節穴か。

(毎週やってるのか、こんなことを)

 逢華はすっかり信じ込んでいるようだが、清樹はどうにも不信感を拭えなかった。確かに本物の天使がいたわけだから(想像していた天使とはだいぶかけはなれていたが)、魔術があっても不思議ではない。だけど、そう何でもかんでも受け入れられるほど、彼は素直で純真な少年ではなかった。

「おやおや、蒼葉先輩はまだ信じていないようですね。ほら、ちょうどいい所に先週のお客さんが」

 エカテリーナが杖で示した先には、こちらへ駆けてくる大学生くらいの男がいた。彼はそのままエカテリーナに駆け寄ると、感激して彼女の手を握った。

「君の言う通りだったよ! 彼女のために買った婚約指輪、寝室のタンスの裏から出てきたんだ! これで彼女にプロポーズできるよ!」

「それは良かったですね、くくっ。では、サービスです」

 エカテリーナは手にした杖の先を男の胸元に当てると、静かに目を閉じた。そして、不意に目を開けると、

「そのレストランでのプロポーズはあまりオススメしません。そうですね、海や山のような自然の中での告白が運気を高めてくれるでしょう……」

「ど、どうしてレストランのことを……! と、とにかく、早速予定を立て直します。ありがとうございました!」

 とうとう年下の中学生に敬語まで使って去っていった。周囲で見ていた人も、にわかにざわめき始めた。そこへ今度は五〇歳前後のサラリーマンがやって来た。

「いやあ、先週は助かったよ。君の言っていた業者への発注書を見たら、取り寄せ数が一桁間違っていてね。危うく大損する所だった。これはほんのお礼だ」

 そう言ってサラリーマンは、福沢諭吉の描かれた札を五枚も差し出した。中学生には十分すぎる額だ。

「くふふっ、料金は先週確かにいただいてますからお気になさらず。それよりも、次の水曜日の商談でアップルパイよりも讃岐うどんを選べば、より利益が出るようですよ……」

「そうかね! 参考にさせてもらうよ」

 どんな商談なんだ、それは。

 だがサラリーマンにとってはかなり重要なことだったようで、深々とお辞儀をすると、せめてと言って五百円玉を机に置いて去っていった。

 こうなるといよいよ周りのざわめきも大きくなってくる。俺も占ってもらおうか、などの声もちらほらある。

「このように、私の占いの効果は絶大です。やろうと思えば再度エリマキトカゲブームを巻き起こせるくらいのカリスマの持ち主なのです……」

 どんなカリスマだそれは。しかも魔女にカリスマは必要なのか?

 しかし逢華はそういう疑問を一切持たないようで、より一層瞳を輝かせている。

「名神先輩もいかがですか? 今回は無料でいいですよ」

「ホントに!?お願いしまーす♪」

 迷うことなく椅子に座る逢華。言われるまでもなく、占ってもらう気満々だったようだ。他の人も今度はどうだ、ということで続々と近くに集まってきている。こうなると止めるのも野暮だし、というか内心では清樹も非常に気になっているので、彼も逢華の後ろに立つ。

「では、何を占いますか?」

「えっとー、それじゃあ恋愛運とか―もがっ」

 言いかけた逢華の口を、後ろから伸びてきた清樹の手が塞いだ。

「こいつの探し人がどこにいるか占えるか? 特徴は―」

「結構です。少し待ってください」

 清樹を手で制すると、エカテリーナは脇に置いてあった袋からカセットコンロとヤカン、それにペットボトルに入った水を取り出すと、いきなりお湯を沸かし始めた。そこへ怪しげな薬を次々と放り込んでいく。

「なあ、これ大丈夫なのか? 変な臭いもしてきたんだが」

「大丈夫です。入れ物こそヤカンですが、由緒ある魔術の手法です」

 周囲の人はエカテリーナの徹底した魔女っぷりを知らないので、パフォーマンスの一部だと思っているが、彼女はマジだ。清樹にはそれがわかっているので、やや逃げ腰気味になってしまう。

「仕上げにあなたの髪の毛を一本この中に入れてください」

「うん」

 抜いた髪の毛をヤカンに入れると、途端に紫色の煙が上がり始めた。これには面白がっていた人達も思わず後退する。

 そんな中、エカテリーナは風に揺らめく煙を凝視していたが、唐突に語り始める。

「あなたの探し人は健在。龍の槍の管理をしている。場所は……久米畑市の北部」

 ……龍の槍?

(龍の槍、だと?)

(りゅうのやり?)

 右から順に、私、清樹、逢華の感想だ。そりゃこうなる。いきなり龍の槍とか言われても困る。

 しかしエカテリーナはいたって真面目な口調で、

「流石に住所まではわかりませんが、これでかなり絞り込めたのではないでしょうか」

 そう言ってヤカンを軽く叩くと、煙は嘘のように消えてしまった。

「はあ―」

 感心したような呆けたような、気の抜けた声を出して逢華が立ち上がると、今まで見ていた人が押し寄せた。

「面白れー! 次は俺見てくれよ」

「今のって手品なの? もう一回見せてよ」

「わ、わしの死に方を占ってくだされ~」

 死に方聞きたがってる人がいるし……。

 などと言っている間に、エカテリーナの前は黒山の人だかりになってしまった。

「どうする? 特に当てはないし、行ってみるか?」

「そうだね。ちゃんと当たった人もいるみたいだし、行ってみようか」

 こうして二人は久米畑市へと向かうことになった。


「ぜーっ、ぜぇーっ、つ、疲れた……」

「お疲れさまー。やっぱり電車使えばよかったかな」

 久米畑市に着いたのはいいが、清樹はやたらと疲れ切っていた。運動部にも所属していない彼には、二人乗りの自転車で隣町まで移動するのはちょっとキツかったようだ。

 現在地は久米畑市の北部で一番大きな商店街だ。近くにはデパートもあるし、カラオケやゲームセンターもあり、出来谷町とは比べ物にならない数の人が行き来している。

「ふう。しっかし、人や建物が多過ぎるのも考えもんだな。しかも探すためのキーワードが龍の槍ときたもんだ」

「そうだよねえ……。しかも、歩いてる人に龍の槍って知りませんか? って聞いたら流石におかしな人だと思われちゃうよね」

 如何に天然娘と言えど、そこまで直球は投げられないようだ。となると、必然的に二人だけで捜索することになるわけだが……。

「とにかく二手に分かれよう。俺はそっちに―」

 言いかけた清樹の動きがピタリと止まった。

「どうしたの?」

 不思議そうに清樹が見ている方に視線を向けると、逢華の動きも同じように止まった。

 どこにでもあるような、色んな店舗が入っている雑居ビル。その何の変哲もない看板の中にそれはあった。

〈居酒屋 龍の槍〉

「「うそぉーっ!!」」

 あまりにもあっさりと見つかり、二人は周りに大勢通行人がいることも忘れて叫んでいた。


 〈居酒屋 龍の槍〉はそのビルの地下一階にあった。居酒屋が昼間から営業しているわけもなく、地下一階は静まり返っていた。

「ここにいるのかな……」

「どうかな。ん? 中から人の声がする」

 既に準備を始めているのか、確かに中からは人がいる気配がしていた。どうしたものかと清樹が迷っていると、逢華は真正面から突入していた。

「あの……すいません」

「はい?」

 中には店の掃除をしているおばさんがいた。そして二人に振り向いた顔は、猫だった頃に毎日見ていたおばさんの顔そのものだった。

「お、おばさ~ん!」

 説明してもわかってくれるわけはないけれど、逢華は喜びのあまりおばさんの胸に飛び込んでいた。清樹もまさかの再会に呆然と立ち尽くし、目を潤ませている。

 対しておばさんは何がなんなのかわからない、という顔で困惑して二人を見ていたが、やがて納得したように頷くと、

「あんた達、もしかして昔ウチにいた猫達かい?」

「え?」

「わかるんですか?」

 衝撃の発言に、泣きじゃくっていた逢華も顔を上げる。おばさんは二人に微笑みかけながらゆっくりと噛み締めるように言う。

「あなたが少し甘えん坊な三毛猫の方でしょう? そっちのあなたが強がりだった白猫」

「はい……俺があの時の白猫で―って、え!?」

「そうです! アタシが三毛猫で、清樹が―って、今なんて!?」

 今度は清樹と逢華がお互いを驚愕の眼差しで見詰め合う番だった。

「逢華が、あの時の三毛猫……?」

「清樹が……白猫?」

「おやおや、二人とも気付いてなかったの? そんな状態でよく私を見つけられたものねえ」

 おばさんは景気良く笑うと、二人の頭を優しく撫でた。二人は未だに驚きから抜け出せなかったが、それでも頭に乗せられた手が心地よさそうだった。


 かれこれ一時間。開店前の居酒屋のカウンターでおばさんに出されたお茶を飲み、泣いたり驚いたりでパニックだった二人も、ようやく落ち着いてきた。

「今の名前は逢華に清樹というのね。あんた達も驚いただろうけど、私も驚いたよ。まさか前世の記憶を残して人間に転生してるとはね」

「あの、それなんですけど、おばさんはどうして俺達が猫の転生した人間だってわかったんです? もしかして、あなたも……」

 動物から転生した人なんですか? と尋ねる前に、おばさんは頭ではなく自分の顔を指差した。

「この顔を見て、何か変に思わなかったかい?」

「うーん、アタシ達が猫だった頃と同じに見えるけど……同じ?」

「それだ! おばさん、全然歳をとってない!」

 清樹達の記憶の中のおばさんと、今目の前にいるおばさん。同一人物なのはもちろんだが、見た目がほとんど変わっていない。仮に二人が死んだ次の日に転生したとしても、既に十年以上経過している。その上で見た目がほとんど変わらないのは、普通ではない。

「正解。じゃあついでにもう一つ驚かせてあげようか。あんた達、前世の記憶があるせいで天使か何かに追われてるでしょう?」

「「な、なんで知ってるんですか!?」」

 もういい加減驚くことも残っていないだろうと思っていた二人は、声を綺麗に揃えて驚かされた。

「あらあら、やっぱりねえ。セリオン殿も相変わらず生真面目なこと」

 元学習塾経営者にして、現在は居酒屋の経営者に過ぎないはずのおばさんは、とうとう天使長の名前まで言い当てた。明らかに只者ではない。

「その名前も、確か前に俺達を追ってる天使が話していた奴の名前だ。おばさんは一体何者なんです?」

「ふふ、あなた達には教えてもいいかしらね。他の人には絶対に秘密よ?」

 おばさんは目を閉じると、なにやら小さな声で呟き始めた。そしてカッと目を見開いた瞬間、眩い光が彼女の身体を包む。

「うわっ!」

「きゃっ!」

 眩しさに二人は思わず目を閉じ、そしてゆっくりと目を開けると、そこにはさっきまでと同じようにおばさんが立っていた。だがその身体には多少、いや、かなりの変化が起こっていた。

 頭にはシェン●ンのような角が生えていて、瞳は真紅に染まり、皮膚は硬い鱗に覆われている。前世の特徴、なんて生易しいものじゃない。どう見ても人間ではなかった。

「というわけで、私は人間ですらないわけ。正体は自分自身を人間に近い存在に変化させた龍、龍人(りゅうじん)ってところかしらね」

 とうとう天使に続いて龍までが二人の前に姿を現した。前世の記憶を引き継いでいるという意味では清樹と逢華も普通ではないが、それでも十分に人間だ。そこへ天使だ、龍だと人外の存在が次々絡んでくるのだから、清樹の不運もかなり極まっている。

「かれこれ地上で数百年生きているから、あんた達みたいに前世の記憶持っている人間にもあったことはあるし、天使がそれをよく思ってないことも知ってる。ついでに言うと、天使なんかよりよっぽどはっきりとネコミミを見ることもできるわ」

 出会った瞬間から前世が猫の人間であることはお見通しだったようだ。

「不思議な縁もあったものだわ。偶然拾った猫が生まれ変わって私を訪ねてきてくれるなんて」

 感慨深く頷くおばさんの身体は、あっという間に元の人間の姿に戻っていく。

「天使がいたんだから龍がいたっておかしくないけど……でも、よかった。それならあの時の強盗も簡単に倒せましたよね」

 逢華はそれが原因で自分達が死んでしまったというのに、純粋におばさんが無事だったことを喜んでいる。清樹もそれは同じだ。しかし彼は、喜ぶ以上に気になっていることがあった。

「ええ……あの時、あなた達を守れなかったことはとても後悔したけれど、こうしてまた会えて嬉しいわ。……ところで清樹、私に訊きたいことがあるんじゃないの?」

 勘の鋭さは龍だからか、それとも彼女の個性なのか、どちらにしても龍人のおばさんは清樹の考えをしっかりと見抜いていた。

「おばさん、さっき前世の記憶を持っている人間に会ったことがあるって言ってましたよね? それを天使が狙っていることを知っている、とも。その人達はいったいどうなったんですか?」

 逢華は言われて初めて気付いたようで、ハッとしておばさんの顔を見つめる。その視線を受けて、おばさんはゆっくりと口を開く。

「逃げ切った人もいたわ。でも、ほとんどが前世の記憶と、天使などの普通の人が知るべきでない記憶については消されていたわね」

 おばさんの顔からは、清樹達と再会してから常に浮かべていた微笑が消えていた。

「そんな……おばさんは龍なんでしょ? 龍でも天使には勝てないの?」

 どうにか前世の記憶を守り抜こうとしていた逢華は、急激に絶望感に襲われていた。龍でも敵わない存在に、人間が勝てるわけがない。

「いや、それは多分違うよ。おそらくおばさんは手出ししなかったんだ。違いますか?」

「……清樹は随分と賢い子に育ったようね。その通りよ」

 おばさんは一瞬自嘲的な笑みを浮かべてから続ける。

「龍族というのは、地上にいる生物の頂点と天界は認識しているわ。それだけに認められている権力もあるし実際の力も相当に強いけれど、天界の行為に迂闊に介入できない取り決めがあるの。もちろん、天界の行動が間違っていれば正すけれど、前世の記憶というのは確かに残らない方が正常な状態だもの」

 つまり、天使は龍でも対処できないほど強大な存在ではない。しかし、龍人であるおばさんの力添えを期待することもまたできない、ということだ。おばさん個人としては、二人を助けてあげたくても、それができない。そのことが悔しく、申し訳ないようだった。

 だが、二人の反応は違っていた。

「でも、記憶を消されずにすんだ人はいるんでしょう? その時のことだけでも教えてもらえませんか?」

 清樹は前向きだった。一度挫けても立ち上がった彼は、このくらいのことでは諦めるつもりはなかった。というか、普段から不運で鍛えられた打たれ強さは半端ではない。

「それに、アタシ達がおばさんを探してたのはあの頃のお礼を言いたかっただけだもの。協力してもらえないからって、そのくらいじゃ落ち込まないよ!」

 逢華はどこまでも純粋だった。むしろ協力できないことを気に病むおばさんのことを気にかけているくらいだった。というか、たくさんのことを一度に考えない性格なのだ。

 そんな二人を龍人のおばさんは優しく抱き寄せると、

「そうね……あなた達なら、天使を撃退することができるかもしれない。いい? よく聞くのよ。天使には絶大な権限が与えられる代わりに、失敗についてはかなりのペナルティが課せられる。天使は任務でそこまで長く地上には滞在できないし、おそらく、最もネコミミが見えるようになる満月の夜が今回の任務の期限のはず。だから次の満月さえ乗り切れば、今後他の天使にも狙われる心配はないわ」

 そして、おばさんは手のひらを二人に向けて差し出した。最初は何も無かったが、手のひらが一瞬光を放つと、そこには鱗、爪、牙、髭、そして小さな玉が現れていた。そのサイズは手のひらで包めるくらいだ。

「龍の鱗、爪、牙、髭、そして涙よ。大きさはある程度自由に変化できるから持ち運びも簡単だし、取説も付けておくから上手く使って。これが私にしてあげられる全て」

 清樹はそれらを受け取ると、不安混じりの笑顔で頷く。

「……とにかく、色々試してみます」

「絶対天使に勝って、また来ますね!」

 対して逢華は自信満々だった。まあ、根拠は何も無いのだけど。

 これで最後の決戦のための要素は全て揃った。

 決戦まであと九日。

 果たして最後に勝つのは清樹の持つ不運なのか。それとも、主人公(仮)としての立場が持つ強運なのか。


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