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第一章 不運な少年(ぎせいしゃ)と天然少女(バカ)と奇妙な先生(アホ)

   第一章 不運な少年(ぎせいしゃ)天然少女(バカ)と奇妙な先生(アホ)


 桜ノ(さくらのだい)中学校二年一組の教室では、少年少女が騒がしく過ごしていた。流石にまだ中学生なだけあって、良くも悪くも学校生活に張りが有るのだろう。これが歳を取ってくるとなかなか……いや、ここではどうでもいいことか。

 さて、教室に話を戻そう。そんな若々しい空気の中で明らかに浮いている疲れ切った少年がいた。言うまでもないが、蒼葉清樹その人である。ほんの数十分前には元気に家を出たはずなのに、もはや軽く登山でもしてきたかのような疲れようだ。

「おっすー、清樹……ってどないしたん? あれか、また不運な目にあったんか?」

「わかっているなら聞くな……。うう、朝から不運だ」

 あの後―


「すいません。町役場ってどっちかわかりますか?」

「スイーマセーン。コンビニエンスストアはどこデスか?」

「あ、ねえ、そこの君。聞いてくれよ。また漫画の新人賞に落ちちゃったんだよ。これで一四回連続だよ……。なあ、俺の人生がマラソンだとしたら、そのゴールはどっちにあるんだろう?」


 朝っぱらから色んな道案内をしているうちに、結局遅刻ギリギリの時間になってしまったのだ。

(っていうか、最後の人は道案内じゃないだろ……)

「何や知らんけど、ご苦労さん」

 さっきから関西弁のような言葉で話している茶髪の少年が、笑いながら同情の声をかける。彼はクラスメートの有坂(ありさか)斗貴(とき)(一三)。関東生まれの関東育ちだが関西弁のあるお笑い芸人を尊敬していて、それをまねして話している。清樹とは小学校以来の付き合いで、彼の不運体質について熟知している人間の一人だ。

「それより聞いたか? なんや新任の先生が今日から来るらしいで」

「妙なタイミングだな。もう四月も終わりだっていうのに」

 興味をそそられたのか、清樹も会話にのってきた。

「せやろ? しかも実際にその先生を見た奴の話やと、金髪で目の青い二枚目の先生やったらしいで」

「外国人か。となると英語の先生ってことになるのかな」

「よーし、皆席に着け! 朝のHR始めるぞ!」

 話は教室に入ってきた担任教師、岡田(三五)の声で中断された。ちなみに英語担当なのに毎日ジャージで首に笛をぶら下げ、現在絶賛お嫁さん募集中。

「さて、出席を取る前にお知らせだ。中には既に知っている人もいるようだが、今日から新しい先生が来ることになった。英語の基礎科を担当してくれるんだが―なんとイギリス人だ! 本場の発音で勉強できるぞ」

 途端に教室が騒がしくなる。喜ぶ者、不安そうな者、反応は様々だが、全員物珍しいことには変わりないらしい。

「質問! その先生って男ですか、女ですか?」

「どうせなら基礎科よりも発展科の授業受け持ってくれたらよかったのに」

「イギリス人か……日本語通じるのかな?」

 他のクラスでも担任が発表したようで、廊下からも生徒の声が響いてくる。騒がしくなり過ぎて収集がつかなくなる前に、岡田が大きく手を叩いて生徒達を注目させた。

「こらこらまだHR中だぞ。静かにしろー。それに、もっと大事なニュースがあるんだからな」

 もっと大事なニュース、と言われて生徒達はさっと話すのをやめた。外国人の先生が来るだけでも大ニュース。それを超えるとなるとどんな凄いことなのかと、期待に教室が静まりかえった。

「実は昨日……」

 溜めまで作る岡田の話しぶりに、教室中の視線がますます強く彼に集まる。誰か逮捕でもされたのか、それとも埋蔵金でも見つかったのか、もしや交通安全の人形がカー●ル・サ●ダースにでも変わっていたのか!?

「実は昨日、またふられてしまったのだぁぁっっ!スポーツマンがタイプだって言うから、今度こそ、今度こそうまくいくと思ったのにぃぃっっ!」

 一斉に溜息が教室を満たした。この溜息はこの教師に対して向けられたものではない。なんでこんな教師に期待してしまったんだちくしょう、っていう自分自身に対する溜息だった。

「何故だぁぁぁっっっ!!」

 独身教師の悲しい叫び声は、このあとしばらく続いたが、チャイムと同時に生徒が教室から出て行くことで強制終了となった。ちなみに、出席簿にはクラス委員がしっかりと全員出席と記入していた。


 アホな展開から軌道修正できないまま終わったHRの後、清樹と斗貴は次の授業をやる教室へと歩いていた。

「週明けの月曜日。その一時間目から英語かいな……」

「お前は体育以外どれも一緒だろう」

「いや、調理自習の授業なら家庭科も好きやで。食べるの専門やけどな」

 ちなみに桜ノ台中学校では、二年生以上は国・数・理・英・社の授業が学力と本人の希望に応じて基礎科と発展科に分かれている。それぞれのコースの人数は大体クラスで半々に近い数字になるため、どちらのコースも隣のクラスと合同の授業になる。

 この二人がこれから受けるのは二年一組、二組合同の英語基礎科の授業だ。

「それにしてもお前が基礎科ってのは珍しいよな? 他の科目は発展科だったやろ?」

「三学期の期末試験が結構悪かったんだ。だから基礎の方がいいだろうと思ってさ」

「ふうん、さよか。まあ俺も今年はちっとは楽しく授業受けられそうやけどな。あっ、噂をすれば――」

 曲がり角を曲がった先に、二人組みの女の子が歩いているのが見えた。どちらも黒髪でポニーテールと肩にかかるストレート。その片方、ポニーテールの小柄な少女に斗貴は猛烈にダッシュし、そして―

「おーい! 黒呼(くろこ)!」

 そのままの勢いで、その少女目掛けてジャンプした。

「ち、近寄るなっ、バカッ!」

「へぶっ!」

 思いっきり抱きつこうとした斗貴は、小柄な女の子、猫谷黒呼(ねこたにくろこ)(一三)の回し蹴りで見事に撃墜された。出会い頭の強烈な蹴りに、床に激突した斗貴の身体が大きく跳ねる。

 午前中の学校で起こるにはあまりにもショッキングな光景に、辺りの生徒は一瞬静まりかえる。しかし、それも束の間。斗貴は何事もなかったかのように起き上がると、

「いやー、相変わらず照れ屋やな、黒呼。もうちょっと優しく受け止めてくれてもええのに」

「う、うるさいわよバカっ! 朝からアンタの相手をしてる暇無いんだからっ! 行きましょう、逢華(おうか)

「はいはーい♪ それじゃ、お先に失礼するね。蒼葉君、有坂君」

 女の子二人は、ちょっと引き気味の周囲に構わず、今までと同じ調子で廊下の先へ消えていった。

 その姿が見えなくなって他の生徒も緊張が解けたようで、廊下の行き来が再開される。

「いやぁ、可愛えやろ? 二人の時にはもうちっと優しいんやで?」

「……そんなことより、身体は平気なのか?」

 たった今強烈な蹴りを見舞った少女と斗貴は幼馴染で、周囲はそのあまりに過激な(もしくは苛烈な)やり取りに常にヒヤヒヤさせられる。斗貴が清樹の不運体質をよく知っているように、清樹も小さい頃から見続けているやり取りだというのに、未だに慣れない。


 廊下でのちょっとした騒動のおかげで、二人が教室に着いたのは始業ベルが鳴るのとほとんど同時だった。噂の新任の外国人教師はまだ来ていないようで、他の生徒もまだのんびりと喋っていた。

「あ! 黒呼~、隣ええか?」

 窓際の列の一番後ろ、前の席に座るもう一人の少女と話しているところへ斗貴が突撃した。そして、相手の返事も待たずに空いていた隣に座ると、あれこれとちょっかいを出し始める。

「……うっとうしいわね、他にも席はあるでしょ?」

「ええやん。ここも空いてるんやから」

 素っ気無い言い方をされても動く気はないようで、必然的に清樹は斗貴の前、もう一人の少女の隣に座る形になる。

「ねえ、蒼葉君は有坂君と付き合い長いの?」

 隣から話しかけられて彼がそちらを向くと、少女―四月に転校してきたばかりの名神(ながみ)逢華(おうか)(一四)が後ろの二人を横目で見ながら顔を近づけてきていた。

「あ、ああ。小学校からの付き合いだけど―」

 予想外の急接近に、顔を少し赤らめながら答える。思春期特有のドキドキを抑えるのに清樹は必死だったけど、幸い逢華は何も気付いてないみたいだ。

「あの二人、いつもあんな感じ? アタシって先月転校してきたばっかりだけど、黒呼ってば有坂君の話題になると、わざとらしく話題変えたりするし」

「素直じゃないんだよ、二人とも。斗貴とは長い付き合いだし、その流れで猫谷さんのことも結構前から知ってるけど、小学校の頃からあんな感じ」

 男の方はノリが軽すぎてデリカシーが足らず、女の方は照れ屋で口より先に足が出る。ある意味思春期真っ盛りなんだが、そんなツンデレな乗りにリアルで付き合わされる周囲(主に不運な清樹)はたまったもんじゃない。

 過去にあった具体的な不運としては、照れ隠しで放たれた蹴りが清樹に当たったり、全力で逃げる黒呼とそれを追いかけた斗貴が二人揃って酸欠でぶっ倒れて家まで運ぶことになったり……。

「あはは、苦労したみたいだね」

 今までの苦い記憶に顔をひきつらせていた清樹に、逢華が同情した。

「アタシって引っ越してきたばかりで知り合いいなかったし、最初に友達になってくれた黒呼には協力してあげたいんだけど、アタシにも言わないのよね。有坂君のこと、どう思ってるのか」

 そんな会話をしている間も、当の二人はギャーギャーと騒いでいて、全く落ち着く様子が無い。そんな状態を見て、思わず二人して溜息をつくのとほぼ同時に、

「グッドモーニング、エブリワン!」

 金髪碧眼の見た目二〇代前半くらいの青年が教室に入ってきた。背丈は一八〇センチを軽く越えてるし、服の上からでも無駄な肉が一切ついていないのがわかる。いわゆるモデル体型というやつだ。しかも、顔もそこらのアイドル並だ。

「今日から皆さんの授業を担当するタリスです。よろしく!」

 声も大人の落ち着きを感じさせつつも、相手にプレッシャーを与えず、なおかつよく通るという完璧具合。

 当然、女性陣の反応は、

「キャー!」

「すっごい美形! 芸能人みたい!」

「基礎科にして良かった!」

 目の前に突然現れた絵に描いたような美形に、教室を歓声が埋め尽くした。男子生徒も妬む余裕もなく、ただただ感心していた。

(ん? この声、何か引っかかるな……)

「なんやすっごいハンサムさんやなぁ。はっ、もしかして黒呼もああいうのが好み?」

「私はべつにああいうのは……って、勘違いしないでよね! あんたみたいに軽過ぎるのも好きじゃないんだから!」

 後ろのツンデレ騒動は華麗に流しつつ、どうにか思い出そうとするのだが、どうしても思い出せない。何か引っかかっているのは間違いないのに。

「アタシも美形過ぎるのはちょっとね。蒼葉君はどう思う?」

「……わっ! えっと、何? 名神さん」

 考え事をしている間に、またも顔を近づけられ、どぎまぎしながら清樹は答えた。

「何? 考え事?」

「ん、ちょっとね。何かあの先生の声に聞き覚えがあるかな、って」

 などとやっている間に、タリスと名乗った新任教師は歓声を笑ってい●とも風に抑えて教壇に立っていた。

 黒板に流れるような筆記体と丁寧なブロック体、そして日本語で名前を書くと、改めて生徒の方に向き直った。

「えー、今日から二年生の英語基礎科を担当するタリス・アンゲルと言います。出身はイギリスです。皆さんに英語を楽しく学んでもらいたいと思います。気軽にファーストネームでタリス先生と呼んでください」

 カタカナが混じってない事からも分かると思うが、非常に流暢な日本語だ。挨拶の中身もお決まりで、無難。良くも悪くもとても日本的だ。

「今日はいきなり授業をせずに、皆さんと交流をはかりたいと思います。そこで、最初にお近づきの印として、贈り物があります」

 そう言うと、廊下から大きなダンボール箱を教室へと運び入れる。どうやら何かがたくさん詰まっているようで、中からはカチャカチャと互いにぶつかる音がしている。

「私は日本に来て初めて食べたんですが、非常においしかったので皆さんにもと思いまして。よかったら受け取ってください」

 思わぬプレゼントに教室が沸く。それに外国人が食べておいしかったと言われて思いつくのは、やはり寿司、天ぷらなどの豪華な和食。期待も当然それなりに高まる。

 そして、タリスの手が箱から取り出したのは―

「どうぞ、カツオ節です!」

 …………。

 失礼。ちょっと言葉を失いました。

 タリスが取り出したのは誰がどう見てもカツオ節だった。しかも、家庭用にスーパーで売られている、削ってパックに入れてあってすぐに食べられるような物ではなく、まだ塊のままだった。

「しかも、これは最高級の(かれ)(ぶし)なのです!」

 枯節。カツオ節の中の一種類。うま味成分やビタミン類が他のカツオ節より多く含まれる高級品である。現存する食材としては世界一硬いと言う説もある。

 って、そんな豆知識はどうでもいい!

「いや、なんでカツオ節やねん!」

 お笑い志望の血が騒いだのか、いち早く言葉を失った状態から復活した斗貴が一番後ろの席からツッコミを入れる。それがきっかけになったのか、他の面々もざわつきだす。

「なんなんだ、あの先生……」

「おいしそう―」

「へっ?」

 隣からの予想外な言葉に清樹が視線をやると、逢華の視線はタリスが持つカツオ節に釘付けになっていた。流石に涎までは垂らしてないものの、そのぐらいはしてもおかしくない雰囲気だ。

「あ、あの、名神さん?」

「だって枯節だよ? あんな最高級品が手に入るなんて……」

 好物に大ヒットした逢華はすっかり幸せそうになっている。

 そんなこんなで色んな意味で困惑する生徒達にタリスは一人ずつカツオ節を手渡していき、清樹達の前にもやって来た。

「はい、どうぞ。これからよろしく」

「あ、どうも……」

 一応受け取りつつ愛想笑いを返す清樹。それに対してタリスも微笑み返すが、視線が少し高いような―そう、まるで、

(この人、俺の頭見てないか?)

 そう思っている間にタリスは清樹の隣に座る逢華へとカツオ節を渡す。

「あ、ありがとうございます! カツオ節大好きなんです!」

「ほう。それはよかった。おいしく食べてください」

 そしてタリスは同じように斗貴と黒呼にも渡すと、教壇に戻っていく。

(名神逢華はカツオ節が好き、か。それに猫谷……要チェックですね)

 爽やかな笑顔から一転。何かを企んでいる顔を一瞬浮かべたが、それを見た者は誰もいなかった。


 午前中の授業が終わった昼休み、清樹は弁当を抱えて食堂で一人考えていた。

 その後の授業も、なんとも奇妙なものだった。人工的にマタタビに近い匂いを作る方法を教えたり、ペットの猫が今ハマっているおもちゃを見せびらかしたり。

 猫好きの教師が自分の趣味の分野で生徒に溶け込もうとした、と言えば聞こえは良いけれど、彼は常に生徒を探るような目つきで見ていた。

(あのタリスって先生、絶対普通じゃない)

 そして、これらの事実に清樹は全て気付いていた。

(やたら猫絡みの発言が多いし、ずっと頭の上を気にしてた。偶然、なのか? それに考えてみれば―)

 考えながら、意図的に透明なネコミミをパタパタと動かす。

「待たせてスマン。ほらこっちやで、二人とも」

 弁当持って小走りにやって来る斗貴の声で、彼の思考は中断された。そして見えるわけではないけど、ネコミミをパタンと寝かせて髪の中にしまい込む。

「いや、まだ食堂も空いてるし大丈夫だぞ。それより、珍しいな」

 斗貴の後ろには、黒呼と逢華が弁当を持ってついてきていた。

 ちなみにこの食堂は体育祭などのイベント時に機能するもので、基本的に生徒には食事を売ってはいない。ただ教室よりも広くきれいだし、調味料各種は常備してあるので、食事時にはここで弁当を食べる生徒が多い。

 なので、逢華や黒呼も当然ここをよく使っているが、

「いつもなら、声をかけても猫谷さんに逃げられるだろうに」

 珍しい光景に清樹は感嘆の声を発し、斗貴はデレデレしつつも得意そうだ。

「……私はべつに。逢華が行こうって言うから」

 消え入りそうな黒呼の声に清樹が目を向けると、後ろで逢華がニコニコと笑っていた。どうやら彼女なりに気をつかってここまで連れてきたようだ。

「さあさあ、とにかくご飯にしましょうよ。昼休み終わっちゃうよ」

 放っておくとやっぱり帰るとか言い出しそうな黒呼の肩を抱いて、そそくさと席に着く。そして各自の弁当を取り出し―

「あの、名神さん、それは一体?」

 食べ始めようとした所で、逢華が弁当箱と一緒に取り出した妙な物に清樹が気付いた。

 それは、カツオ節削り器。

「これ? 家庭科室で借りてきたの。さっきのカツオ節、早速食べようと思って」

 ……何故、中学校の家庭科室にカツオ節削り器が?

 そして、何故いきなりカツオ節を食べようとする?

(そう。タリス先生も妙だったけど、名神さんの言動もちょっとおかしかったよな……。猫絡みの話にもやたら食いついてたし)

 不審に思っている間にも、逢華は器用に削っていく。最高級品の名前は伊達ではないようで、カツオ節のいい香りが辺りに漂い始める。

「う~ん、いい匂い。やっぱり削りたてはいいよね」

 削ったカツオ節をごはんにかけて、少しだけ醤油とマヨネーズをたらす。

「これがおいしいのよね~。いっただきまーす♪」

 怪訝そうに様子を窺う清樹には気付かずに、おいしそうにカツオ節かけご飯を頬張る逢華。

(カツオ節……前世では俺も大好きだったし、今でも嫌いじゃないけど、いや、しかし)

 削り器まで探してきて、昼休みに食べようとまでするだろうか? その疑念から、じっと逢華を見つめて動かない清樹に、他の二人が気付いた。

「清樹、どうしたん? さっきからずっと名神さんの方を見とるけど」

「蒼葉君、あんまり女性の食べるところをじっと見るものじゃないわよ」

「えっ! あ、いや、そうじゃなくて、その―」

 突然横から突っ込まれて、慌てる清樹。それを見てさっきまで食べることに集中していた逢華までそちらを見て笑い出す。

 急に恥ずかしくなって、どこにやっていいかわからなくなった清樹の目は、そこにあるはずの無い物を捉えていた。

「そっ、それは!」

 思わず大きな声が出ていた。ただそれも無理はない。視線の先、逢華の頭の上にはほとんど見えないくらいだが薄っすらとネコミミがあった。

「ど、どうしたの? 蒼葉君?」

 びっくりして逢華が身を乗り出してくるが、その拍子にまた頭の上のものが動くものだから、頭はますます大混乱。

(ど、どうして!?あれが頭にあるってことは、名神さんも……? そ、それとも何か別の理由があるのか?)

 答えもせずに視線をふらふらと泳がせる清樹が本格的に心配になってきた三人が、どうしたものか困っていると、

「おや、どうしました?」

 いつのまにか隣にタリスが立っていた。

 三人はホッとした表情を浮かべていたが、清樹はそうもいかない。何故って、今の拍子に思い出してしまったからだ。タリスの声をどこで聞いたことがあったのかを。

『ネコミミはどこだぁ~っ!』

 昨日の夜、叫びまわって警察に追いかけられ、普通じゃないとシロがわざわざ忠告にきた相手。それはもう間違いなく、目の前のタリスだった。

 声なんか似ているだけかもしれない。清樹の勘違いかもしれない。でも、彼は確信していた。声なんておまけに過ぎない。生徒の頭をやたら観察していたこと。猫が喜びそうなことばかりしていた奇妙な行動。

 全てが前世の猫の記憶を受け継いでいる人間、頭にネコミミがついている人間を探していたと考えると説明がつく。

「いや、じつは清樹の様子が―もがっ!」

「なんでもないです! 蜂が飛んでたんでびっくりしただけです!」

 喋りかけた斗貴の口を慌てて塞ぐ清樹。

「ああ、そうですか。おや?」

 べつに疑う事もなく、あっさりと納得したタリスの興味は、削られたカツオ節に向けられた。

「早速食べてもらえたみたいですね。味はどうだい?」

「はい! とってもおいしいです。やっぱりカツオ節は削りたてに醤油とマヨネーズですよね!」

 ニコニコと笑って答える逢華に一度微笑んでから、ちょっと視線を逸らしてボソっと呟く。

「……丸かじりではないのか」

「え? 何か言いました?」

「いや、なんでもない。そうだ皆、知り合いに異様に猫好きな人とか異様に猫っぽい人はいないかな?」

 突然すぎる質問に対する四人の反応はそれぞれ次のような感じ。

(この先生、何でそんなこと聞いてくるんや?)

(猫好きならわからないでもないけど、猫っぽいってどういうこと?)

(おもしろい先生だなぁ~)

(ド直球にもほどがあるだろ……。しかも、丸かじりってなんだ、丸かじりって!?前世が猫の人間なめてんのか!)

 きっちりタリスの声を聞き取っていた清樹は、しっかりと内心ツッコミを入れていた。

 スマン清樹。周りがボケばっかだから、いつもフォローしてもらって。

「どうだろう?」

「そうですね―」

「そういえば!」

 逢華の言葉を遮るように清樹が大声で言う。

「猫と言えば昨日の夜に事件ありましたよね。たしか、『ネコミミはどこだぁ~っ!』とか叫んでた不審者がいたとか。先生知ってます?」

 不自然なほど爽やかな笑顔で尋ねる。できるだけ自然な流れになるように、なおかつ自分が疑われないように。そしてこれで話が途切れたらいいなぁ、と願いつつ。

「し―」

 他三人を置いてきぼりにしてタリスと清樹の間に緊張が走る。

「し、知らないなぁ? せ、先生は、その、昨日は早くに寝てしまったからなぁ~」

 そう言うタリスの目は、北島康介並のスピードで泳いでいた。

(あ、あやしいーっ! この人とんだマヌケだぞ、おい!)

 にこやかに保っていた表情が、予期せぬ方向に裏切られたことで崩れた。あからさまなジト目になってしまう。

「そ、そうだ。先生はちょっと用事があるから。また英語の時間に会いましょう!」

 わかりやすく狼狽したタリスは、そそくさとその場を後にした。

「あれ、結局なんやったんやろな?」

「さあ? それより早く食べないと、昼休み終わっちゃうわよ」

「あれ? もしかして俺のことも気にしてくれてる?」

「ち、違うわよ! 今のはアンタじゃなくて逢華に言ったのよ! 変な勘違いしないでよね!」

 ツンデレ劇場。

 おっと、そんな場合じゃなかった。とにもかくにも窮地を脱した清樹もさっさと昼飯を平らげにかかる。実際は一番の当事者だった逢華についてはカツオ節のおいしさに夢中になってタリスと喋りながらも食べていたので、既に弁当は四分の一も残っていない。

(とりあえず誤魔化したけど、タリス先生が何者で何が目的なのか、もう少し調べた方がいいよな。それに、名神さんも……)

 ちらりと目をやると、そこにはおいしそうに最後の一口を食べる逢華の姿。その可愛らしく微笑ましい姿に顔が緩みかけたが、すぐに彼はある事実に気付いた。

(結局、一番不運なのは俺なんじゃないかなぁ……)



 あっと言う間に放課後。

「清樹~、今日もお前はおもろかったな~!」

「俺自身は何も楽しくねえよ」


 午後の社会の授業中、鞄の中に入れてある携帯電話のバイブレーションがずっと呼び出しを続けていた。基本的にこの中学校には携帯電話を持ってくるのを禁止する規則は無いが、当然授業中には使ってはいけない。だから清樹も無視していたのだが、あまりにもずっと鳴っているので、何か家であったのではないかと不安になってしまい、

「すいません、先生。何か急用みたいなので電話出てもいいですか?」

「ん、仕方ないな。じゃあ、廊下で話しなさい。手短にな」

「はい」

 廊下に出て通話ボタンを押す。その途端、

「どうしてすぐに出てくれないの~! リョウコのこと捨てちゃいや~! 浮気してもいいから戻ってきて!」

 あまりの大音声に、廊下や教室にそのとんでもないセリフは響き渡った。血相変えて先生も教室から飛び出してきた。

「蒼葉、今のは何だ……?」

「いや、今のは、ええっ!?」


 一連のドタバタを思い出して、斗貴は未だに面白そうだ。

「普通あんな壮絶な間違い電話があるか? 流石は不運に愛されとる男やなぁ」

「うるさい。旦那の浮気が発覚してケンカしたものの、寂しくなって電話してきたのが何で俺の携帯電話だよ。妙な噂が立たなきゃいいんだが……」

 相変わらずの不運っぷりだ。こんな具合に、学校でも度々不運に襲われる事が多く、不運な人間としての知名度は徐々に上がりつつある。もっとも、大抵の場合事実に尾ひれがつくのが問題だけれど。

「最近はお前の側におると不運が全部そっちに行くから逆に自分は幸運になる、なんてジンクスまで流行りだしてるみたいやけど」

「それが本当だったら、とっくにお前は猫谷さんと付き合えてるはずだろうよ」

「アッハッハ、そりゃそうや。おっと、そろそろ俺は部活に行くで。部活に行けば黒呼とも一緒におられるしなぁ♪」

 鞄を持ってスキップしながら、斗貴は教室を出て行った。

(あれで陸上部の長距離ホープだってんだから、人は見かけによらないよなぁ。さて、と……)

 いつもなら帰宅部の清樹はこのまま帰るのだが、今日はちょっと予定があった。そう、主人公には主人公らしく動いてもらわないと。

 廊下に出ると、隣の二組がちょっと遅れて帰りのHRが終わった所だった。鞄を持って出てくる生徒の中に、小柄なポニーテール少女と話しながら歩いている目標を発見する。

「あ、蒼葉君だ! どしたの? ウチのクラスに何か用事?」

「あー、というか、名神さんに用があるんだけどさ。この後って何か予定、ある?」

「んーん、特にないよ。あ! 愛の告白はダメだよ! まだ会ったばっかり―」

「いや、違うから。ちょっと聞きたいことがあるだけだよ」

 逆に女性にそれは失礼だろってくらい、バッサリと否定する清樹。まあ逢華はそんなことを気にしないので問題無いが。

「聞きたいこと……ハッ、ダメだよ蒼葉君! 女の子のスリーサイズを聞くのは失礼なんだよ!」

「……猫谷さん、この子はいつもこんな感じなのか?」

 やや疲れ気味に、隣にいるツンデレ少女に尋ねる。

「見ての通りよ。最近では珍しい天然だから、手を出さないでね。というか、手を焼いても放り出さないであげてね。じゃ、私は部活だから」

 特に助け舟を出す事も無く、黒呼はさっさとグラウンドへ向かっていった。

「あー、スリーサイズも聞かないから、ちょっと来てもらっていいかな。ここでこれ以上このやり取りするのも、恥ずかしいし」


「や~、変な勘違いしてゴメンね。それで、聞きたいことって何?」

 二人は人気の無い屋上に来ていた。ちなみに、立入禁止の貼紙でドアが封鎖してあったが、清樹にあっさり破られて足元に転がっている。

「えっと、遠回しに言っても仕方ないし、そんな余裕も無いから単刀直入に聞くけど、名神さんは頭のネコミミに……気付いてる?」

「うそっ!?蒼葉君にも見えるの、コレ!」

 欠片も隠そうとせずに思いっきり認める逢華。同時に普通の人には見えないネコミミが跳ね起きた。

 なんと言うか……伏線もへったくれもないなぁ、この子。

「じゃあ、前世が猫だったことも……?」

「うん、バッチリ覚えてるよ! 他の人には内緒だってミケに言われてるからお母さんも誰も知らないけど―あっ! いっけない……言っちゃいけなかったんだ!」

 えー、この子にツッコミ入れたら負けとか、そういう競技ではありません。

「はあ……。そのミケって猫の方がしっかりしてるみたいだ。でもまあ、俺になら話していいと思うよ。ほら、これ見て」

 清樹はわざわざ自分の頭を示してから、ネコミミをパタパタと動かした。

「あー! アタシと一緒だ!!同じ人初めて見たよ!」

 珍しそうに近付いてきて、無造作に頭に手を伸ばすが当然その手はすり抜ける。

「触れないのも一緒なんだね~。でも、どうして今まで気付かなかったんだろ?」

 今まで自分と猫以外に見える人がいなかっただけに、突然現れた同じ立場の清樹を不思議そうに見つめる逢華。

「さあね。元々そんなにハッキリ見えるものでもないし、まさか他にもこんな人がいるとは思わないからな。多分、意識的に見ないと気付かないんだよ」

「うーん、難しい事はよくわかんないけど、つまり蒼葉君はアタシの頭を意識して見てたんだよね。どうして?」

「それは……」

 ここからが清樹にとっては問題だった。同じ境遇の人を見つけただけなら、『おー、君もなんだ。奇遇だね』で済むけれど、今回の場合はそんなことを言っていられる状況ではない。

「名神さんは、タリス先生を見ていてどう思った?」

 質問を質問で返されて、一瞬キョトンとした表情を見せた逢華だったが、顎に手を当てて考え始める。緊張感に清樹もごくりと息を呑んで答えを待った。そして、

「おもしろい人だと思った! あと、あんなにおいしいカツオ節くれたから良い人!」

 ま、お約束ということで。

 清樹も頭のどこかで予測はしていたのだろう。特にずっこけたり唖然としたりすることもなく、ただただ深く溜息をついた。

「あの人は何か企んでるよ、きっと。気付いてなかったみたいだけど、あの人は明らかに頭にネコミミがある人間を探してた。誰でもいいのか、俺か名神さんを探してるのかはわからないけど、俺でも名神さんを見てて妙だな、と思った。だからそのネコミミにも、気付いた」

 それでもまだキョトンとしている逢華に、清樹は自分が気付いた事を全て聞かせた。タリスの不審な言動に含まれているであろう意味。そして、夜中の叫び声について。

 初めのうちこそよくわかっていなかったが、次第にその表情に焦りが浮かび始めた。

「それってもしかして、すごくマズイ? ていうか、アタシって疑われてる?」

「どうだろう。普通の人には見えないはずだけど、油断はできないと思う」

「アタシ達に何かする気なのかな?」

「目的がわからないから何とも言えないけど、多分好意的な目的じゃないと思うよ。じゃなきゃ、食堂で聞かれた時みたいに焦らないよ」

(もっとも、あんなあからさまでマヌケな調査じゃあ、全然隠せてないんだけどね)

 清樹の言葉にまた考え出す逢華。今度は、う~ん、と唸って悩む声まで出している。

「えっと、どうしたの名神さん?」

「うん。確認なんだけど、タリス先生は前世の猫だった時の記憶が残ってる人を探してるんだよね?」

「ああ、多分」

「でも目的はわかってないんだよね?」

「そうだね」

 そこまで言って、逢華は一度言葉を切った。

「よしっ! じゃあ早速調べに行こう!」

「待てコラっ!!」

 清樹は思わず大声で叫んでしまった。だがこのくらいしてなかったら、逢華はすぐにでも駆けていってしまっただろう。そんなことをされたら、わざわざ人目のつかない場所で話している意味がなくなる。

「どうしたの? こういうことはやっぱり目的がわからないと」

「……それはそうだけど、名神さんどうやって調べる気だったんだ?」

「あ、もしかしてアタシがタリス先生に直接聞きにいく、とか思ってる? アタシもそこまでバカじゃないよ~」

「……じゃあ、どうするつもり?」

 一応聞いてみようかと先を促す。ちなみにこの時の清樹の心の中は諦め九割、期待一割だった。

 そんなほぼ諦めに近い気持ちには気付かず、胸を張って逢華は宣言する。

「メールアドレス聞き出して、それで匿名メール出して訊けばいいのよ! これならアタシが訊いたってわからないでしょ?」

「教えてくれるわけないだろう……」

「えー、そうかなあ?」

 やはり九割の方が正解だった。

「ただ確かに放っておくわけにもいかないだろうな。俺がこっそり調べてくるから、名神さんは帰った方がいい」

「それならアタシも行くよ! アタシもネコミミがある人間だし、他人事じゃないもの」

(いや、むしろ既に目を付けられてるから、これ以上怪しまれるとマズイと思うんだけどなぁ)

 しかし、ここで強制的に帰らせた所で、十中八九自分一人で調査を始めてしまうだろう。この天然少女に隠れて調査などできるわけがなく、結果正体がばれるのを早めるだけ。

 清樹としてもそれはわかっていたし、わかった上で放置するのも後味が悪い。

「はあ……わかったよ。じゃあ俺と一緒に行こう。ただし、絶対に俺の指示に従うこと」

「了解しました、隊長!」

 気苦労で今にも胃を痛めそうな清樹に対して、逢華はどこまでも楽しそうだった。


 屋上を出た二人は真っ直ぐ職員室へ向かった。直接タリスに関わるのは危険だが、やはりある程度近くによって観察しないと、情報を集められない。

 職員室にはまだ他にもたくさん教師が残っているみたいで、中からは数人の話し声がした。二人はそっとドアを開けて隙間から覗く。

「タリス先生はいる?」

「いや、いないみたいだな。もう帰ったのか……?」

 かなり視界が狭いので全体が見えない。もう少しドアを開けようと力を入れた瞬間、

「ん? お前ら何してるんだ?」

 二人の背後に岡田が立っていた。

「えーっと、えっと、その、あの、えっと」

 一応さっきの清樹とのやり取りで、素直にタリス先生の秘密を探りに来た、と言うのはマズイと逢華もわかっているようだ。ただ、その代わりの理由をとっさに言えるかとなると別問題だ。

「―昨日の夜にあった事件について聞きに来たんです。あの奇声をあげてる人がいたってやつです。近所だったんで少し物騒だと思って、学校に何か連絡がなかったか確かめようと思って」

 逢華とは対照的に、清樹は一瞬でさらりと嘘をついて見せた。おまけにタリスについて警察はどう動いているのか確かめるチャンスにしてしまった。

「おお、それなら連絡があったぞ。今のところ実害は無いが、夜間の外出は控えるようについさっき連絡があった。明日の朝にでも話そうと思っていたんだが」

 特に何も不審には思われなかったようで、岡田は自分の知っている情報をペラペラと話してくれる。

 その様子を見て、清樹はさらに情報を引き出しにかかった。

「じゃあ、犯人はまだ捕まってないんですね?」

「そうなるなあ。何でもパトカーも出して追跡したらしいんだが、逃げ切られてしまったそうだ」

「あ、それなら犯人の特徴とかないんですか?」

 話の流れに逢華も乗っかってきた。

「それなんだがなぁ……追っていた警察が全員記憶を無くしているらしいんだよ」

「えっ!?」

 突然の展開に、逢華はもちろん清樹も驚いて尋ねる。

「記憶をなくしてるって、どういうことなんです!?」

 岡田も二人がファンタジーのような劇的な展開を期待しているのがわかったのだろう。どう答えたものか少し迷ってから、

「いや、どうやったのかわからんが、全員しこたま酒を飲まされて酔い潰されていたそうなんだ」

 ファンタジー要素ゼロ。

 酒で酔い潰すって……まあ、確かに飲みすぎたら記憶なくす人はいるが、意図的にやったのならある意味凄い。

「というわけで、犯人の特徴とかも何もわからんそうだ。まあ、あれだ。先生の結婚相手が未だに見えてこないのと同じだ。アッハッハ……」

 独身教師の渇いた笑いが響く頃には、既に二人ともその場から立ち去っていた。


「参ったな……結局手掛かり無しだよ」

「そだね。ねえ、蒼葉君はやっぱりタリス先生が犯人だと思うの?」

「声も確かに似てたし、言ってることも一致する。それに、同じタイミングで同じような種類の変な人が出るとは考えにくい。というか、そんな奴二人もいてほしくない」

 最後の部分が特に本音だった。

 ネコミミと叫ぶ奴がそこら中にいる世界……某国の某都の秋●原という街には何人かいる気もするが、それはここでは考えないってことで。

「そっか。でも、見つからないんじゃあ―あっ!」

 逢華が指差す先には、まさに今廊下を曲がっていくタリスの姿があった。こちらには一切気付いていないようで、鼻歌まで歌っている。曲はクリス●ルキングだ。

「追いかけよう。何かヒントが掴めるかもしれない」


 一方タリスは、今日一日で収集できた情報を頭の中で整理していた。

(とりあえず二年生の英語基礎科と教師、それに休み時間に話した生徒数人にカツオ節を渡したが、反応からでは完全な特定は難しいな)

 いや……逢華は特定していいんじゃないのか? それに、ギャグではなくて本気であの方法で探していたとは……。

(その中で気になったのは苗字に猫が入っている猫谷黒呼と生徒が話していた一年生に二人いるという猫好きの生徒か。それと、名神逢華は……いや、猫ならカツオ節は丸かじりが基本だろう。おそらく、本命はどこかで隠れて食べていて、彼女はただのカツオ節好きか)

 救いようないよ、この人。やった意味ないじゃん。

 鈍感とかそういうレベルじゃない。思い込みが激しい上に、逢華に負けず劣らずの天然だ。

(なんにしても、ここまでの報告をしておかなくては)

 やや緊張した顔つきになったタリスは、人気(ひとけ)の無い給湯室に入っていった。


「給湯室っていつも使ってる部屋なの?」

「いや、誰かが入るのを見たこと無いな」

 ここも食堂と同じく特別行事の時にしか使われないので、人の出入りは一切無い。ようするに、今のタリスの行動は思いっきり怪しい。

 二人は足音を殺してそっと給湯室に近付くと、扉に耳を寄せて中の様子を窺う。

「セリオン様。こちらタリスです。潜入に成功いたしました」

 部屋の中にはタリス一人しかいないのに、誰かと話す声がした。携帯電話かと思い、そのまま話を聞いていると、

『ご苦労。それで調査の進み具合はどうだ?』

 中からタリスとは違う、拡声器を通したようなくぐもった声が聞こえた。

「ねえ、今の声誰だろ? 中に他の人がいるのかな?」

「……いや、この場にいる感じの声じゃない。携帯電話か、それに似た通信機―ってオイ!」

 制止する暇も無く、逢華はこっそりドアを少し開いて中を覗き込んでいた。清樹は慌てて閉めようとしたが、余計に音をさせても仕方ないので、大人しく一緒に中を覗く。

 結論から言うと、タリスは携帯電話や通信機は使っていなかった。タリスは鏡に向かって話しかけていた。

 しかし、鏡に映っているのはタリス自身の姿ではない。鏡には同じくモデル並みに整った顔立ちの銀髪の男が映っていた。

「何人か怪しい者はいましたが……まだ完全な特定はできていません」

『ふむ。前世の記憶を持つ者がその辺りにいるのは間違いない。年齢も一三~一五歳前後というのは確実だ。ここまでお膳立てしてやってできなければ……また減給だぞ、天使タリス』

 今度こそファンタジーな展開だ。二人も思わず大声を出しそうになるのを必死に抑えながら、食い入るように会話の続きを待つ。

「大丈夫です、セリオン様。前世の記憶を持つ者には前世の身体の一部の特徴が出ます。猫を前世に持つ今回の人間には、透明なネコミミがあるはず。普段は我々天使でもなかなか見分けられませんが、月が満ちるに連れて濃くなっていきます。任務期限である次の満月の夜には、天使になら完全に見えるはずです」

 と言うタリスの手にはしっかりとカンペが握られていたりするのだが、幸か不幸か清樹達からは見えていなかった。

『一応考えてはいるようだな。まあよい。とにかく、お前はミスが多過ぎる。神様は気にする程のことではないと仰っているが、天使を束ねる立場にある私としてはそういうわけにもいかん』

 鏡の中のセリオンの目が厳しさを増した。同時に鏡から出た突風がタリスの顔を打つ。

『前世の記憶を持つことは、この世の事象から外れている。だが、神様は多忙な身。一つの事柄を取り扱う余裕は無い。それゆえ起こってしまう細かな問題を取り除くことで、天使は神様への忠誠を示すのだ。あー、それと、くれぐれもいらん騒ぎを起こすなよ。いいな』

 完全にダメな部下を叱る上司の図だ。鏡を使った通信は一方的に断絶され、鏡は本来の役目を取り戻した。そこに映るタリスの顔は冷や汗でびっしょりだった。

「ふう……やはり昨日警察と一騒動起こしたことは言わなくて正解だったな。満月まであと三週間。早く特定しなくては」


 給湯室から急いで離れた二人は、校門までやって来た所でようやく立ち止まった。

「……正直、予想外にもほどがある。天使とかマジかよ」

「スゴイよね!!天使って本当にいたんだ!」

 二人とも衝撃の事実に興奮を隠せないが、どうやら意識がかなり違うようだ。

「ヤバイな……」

「ヤバイよね!!サインとかもらえるかな? あ、テレビ局とかに教えるのはよくないよね?」

 危機感たっぷりと、危機感ゼロ。ヤバイの意味が全然違う。

「……わかってるのか、この状況?」

「? わかってるよ、本物の天使なんだよね?」

「俺達の前世の記憶が目当てって言ってただろ!?ばれたら記憶消されるんだぞ!」

 前世の記憶が果たしてどのくらい大事なものなのか、常人にはちょっとわからないが、その記憶の消去を行うのは、あのタリスだ。間違って他の記憶までどうかなってしまう可能性は十分にある。

「そっか、それは困るよね。ミケとお話できなくなるのも寂しいし、カツオ節のおいしさも忘れちゃうのはイヤだなぁ」

 まだ呑気な感じもするが、なんにしても自分がピンチとわかってくれただけでも良し。

「……カツオ節の味はどうでもいいけど、人に記憶をいじられるなんていい気分じゃないしな。それに、あんなマヌケが前世の記憶だけ綺麗に消せる保障なんて、どこにもないわけだし」

 私もそう思う。

「よし! それじゃあタリス先生には、アタシ達が前世の記憶を持ってるってばれないようにすればいいんだよね?」

「ああ。任務期限は次の満月って言ってたし、そこまで粘れば俺達の勝ちだな。明日からはとにかくネコミミを伏せて髪の毛に隠しておくこと。天使には薄っすらと見えてるみたいだから」

 タリスを張り倒すという手もないではないが、仮にも相手は天使。どんな力を持っているかわからないし、安易に強攻策に出ると失敗した時に取戻しがきかない。

 そう、私の人生のように。

「わかった! 家に帰ってミケにも相談してみるね。また明日ね、蒼葉君!」

「また明日。何かあったらここに電話して」

 二人は念のために携帯番号を交換すると、左右に分かれてそれぞれの家に帰っていった。


 その頃、給湯室では未だにタリスが悩んでいた。

「うーむ、周辺の探索はしたいところだが、不用意に動くとまた人間の警察に追いかけられるかもしれんしなぁ……。昨日の連中の記憶はうまく消せたと思うんだが、あれは大変なんだよなあ、酒を用意する金が。かといって、記憶を消す術はしっかり用意して誰にも邪魔されないようにしないと、多分失敗―」

 やっぱり苦手だったよ、記憶消す術。というか多分、他の術も苦手なんだろうなあ、きっと。酒で自在に記憶を消せるのもある種の特技ではあるけど、そんな方法で前世の記憶消されたら、あの二人は間違いなく急性アルコール中毒でお陀仏だ。

 いや、それ以前に未成年の飲酒は絶対にいけません。

「そうだ! つまり正体がばれないようにすればいいのだ! それなら多少騒ぎになっても、逃げ切ってしまえば問題ない!」

 叫ぶと同時に、タリスはいずこかへと駆けていった。



 タリスが給湯室から飛び出していって数十分、清樹は自宅の前に到着していた。ちなみに、ここまで帰り着くまでにN●Kのアンケートと、宗教家に呼び止められ、最後は地味にクモの巣が頭に引っかかった。

「なんか、今日は一日がやたら長かった気がする……」

 明日からも頭が痛いことが多そうだなぁとは思いつつも、とにかく休息を求めて家に入ろうとした時、けたたましいサイレンの音が周囲に響き始めた。

「まさか……」

 考える前に数台のパトカーが清樹の後ろを猛烈な勢いで通り過ぎた。さらに家の中からは既に帰宅していた清樹の父親がカメラを構えて飛び出してきた。

「と、父さん!?」

「スクープだ!」

 一言叫ぶと、パトカーの後を追って父親は走っていった。

 さらに自転車に乗った警察官が現れ、拡声器で叫んでいる。

「市民の皆さん、正体不明の変質者が逃げ回っております! 戸締りをして、しばらく外に出ないようにお願いします!」

 清樹は無視するかどうかギリギリまで悩んだが、結局目の前を通り過ぎようとした警察官に声をかけてしまう。

「あの、変質者って、どんな?」

「なんでも額に肉と書かれたマスクを被って、ヘリウムガスで声を変えて、『ネコミミはどこだぁ~っ!』と叫びながら駆け回っているらしい。まったく危ない世の中になったものだよ」

 そう言い残して、警察官は再び拡声器で注意を促しながら去っていった。

「……ええ、本当に変なのが出る世の中になりましたよね」

 こうして清樹は今回のドタバタでの自分の立場を把握した。

 ツッコミ役、という名の立場を。

 もっとも、まだまだ序の口なんだけどね、君の不運は。頑張れ清樹、頑張れ主人公。

 最大の敵は君自身の不運と知れ。


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