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先生と生徒と聖なる夜

作者: 未来

 子供の頃、わたしのあだ名はフクロウだった。

 顔の半分を覆い隠すような、丸メガネが所以であった。

 あの丸メガネがその時代の流行であったわけではない。今に至るまで、あの形のメガネが流行していた時を見たことがない。どうして、あのメガネを選んだのか、今はよく覚えていない。

 今も昔も、あまりファッションには無頓着だったから、適当に手元にあったのを選んだのかと思う。

 無駄に物持ちのいいわたしは、そのメガネを十年間ほど使い続けた。

 ある時、枕元にメガネを置いたまま眠りこけてしまい、寝返りをうって潰してしまうまで、使い続けた。

 新しいメガネは、店主に選択を任せて選んでもらった物で、以前よりはいくらかましにはなったのだけれど、それでもあだ名はずっとフクロウのまま。

 学校を卒業するまで、そう呼ばれ続けていた。

 最初、そのからかいを含んだあだ名について、わたしは嫌悪感を持っていた。

 しかし、時が経つ内に不思議と慣れてしまっていたようで、卒業して、他人に本当の名前で呼ばれる事に、しばらく違和感があった程だ。

 その違和感さえ、ほんの少し時間が経つと消えてしまったのだけれど。

「久しぶりじゃないか、フクロウ」

 久しぶりにそのあだ名で呼ばれたとき、少しくすぐったい感覚を覚えた。

 その頃には、わたしはもっぱら、ミネルバさんか、ミネルバ先生としか呼ばれる事がなかったのだ。

「久しぶりです。……スミスさん」

「そう呼ばれると、なんか変な気がする。昔みたいに、ネズミでいいよ。……っていっても、あの頃とは立場が違うか。同級生じゃなくて、先生と生徒、だもんな」

「学校の敷地内では、そうですね」

 わたしは、彼との距離を測りかねていた。

 懐かしい学友、しかし、何の縁か、彼は今日からわたしの生徒になるのだった。

 彼のあだ名はネズミと言った。

 同学年の子供達より、一際体が小さかったからだ。小さくて、病弱な子供だった。

 彼にとっての幸運は、彼が生れ落ちたのが裕福な貴族の家柄であった事だろう。病弱で、傍目から見ても独り立ちが難しそうな子供であったけれど、家の保護がある限り、生きてはいけるのだ。

 もちろん、それは端的な一面しか見ていないことは自覚している。

 いつまでも半人前で、家で過ごす時間が多いという生活が、どういう物なのか、本当の意味でわたしは知らない。

 それでも、生活に困窮していた家に生まれたわたしから見たら、いくらか羨ましかったのだ。

 途切れがちな会話の間に、ネズミは少し、咳をした。

「風邪ですか?」

「医者が言うには皆に移る物ではないらしいから、まぁ安心して欲しい」

 彼は、その病弱な体質故に、途中で学校を退学していた。

 わたしは、彼には直接聞いてはいないが、退学してから復学するまでの間、彼は家の中の、彼自身の部屋の中で、飼い殺しのような生活を送っていたのだという。

 ネズミがなぜ、今になって急に復学しようと思ったのか、その理由を聞いていい距離には、いないような気がしていた。

 してはいたのだが、お互いの間にある、なんともいえない気まずい雰囲気と、途切れがちな無言の時間に堪えかねて、ついつい聞いてしまった。

「どうして、復学を?」

「うん、やりたい事をやろうと思ったんだ」

「どうして、急にそう考える事になったんですか?」

「悔しいくらい、自分のやりたい事を突き詰めてる奴と話す機会があったんだ。で、自分はどうしてこんな部屋の中で一生を過ごさなきゃいけないのかと、しばらく荒れてた。情けない事に、自分のやりたい事も、すぐには思いつかなかった。で、いっそのことやり直そうと思ったんだ。最初から」

 遅いかもしれないけど、と言ってネズミは笑った。

 わたしは、ぼんやりとネズミの表情を見つめていた。

 ネズミの言葉から衝撃を受けたわけではない。しんしんと降る雪のように、何かをわたしの上に降り積もらせていった。

 わたしは、生きるのに精一杯で、そんな事は考えた事もなかった事に気付いてしまったのだ。

 ネズミが生徒になって半年が経った頃、ネズミが高熱を出して学校を休む事になった。

 わたしは迷った末に、学校からの帰りにネズミの家にお見舞いに行くことにした。

 ネズミは、家を出て、狭いアパートメントで生活をしていた。

 大家に頼み、部屋に入ると、隙間風が入るのか、非常に寒い。灯りはともっておらず、荒い寝息が聞こえていた。

 これはいけない。

 わたしは、暖炉に火をくべて部屋を暖め、タオルを水に浸してネズミの額に乗せた。

 ネズミはうなされていて、わたしの存在には気付いていない。

 ベットの隣に椅子を持ってきて、そこに腰を掛けた。

 窓の外に、半月が見えた。

 不意に、子供の頃の思い出が甦った。

 学校の帰り道に見た、半月だ。

 あの時、一人で半月を見上げながら、わたしは酷く孤独を感じて、何か大変な事があったら、一人で立ち上がるしかないのだと、そんな事を考えていた。

「月を、見てるの?」

 かすれたネズミの声が耳に届いた。

「ええ。綺麗だなと思って。……ネズミ、大丈夫?」

「大分楽になった。来てくれると思わなかった。ありがとう」

 その言葉が少し照れくさくて、わたしは答える代わりにネズミの額に乗ったタオルを新しく取り替えた。

 取り替えながら、あの頃のわたしが知らなかったものを、わたしは今体験しているのかもしれないと、そんな事を思っていた。

 誰かと見上げる半分の月。

 知らなかったことを、知ることが出来たと、気付いたときの喜び。

 外から微かに賛美歌が聞こえた。

「そうか、今日は聖夜祭なんだね」

「わたしも今、気付いたわ。今日は、聖夜祭だったって」

 わたし達は、そう言って、笑いあったのだった。


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