悪魔来たりて
さながら黒衣をまとったごとく、みな一様に黒い肌。幾百幾千もの屍は、朽ちるに構わず野風にさらされるまま、腐臭を放つまで放置されていた。
(あとで、燃やされるんだ。薪を詰んで、油をかけて)
自身の考えたことでありながら、それは、ひどく恐ろしいことのように思えた。この死病の流行で、今では死体の埋葬さえおぼつかない。この国の人間の半分が死んだと言われる。
外套のフードに顔を隠し、エリクは足早に、その場を立ち去ろうとした。その鼻先に吹き付ける風が、どこからか死体の香りを運んでくる。
もう、未練はないと思った。エリクの愛した少女は亡くなり、あの屍の山のどこかに積まれている。
ならば、エリクがここにいる理由など、もう存在しない。平民・・・それも貧しい下層階級の人間が暮らすこの地域に、彼の姿はあってはならないものだった。
かすかに流れる風は、死の病を運んでくる。
黒死病。
貴賎貧富にかかわらず、かかればまず助かることは期待できない恐るべき病。
彼女、エリクの愛した少女もそのために亡くなった。人から聞いたとおり、肌の黒ずんだその死体の山から、エリクは結局、少女を見つけることはできなかった。
(早く、戻ろう)
一度罹患すれば、どれほど金を積んだところで、治せる医者などいない。こと貧民街は不潔で、長くこの場にとどまることはエリクにも、ためらわれた。
だが。
そう簡単に忘れてしまえるほど、少女との記憶はちっぽけなものではなかった。
エリクはもう一度、死体の積まれた山を見た。火葬を待つばかりの屍たちを。そして、驚いた。
その頂上に、人の姿がある。
いや、とエリクは無意識のうちに呟いた。それは人の姿をとりつつ、人間ではありえなかった。
肌が黒い。だがそれは、ペスト罹患者のそれではなく、たとえるなら漆黒、まさにそんな色をしていた。
(・・・死、神?)
こっちを見た、と思った。かなりの距離があるのに、その黒の瞳が確かにこちらを向いていること、エリクにはわかった。
なんの不思議がある? ペストは死神の病とすら言われた病気だ。だが、そう思いつつもエリクは冷静ではいられなかった。誰だろうと死を恐れるのは同じだ。
それとも————。
ふいにエリクは思った。あれは、死神ではないかもしれない。ならば何ものだ?
自身の考えに自問自答する。まさか。
(悪魔)
するとそれは———悪魔は———エリクを見て笑った。錯覚ではなかった。確かに。
悪魔は、胸元にさげた黄金の角笛を吹き鳴らした。
音は聞こえなかった。だが代わりに、地から突如として風が吹き上げ、エリクはとっさに目を閉じた。
次の瞬間エリクは周囲を見渡したが、すでにどこにも、悪魔の姿はなかった。