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始まりの季節

「お父さん!抱っこしてよ!海見えないー!!」

 男の子の甲高い声に驚き、慌てて窓の外に目をやる。よかった、まだ橋の上か。そっと息を吐き、背もたれに再び体を預ける。

「仕方ないなあ。ほら、見えるか?」

「うん!見える、見えるー!」

 さっきの男の子は無事に海を見られてご満悦。お父さんの方も重そうにしながらも嬉しそう。彼らにとっては瀬戸大橋から見える景色は新鮮なのだろうけれど、私にとってはそうでもない。通学で毎日のように橋を渡っているから、見慣れたどころか見飽きている。私も大学に通い始めた頃は席から身を乗り出して海を眺めていたけれど、今となっては席に座れさえすれば電車を降りる直前まで眠っていることがほとんどだ。

 車掌のアナウンスが流れてきたのを合図に身支度を始め、少し早めに出口へと向かう。今日は普段より人が多い気がする。出口の近くで待っていないと降り損ねるかもしれない。

 出口の目の前まで辿り着いてからふと振り返ると、さっきの親子が私の座っていた席に腰を下ろすところだった。男の子ははしゃぎ疲れたのか、お父さんの膝の上で眠たそうに目をこすっている。

 電車が減速を始め、周りが慌ただしくなってくる。開いていた参考書を通学鞄に仕舞う学生。イヤホンを胸ポケットに押し込むサラリーマン。お土産の紙袋を確認するお姉さん。皆が席を立って出口に集まってくる。

 駅に着いて扉が開くと、吐き出されるように人が次々とホームへ降り立つ。私もその流れに沿ってホームに着地する。いつもこの瞬間が一番緊張する。もし後ろから誰かに突き飛ばされたら?電車とホームの隙間に足が入り込んでしまったら?そう思うと、いつになっても緊張せずにはいられない。

 無事に降りられたことに一安心すると、今度は足早に階段へと向かう。私と同じように電車を乗り換える人で通路はごった返している。階段を上って反対側のホームに着くと、制服姿の高校生が列を作ることもできずにひしめき合っている。いつもの光景ではあるけれど、約40分電車に揺られた直後にこれはきつい。今の大学は気に入っているけれど、通学に1時間以上かかるのが体力的に厳しい時もある。就職先はできれば近場がいいなと度々思う。


「ただいまー」

 電車を乗り換えて最寄駅から15分程歩いて、ようやく家に辿り着く。

「おかえり。食パン、買ってきてくれた?」

 台所からお母さんが顔を覗かせる。

「うん。5枚切りがあったよ。あと、シールの台紙ももらってきた」

「ありがとう。早くシールたまらないかな」

 最寄駅のすぐ隣にあるパン屋では購入金額ごとにシールをもらえて、集めた点数に応じて景品と交換できる。お母さんは昔からこういいうおまけや懸賞にはまっている。

「そういえばさ、ちょっと頼みがあるんだけど」

 通学の荷物を片付けてからリビングへ行くと、お母さんがポテトチップスをお皿にザザーっと出してつまんでいる。1袋全部食べるなら、別にお皿に移さなくてもいいんじゃないかと思うけれど、敢えて言ったことはない。

「あんたも食べる?」

「うん。それで、頼みって何?」

 向かいの席に着き、大きめのチップスを選んで口に運ぶ。チップスの塩気が疲れた体に染み渡る。また1枚、手に取る。

「おばあちゃんがさ、桜が見たいんだって。お城の」

「ああ。そういえばもう満開だよね。というか、そろそろ散り始めてるかも」

「でしょー。だからさ、今年はやめといたらって言ったんだけど、きかなくて、困ってるの」

 おばあちゃんはおじいちゃんと二人暮らしで、電車で2駅離れたところに住んでいる。毎年ではないけれど、お花見の時期になると皆でお城の天守閣の近くまで行ってお花見をしている。

「おばあちゃん、最近腰の調子が悪いって言ってなかった?」

「そう。だからさ、天守閣のところまでなんか行けっこないでしょ。だから、奈月に頼みたいんだけど」

 言葉の途中でお母さんがチップスを一口食べる。無音の空間でボリボリという音だけが響く。

「奈月、お城に行って、写真とってきてよ」

「えーー!?なんでよ!」

 思いがけない言葉に反射的に大きな声が出てしまう。そんなこと、チップスを食べながらさらりと言わないでほしい。

「お城と桜がいい感じに入った写真を送ってあげたら、おばあちゃんも満足すると思うからさ。ね?おばあちゃんの腰が心配だしさ」

「それはそうだけど、だったらお母さんが行けばいいじゃん」

「お母さんはいろいろと忙しいから。それとも、代わりに一日家事やってくれる?料理、掃除、洗濯、あと市役所に行く用事もあるんだよねー。お母さん、お城に行く日なんか帰ったらくたくたで、家のことなんか手につかないわよ」

 そんなことを言いながら、じーっとこちらを見つめてくる。

「・・・分かった。行けばいいんでしょ」

 こういう時は諦めるしかない。今までの経験があるから、早めに観念する。あまり文句を言い続けると、余計なおまけがついてくる。

「ありがとう!おばあちゃんにはには言っておくから、桜が散っちゃう前によろしくね」

「うん。土日に行ってくるよ」

「じゃあ、お礼に明後日の晩ご飯、あんたの好きなメニューにしてあげる。何がいい?」

「なんで明後日?明日でもいいじゃん」

「だって、明日の材料は買ってあるもの。煮物とか焼き魚とかしかできないわよ」

「分かった、分かった。明後日でいいからハンバーグがいい。デミグラスソースのやつ、目玉焼き付きで」

「了解ー」

 お母さんはにこにこしながらテレビのリモコンに手を伸ばす。椅子ごとくるっとテレビの方に向き、お決まりのニュース番組を見始める。肩より少し下まで伸びた髪の毛がふわりと揺れるのを見て、思わず自分の髪に手をやる。そろそろ切った方がよさそう。お城に行くついでに美容室にも行こうかな。そんなことをぼんやりと考えながら、私もテレビを見始めた。

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