5話 オレンジ色の静寂
「たっかいねえ……」
天高く旋回する、黒く澱んだ魔法陣から出現した巨体を見上げ、ライラが言葉を漏らした。
集まっていた群衆はすでにライラの声によって避難させており、この場にはアステルたち三人とライラ、そして金髪の少年が残っている。
「少年さぁ」
「その呼び方やめろっていつも言ってるだろ!」
「……少年はさ、力量って言葉、知ってる?」
彼女たちの雰囲気からして、互いの名前を知っている程度の関係らしい。大方、少年は以前からこの町を訪れては問題を起こしているのだろう。
「どういう意味だよ」
「身の丈に合わない力は、自らを滅ぼすってことだよ」
ライラは半笑いで、嘲笑しながら答える。
「アステルちゃんもアステルちゃんだよ。あのワイバーン、ちゃんと片付けてよね」
シリウスとフェリスに服の裾を掴まれているアステルへと、ライラの視線が移行する。
「え、わ、私ですか?」
突然言われ、アステルは困惑する。魔物を狩って生きてきたとはいえ、さすがにワイバーンなんて相手にしたことはない。
「アステルちゃんが少年のプライドをボコボコにしたから、あれを呼んだわけだし。少年があれに殺される前に倒さないとダメじゃない?」
「なんでその女は名前で呼んで、俺は名前じゃないんだよ!?」
アステルに向けられた優しい視線とは裏腹に、少年に向けられた視線はどこか冷たさを感じさせる。
「弱いやつの名前を覚えられるほど、私の頭は賢くないんだよ」
アステルが聞いた彼女の言葉の中で、一番冷め切った声音でそう突きつける。
「舐めるな……」
少年がボソリと呟く。強く握られた拳は震えていた。
「舐めるな! 俺はこの国で一番強いギルドのリーダー、アーサーの弟エイバルだ! ワイバーン! こいつらに俺の力を見せつけろ!!」
天を旋回するワイバーンが咆哮した。口には炎がまとわりつき、やがてそれは火球として撃ち出される。しかし、その標的はアステルたちではなかった。
轟音と共に着弾したのは、喉を嗄らして命令を下していたエイバルの目の前だ。
「うわあ!」
エイバルは爆風に吹き飛ばされ、石畳に叩きつけられる。
「な、なんで!?」
自身が使役して呼び出したはずのワイバーンからの攻撃に、困惑を隠しきれていない。そんな彼に、ライラは真実を告げる。
「隷属契約は主人に対して攻撃ができない効果がある。でも、それは召喚士と呼び出された者の力の差に大きな『乖離』がある場合、効果が適用されないんだよ」
「そんな……」
エイバルは膝を突いたまま絶望する。その絶望にさらに追い風を立てるように、ワイバーンは再び彼に向かって火球を撃ち出した。まっすぐに動くことができないエイバルに向かっていく炎。それが直撃すると思われた瞬間――。
パチンと、静かで乾いた音が響く。
エイバルの前に魔力の壁が生成され、火球は壁に阻まれ爆ぜた。
アステルが音の方を見ると、ライラが指をスナップさせていた。
「エイバル、力というものを見せてあげるよ。そして、そのくだらないプライドを捨てて学ぶといい。アステルちゃんたちも見ててね」
ライラは黒い長髪を揺らし、数歩前に出る。ふふっと空を見上げて微かに笑う。
「『天光満つる処に我は在り、黄泉の門開く処に汝在り。出でよ、神の雷』」
詠唱しながらライラはゆっくりと手を上げ、空高く飛ぶワイバーンに向けて伸ばす。
「……なんてね。――堕ちろ!」
指をスナップさせ、乾いた音が響く。上空には紫色の魔法陣が出現し、周囲を震わせるほどの轟音と共に雷がワイバーンの翼へと突き刺さる。それは彼女の言葉通り、正しく神の雷に相応しいものだった。
「すごい……」
アステルが声を漏らす。翼を撃ち抜かれたワイバーンは制御を失い、地へと落ち、土煙の中へと消えた。
「うへぇ……。アステルちゃん、疲れたから後よろしくー」
「え!?」
「といっても、流石にアステルちゃん一人には厳しいよねー」
そう言いながらライラは近くの鍛冶屋に向かって歩いて行き、店頭に並ぶ武器に目を通す。そして剣とナイフを手に持ち、アステルたちに近づく。
「シリウスちゃんはこれで、フェリスちゃんはこれかなあ?」
シリウスには剣を、フェリスにはナイフを渡す。
「あたしたちも戦うの?」
フェリスがナイフを受け取りながら尋ねる。
「何もしないで、アステルちゃんが戦って傷つくのをただ見ていたいだけなら別にいいけど」
受け取った剣とナイフを見て、シリウスとフェリスは互いを見つめ合い、アステルへと視線を動かす。
「わたし達もやる! アステルを守りたい!」
シリウスが言う。ふふっと、ライラが微笑んだ。
「そんな健気な二人に私がアドバイスをあげよう。二人はさ、風属性なんだよね。それは知ってる?」
二人は目を合わせ、首を横に振る。
「そっか。まあ、詳しいことはこれから学べばいいけど。シリウスちゃんは近接戦闘に向いてて、フェリスちゃんは遠距離、魔術に向いてると思うんだ」
「あたし、魔術なんて使ったことないよ?」
フェリスが首を傾げた。アステルたち三人はずっと一緒に狩りをして過ごしてきたが、フェリスが魔術を使うところなど見たことがなかった。
「簡単だよ。アステルちゃんはさっき自分の魔力の熱を感じて、魔力で剣を生成した。それは簡単なことじゃないけど、魔術はそれに比べたら単純なこと。身体の内側にある熱を感じてほしいな」
「熱……」
「そう、熱。風なら、もしかしたら強風かもしれない。それを感じて、イメージするの。敵を切り裂けーとか、弾になって飛んでいけーとか。魔術はイメージを具現化するものだよ」
「強風で、切り裂く……」
フェリスが目を閉じ集中すると、微かに彼女から風が吹き始める。それを見つめるライラの口角が僅かに上がった。
「そしてぇ、シリウスちゃん!」
「は、はい!」
フェリスに見とれていたシリウスは、突如標的にされ驚く。
「フェリスちゃんに比べたら魔術は向いてないかもしれないけど、獣種は元来強力な身体能力を持っている。それがシリウスちゃんや亜人となれば、さらに強力なはず。魔力での身体強化をイメージして、風の魔力でそれを追い立てるんだ」
「追い立てる?」
「そ。例えば、動き出しの瞬間に風を爆発させて瞬発力を生み出したり、攻撃の瞬間に力を爆発させたり、剣に風を纏わせるのもいいかもね」
わざとらしくシャドーボクシングをしてみせるライラを真似て、シリウスも風を意識し、軽くキックをしてみる。すると風の爆圧によって、自身が思っていた以上の反動が生じ、シリウスはバランスを崩した。
「そうそう! 今は制御が難しいかもしれない。でも、それはこれから訓練していけば思い通りにできるよ」
「なるほど……」
体勢を立て直し、シリウスは呟いた。
「あの、私の武器は?」
アステルは自分に武器が与えられなかったことを気にする。
「え、魔力で作れるでしょ」
「ええ……っ」
アステルは困惑する。確かにさっき作ることはできたが、それは衝撃一つで砕ける脆いものだ。アステルにとっては不安しかなかった。
「すぐに砕けるのは魔力の密度が薄いから。それもこれからの訓練で解消できるよ。今はせっかく作れるようになった感覚を忘れないようにしないと。生成速度も上げなきゃだしね」
確かに使いやすい長さの剣を作るには時間がかかるし、脆いという弱点もある。しかし、克服すれば強力な武器になる。
「それにさ、君は一人じゃない。今作るのに時間がかかるなら、二人が助けてくれるよ。でしょ?」
ライラはシリウスとフェリスに視線を向け、追うようにアステルも視線を向ける。二人は静かに頷いた。
「ほら、もうお遊びの時間は終わりだよ」
ライラが三人の背中を押す。土煙の中から大きな影が起き上がる。
「君たちなら勝てるよ」
……。
三人は深呼吸する。今まで相対したことのない恐怖。しかし、一人で戦うわけじゃない。ライラが力を示してくれた。ワイバーンの咆哮と共に土煙が晴れる。
「……いこうか」
アステルが静かに言う。三人は武器を構え、臨戦態勢を整える。
フェリスは目を閉じ、集中する。内なる風を呼び覚まし、切り裂くイメージを持つ。強風が吹き乱れ、ワイバーンの足元に緑色の魔法陣が現れた。刃となった風が、厚く硬い鱗に微かな傷を与える。
「んー、やっぱり少し弱いね。……まあ、上出来だけど」
シリウスは足に風を纏わせるイメージを持ち、走り出しと共に爆発させる。
「うわっ! ……っと」
推進力にわずかにバランスを崩すが、なんとか耐えてワイバーンの懐へと潜り込む。そのまま、手に持つ剣を抜く瞬間に風を爆発させ、足へと叩き込む。確かに傷を与えることはできたが、子供の筋力と拙い魔力では浅い。
蒼白い魔力の剣を手に、アステルも走り出す。
「アステル!」
フェリスが名を呼ぶと、アステルの足に風が纏った。爆発的な推進力が加わり、ワイバーンの目前で優しい風がアステルをふわりと持ち上げる。
「わっ」
空中で体勢を立て直す。
「寝てろ!」
アステルは手に持つ蒼白い剣をワイバーンの瞳へと突き立てた。砕ける剣。痛みで悶えるワイバーンに振り落とされ、アステルは石畳に叩きつけられる。
もともと負っていた怪我も相まって、激痛が走る。
「ぐっ……」
ワイバーンは怒りの矛先を火球として、アステルにぶつけようとする。アステルの身体は、すぐには動かない。死の予感が見えた瞬間、シリウスとフェリスの中で何かが爆発した。
空気をも焦がす灼熱の炎が、全てを飲み干すような巨大な口を広げ、撃ち出されようとしている。
「「あああ゙あ゙あ゙……!!」」
アステルは強い脱力感を覚えた。
「なに……?」
ワイバーンの上空には、水色が微かに混じる緑色の魔法陣が生まれ、冷たく重たい風が叩きつけられた。そして、シリウスの熱を帯びた風が深い傷を作り出していく。
それを静かに見守るライラは、微かに口角を上げた。
「水と火ね……」
ライラはフェリスからは水属性を、シリウスからは火属性を微かに感じ取った。属性は一人一つが基本。複数を待つことも稀にあるが、これらはアステルから魔力を吸い取って発現していた。
「期待以上だなー」
完全に沈黙したワイバーン。自身たちが倒したことを実感できずに、シリウスとフェリスは茫然とする。しかし、すぐにハッと顔を上げた。
「「アステル!」」
二人は地面に膝を突いているアステルへと駆け寄り、その側に膝を折った。
「二人とも、すごいね」
「「えへへ……」」
アステルは優しい声音で言い、彼女たちの頭を撫でる。二人の尻尾は、今にも空を飛びそうなほど荒ぶっていた。
「やあやあやあ、日も落ちてきたし帰るよ」
気づけば町はオレンジ色に染められている。先ほどまでの騒動が嘘のように静まり返り、日が落ちていく。




