3話 生きやすそうな世界
そこは見慣れない屋根。
身体には清潔で真っ白な包帯が巻かれていて、誰かが治療してくれた痕跡がある。
身体を起こし、ベッドから立ち上がり、部屋を出る。
静かな廊下を歩いた先には開けた空間があり、そこには黒髪の長い女性がソファで本を読み、くつろいでいた。
ぎし、と軋む木の音に女性は振り返った。
「おー、起きたんだぁ」
「はい」
会話が途切れる。
ここはどこで、この女性が誰なのか。分からないことばかりで困惑していると、女性は優しい声音で「座ったら?」と言う。
それに従い、アステルは彼女の目の前にあるソファに腰をかけた。
「あの……。あなたが助けてくれたんですか?」
「んー。ちょっと違うかなぁ? 私は休む場所を提供しただけかな」
「そうですか」
彼女は本を読み続け、時々テーブルに置いてあるコーヒーカップを持ち上げ、口をつけ、静かに飲む。
単純な行動だが、様になっていた。
……。
……。
彼女が本を捲る、乾いた紙が擦れる音だけが静かな空間に響き続ける。
「アステルちゃんの治療は、君のお友達が熱心にしてたよ。それにしてもあの子達、すごいね。物音がしたから近づいてみたら君が倒れていて、泣きじゃくってる子供が2人いたの。助けようと近づいたら、こっちに気付いた瞬間襲ってくるんだもん。流石に子供には負けないけど、亜人なだけあって強いね」
彼女は読んでいた本をそっと閉じて、真っすぐな瞳でアステルを見つめる。
「ご、ごめんなさい……」
「いやいや、謝ることじゃないよ。今時、主人に瀕死で泣く上に、守るために戦おうとする召喚獣なんていないからね。本来そうあるべきなんだろうけど、召喚術は歴史を重ねるごとに歪んでいったからね」
アステルは周囲を見渡す。しかし、そこには2人の姿は見当たらない。
「それで……2人は?」
「2人は今、おつかいに出てくれてるよ」
「おつかいって!?」
その言葉を聞いて、アステルは驚き立ち上がる。
召喚獣を奴隷のように扱うケテル帝国。それよりは多少マシだが、決して恵まれているとは言えない扱いを受けるマルクト王国。
ここがどちらの国に属しているのかは定かではないが、召喚獣の子供2人だけで外に出すなんて考えられない。最悪、誘拐されて奴隷商人に捕まってしまう危険性もある。
アステルは痛む身体で、足早に扉へと歩いていく。
「ちょ、ちょっと!?」
女性も立ち上がり、アステルの後ろを追っていく。
アステルが外へと繋がる扉を開けると、目に映るのは信じられない光景だった。
行き交う人々。しかし、それはただの人ではなく、亜人や獣人といった異世界人。
そして、獣型の召喚獣までものんびりと過ごしている。
「ここは異世界から呼び出されたモノたちの町、アサイラム。地理的にはマルクト王国都市近郊にある、私が作った町だよ」
「そんな町、聞いたことなかったです」
「地図に載ってないし、国から黙認されているだけで認可されている訳じゃないからね。折角だから迎えに行くがてら散歩しようか。きっと2人も喜ぶよ」
そう言うと、彼女は少女を追い越し、ゆっくりと、綺麗で長い黒髪を揺らしながら歩きだす。
アステルもまた、その後を追った。
町を歩いていると、色んな種類の亜人や獣人とすれ違う。誰もが表情に曇りなど一切なく、一つの生命として生きている表情をしていた。
「ライラ。こないだお願いした畑の魔物はどうなったんだい?」
羊の獣人のおばさんが彼女を呼び留める。
「その件はもう片付いたよ」
「本当かい!? 助かるよ、お礼を用意しないとね」
「別にいいよ。町のためだし」
そう言うと、ライラと呼ばれた女性は「じゃあねえ」と手をひらひら振りながら再び歩きだす。アステルは軽くおばさんに頭を下げて、彼女の後をついていく。
「ライラって……お姉さんの名前?」
「んー? そうだよ」
遊んでいる子供たちがライラを見つけると、笑顔で手を振る。彼女は軽く微笑み、手を振り返す。
そうして町を歩き続けていると、人だかりができていた。
2人が近づくと、聞き覚えのある声が群衆の向こう側から微かに聞こえてくる。
「どうしてこんなことするの?」
少し声音が低いが、間違いなく、いつも聞いていたシリウスの声だ。
群衆を掻き分けその先に出ると、そこには獣人の子供とシリウス、フェリスがいて、人間の子供たちと揉め事が起きていた。
獣人の子供は暴行を受けていたのか、ケガをして蹲っている。フェリスは子供に寄り添っていて、シリウスは彼らの間に入っている。
「どうしてって。魔物討伐の何が悪いんだよ?」
「魔物じゃないよ」
シリウスが固く握る拳が微かに震えている。彼女の実力ならば人間の子供なんて簡単に追い払うことができるだろう。しかし、それを耐えている。
「ちょっとごめーん。通して欲しいかもー」
後ろの方でライラの声が聞こえる。この人だかりの中、アステルより身体の大きい彼女が来るまで時間がかかるだろう。
「てか、獣の耳生えてるってことはお前も魔物じゃん」
そう言うと、少年たちのリーダー格である金髪の少年がゆっくりと近付いていき、シリウスの胸倉を掴もうとする。
アステルの身体は勝手に動き出し、その手を掴み止める。
「汚い手で、私の家族に触ろうとしないで」
自分が思っていた以上に低い声が出る。
「離せ!」
金髪の少年はアステルの手を振りほどき、後ろに下がっていく。
「アステル……?」
微かにシリウスの声が震えていた。
「おはよう」
先ほどとは打って変わって、優しい声。
「んー。子供の喧嘩かぁ。異世界人が手を出すのは不味いけど、人間ならいっか」
いつの間にか人だかりの先頭に立っていたライラが、わざとらしく言う。
言い換えれば、人間のアステルが手を出すのは問題ないと捉えることができる。
「よく耐えたね。下がってていいよ」
アステルがそう言うと、シリウスは頷き数歩後ろに下がっていく。
「お前、誰? その魔物の家族って冗談か?」
「あなたに教えるようなことはない。でも、ここには魔物なんていない」
「ここは魔物の住処だ。ここで狩りをするのは自由だろ」
「抵抗しない子を虐めることが狩りだなんて、ごっこ遊びにしても程度が低いね」
「てめえ……! 好き勝手言い放ちやがって!」
声を荒らげると、少年はアステルに向かって殴り掛かってくる。
しかし、アステルは実際に魔物を狩って生きてきた。彼らとは違う、本物の生死を懸けた狩りだ。
人と魔物では勝手が違うかもしれない。だけど、人より魔物の方が数段動きが早い。
それに慣れているアステルにとって、ごっこ遊びしか経験していない子供の動きは攻撃ですらない。
アステルは少年の拳を避け、その力を流用し投げ飛ばす。
遅れて彼の取り巻き3人も殴り掛かってくるが、同様にあしらってみせた。
「そんなので狩りが出来る環境って、生きやすそうな世界だね」
跪いて見上げる少年の顔からは、苛立ちが感じ取れる。
しかし、アステルの表情は冷めきっていた。




