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1話 パンドラの夜

 月が紅い。


 その光は血のように赤く、大地を禍々しく照らしつけている。




 魔物の雄たけびが響く。まるで、世界の終焉が近づいているかのように思わせる。


 パンドラの夜。世界中の魔力が異常活性し、人間は魔力を扱う事が出来なくなり、魔物は狂暴化し下級な魔物でも強力な存在へと変貌し、例え上級冒険者でも油断してしまえば大怪我では済まないだろう。




 かつて私が住んでいた街もまたパンドラの夜に滅んだ。戦争に巻き込まれ、魔力の異常活性による召喚獣の暴走によって両軍と街も全滅。そこから何とか生き永らえた。


 それまではよかった。生き永らえたが行く当てもなく、放浪して生きてきた。その際に2人の脱走した少年兵で同じ年頃の召喚獣の亜人と出会った。




 3人で狩りをして生きてきた。2年間3人だけの世界で生きてきた。荒れ狂う日も、凍えてしまいそうな日もずっと3人で生きてきた。


 これからもずっとそうだって。そう思っていたのに……。




 「はあ……はあ……」


 森の中を少女アステルは歩く。その足取りは覚束なく、手に持つ血塗れで刃毀れした剣を杖代わりにして何とか歩いていた。


 パンドラなんてツイてないなぁ……。




 普段では簡単に狩る事は出来る魔物ですら深手を負わされる。だから普段であればこんな日には狩りは出ないのだが、通り雨のように突然訪れる事もある。故に回避出来ず魔物に襲われ死ぬ冒険者もいる。




 身体中が傷だらけで血が地面に滴り落ちる。気をしっかり持っていなければ今すぐにも倒れてしまいそうだ。


 私……死ぬのかな……。




 何もかも失った身。戦争で運よく生き残ったけどあの時に死んでいた様なものだ。


「あはは……」乾いた笑いが自然と零れ落ちる。


 自らの死が近づいているのを察しての絶望からくるものか定かではない。ただ意識が朦朧としていて、視界がぼやける。




 森を抜け、少しだけ開けた場所に出る。四方は木々に囲まれているが、この場所だけ木が生えておらず月の赤い光が地を照らす。


 剣を杖代わりに、一歩、また一歩と大地を踏みしめる。突き立てた剣に縋るようにして膝を折った時、視界を赤く染める月を見て問いが漏れ出す。




 ――なんの為に、生まれたんだろう……。




 思い返せば良いことない人生だった。


 年端もいかぬ少女にとっては故郷と家族を失い、行く当てもなく狩りをして生きていくのは辛い日々だった。でも、決して悪い事ばかりでもなく。2人と出会い一緒に過ごす日々は楽しくもあった。




 最期に顔、見たかったな。


 枝が折れる音が聞こえ、何かが近づいてくる。


 アステルは顔を上げ音がした方向へと視線を向ける。暗闇には光る六つの獣の目。そこから現れたのは、三匹狼型の魔物フィラルウルフだ。




「はあ……。ツイてないね」


 ゆっくりと立ち上がり地面に刺さっている剣をよろめきながら引き抜く。


 普段であれば問題なく勝てる相手。




 しかし、今はパンドラのせいで魔力が活性化し狂暴化している。現にアステルの傷をつけたのは彼らと同じフィラルウルフだ。きっと倒した魔物は群れの仲間だろう。


「悪いけど、ただで死ぬ気は、ないんだよ、ね」


 意識が朦朧としながら剣を構える。




 フィラルウルフはアステルを囲い、ジリジリとチャンスを伺っている。どんな相手でも彼らは群れで狩りをする習性がある。格下の獲物であろうとも油断せず確実に狩る為だ。


 


 アステルがどんなに深手であろうとも魔物は警戒を怠らずにチャンスを伺い続けている。しかし、そのチャンスはすぐに訪れる。


「っと……」足の力が急に抜けバランスを崩す。好機。ウルフ達が一斉に獲物へと襲い掛かった。




 手に持つ剣で何とか彼らの攻撃をいなし続け、時々反撃してみるが刃こぼれした剣と消耗したアステルの力では致命傷を与える事は出来ない。優れた連携力を持っている彼らの攻撃を全ていなす事が出来ずに、少しずつアステルの身体に傷をつけていく。




「ぐっ……」


 膝が崩れそうになるが、何とか立ち直す。膝が震え、限界だと叫んでいる。


 もう、いっか……。




 彼女は諦め、ゆっくりとその瞳を閉じる。すると再び枝が折れる音が勢いよく響く、何かが全速力で走ってきているのを感じる。


 ウルフ達の増援か――。アステルは思ったが、そう身構えたアステルの耳に届いたのは、獣の唸りではなく、自分を呼ぶ必死な声だった。




 獣耳が生えた亜人の子供、犬のシリウスと猫のフェリスだ。


「「アステル!!」」


 2人がようやく来てくれたのだ。安堵するのと同時にアステルの身体は崩れ落ちた。




 先ほどまでアステルが苦戦していたウルフ達が嘘のように倒されていく。彼女達の持つ武器もまた刃毀れした剣とナイフだが、魔力活性化によって強化されているためか、問題なく切り伏せていく。


 2人の戦いをよそに、アステルは震える手を空へと掲げた。




 「赤いなあ……」




 指先から滴る自らの血か、あるいは世界を塗り潰す空の色か。


 判別など、とうに出来なかった。ただ、どちらにせよ、酷く――赤かった。


 ウルフを狩りつくしたシリウスとフェリスが駆け付け、アステルが掲げていた血まみれの手をフェリスが握る。




 その手は血が抜け、冷えた身体には熱すぎる程に暖かい。


2人は泣いている。血も出ている。拭ってあげたいけど、身体が思うように動かない。涙が、血が。身体に一つ一つ落ちる。暖かい。




 空が遠くなっていく。必死に叫ぶ2人の声も濁っていてよく聞こえない。やがて、濁った音すらも消え、完全な静寂へと吸い込まれ行く。


 アステルの意識は深淵へと落ちていく。

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