9話 奇跡なんてない
赤く染まる空。夜を告げる合図。
報告を受け、ギルド本部から職員が何人も走っていく。
アステルは「どうしようかな……」と、5年前に見た空と同じ色をした空を見上げた。
人々の声で賑わっていた街は次第に静かになっていき、代わりに鎧を着て走る兵士たちの金属音が目立ち始める。
鎖に繋がれた召喚獣や、檻に入れられた召喚獣たちが徐々に唸り声を上げ始めた。
隷属契約で呼び出された召喚獣は、召喚した本人でなければ元の世界に帰すことができない。
だから、奴隷として売られた彼らを元に帰せる者はここにおらず、暴走を防ぐ術もない。
人の手伝いをする奴隷用として召喚された彼らが、戦闘特化の種族ではないのが、人にとっての不幸中の幸いなのだろう。
――それでも、魔力を扱う術を失った人々が、魔力に当てられた彼らを止めるのは至難の業だろうけど。
今にも首の鎖を断ち切りそうな勢いで、召喚獣が暴れ出す。
首輪が肉を徐々に浸食していき、鮮血が漏れ出した。
それをおさえようと、兵士たちは容赦なく召喚獣たちを傷つけていく。
アステルの拳は固く握られ、静かな怒りがその拳を震わせていた。
人々が生きるための行為なのだと、頭では理解している。
それでも、彼らは勝手に呼び出され、強制的に契約をさせられ、自由を奪われた被害者だ。
混乱する人々。助けを求めて暴れる召喚獣。
魔力制限を掛けることで助けることはできるだろう。
現にライラは、アサイラムに住む異世界の住人をそうやって沈めている。
しかし、それはライラだからできる芸当だ。
それに、いくらライラとはいえ王都すべての召喚獣に制限を掛けるのは不可能。
アステルにはそんなことはできない。
奇跡なんて起こせない。
――私は、ただの人間だ。
風が吹く。
今にも暴発しそうな魔力。
アステルは右手をそっと前に伸ばした。
――パチン。
乾いた指を鳴らす音が静かに響く。
それは、ライラが魔術を行使する際のトリガー。
赤い空に緑色の魔法陣が生成され、大地を揺るがすほどの大気の塊が目の前の噴水へと叩きつけられた。
鼓膜を揺るがす重低音が街全体に広がり、一瞬だけ、すべての音が消えた。
混乱に陥っていた人々が、一斉に音の方向を見る。
「「アステル?」」
突然の行動に、シリウスとフェリスが困惑の声を漏らした。
「あなたたち人間がどうなろうが、私には関係ないし興味もない。だけど――」
二人が今まで聞いたこともないような冷たい声音で、アステルは静かに告げる。
「目の前で命を蔑ろにしようとするのは、赦すつもりはないわ」
鎖に繋がれ暴れる召喚獣へと、アステルは歩み寄る。
兵士たちは、先ほど圧倒的な魔術を見せた強者に気圧され、後ずさりをした。
アステルは召喚獣の前でしゃがみ込み、そっと手を伸ばす。
伸ばされた手を、召喚獣が噛み千切ろうと大きく口を開けた。
「ちょっ……!?」
フェリスが慌てて止めようとするが、シリウスがそれを制止した。
「私には、あなたたちを救える力はない。ごめんね」
この世界に呼び出されて初めて触れる優しさだったのか。
一瞬だけ、手を噛む力が弱まった。
アステルはその隙に手を引き抜く。
二人がすぐに駆け寄ってきた。
「優しいのは分かるけど、無理したら駄目だよ」
フェリスがアステルの手にそっと触れ、文句を言いながらも治癒魔術で治療を施す。
「だからこそ、一緒に居たいんだけどね」
シリウスが、噛みしめるように言った。
治療を終えた手を見て、アステルは二人の頭を撫でる。
「ありがと」
真っ直ぐにアステルを見つめるシリウスと、気怠そうにそっぽを向くフェリス。
しかし、二人の尻尾は左右に激しく揺れ動いていた。
目の前には鎖に繋がれた召喚獣。
依然として魔力に当てられてはいるが、先ほどより幾分か落ち着きを取り戻している。
そんな彼らを見つめるアステルたちを、一つの声が呼んだ。
「アステルさーん!」
声のした方を見ると、壊れた噴水のそばにクレアが立っていた。
アステルたちが歩み寄ると、クレアも必死に走ってくる。
「よかった! まだ街に居てくれたんですね!」
「どうしたんですか?」
「アステルさんたちに、ギルドから通達があって! あの……!」
「落ち着きなよ」
嘲笑混じりにフェリスが言う。シリウスが「ちょっと……」とそれを嗜めた。
「それで、どうしたんですか?」
アステルは先を促す。
クレアは一呼吸置き、先ほどの慌ただしさを消して、真剣な眼差しで三人を見つめた。
「魔族の一体が、王都に向かって来ていると防衛に出た冒険者たちから報告がありました」
そして、クレアははっきりと告げた。
「魔族の討伐を、お願いします」




