9.崩れる関係
その日も、私はいつも通りに過ごしていた。放課後、鍛錬場に行こうか、それとも図書館に行こうか、のんびりと悩んでいたとき。
「中庭で決闘だ!」
そんなとんでもない声が、私の耳に飛び込んできたのだった。
決闘は、この国でたまに行われる。互いに何かを賭けて戦い、勝者の望みがかなえられる。そんな、単純なものだ。
ただ、望みがきっちりとかなえられるかどうかは状況にもよるし、戦うよりも話し合ったほうがよっぽど早い。だから、決闘が実際に行われるところなんて、見たことがない。
いったいどこの血の気の多い連中が、そんな愚かなことをしたのだろう。そう思いながら、中庭に走る。
そしてそこに立っていた二人を見て、呆然と立ち尽くした。
中庭の中央、防具をつけ木剣を手にしていたのは、なんとオズワルドとニルスだったのだ。二人とも緑色の目に闘志を燃やし、互いをにらみつけている。
私がやってきたことに気づいたほかの学生たちが、遠慮がちに道を開けてくれた。
「オズワルド様、ニルス様! どうして、こんなことに!」
私の声に、二人が同時にこちらを向く。
「ああ、コレット。ちょっと兄さんの行動が目に余ったからね、こうして牽制しておこうと思って」
「売られた喧嘩ではあるけれど……僕にも譲れないものはあるんだ。どれほど不利でも、立ち向かうしかない」
二人ともひどく真剣な、重々しい表情をしていた。そうしていると、二人はやはりそっくりだった。
「さあ、そろそろ始めようか、兄さん」
「ああ」
そうして二人は、激しく打ち合い始めた。
ただなすすべもなく、そのさまを見守る。
二人が何を賭けて戦っているのかは分からない。誰かに尋ねようにも、とても話をできるような状況ではない。この場の全員が、固唾をのんで二人の戦いを見つめていたから。
オズワルドとニルス。色々と思うところもあるけれど、私にとってはどちらも友人だ。その二人が戦うところなんて、見たくはなかった。
しかし近衛騎士を目指して訓練を積んできた私は、頭の片隅で二人の動きを冷静に分析してしまっていた。
そうして、すぐに結論を出していた。この勝負、オズワルドの勝ちだ、と。
ニルスもそれなりに鍛えてはいるようだけれど、生まれ持った感覚というか……考えることなく体を動かす能力において、オズワルドのほうが優れているのだ。
実際、よく見るとオズワルドの表情にはまだ余裕がある。ニルスはそんな弟に、必死に食らいついているような形だ。
これはもう、少しでも早く勝負がつくことを祈るしかない。戦いが長引けば長引くほど、オズワルドもいらだってくるだろう。彼が手加減に失敗したら、ニルスが怪我をするかも。
はらはらしながら、ひたすらに二人の動きを目で追う。けれど彼らの戦いは、私が予想していたよりもずっと長く続いていた。ニルスが、歯を食いしばりながら懸命に戦い続けていたのだ。
それを見ているうちに、胸の内にある思いがこみ上げてくるのを感じた。ニルスに勝ってほしい、という、そんな思いだ。
どうしてそんなことを思うのか、自分でも理由がよく分からなかった。
オズワルドがニルスに決闘を申し込み、オズワルドが勝ち、彼の要求が通る。きっとそんな流れになるのだろうと、そう思っていた。
けれど必死にあがいているニルスを見ていたら、彼はそんな流れをひっくり返せるのではないかと、そう思えてならなかった。
しかし決着のときは、ついにやってきた。ニルスの一撃をかわしたオズワルドが、すかさず兄の腕を木剣でぴしりと打ったのだ。
からんと乾いた音を立てて、木剣が中庭の石畳に落ちる。
「はい、俺の勝ち。それじゃあ兄さんは、しばらくコレットと口をきかないこと」
静まり返った中庭に、オズワルドの軽やかな声が響き渡った。
「え……?」
人垣から飛び出して、二人に駆け寄る。今聞いた言葉が、信じられなくて。
「お、オズワルド様! それはいったい、どういうことですか!?」
私の声は、裏返ってしまっていた。オズワルドは涼しい顔で、私に向き直る。
「どうしたもなにも、そのままの意味だよ。俺はきみと親交を深めたいのに、兄さんが邪魔をしてくるから」
「それで、決闘を……?」
「そうさ。別に断ってもよかったのに、兄さんは馬鹿正直に決闘の申し込みを受けた。勝てっこなかったのに」
はじかれるように、ニルスを見る。彼は打たれた腕を反対の手で押さえたまま、ただうなだれていた。
「ニルス様、どうして、そんな……」
けれど、返事はない。
「駄目だよコレット、兄さんはきみと話せない。兄さんは敗者だからね」
さらにニルスに食い下がろうとする私の腕を、オズワルドが引いて止めた。
ニルスが顔を上げ、私を見る。その緑色の目は、泣きそうに揺らいでいた。九年前のあの日、公園の奥で泣いていたあの子どもと、まったく同じ。
けれど私は、それ以上声をかけることはできなかった。ニルスは何も言わず、走り去っていってしまったのだ。
彼の姿が消えて、少しして。中庭に、控えめな歓声のようなものが響いた。ビビアンやほかの女学生たちが、オズワルドをたたえるために寄ってくる。
彼の腕を振りほどいて、数歩進み出る。ニルスを追いかけたい、そう思った。
けれど私の足は、それ以上動いてくれなかった。
しばらく呆然としてから、その場を離れる。まだきゃあきゃあ言っているビビアンたちを、その場に残して。
その足で、学園の奥まった一角に向かった。入学したばかりのころは、決して立ち寄らないだろうと思っていた場所。
ここには、相談室があるのだ。それも、人間関係に特化した。いや……正確には、恋愛相談室らしい。この学園らしいといえば、らしいのだけれど。
今私が抱えている悩みは、恋愛に関するものではない。でも人間関係に関するものだから、たぶんそこに行けばいいだろう。
もう、分からなくなっていた。私の知るオズワルドは誰なのか、私はどうしたいのか。
オズワルドとニルスのことが、頭から離れない。そんな思いに突き動かされるように、ひたすらに足を動かした。
「ようこそお、メリュジーヌのお悩み相談室へ」
……間違えた。帰ろう。
相談室の入り口をくぐった私を、まったりとした女性の声が出迎えた。
部屋の中央に小ぶりのテーブルが置かれ、それを挟むようにソファが二つ置かれている。奥のほうのソファに、あでやかな雰囲気の美女がゆったりと腰かけていた。年のころは……三十過ぎくらい、かな。
それはいいとして、彼女の態度も口調も、悩みを打ち明けるのにふさわしいとはとうてい言えなかった。あまりにだらんとしている。
ここは王宮が管理する学園で、彼女は王宮に認められた相談役、のはず。でも、やっぱり彼女に話すのはちょっと……。
「こちらへいらっしゃいな、コレット・ミスティさん」
ためらっていたら、彼女がにっこりと笑って手招きした。