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8.穏やかな時間

 オズワルドと一日一緒に過ごして、私の困惑はさらに深まってしまっていた。


 彼は決して、悪い人ではない。むしろ侯爵家の跡取りとしては、あれくらい他者との交流に長けていたほうがいいのだと思う。


 でもやっぱり今の彼は、私の知っているあの小さなオズワルドとは違う。そのことが、少し寂しい。


 ため息をこらえながら廊下を歩いていたら、ニルスに呼び止められた。


「コレット、昨日は、その……どうだったのだろうか」


 普段から内気な雰囲気の彼ではあるけれど、今はいつも以上に様子がおかしかった。目を伏せていてこちらを見ようともしていないし、歯切れ悪くもごもごとつぶやいている。


「普通に城下町をふらふらしていただけです。これで、先日の偽手紙の件の埋め合わせはできたかと」


 そう答えると、ニルスはちょっと安堵しているようだった。


「弟がまた、失礼なことをしていなければいいのだが……」


 彼の言葉に、ちょっと考え込んでしまう。


「……からかわれはしましたけど、失礼というほどでは……」


「だが、それなりに困りはしたんじゃないか。君の様子は、そんなふうに見える」


「……実は、そうです。どうしても、今のオズワルド様と昔のオズワルド様が重ならなくて。彼のことを知れば知るほど、どんどん違いが大きくなってしまって……」


 ニルスには、素直に話すことができた。というより、彼にしか話せなかった。彼は私とオズワルドとの関係を知っていて、かつ私たちの関係について落ち着いて判断を下せる、たった一人の人だったから。


「……そもそも、私は近衛騎士になりたいんです。貴族の令嬢において必要とされるような、そんな社交経験は不要なんです」


 そう言い切ったら、ニルスが考え込むような顔をした。


「確かに、そうかもしれないが……近衛騎士となれば、外交の場などにも同席することになる。そつのない受け答えを必要とされる場面も、あると思う」


「言われてみれば……」


 今まで私は、まずは剣の腕を、次いで教養を磨いてきた。礼儀作法については、既に伯爵家の娘として身につけたものがあるから、それで大丈夫だろうと思っていた。


 でもニルスの言うとおり、近衛騎士として王の警護についていたら、客人がたわむれに声をかけてくる……なんてこともあるだろう。


「……つまりオズワルド様をどうやりすごすかは、その練習になると、そういうことですね?」


「まあ、そうだ。これからも弟は君のことを構いつけ、あれこれとからかってくると思う。困惑すると思うが、未来のための修行と思えば……どうにか乗り越えられるのではないだろうか」


 眉間にぎゅっとしわを寄せたまま、ニルスは言う。もしかして、オズワルドにどう接していいか分からなくなっている私に、助け舟を出してくれたのかも。


「そうですね。ニルス様の言うとおりです。私、オズワルド様に困惑するばかりで、そういった視点が欠けていました」


 自然と、大きな笑みが浮かぶ。そのまま、ぺこりと頭を下げた。


「あ、いや、僕はただ、思いつきを口にしただけだから……」


「でも、助かりました」


 続けて感謝の意を言葉にすると、ニルスは困ったような目で私を見て、それからゆっくりと口を開いた。


「……その。僕に感謝してくれているのなら……少し、勉強に付き合ってくれないか。一人で考えていると、どうにも行き詰まりがちで」


「ええ、もちろんです」


 そのまま二人一緒に、図書室に向かう。そうしてニルスは、最近読んでいるのだという本を見せてくれた。


 それはやはり難しい本で、基礎の教養程度しか学んでいない私には手も足も出ない。付き合うも何も、置いてけぼりだ。


 けれどそんな私に、ニルスは丁寧に説明してくれた。基礎の基礎から、じっくりと。


「なるほど、ここってそういう意味だったんですね……」


「君は飲み込みが早いな。そうして、それを踏まえてここを読むと……」


「あ、理解できました。さっきは全然分からなかったのに……」


 そうやってニルスと話しているのは、楽しかった。彼はあれこれとからかってくることもなかったし、彼と話しているとどんどん知見が広がっていく。


 机の上に広げた本を、二人顔を寄せ合って読んで。私が質問して、ニルスが答えて。


「……なんだかさっきから、私ばかり勉強を教わっているような気がします。ニルス様の力になれればと、ここに来たというのに」


「いいんだ。誰かに説明することで、知識は整理される。君くらいに優秀な聞き手を得られるなんて、僕のほうが感謝しなくては」


 そうやって談笑していたら、本棚の向こうからふらりと人影が現れた。なんとそれは、ビビアンを片腕にぶらさげたオズワルドだった。


「珍しくも、兄さんが女性を連れ込んだって噂を小耳にはさんだから、冷やかしにきたんだけど……やっぱり、コレットだったか」


「あらコレット、男性に興味はないなんていいながら、ちゃっかり逢瀬?」


「こ、これはただ、勉強を教わっていただけで」


 とっさにそう反論したら、オズワルドがやけに不機嫌な声で言った。


「それにしては、やけに距離が近かったね。きみたち、節度、守ってる?」


「ですよねえ。節度は大切ですもの」


 オズワルドにしなだれかかったまま、ビビアンが鼻にかかった甘い声で言う。その言葉、そっくりそのまま返したい。


「……兄さん。きみは俺の予備で、けれど決してフリード家を継ぐことのない、そんな存在だよ。兄さんが誰かと仲良くなったら、その相手を不幸にしかねない。分かってる?」


「……ああ」


 実の兄弟のものとは思えないくらいに冷ややかなオズワルドの言葉に、しかしニルスは何も反論しなかった。ただ苦しげに目を伏せ、広げたままの本をぼんやりと眺めている。


「それじゃあね、コレット。辛気臭い兄さんにわざわざ付き合ってあげる優しさは素敵だと思うけれど、もっと自由に、わがままになってもいいんだよ」


「でもオズワルド様は渡さないからね」


 二人は口々にそんな好き勝手なことを言って、また立ち去っていく。その背中を見送って、それから隣のニルスに目をやった。


「……その……わざわざ付き合ってあげている、とかそういうのではありませんから。私、貴方といるのが楽しくて、自ら進んでここにいるんです」


 落ち込んでいる彼を見ているのが忍びなくて、そんな励ましの言葉をかける。


「……ありがとう、コレット」


 切なげに細められた彼の目が、こちらに向けられる。そこには、九年前のオズワルドの面影が、確かにあった。そんなはず、ないのに。

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