7.変わってしまった彼と夢
それは、課外授業が終わって少し経ったある日のことだった。
寮の自室に戻ると、机の上に手紙が置かれていた。差出人は『オズワルド・フリード』。ここに彼は立ち入れないから、舎監が届けてくれたのだろう。
この手紙を見たとき、血の気が引いた。こんなものがビビアンに見つかったら、何を言われるか。
大急ぎで、手紙を本の間に突っ込む。その本を机の上に置いて、周囲にノートや別の本を配置した。ついさっきまで勉強していた、そんな雰囲気を出すために。
子どものころと違って、ビビアンはもう私の勉強を邪魔してくるようなことはなかった。代わりに普段は「そんな小難しいことばかり勉強していたら、もらってくれる人もいなくなるわよ」などと嫌味を言ってくる。
しかし試験直前になると「ノート見せなさいよ」と命令してくるのが、なんともおかしい。で、見せてやったらやったで「訳が分からないわ、教えなさい」と。まあ私としても、誰かに教えるのはいい勉強になるので、おとなしく従っているけれど。
そうやって手紙を隠し、ただひたすらに待つ。必死に何事もなかったふりをしながら、身支度を整えて、食堂で夕食をとり、また自室に戻ってきて。
「……そろそろ、いいかしら」
就寝時間を過ぎても、私はまだ眠りについていなかった。というか、眠れなかった。窓の外に目をやり、もう真夜中過ぎていることを確認する。
ろうそくに火をつけて、カーテンを閉める。本の隙間から手紙を引っ張り出し、そろそろと開く。
中身が楽しみだというより、むしろちょっと怖かいというのが本音だった。
小さなオズワルドは、とても真面目な子だった。けれど今のオズワルドは何を言い出すのか見当もつかない。私をからかって、楽しんでいるようなところもある。
どきどきしながら中を確かめて、あっけに取られた。
『すっかり変わった俺に、どう接していいかきみが悩んでいることは知ってる。だから一度、じっくりと話してみるのはどうだろう? 楽しいひと時にすると、約束するよ』
「……彼なりに、気を遣ってくれてるのかしら……」
自然と、こないだの課外授業のときのオズワルドが思い出される。ビビアンに追い払われかけていた私を引き留めてくれたのは、彼だった。
その前の、組分けのときもそうだった。彼が四人で組むという提案をしてくれなかったら、ビビアンはずっと私をせっついていただろう。オズワルドと自分が組めるように、口利きをしなさいと。そういう意味では、彼の提案に助けられた……のだろうか?
「……すっかり変わってしまったけれど、オズワルドはオズワルドだものね」
ついつい避けてしまいがちになっていたけれど、もしかしたらそのことで彼に寂しい思いをさせていたかもしれない。だとしたら、ちょっと申し訳ない。
申し訳ないといえば、こないだビビアンに頼まれて書いた偽手紙のこともある。もしかするとあのとき、彼は私に会えると楽しみにしていたのかもしれないし……。
よし、彼の申し出に乗ろう。そう決めて引き出しを開けたところで、思いとどまる。
私が彼に手紙を書いたことがばれたら、またビビアンが騒ぐかもしれない。それに一度オズワルドのことをだましてしまったから、手紙以外の方法で返事をしたほうがいい気がする。
でも、直接会って伝えるのも……あ、そうだ。
「……『次の休みでしたら、いつでも』か。分かった。必ず伝えておく」
次の日、ニルスにそう伝言をお願いした。気のせいかいつもより険しい顔をしながら、それでも生真面目に彼はそう答えてくれた。
そしてその日のうちに、オズワルドからの伝言を持ってきてくれたのだ。『明日なら、きみの妹に邪魔されずに済むよ。朝食をとってから、公園で集まろう』と。
「待ち合わせの時間が決まったのはいいとして……」
自室に帰って、考え込む。ビビアンは明日、他の男性と逢瀬の予定だ。相手に合わせて、一日図書室にこもる予定らしい。どうやらオズワルドは、このことを知っていたようだった。
私とオズワルドは学園の外、城下町で過ごす予定だから、ビビアンが割り込んでくる心配はない。
ただ、部屋を出るときに見つかると面倒だ。ビビアンは色恋沙汰については妙に勘がいいから、顔を合わせてしまったらたぶん気づかれる。
「……となると、あの手しかないわね……」
次の日の朝食後、私は校門を出たところにある公園に向かっていた。この公園も例の王が作ったもので、学生たちの待ち合わせ場所として活用されている。
「あれ、変わった格好だね?」
既にそこで待っていたオズワルドが、私の服装を見て目を丸くする。
「その、私としてももう少し普通の格好をしたほうがいいと分かってはいたのですが……ビビアンに気づかれないように出てきたかったので」
彼が驚くのも仕方はなかっただろう。私が着ているのは、学園の運動着なのだから。とはいえ、貴族の子女のための服だけあって、十分に優美ではあるけれど。
「……二階の自室の窓から縄を使って降りたんです。さすがにスカートでは、そんな芸当はできなかったので」
そう白状すると、オズワルドがぷっと吹き出した。
「ああ、なるほどね。せっかくだから少しくらいおめかししてほしかった、というのはあるけれど……これはこれで、ある意味きみらしい、と言えなくもないのかな」
ちょっぴり残念そうな顔で、彼は続ける。
「正確には、きみの妹さんのせい、かな? 彼女、自分がかわいらしいのを自覚しているからか、ちょっとぐいぐい来すぎなんだよね」
そんな彼の言葉に、とまどってしまう。学園で再会したときも思ったけれど、彼、男女の心の機微なんかについてもとても詳しい。ああいうのって、本で学べたかしら。
「……駆け引きとして、時々引いてみるのもありだよって、言ってやってよ」
「いえ、私の口からは、とても……彼女は私に対して、かなりの対抗心を抱いていますから」
「それもそうか。……今こうやって俺たちが逢引をしてるって彼女が知ったら、さらに面倒なことになりそうだね?」
面白そうに笑って、彼は私の顔をのぞきこんでくる。
「その、内緒にしてもらえるとありがたいのですが……」
「なんてね、冗談だよ。きみを困らせるようなこと、するはずないだろう?」
オズワルドはそう言って片目をつぶっていたけれど、私の胸の中にはもやもやしたものが残ってしまっていた。
「それじゃあ、そろそろ行こうか。いい店を知ってるんだ」
そうして彼が連れていってくれたのは、ちょっとした装飾品を扱う店や、部屋に置く小さな飾り物を置いている店などなど。正直、普段の私にはまるで無縁な店だ。
何軒かぶらついたところで、彼がこちらに向き直る。
「そろそろ歩き疲れたかな? そこのお店、クッキーがおいしいんだ」
実のところ、まだまだ歩ける。だてに、普段みっちりと鍛錬を積んでいるわけではない。
それでもひとまず、彼のあとについていった。店の外に並べられたテーブルについて、運ばれてきたお茶を飲む。
「……本当に、貴方は変わりましたね。九年前とはまるで別人のよう……」
彼の行動には、私を楽しませようという気遣いがあふれていた。私のことをか弱い令嬢のように大切にして、もてなして……。
その気持ちは嬉しいのだけれど、私は言いようのない違和感を覚えずにはいられなかった。
「それはそうだよ。俺はフリード家の跡取りとして恥ずかしくないように、日々頑張ってきたからね。……きみとの約束もあるし」
優雅にお茶を口にしたオズワルドが、ふっと流し目をよこしてくる。
「でも俺としては、フリードの騎士としてではなく、奥方としてきみを迎えたいな……なんてね」
さて、これは本気なのか、また冗談なのか。たぶん冗談だとは思うけれど、彼の緑の目は妙につやっぽくきらめいている。
「……私は、ずっと前から騎士を目指していますから」
「ああ、そうだね。いっそ、騎士兼奥方というのも……」
「聞いたことがありませんよ、そんな話。それにそもそも、今の私は王宮で働く近衛騎士を目指しているんですから」
「それもそうか。まあ、今は引くよ。これも駆け引きだからね」
そう言って、オズワルドはいたずらっぽく笑った。人懐っこいその笑顔に、どうにも心がざわつくのを感じながら、礼儀正しく笑みを返した。