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5.兄は語る

 ビビアンの命令で偽手紙を書き上げてから、数日後。私は一人で、学園の裏手にある庭の一角にいた。


 彼女がオズワルドを呼び出したのは、建物を挟んで反対側の庭だ。ちょうどバラが花盛りの、逢引にはぴったりの庭だ。


 今朝、バラに負けじとばかりに着飾った彼女は、意気揚々とそちらの庭に向かっていった。


 万が一あなたがオズワルド様と出くわしたら都合が悪いから、自室を出て、できるだけ遠くに隠れていなさいと、そんな命令を残して。


 別にその命令に従う必要はないのだけれど、逆らったらまたきいきいとうるさい。なので、ここにやってきたのだ。


 バラが咲き誇る表側の庭とは違い、こちらの庭には秋になると見事に紅葉する木々が多く植えられている。でも今はみんな青々とした葉をつけているだけだ。


 歩いているととてもさわやかな気分になれるけれど、男女で愛を語り合うにはちょっと向いていないかもしれない。つまり、今の私にとってはこの上なく好都合な場所だ。


「さて、急いで隠れてしまわないと……」


 庭の小道をすいすいと進んで、生け垣の隙間をくぐり抜ける。前にここを通りがかった時に、この隙間を見つけた。子どものころからそうなのだけれど、ぎりぎり通れそうなところって、通れるのか試してみたくなる。その先に何があるのか、確かめてみたくなるのだ。


 がさがさと音を立てながら隙間を抜け、ぽっかりとした小部屋のようになった場所に出る。


 ここは緑の木々に囲まれているし、頭上にも大きな枝が張り出しているから、小道側からはほとんど中が見えないのだ。


「少し、昼寝でもしようかしら……気持ちいいわ、ここ……」


 近くの木の幹にもたれて、目を閉じる。さやさやという木々の葉がすれる音が、子守歌のようで心地よかった。


 そうして、しばらくうとうととして。


「……ん、んん……」


 何かの気配を感じて、目を開ける。そこには、黒髪に緑の目のオズワルド……ではなく、兄のニルスがいた。しかもやけに心配そうな顔で、私の口元に手をかざしている。


「あ、すまない。君があまりに静かに眠っていたものだから、生きているのか心配になってしまって」


 申し訳なさそうにそう言うと、彼はすっと手をひっこめた。


「私、そこまで静かでしたか?」


「ああ。おとぎ話に出てくる眠り姫にそっくりだった。……その、これは別に、口説いているつもりはなくて」


 さらりと言ってから急に赤くなるニルスに、ついぷっと吹き出してしまう。オズワルドの自信満々な口説き文句より、こっちのほうがよほど楽しい。


「しかし、ここに僕以外の人間がいるのは初めて見た」


「近くを歩いていたら、たまたま生け垣が途切れているところを見つけたんです。気が向いたので、そのまま入り込んでみました」


 すると今度は、ニルスが小さく笑った。


「なるほど、探検ということか」


「そうですね。……ところで、ニルス様こそどうしてこちらへ?」


「ここは、僕のお気に入りの場所なんだ。誰にも邪魔されずに本が読めるから」


 よく見ると、彼の手には一冊の本。しかも結構難解な、専門的なものだ。


「でしたら、私は席を外しますね」


 そう言って立ち上がりかけたところ、ニルスがすぐに口を挟んできた。どことなく、あわてているようにも見える。


「いや、読書をしようと思っていたのは確かなんだが……ここで会ったのも何かの縁だし、せっかくだから少し、話していかないか?」


 やけに熱心に言ってから、彼ははっとしたように言葉を濁す。


「その、この学園では他者との交流が推進されているから。話し相手が僕でよければ、だが」


 どうにもニルスは気弱で腰が低い。この前、オズワルドに対して通報をほのめかしたとは、とても思えないくらいに。


 本当に、不思議な人だ。そう思いながら、きちんと座りなおす。


「分かりました。それでは少し、お話ししましょうか」


 すると、ニルスも隣に腰を下ろしてきた。妙にほっとしたような、そんな表情だ。


「……コレット。君と話す機会があったら、聞いてみたいことがあったんだ」


「はい、なんでしょう?」


「君は近衛騎士を目指していると、そう公言しているようだが……本当なのか?」


「ええ、本当ですよ。子どものころからの夢だったんですから」


 小さいころ、オズワルドに話したことを思い出す。あのころからずっと、私の夢は変わっていない。


 するとニルスが、気遣うような目でこちらを見た。


「この学園では、勉学に励む者はそこそこいるが、武の道を志す者は多くない。まして女性は、とてもまれだ」


 まあ、それは当然だろう、普通の貴族の娘は、武器をとろうなんて考えない。


「その結果、君はとても目立ってしまっている。一つ上の学年の、それも他者とあまり関わりを持たない僕のところまで、君の噂は届いているんだ」


「ああ……やっぱりそんなことになっていましたか」


 思わずため息をついてしまった私の顔を、ニルスがのぞきこんでくる。心配そうに、眉根を寄せて。


「……もしかしてそのせいで、苦労しているのか?」


「……実のところ、少しだけ」


 入学してすぐ、女が近衛騎士を目指すなど生意気だと言って手合わせを申し込んでくる男性が後を絶たなかった。上の学年の人たちもたくさんいた。もちろん、遠慮なく、完膚なきまでに叩きのめしておいたけれど。


 私の剣は、貴族のたしなみとしての優雅な剣術ではない。私は文字通り、この先の人生を剣に賭けているのだ。鍛え方も気迫も、その辺のお坊ちゃんに負けるはずがない。


 そうやってかかってくる相手をのしているうちに、今度は差出人不明の恋文が届くようになっていた。ただ私への思いをつづっただけの、そんな手紙。


 返事のしようもないし、そもそも正体不明の好意を向けられているのは落ち着かない。……というか、筆跡からすると女性からのものもまざっているような……。


 私は貴族の娘として仕方なくこの学園に来ただけで、三年間をひたすら鍛錬にあてるつもりだった。学園を作った王には悪いけれど、恋愛にうつつを抜かすつもりはない。


「今日こんなところまでやってきたのも、そういうごたごたから逃れたかったからでして」


「……オズワルドのことか?」


 探りを入れるように、ニルスがささやいた。


「……それも、あります」


 今ごろ私の偽手紙に呼び出されたオズワルドが、ビビアンと逢引している……はず。オズワルドが逃げなければ、だけれど。ただ彼が逃げたところで、ビビアンがしつこく食い下がっていきそうな気もする。


 とはいえ、そんな事情をニルスには話したくない。私とビビアンの面倒な関係について、もしかするとオズワルドがニルスに話しているかもしれないけれど、わざわざ話題にしたくはなかった。


 そのまま、沈黙が流れる。けれど、意外にもさほど居心地は悪くなかった。


 しばらくして、ニルスがぽつりとつぶやく。


「一つ、ぶしつけなことを聞いてもいいか。……君がオズワルドのことを、どう思っているのか知りたい」


 思わぬ質問に、目を丸くする。身を起こして、ニルスをまじまじと見た。彼もまた驚いたように目を見張り、あわてて首を横に振った。


「ああ、いや、好奇心とか、そういうものではないんだ」


 そうして私から視線をそらし、困ったような顔で彼は続ける。


「弟が君に迷惑をかけているのなら、兄として言い聞かせなくてはならない。でも君が迷惑だと思っていないのなら、僕は君たちの邪魔をしないように気をつけるから」


 ああ、そういうことか。そこまで気遣ってくれるなんて、ニルスは優しい人だな。


 少し考えて、思ったままを口にしてみる。


「……自分でも、よく分からないんです」


 視線を落とすと、木陰に咲いた小さな花が目についた。愛らしいその姿を見つめていたら、どんどん言葉が出てきた。


「私がオズワルド様と出会ったのは、九年前のことです。短い間のことでしたが、今でもはっきりと思い出せます。……宝物のような、そんな思い出です」


「……僕たちフリード家の者が、ミスティの街近くの別荘に滞在していたときのことか」


 こくりとうなずいて、さらに続けた。


「オズワルド様は、とても立派になられたと思います。でも、あまりに積極的にすぎて……あのころの彼との違いに、とまどわずにはいられないんです」


 とまどう。それが、私の今の思いを、一番適切に言い表しているように思えた。


「真面目だけど気弱だった彼が、あんなに社交的になった。きっとその間に、かなりの努力があったとは思うのですが……」


 あいまいに言葉をにごしていると、ニルスが静かに言った。


「……オズワルドのことを好いているか嫌っているかは、自分でも分からない。だがオズワルドが熱心に迫ってくることに対しては、少々困っている。こんなところだろうか」


「あ、はい、それで合っています」


 端的にまとめられた彼の言葉に、こくこくとうなずく。今の私の言葉から、こんなにあっさり結論を出してくれるなんて。


 私の反応に、彼もちょっとほっとしたらしい。さっきまでの緊張した表情とは違う、穏やかな笑みが浮かんでいた。


「分かった。ならばこれからは、僕も君のところにちょくちょく顔を出そう。困ったことがあったら、そのときに教えてくれればいい。僕が対応するから」


「そこまでしていただくわけには……」


 見たところ、ニルスは人と関わらずに読書をしていたいくちの人間のようだ。そんな彼を、私たちのことで振り回すのも申し訳ない。


「いや、気にしないでくれ。これは兄として、当然の行いだから」


 そう言ったニルスの表情が、不意にくもる。


 弟がこれ以上不始末をしでかさないよう、前もって手を打っておく。それだけにしては、ニルスの表情は真剣にすぎた。どことなく思い詰めているような、気のせいか悲壮感すら漂わせているような。


 どうしてそんな表情をしているのですか、と尋ねるわけにもいかなくて、私はただ口を閉ざして座っていた。


 何か彼にかけてあげられる言葉があればいいのにな、そんな思いがふっと胸をよぎるのを感じながら。

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