13.遠き日の約束
九年前と同じきらきらした緑の目で、彼は私の顔をのぞきこんでくる。
それを見ていたら、あの別れの日のことが少しずつよみがえってきた。少し泣きそうな顔で、それでも懸命に涙をこらえていた小さなオズワルドの姿も。
「そうだわ、あのとき、あなたは……フリード家の騎士にならないかって、そう誘ってくれたんだった!」
別れのとき、小さなオズワルドはこう言ったのだった。『わたしが当主になれたなら、あなたに、フリード家の騎士になってほしいのです。あなたが望む近衛騎士とは違いますが、あなたが生き生きと過ごせるよう、努力しますから』と。
あの課外授業のさなか、フリードの騎士にならないかとオズワルドに言われたとき、何か引っかかるものを感じた。あれは、この記憶のせいだったのだ。
「ああ、よかった……やっと思い出せました……」
けれど、そのとき私が何を言っていたのかを思い出そうとすると、とたんに頭の中にもやがかかってしまう。まるで何かが、私の記憶に鍵をかけてしまったような、そんな感覚だった。
「でも、私がどう答えたのかは……やっぱり思い出せません」
正直にそう言うと、ニルスはふっと目を細めた。
「『わたし、あなた以外の人には仕えないわ。フリードの騎士になるか、近衛騎士になるか、どちらかだけ。……でも、できることならあなたの騎士になりたい。だから、どうか立派な当主になってね』……それが、あなたの返事でした」
彼の言葉に、あのときの思いがありありと頭の中に浮かんできた。どうしてそのことを忘れていたのか、その理由と一緒に。
この国で女性が騎士を目指すなら、近衛騎士になるのが一番早い。王妃や王女などの貴人の警護のために、ある程度数を必要とされているから。
女騎士が普通の貴族に仕えることも、ないことではない。ただその場合、当主の愛人と間違われないように、特に注意してふるまわなければならない。だから、女騎士を家に入れることについて、反対する者は多いのだ。
小さいオズワルドと別れて少ししてからそんな事実を知った私は、フリード家の騎士になるという夢をあきらめることにした。
そうして最初から抱いていた『近衛騎士になること』だけを目指すようになったのだ。彼との約束の記憶を、丸ごと封じ込めて。
私はもう忘れていた、そんな約束。しかしニルスは、ずっとその約束に縛られてしまっていたようだった。
「僕がフリードの跡継ぎに、当主になれなければ、君をフリード家の騎士にできない。それも一族の反対を押し切れるような、立派な当主にならなくては。あのころは、そのことしか考えていなかった」
ぐっと苦しそうに唇をかんで、彼はつぶやく。
「けれど僕のそんな願いは、かなうことはなかった。努力すればするほど、夢がはるか遠くにあることを思い知らされた」
しかしそのとき、彼の表情がふっと変わった。彼はふうと息を吐いて、自分の手を見つめたのだ。
「……かなわない夢を追いかけていても、どうしようもない。だから僕は、自分にできることをしようと考えた。ひたすらに学問の道を突き進み、そうして、王宮で働く文官になろうと思ったんだ」
「どうして、文官なのですか? ……侯爵家の跡継ぎよりは、似合っているような気もしますが」
彼なら今すぐにでも、文官として働けるだろうな。そう思いつつ、かすかに首をかしげる。
すると彼は、少し照れたような顔で答えた。
「……そうすれば、近衛騎士となった君と再会できるかもしれないから」
筋は通っている。でもどうして、そんな回りくどいことを考えたのだろうか。
「でも、私たちは同年代なのですし、この学園で再会できるかもしれないと、そうは思わなかったのですか?」
この学園の学生は、だいたい十五歳から二十歳くらい。
私と小さなオズワルドは同い年だと思っていたから……実際は、彼のほうが一つ年上だったのだけど……ここで出会える可能性は高いだろうな、と思っていたのだ。
ただ、もし再会できたとしても、もう子どものころのようには、付き合えないだろうなとも思っていた。フリード侯爵家は、我がミスティ伯爵家より格上だから。
けれどそれでも、顔を合わせてあいさつするくらいはできるかもしれない。そんな希望を抱いて、私はこの学園にやってきた。
「私も、もしかしたらここであの子に会えるかもって、そう思っていましたし……名前は変わっていますが、貴方があのときのオズワルドなのだと名乗ってくれれば、すぐに友人になれたのに……」
ちょっぴりうらめしい思いをこめて、そう言ってみる。彼がすぐに素性を明かしてくれれば、あんなに悩まなくて済んだのに。
「名乗り出るつもりはなかった。この僕が、あの夏の日に君と出会ったあの少年なのだということは、ずっと黙っているつもりだった」
しかし彼は、真剣な顔をして目を伏せてしまった。
「弟が僕のふりをして君に近づくなんて事態にならなければ、君に声をかけることすらなかった」
「どうして、そんなことを……」
そう尋ねたら、彼は一瞬だけためらって、また口を開いた。
「……僕は、ずっと君のことが好きだった。九年前、あの公園の奥で出会ったときから、ずっと」
思いもかけない言葉に、混乱してしまう。嫌ではない、むしろ嬉しかった。でもそれなら、なおさら彼の行動の理由が分からなかった。
「だからこそ、言えなかったんだ」
彼は、こちらを見ようとしない。気のせいかその声が、ちょっぴり泣きそうだった。
「僕が君との約束も果たせず、別の道に逃げ込んだ弱虫だなんて、知られたくなくて……」
そんなことない。そう言いたいのに、口が動かない。
「せめて一人前の文官になれば、胸を張って君に向き合えるかもしれないと、そう思ったんだ」
「わ、私!」
どうにかこうにか口にした言葉は、すっかり裏返ってしまっていた。比較的近くにいた学生たちが、ちらりとこちらを見る。
「私、そんなに立派な人間ではありません……」
あわてて声をひそめ、さらに続ける。
「前にも話したとおり、私はただ、妹と衝突することに疲れて……それで家を出ることにした、それだけなんです」
そう、私が近衛騎士を目指した一番の理由は、そうすれば自分の力でビビアンから離れられるから、だ。
「たまたま、運動が得意で……礼儀作法も仕込まれているから、近衛騎士になるというのが一番現実的な手段だったんです。それはまあ、幼いころからの騎士への憧れもありましたけど」
私は、憧れと、得意とするものと、目指すものが偶然一致していた。だから私は、迷うことなく前に進むことができたのだ。
「コレット、あまり自分を卑下しないことだ。動機は何であれ、今の君は立派だ。いずれ、近衛騎士となれるだろう」
「その言葉、そっくりそのままお返しします!」
すかさずそう言い放って、ニルスの目をまっすぐに見つめた。
「私、貴方を尊敬します。跡継ぎの座から下ろされて、それでも努力を続けて、そして自分の力を活かす道を見つけた、貴方のことを」
ニルスは、私よりもずっと苦労している。私よりもずっと恵まれない環境で、それでも懸命にあがいている。
「それに九年前の貴方との思い出は、ずっと私の中で輝いていました。あのときの小さなオズワルドは、私にとってかけがえのない友人でした」
そこまで言って、言葉を切る。
「……ただ、だからこそ、私は今のオズワルド様の言動に振り回されてしまったのかもしれません……」
自由な恋愛を推奨している、なんとも奇妙なこの学園。けれど私はここで、ただ己を磨こうとしていた。恋愛なんて、そっちのけで。
時折、男性から遊びの誘いなんかを受けることもあったけれど、全て冷静に断ることができた。
でも、オズワルドは違っていた。彼に声をかけられると、どうしていいか分からなかった。
彼に対して、特に好意は抱いていない。そのことははっきりしている。だったらなぜ、彼に振り回されたのか。
それは、小さなオズワルドとのあの思い出のせいだ。どれほど今のオズワルドに違和感を覚えても、彼はあの小さなオズワルドなのだからと、無意識のうちにそう自分に言い聞かせてしまっていた。
「……コレット……」
ニルスがそろそろと私の名前を呼んだそのとき、音楽が変わった。さっきまでの軽快なものから、ゆったりとしたものに。
その調べに耳を傾けていると、ふとある考えが頭をもたげてきた。
「……踊りませんか、ニルス」
せっかくここまで来たのだから、彼と少し踊りたい。そう考えて、手を差し出す。
彼は照れたように微笑みながら、手を取ってくれた。




