12.真実は今ここに
ニルスの『譲れないもの』は私だった。そして彼は、今なんて……。
「貴方が、九年前の、小さなオズワルド……?」
すぐ近くに立っているニルスに呼びかけたら、彼ははっきりとうなずいてくれた。
「僕は結局、九年前の泣き虫の子どものままだった。あんなに僕を励ましてくれた彼女に、そのことを知られるのが怖かった」
まさか、そんなことを気にしていたなんて。そう思ったけれど、彼の苦悩を思ったら、それを口に出して言えはしなかった。
「だから弟が僕になりすましているのを、そのまま見過ごした。きっと君は僕に気づかないだろうし、君が弟と結ばれることで幸せになれるのなら、僕に止める権利はないと思ったから」
彼は今までで一番堂々と、オズワルドに話している。いや、宣言している、かな。
そして彼は、ふっとこちらを見た。思わずどきりとしてしまうような、柔らかな目つきだった。
「でも君は、僕といる時間を心地いいと言ってくれた。僕の上に、『九年前の小さなオズワルド』の面影を見てくれた」
そんな彼に見とれながら、かすかにうなずく。
「……僕は、変われなかった。でも、今ここで変わる」
そうして彼は、私の肩をしっかりと抱き寄せた。
「コレットだけは渡さない。僕の、一番大切な人だけは」
オズワルドは、目を丸くして私たちを見ていた。きょとんとした、悪気のかけらもなさそうな顔で。それから、苦笑しつつ肩をすくめている。
「あーあ、ついにばれちゃったか。俺たち兄弟は見た目だけならそっくりだから、だませるかなって思ったんだけど」
けろりと笑うオズワルドに、動揺しながら問いかける。つまり彼は、本当に小さなオズワルドとは別の人で、けれどそのことを黙ったまま、私を惑わせていて。
「ど、どうして、そんなことを」
「どうして、って。こんな美女が、俺を兄さんと勘違いして、気を許してくれている。こんな幸運なことって、そうないよ」
私の問いかけに、そんな言葉が返ってくる。あまりに軽いその言葉に、ぽかんとせずにはいられなかった。
「でも、近づくだけなら……それこそ、普通に学生生活を送っていれば……」
そう言ったら、彼は大げさに首を横に振った。
「でもきみ、学園に来てからずっと鍛錬や学問ばかりで、ろくに他人を寄せつけなかっただろう? 入学式の日のあれがなければ、俺も中々近づけなかったと思うよ」
「……だから、嘘をついてまで……?」
「そうだね、嘘をついていたことは謝るよ。でも、そうしているうちにきみが俺のほうを見てくれるかもって、そんな期待もあったんだ。結局、兄さんに負けたみたいだけど」
オズワルドの目が、すっと細められる。明らかに敵意に満ちた、そんな視線だった。
「まあいいや、お幸せに! でも一つ忠告。継ぐ家のないもの同士がくっついてどうするのか、そこのところは考えておくんだよ!」
しかし次の瞬間、オズワルドはまたいつも通りの、明るくさっぱりとした態度に戻ってしまう。彼に追い払われるようにして、私とニルスはその場を後にした。
大広間の隅のほう、あまり人のいない一角。そこに置かれたソファに二人並んで腰を下ろし、私とニルスは内緒話をしていた。
「……貴方とこうやって話すのも久しぶりで……嬉しいです……」
「すまなかった。あのとき、『今のオズワルドは俺なんだから、負け犬の兄さんが彼女に近づく権利なんてないよ』と言われて……それで、勝ち目のない決闘を受けてしまったんだ」
結局、あの決闘は私にまつわるものだった。そのことが嬉しくもあるし、申し訳なくもある。
そして、さっきからずっと気になっていることがあった。
「あの……九年前にオズワルドを名乗っていたのは貴方なんですよね。でも今は、弟さんがオズワルドを名乗っていて……どういうことなのでしょう?」
するとニルスは、苦笑しながら答えた。
「我がフリード家には、少し変わった風習があって……跡継ぎに選ばれた子どもは、『オズワルド』を名乗るんだ。当主になったときか、跡継ぎから外れたときに、元の名前に戻すけれど」
「では、今オズワルドと名乗っておられるあのかたは……」
「弟の本名は、ジェイ・フリード。八年前、オズワルドの名前を得た」
妙なしくみの家だな、とは思うけれど、それ以上に引っかかることがあった。
「八年前、って……」
私が小さなオズワルド――今のニルスと一緒に特訓していたのは、九年前のこと。だったらニルスは、私と別れてそう経たずに、跡継ぎの座を追われていたのか。
そんな私の表情の変化に気づいたのか、ニルスが寂しそうに笑う。
「……あの日、僕があの空き地で泣いていたのは」
ひざの上に置かれた彼の手が、ぐっと強くにぎりしめられる。
「……フリード家の跡継ぎを、僕ではなく弟にしようと、そう母が主張しているのを聞いてしまったからなんだ」
「え、どうして、そんな……」
「泣き虫で人見知りの僕と、社交的でそつのない弟。その二人を天秤にかければ、答えはおのずと決まってしまう」
「そんな、貴方だって努力しているのに」
懸命に声をかけたけれど、彼は力なく首を横に振るだけだった。
「君も貴族の娘なら、分かるだろう? いくら努力しても、力の劣る者が当主となったら……苦しむのは、領民だ」
「それは、そうかもしれませんが……でも……」
「結局、君と別れてからそう経たずに、僕は『オズワルド』から『ニルス』に戻されてしまったんだ」
きっと彼は、隠れて泣いたんだろうな。そのときそばにいてやれなかったことが、悔しいと思えてしまう。
「……あれから僕は、どうにかしてフリード家の跡継ぎの座を弟から取り戻せないかと悪戦苦闘した。でも結局、それはかなわなかった」
ニルスは、こちらを見ない。軽くうつむいたまま、どこでもない宙を見つめている。
「学問なら、弟には負けない。むしろ、僕のほうがずっと得意だ」
どことなく誇らしげにそう言った彼が、しかしまたうつむいてしまう。
「けれど武術はほんの少しかなわなかったし、社交性は彼の足元にも及ばなかった」
消え入るようなぼそぼそとした声で、彼は続ける。
「人と話そうとするとしどろもどろになってしまったり、逆につっけんどんになってしまったり。僕は弟のようにたくさんの人と親密な関係を築く、そんな能力に欠けていた」
「……確かに、ニルス様はオズワルド様のように如才なくふるまうことは苦手なようですが……でも私とはこうしてちゃんと話せていますし、私は貴方と話しているのが好きです」
どうにかして彼を励ましたくて、懸命に言葉を探す。
「それに当主として、武術はそこまで重視されません。フリード家のご当主夫妻は、こういってはなんですが……その……少し、人を見る目がないと思います」
最後のほうは、ささやき声になってしまった。本音ではあるけれど、それでも他家の当主夫妻を、こんなところで堂々と批判しているのがばれたら、お父様に苦情がいきかねない。
「ふふ、ありがとう。君にそこまで擁護してもらえるなんて、僕は果報者だ」
そんな私に優しい笑みを向けてから、ニルスはそっと首を横に振った。
「でも、いいんだ。『オズワルド』に戻れなかったことについては、もうあきらめもついていたから。……ただ、君の思いに応えられないことが、悔しかった」
「私の、思い?」
「君はまだ、思い出せない? 九年前の、別れの日のこと」




