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逆世界の推し

作者: カケル

 重力が逆さまな世界があった。

 建物の階層が地上に近いほど階数表示が高く、遠ければ低い。

 地下に行けば行くほど裕福な人が多くなる。

 外で暮らす人の通勤通学時は、舗装された空中道路を進んで行く。軽量化された車は高速道路を利用できず、地下に暮らす場合はその限りではない。

 地表での限られた暮らしはなりを潜め、地下での効率的な土地活用が主生活となった。太陽の光を地下に張り巡らせる建築と技術がふんだんに使用されて。

 ただし、この重力逆転が起こっているのは人類種ただ一種。

 他の動植物には一切影響がなく、神のいたずらだなんだと言われて、未だにその原因は解明されていない。

 そんな世界に変わり始めて早二十年。

 当時、徐々に重力が反転し政府が早々と対策したおかげで、その数は五十億とそれなりの数が生き残っている。

「さむっ」

 地上から反転し、十階建ての十階のテナントで。

 シンジはマックのカウンター席で外を眺めていた。

 逆になった視点。

 下を見れば、青い空が延々と続き、上を見れば地平線にまで天井が続いている。

 地面——天井から飛び立つ逆向きの青い鳥がガラス越しに横切った。

 映画での『逃走』を窓に向かって行えば、漏れなく宇宙旅行ができる。

 トイレの排水管は下ではなく上。これでは下水道ではなくもはや『上水道』だ。

 とはいえ、そういった概念や定義はそのままのことが多い。

「ずずー」

 ストローでコーラを吸う。

 人間が加工する前の物質は地球に向かって、加工後は宇宙に向かって重力が反転する、あべこべな法則性。

「うまうま」

 ポテトを口にして、シンジはにっこり。

 久々のポテトに、彼はさらにポテトを頬張った。

 油と塩の衝立とは逆の手でスマホを保ち、ユーチューブを見る。

 とあるボカロPの曲が、ライブ会場で有名シンガーに歌われていた。撮影されているとはいえ、そこでの熱狂や熱中がひしひしと伝わってくる。ステージから伸びるレーザーや演出が煌びやかで、音楽に合わせて点滅や光量が変化し、会場をさらに盛り上げる。

「すごいなあ」

 地下会場でのライブなためお値段はかなり付く。

 これまでの東京ドームや武道館でのお手ごろ価格はもはや幻想だ。

 ビッグマックのセットだって二千円近いのだ。

「いいなあ」

 新社会人で働き始めても、IT系での仕事は薄給で、工場勤務の方が裕福な生活ができる。

 多人口国家は人が余り、少人口国家は人が潤う。

 今の日本はある意味ちょうどいい人口だ。

「あ、そろそろ戻らないと」

 危険の伴う配送業。給料は薄給だが、地下での配送ならもっと稼げるし安全だ。

 それでも彼が地上で配送する理由――。

 食べ終えて、トレイを片付けて外へと走る。

 駐車場に止めた、外型汎用軽量自動車、略して外車に乗り込み、シンジはエンジンを始動して走らせた。

 地下の内型と比べて、耐久性は低くかつ速度も遅い。

 物量は多いのに、いかんせん危険でかつその効率性の悪さもあって、常に人手不足。

「俺は別にいいんだけどね」

 そう、運転好きやマイペースな人間にはある意味、外回りの配送業は好まれる職種だ。

 給料が低くても、そんな変わり者によって回っている業種と言える。

だからこそ、低い給料の低いサービスには悪質な客が付きまとうものだ。

「ここだな」

 シンジは高層マンションの管理人に荷物を運ぶ。

「お荷物でーす」

 呼びかけると、仏頂面で面倒くさそうに顔だけを出した管理人が、シンジを見た。

「部屋番号」

「1202号室です」

「ッチ、またあいつかよ」

 悪態をつきながら管理人が身体を出してくる。

 ビールバラが目立つ太った男だった。ついでに髪も少ない。

 ハンコを乱暴に押して、彼は荷物を受けとった。

「金がねえ癖に、よくもまあこんなにものを頼むもんだ」

 荷物を適当に床に置いて、彼は奥へと消えていった。

 シンジはニコニコしながら踵を返して、外車に乗り込む。

「はあーあ、この時間はほんと嫌だな」

 高層系の建物が多い地上。反対に地下は一軒家が多い。

「次は、っと」

 そうしてそのエリアの荷物を全部配送終えた後――。

 次の配送場所を確認して、車を走らせる。

 そこは他と違い、山奥に住んでいた。

「随分人里離れたところだな」

 地下道を通り外へ出ると、廃墟と化した建物が多い中で、その一階建ての小さな平屋があった。

 反対向きの一軒家。

 築十年以上は経っていそうだ。

 それでも比較的綺麗な状態を保っている。

「管理上手なんだな」

 外での一軒家にはそれなりの資格とお金が必要となる。安全と便利、そして裕福を手に入れるなら地下がうってつけなのだが。

「物好きだなあ」

 道路に繋がった家はここだけで、管理費用はおそらくバカ高い。

 シンジはインターホンを鳴らす。

 それなりの大きさの荷物で、対面以外は渡せない物だ。

 中でバタバタと慌てる音が聞え、引き戸が開かれた。

「ごめんなさーいっ」

 聞き覚えのある声に、シンジは顔を上げる。

「え」

 目が合った。

 固まるシンジに女性は首を傾げたのち、ハッと気づく。

「あ、マスク忘れたっ!」

 口元と顔を隠す彼女だったがもう遅い。

「MIRAIさん……」

 先ほどのライブ会場撮影動画に映っていた『MIRAI』だった。

 美しい美貌と透き通るような声、そして屈託のない感情表現で観客を魅了する最高の歌い手。

 そんな彼女が今、シンジの前にいた。

「え、あ、え、あ、なんで」

「メイドロボ起動するの忘れちゃったなあ」

 反省するように頭を掻く彼女。

 普段着もふわふわした服装で、家の中もまるで空にいるような青とピンクを基調とした内装だった。髪も右が水色で左がピンク。

 画面越しに見る彼女が見たまんまにそこに居た。

「ちょっといい?」

 そう言って中に手招きする彼女。

「えあえあ」

「荷物入れてくれたら少しお茶しましょ?」

 頭が真っ白になるシンジ。

 ただ、言われるままにとりあえず荷物をリビングに入れると、そのままの流れでテーブルに座らされた。

 整理整頓されたリビング。開けられた隣の部屋の向こうには音響機材が並べられていた。

 ピカピカとゲーミングが光る様子から、さっきまで何かしらの作業をしていたようだ。

「あッ」

 パタパタと焦るように扉を閉める彼女。

「いろいろやっちゃったなあ」

 と、照れ隠しに笑う彼女。

 そして、カップに注ぐお茶を少し零していた。

 目の前に置いたカップと、静かに座る彼女を交互に見るシンジ。

「ここに住んでることは言っちゃダメだよ?」

 と、サイン付きのCDをシンジに渡した。

 口封じの、一種の賄賂である。

 彼は目を白黒させながら、両手でCDを持つ。

 憧れの歌手の、その生のサイン。

 そして生の姿。

 シンジは今にも意識を手放しそうになった。

「な、なんでここに住んでるんですか?」

 とりあえず何か話そうと、彼は当初の疑問を彼女に言った。

「おばあちゃんが住んでた場所だから」

 懐かしむように、彼女は窓の外を見た。

 反転した庭。

 そこには小さな花壇と木に括られたブランコがあった。

「えっと」

「気にしないでね。それよりも私もファンに合えて嬉しいわ」

 にこりと笑う彼女に、彼は顔を赤くした。

「えっと……何で歌手になったんですか?」

 雑誌のインタビューで嫌というほど目にした答えだ。

 けれど何を話したらいいのか解らなくて、彼は思い出したようにそう言ったのだ。

「おばあちゃんがお『歌上手だね』って誉めてくれたから」

 インタビューの答えと同じだった。

 違うのは、『おばあちゃん』という単語。

「貴方はいつから聴いてくれてるの?」

 逆にシンジに質問。

 彼はあたふたしながらも。

「えっと、『アンサーアナザー』を聞いた時からずっと」

「え、初期勢なの? 嬉しいわっ」

 手を合わせて喜ぶ彼女に、彼は顔を俯けた。

「どうして好き?」

 ぐいっと来る彼女に、シンジはタジタジしながら。

「楽しんで歌う貴女が好きだから、ですかね」

 と、恥ずかしそうに口にして。

 シンジが彼女に目を向けると、彼女は驚いた顔をしていた。

 続けて言う。

「MIRAIさんの気持ちが歌に乗って伝わってくるというか、喜びも悲しみも怒りも全部を乗せて歌ってくれるから、なんか感動しちゃって、ですね」

 と、様子を伺いながら話すシンジ。

「……下積み、長かったですね」

 あからさまな方向転換。

 彼女はハッとして、クスリと笑った。

「ええ、長かったわ。七年くらいだったかな?」

 正確には五年。

 再生回数も二十万がいかない中でも、彼女はいつも明るく楽しそうに歌っていたのだ。

「でも十五作目の曲、とても焦ってたように見えました」

 彼女は少し目を逸らしてから。

「あは、何だか泣けてきちゃうなあ」

 パチパチと手を叩く彼女に、シンジは気づいて苦笑い。

「……そう。あの時は伸びないことに相当悩んでた時期だった。最初は楽しんで歌ってたけど、その時は数字ばっかりにこだわっちゃって」

 恥ずかしそうに彼女は笑った。

「でもあるコメントに励まされちゃった――『前の貴女の、楽しんで歌ってる貴女が好きだ』って」

 ドキッとシンジは胸を弾ませた。

 アカウント名『とある名もなき配送員』としてコメントしたそれ。

 シンジは喉元まで上がってきた言葉を、強引に呑み込んだ。

「……良い人ですね」

 辛うじてそう言うのがやっとだった。

「……会えるならぜひ、その人に会いたいなあって思っちゃった」

 彼女は少し顔を赤らめながらそう言った。

 だがシンジは口をつぐむ。

 今すぐにでも明かしたい自身を、けれど口にはしなかった。

 ただの一ファンに過ぎない、彼はそう自分に言い聞かせた。

「あんまり人には言わない方がいいかも、です」

「……え、どうして?」

 首を傾げる彼女。

「僕が過激なファンだったら、ってことです」

「あ……あははは、気を付けるね」

 と、誤魔化し笑いを見せた。

「あ、お茶入れよっか?」

 シンジの飲み切ったカップを見て、ティーポッドに手を伸ばした。

「いえ、大丈夫です。それにそろそろ仕事に戻らないと」

 遠慮ではなく、彼は腕時計を見て本当にそう言った。

「そう? もう少し話したかったんだけど」

 と、少し落ち込む彼女に、シンジは申し訳なく思う。

「またどこかで合えますよ」

 画面越しに、と彼は思った。

 そうして、廊下への扉を開けようとしたその時。

「あ、せっかくだし」

 そう言って、彼女は機材のそろった部屋へ向かった。

 数十秒して。

「はい、これ」

 シンジに名刺を渡した。

 その裏には別の電話番号。

「電話待ってるね」

 とにこやかに言う彼女に。

「え、ええ?」

 まさかの誘いに彼は困惑。

「な、なんで」

「なんか初めて会った気がしないって言うか」

 なんでだろ? と考える彼女に、シンジは胸がきゅっとなった。

 だが恋人出来たことない、かつ推しの前で冷静になれなかった彼は。

「しょ、ショートメールからお願いしますッ」

 そう言って、バタバタと外へと飛び出していった。

「あははっ」

 それを見て、彼女はまた笑った。

「……またね、『名もなき配送員』さん」

 玄関まで見送り、引き戸を占めるのも忘れて去っていく後ろ姿の彼に。

 彼女はひらひらと手を振っていた。

「び、びっくりしたー……」

 そしてシンジは、こんな奇跡があるもんだと、驚愕していた。

 まさか配送先があの『MIRAI』の自宅だったなんて、誰が想像しただろうか。

「……」

 もらった名刺を片手にちらっと見て。

 目を右往左往させた。

「どど、どうしよう」

 そんな憧れの彼女からの連絡先。

 嬉しいような怖いような。

「ほんと、どうしよう……」

 不意に運転を誤るほどの動揺に、彼は名刺を座席に置いて気を引き締める。

「後にしよう」

 仕事に集中し始める彼。

 窓の外の、無限に下に広がる空間を他所に。

 だが彼の頭の中は彼女のことで一杯だった。


 ——そして。

 彼が彼女に「お世話になります」から始まるショートメールを送るまでに要した時間は、一週間。

 その返答は実にシンプルで。

『遅いッ』という一喝と猫の絵文字には、彼も笑うしかなった。


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