嗤う戦鬼、就令い爪剣迫るとも
人生にはどうしたって合わない相手がいる。
それは仕方のないことだ。百人いれば百の性格があるだろう。そういう相手とはなるべく関わらないようにするか、上手く折り合いをつけてやっていくしかない。
人生にはどうやっても好きになれない相手がいる。
これもまた仕方のないことだ。万人に好かれる人などいないように、万人を好きになれることの出来る人間というのもまたいないのだから。
これもまた、可能な限り関わらないようにすること。相手が悪意を持って関わってきたら、その時はこちらも相応の態度に出ればいい。
そもそも、相手に悪意や害意があるならばそれは敵対であり、ここでいう合わないや嫌いというのは、あくまで個人的な趣向や性格的にという意味だ。
では――存在を許容出来ない相手ならば?
仲が悪いとかいう話ではない。立場や利害という理由から対立しているわけでもない。そもそも、対立などしていない。
そして、悪意すらない。
ただただ個人的な気質として、その相手の思考、信条、信念が受け入れられない。
顔を見れば――殺してやりたくなるほどに。
そんな相手と出会ってしまった時、人はどうするべきなのだろうか?
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「あれ、南方先輩じゃないですか?」
「茨木……泰伯……!!」
いきなり現れて義華を吹き飛ばした泰伯を、仁吉は睨み付けた。
間違いなく仁吉は今、泰伯に救われたのだ。
しかしそんなことは気にならず、むしろその事実そのもののほうが業腹だと言わんばかりに仁吉の目は血走っていて泰伯を見ている。
それは敵意のようなわかりやすいものではなく、殺意というほど鋭いものでもなく、まるで目の前に立つ相手を存在ごと消し潰してやりたいと言わんばかりの殺伐とした攻撃性に満ちたものだった。
しかし当の、その感情を向けられている泰伯は平然としている。
それどころか晴れやかな笑みを浮かべていた。
「大丈夫でしたか、南方先輩?」
「……おかげさまでな」
なんということのないやり取りだ。
しかしその一言を口にするために仁吉は、毒入りのスープを一気飲みするほどの覚悟を必要とした。
その顔を見た泰伯は一転して思い詰めたような顔をする。そして、
「約束、破ってしまってすいません」
と謝った。
それがあまりにも状況にそぐわないものだったので仁吉は思わず舌打ちしてしまう。
「……お前はこんな時でもそれか。別に……気にしてなんかいないよ」
その言葉を聞いて泰伯は、まだ罪悪感のある顔をしながらも真剣な表情をして義華のほうを見る。
「わかりました。――しかし、驚きましたよ。前世に戻っているとは聞きましたが……まさか夙川先生がこんな風になるなんて」
「前世? なんだよそれ?」
「知りませんか、輪廻っていう」
「誰がそっちの説明しろって言った!!」
「すいません。それより――その説明、あとででもいいですか?」
泰伯の顔が強張る。
仁吉もである。
理由は当然、一つしかない。先ほど泰伯が吹き飛ばした義華が立ち上がり刀を構えたからだ。
「あら、もう少しくらいならばお喋りしていてもよかったのですよ? これが末期のやり取りになるでしょうからね」
義華は本気で言っているようだった。
その証拠に、二人の退路に気を払ってはいるが襲いかかってくる様子がない。
「へえ、優しいんですね。流石、前世とはいえ夙川先生です」
泰伯はすぐに珠を取り出したいと思ったが、義華の様子を見て必死にそれを堪えて口元に笑みを浮かべた。
しかし笑っているのは顔だけで、目は注意深く義華の一挙手一投足を観察している。
そして全身からは、気持ち悪いほどに脂汗が出ていた。
「あら、貴方は今の私の教え子ですか?」
「……まあ、そんなところですね」
「そういえば成り行きで戦うようなことになっていますが、貴方はそう悪人に見えませんしね。そちらの悪いお友達と縁を切るのであれば、私には貴方を斬る理由はないのですが」
義華は仁吉のほうを目線で差す。
「……別に良いんだぞ。見捨てたければそうしろよ。というかいっそ、そのほうが僕も気楽だ」
死にたくない。それは仁吉の本音だ。
しかし、泰伯に助太刀されて生き延びたいかと聞かれるとこれは、仁吉にとってはとても甲乙つけがたい選択なのである。
そして泰伯は。
「しませんよ、そんなことは。尊敬する先輩ですからね。それと――南方先輩は素晴らしい人ですよ。悪人と言ったのは訂正してください」
臆すことなくそう言いきった。
義華はそんな泰伯を、諭すような優しい口調で咎めた。
「いけませんよ、命は大事にしなくては」
「……殺しにきてる人間の台詞じゃないよな、それ」
呆れたように言う仁吉だが、言葉と裏腹に体はぴくりとも動いていない。
「……後悔するなよ」
仁吉は泰伯にだけ聞こえる声で言った。
「しませんよ。僕はこれまでの人生で、一度しか後悔したことはありませんから」
「……それはなんとも、素晴らしい人生だな」
「そう言ってもらえるのは光栄ですね」
仁吉のそれは皮肉のつもりだったのだが、泰伯は褒められたのだと思って嬉しそうにしていた。
「さて、では――歓談はこれまで。始めるとしましょうか」
義華は刀を構え二人を見据えた。
ここから、戦いが始まる。
「言うまでもなく、長いぞあの刀。竹刀の間合いの癖で戦うなよ」
「ええ、大丈夫です。それに――」
泰伯は覚悟を決めた。
珠を取り出して握りしめる。
「竹刀よりも間合いが長い技は、僕にもあります」
それを見た仁吉は、顔をさらに歪めた。
ここ数分の間、自分がどんな顔をして泰伯と話しているのかもはや仁吉にはわからない。ただ、ずっとろくでもない顔をしているのだろうということだけはわかる。
「……まさかと思うがそれ、呪文を唱えると武器に変わったりするか?」
「おや、よくご存知ですね。どうしてそれを?」
理由を説明することはせず、仁吉は無言で自分の持つ珠を泰伯に見せた。
「もしかして南方先輩もハッコウケンというやつだったりします?」
「なんだよそれ? ……いや、まてよ。なんかそれどこかで……!!」
聞き覚えがある。
そう言いかけた時に、義華が踏み込んできた。鳥のような速さで振るわれる刃を二人は必死になって避ける。
「……話は後だ――お互い、生きてたらな」
「そうですね。では――死なないようにしますよ」
そう言ってお互い反対のほうに跳んだ仁吉と泰伯は、珠を握りしめて叫ぶ。
その力を起動するための鍵とも言うべき言葉を。
命を預ける武器の銘を。
「“縫い綴れ”――骨喰」
「“虚を断て”――無斬」
仁吉の両手には虎のような鋼の鉤爪が。
泰伯の右手には漆黒の刃を持つ剣が。
それぞれ現れた。
義華はそれを見ても驚くようなことはせず、むしろ興味深そうな笑みを浮かべた。
「なるほど、貴方たちが当代の――」
「……なんだって?」
二人のそれを見て攻撃の手を止めた義華に仁吉は目を細める。
驚くでも、惑うわけでもなく、しかし意に介さないわけでもない。どこか感慨深そうな顔を浮かべて、隙さえ生じたことに疑問を覚えたのだ。
「……今なら、いけるか?」
「……いえ、あれで油断はしてませんよ。安易な攻めは危険です」
「なあお前、一応これも言っておくが、あれは元は夙川先生だ。だからって変な加減とか遠慮を考えるなよ」
「……ええ。そこまで自惚れるほどの腕はありませんよ」
泰伯には犾治郎から渡された拘束用の札がある。
しかしそれを使うところまで持っていけるかどうかというのがそもそもの問題だ。
二人掛かりで、全力で、義華の身の安全など考えずに挑んで――。それで、ようやく勝算が五割に届くかどうかというのが泰伯の見立てである。
そう考えていた時に、義華が二人を見てきた。
「名を聞いておきましょう。無論、私も名乗りますとも。互いに、それくらいの敬意は払うべきでしょうね」
二人は少しだけ顔を見合せた。
「……南方仁吉だ」
「……茨木泰伯といいます」
そして、これはただ単に、彼女なりの流儀のようなものなのだろうと思い、ゆっくりと言った。
「いい名ですね。鬼の名は……まあいいでしょう。私もあれは好きではありませんしね」
「鬼の名?」
「気にしないでください。それで、次は私の番ですね。私の名は淼月凰琦丸といいます。そして――」
仰々しい名前で、口頭で聞いただけでは二人にはどんな漢字なのか想像すらつかなかった。そして名乗りに次ぐ義華――凰琦丸の行動はそんな疑問などすぐに消し去ってしまった。
凰琦丸が刀を手放す。
それはそのまま地面に落ちることなく、光を放ち、青い珠に変わって凰琦丸の手に収まった。
「“鏖せ”――鬼儺」
そして凰琦丸は、仁吉と泰伯がそうしたように言葉を紡いで珠を武器へと変形させた。
鬼儺。
凰琦丸がそう呼んだ武器は、一般的には七支刀と呼ばれるもので、真っ直ぐな剣の左右に、段違いに六本の枝刃を持つものである。
「これが私の解珠。私の武器です」
私はいつも 弱き者の前に立つ
ただ 強き者を斬るために