止戈為武
『遅いぞ馬鹿鵬。どこで呆けていた?』
騎匣獣で駆けつけた蒼天を、玲阿が目を細めて見る。
蒼天にはそれが玲阿の中にいるらしき何者かだとすぐにわかった。
「こっちも色々とあっての。それで……どういう状況じゃ? 何故――忠江が巨大な蛙の怪物などになっておる?」
蒼天はとにもかくにも玲阿をチャリオットに乗せ、忠江――全長五メートルほどの青い蛙の怪物から距離を置く。
蛙の怪物は苦しんできるような呻き声をあげ、錯乱したように跳び跳ねている。
『理由など私にもわからんさ。本当に突然のことだったとしか言いようがない』
「しかしもう少しこう……何かないのか?」
『黙れ。そもそも私がいなければ今ごろ玲阿はあの蛙の怪物に殺されていたぞ。お前が呑気に阿保面を晒している間にな』
「む、そうじゃの……。すまぬ。そして、感謝する」
蒼天はチャリオットの手綱を曳きながらではあるが、しっかりと玲阿のほうを見て頭を下げた。
『お前のためじゃない。玲阿のためだ。わかったらきりきり働け。私があの忠江という少女に触れられさえすれば元に戻せる』
蒼天の謝罪を受けても玲阿の態度は変わらない。
そして、さらりとそう言った。
「……本当に何者なんじゃおぬし? いや、名乗りたくないというならせめて仮の名とか渾名くらいでいいから名乗ってくれんか? 流石にそなたを玲阿と呼ぶのは憚られるし、そなたもやり辛かろう?」
『そうだな――。なら、サヤと呼べ』
「うむ、了承したぞサヤどの。では……」
と、蒼天が言葉を続けようとしたその時だった。
蛙の怪物がチャリオットの横にしがみついてきたのである。しかも跳躍の勢いはそのままだったため、チャリオットは横転しそうになる。
戈を持った兵士が応戦しようとして、慌てて蒼天が制止する。その一瞬の間にもサヤは蛙の怪物のほうへと手を伸ばした。
今、サヤと蛙の怪物は目と鼻の先の距離である。好機だった。
しかし、蒼天は兵士の制止を終えるとサヤに覆い被さるようにしてその行動を防いだ。
『おい、何をする馬鹿ど――』
蒼天の行動にサヤは腹を立てた。
だが状況はそれどころではない。チャリオットは倒れ蒼天とサヤは中庭に敷かれている芝生の上へと投げ出される。
蒼天は素早くチャリオットを消し、二人目掛けて跳びかかってくる蛙の怪物の体当たりを食らう前に再展開しサヤを伴って乗り込んだ。
サヤはなおも蒼天に文句を言おうとしたが、その姿を見て開きかけた口を閉じた。
蒼天の背には菜箸ほどの長さのある細い針が何本も刺さり、ハリネズミのような姿になっている。蛙の怪物が口から吐き出し、蒼天がそれを庇ったのだとサヤは気づいた。
『お前……』
「気に……するでない。玲阿の、ためじゃ。それは玲阿の体であろう。それに……忠江は勿論のことじゃが、サヤどのを傷つけさせては、どうもそれはそれで、玲阿に会わせる顔がない気がするのでな」
蒼天は苦痛に顔を歪めながらもチャリオットの手綱を握り蛙の怪物を睨む。
蛙の怪物は蒼天たちがチャリオットに乗り込んだのを見ると距離を置き、校舎の壁を跳び移りながら二人を睨んでいた。
「つつ、しかし……体を入れ換えておるといっても、痛覚はちゃんとあるのじゃの……。微妙に使い勝手の悪いシステムじゃ」
『――仕方ないだろう。その仮染めの体を解けば傷が塞がるだけよいと思え』
「まあ、それはそうなのじゃが……」
蛙の怪物はまだ襲ってこない。
今の二人には少しだけだが会話をする余裕があった。
といって、ここで換装を解いて再換装しようという気は蒼天にはない。蛙の怪物の俊敏さは騎匣獣に匹敵し、十数メートルの距離など物ともしない。
加えて、壁を足場とし、張り付くという縦の動きがある。平地では強いが悪路や障害に弱いというチャリオットの弱点がそのまま蒼天とサヤへの不利として浮かび上がっていた。
『しかしこれからどうするつもりだ? 何か策はあるのか?』
「そういう訊き方をするという時点で、隠し球とか奥の手とかには期待されておらんようじゃの?」
『少なくとも、この場で有用なものはないだろう? お前は戈を止める者ではなく戈を持って進む者なのだからな』
皮肉めいた顔ではあるが、その声にはどこか哀れみが込められている。
「誰も彼も、余への皮肉が巧くて嫌になるのう。じゃがのサヤどの。過去の罪は過去の罪として受け入れる。しかし今の余は三国蒼天じゃ。サヤどのが何故余を嫌うかは知らぬが、そこだけは見誤らないでいただきたい」
『ふん。まあ、今だけはお前を我が怨敵でなく玲阿の友として立ててやろう。それで――策は?』