monster roar_2
月華天翔で食事を終えて覇城と別れた仁吉は帰路へついた。家の近くの公園前を通りすぎたところでふとスマホで時間を確認すると、時刻は既に夜の九時を回っている。
(すっかり遅くなっちゃったな)
南方家は特に門限に厳しい家ではないが、ここまで遅くなると少し気が引けるものがあった。今さらかもしれないがせめて少しでも早く帰ろうと足を早めたその瞬間。
何かに、見られているような気配を感じた。
しかし、視線を感じるという表現がしっくりとこない。例えるならまるで、
(なん、だ……? 怪獣か何かから、見下ろされているような、得体の知れなさがある)
そんな気分だった。非現実的な例えと思いはしても、全身を走る悪寒はそれを否定できない。
どうするべきか考えて、とりあえず仁吉は家と逆の方向へ走り出した。根拠はないが、この気配は自分を狙っている。そしてこれを、家に近づけてはならないと感じたからだ。
夜の町を仁吉は必死になって走った。しかし、気配はずっと自分をつけ狙ってくる。
(くそ、どこに行こうか? というか、この、僕を今付け狙っている何かは人間なのか? 非科学的ではあるけれど、怪異とか悪霊とかの類いなんじゃないだろうな?)
もしそんならものが実在するとして、それが仁吉を狙っている何かの正体なのだとしたら、走って逃げようという思考自体が愚かしく無駄な行為に見えてくる。
自分がまるで籠の中の鳥や水槽の中の魚で、生殺与奪を握られたまま、無駄に足掻いているのを面白がって、あるはいはただの気まぐれで見逃されているだけのような絶対的な力関係の差があるような気がしてならない。
(くそ、だからって諦められるか。何か……待てよ、子供の頃、確か誰かに……)
何かを言われたような気がした。
息を切らしながら、仁吉は必死になって過去の記憶を手繰る。僅かな希望であっても、他に縋るものがないのだ。
(子供の頃の僕は……先生のところで武道やり始めて、先生の紹介で蔵碓とあって……町全部で鬼ごっこやろうとか言い出した聖火を探しているうちに飽きた聖火が先に帰って家族総出の大捜索されたり、蔵碓が修行したいとか言い出したのに付き合わされて深夜まで山に籠って捜索届出されたり……)
他人に振り回されてばかりの幼少期だったと改めて思う。そして今もその延長線のような毎日だと思うと、余計にこんなところで死にたくはなくなった。
(ええと、あのときは結局、蔵碓の家に泊めてもらったんだったかな? ……そうだ、確か蔵碓の親父さんがその時に)
蔵碓に付き合わされて心身ともに疲れきっていた時に、蔵碓の父に言われた言葉を思い出した。
『もしも夕方や夜中に怖いものを見て、どうしてわからなくなったらうちにおいで。ここには、悪いものは入ってこれないからね』
その時の仁吉は、何かあったら気軽に来てよいと言われたくらいの感覚であったが、今はもしかすると、言葉通りの意味だったのかも知れないと思った。
(よし、崇禅寺にいこう。悪いな蔵碓)
坂弓市北部にある 山、その中腹にある寺院、崇禅寺。そこが蔵碓の実家であった。
幸い、仁吉が今いるところからは走って十分もない距離である。
気配はまだついてくる。
必死に、必死に走って、御影家の長い壁が目前に見えた。
(ここから崇禅寺まではもうすぐだ。あと少し……)
そんな仁吉の希望を、現実は、圧倒的な非現実さをもった現象で打ち砕く。
パリン、と、ガラスの割れるような音がした。
音のした方を見ると、空が裂けている。その奥には、血で染め上げたような真っ赤な空が広がっていた。そして――。
(なん、だ……? あれは、いったい?)
黒い体。紅蓮の装甲。鬼のような一本角。その全長は、優に10メートルを越えている。
怪獣としか表現できないようなものが、赤い空から降ってきたのだ。