the worst is yet to come_2
仁吉は重い足取りで生徒会室を後にした。
理由は無論、生徒会と風紀委員の合同見回りである。代役を引き受けたこと、それ自体は別に問題ない。しかし組まされる相手が仁吉を憂鬱にさせている。
「おや、どうしたんだいミナカタくん。またぞろ今日の終わりみたいな顔をして」
「……千里山さんか。珍しいね、君が昼休みに図書室にいないなんて」
図書委員長、千里山早紀はとぼとぼと歩く仁吉を渡り廊下で呼び止めた。彼女は渡り廊下に設置された、まるで電車の座席のような横並びの椅子に座って、左手でパックの牛乳を飲みもう片手で文庫本を読んでいる。
「君は私を図書館のヌシか何かと思ってはいないかい? 私だって時には昼休みを図書館以外で過ごすこともあるのさ」
「まあ、それはそうかもしれないけどさ。なんか、いつ行ってもいるなって印象だったから」
「そう感じるなら、ミナカタ君が私のいる時に来ているだけだろうさ」
「そういうつもりはないんだけど……」
そう、仁吉には誓ってそんな意図はない。
しかし改まって自分の行動を言われると、まるで自分が同級生の女の子をストーキングしているような気分になってくる。
「――なんて、冗談だよ。だからそんなに気に病む必要はないさ。単に、私がいない時は他の誰がカウンターに座っているかなんて気にしていないだけだろう。それでいて、私がいつも君に話しかけるものだから印象ばかりが残っているだけさ。きっとね」
相変わらず早紀は視線を本に向けたまま話す。
人よりも本に集中しながら話すのが早紀の癖だが、しかし会話に齟齬はなく、過去に話したことも覚えているのだから仁吉は彼女のこの姿勢を特に不快に思ったことはない。
「ま、本来は図書館なんてものは読んだ本の印象だけが残るべき場所だからね。むしろ毎回、話し止めてしまって悪いとは思っているさ」
「別にそれは構わないんだけれどさ……。それよりさっきの言葉はどういう意味なんだい?」
「さっき? ああ、今日の終わりみたいな顔をしているというやつかい?」
仁吉は頷く。
不運や絶望が表に出ていることを例えて、この世の終わりのような顔と言うことはあるが、今日の終わりのような顔という例えは聞いたことがない。
「簡単だよ。君はよく厭世的な顔をするけれど、基本的に後々にそれを持ち越したりしないじゃないか。今日の不幸は今日で終わり。明日は明日の風が吹く。だから今日の終わりのような顔と言ったんだよ」
「……はあ、なるほど」
わかるようなわからないような例えであった。
仁吉はぽかんとした顔で相槌をうつ。
「実際、大したものだと思うよ。色々なことがありながら次の日にはけろりとしてまた厄介事を踏みに行く生活を繰り返してるんだからね」
「踏みに行ってるつもりはないんだけど、まあ結果的にはそうなのかもね。僕としてはもっと平穏無事に生きたいと思っているんだけれど」
「いいじゃないか。平穏に生きたいなんて台詞が言えるのは人生が刺激に満ちている証拠さ。君は厄介事を嫌がるけれど、退屈な人生よりも刺激のある人生のほうがいいに決まっている。その刺激が善いものか悪いものかなんてのは、平穏と波乱の違いに比べればささいな差に過ぎないとも」
「……いや、そんなことはないと思うよ?」
「それは気の持ちようというものさ。『これが最悪だと言えているのであれば、まだ本当の最悪ではない』と言うだろう?」
早紀は少し気取った、芝居がかった言い回しをした。それはシェイクスピアの『リア王』の一節なのだが仁吉はそんなことは知らない。おそらく何かの小説か古典の引用だろう、という程度の推測が出来たくらいだ。
しかし当然、どんな場面での言葉なのかということなど知る由はないのだが、
「それってつまりさ。その後に、最悪だと口にする気力すら起きないような、もっと悪いことが起きるって意味じゃないのかい?」
なんとなく仁吉はそう感じた。
そして原典に置いてその台詞を発した人物のその後は――。
「そうとも言えるし、そうでないとも言える。いや、違うな。読み手の感性と価値観次第というところか」
「というと?」
「つまりだね。確かにその場面でのその台詞は、もっと不幸になるかもしれないという想いから発せられたものだ。しかし最後まで考えてみると彼の――ああ、これを言った人物の人生はただ最悪を更新し続けた人生だったかと言うとそうではないと私は思う。我ら読者の視点からすると『まだ最悪ではない』は、さらにどん底があるとも取れるが、本当の最悪の一歩手前で踏み留まれているとも取れるわけさ」
早紀は滔々と語る。気がつくと、読んでいた本を閉じて仁吉のほうを見ていた。
「だからまあミナカタ君も、もう少し楽観的にいきたまえよ。いいじゃないか波乱万丈。味のないガムを延々と噛み続けるような味気なく代わり映えのしない人生よりはよほどいいと思うけどね」
「ほどよくいいくらい、という選択肢はないのかな?」
「贅沢はいけないよ。君の人生は君のためにあるけれど、世界は君だけのためにあるわけじゃないんだからさ」
表情を表に出さないまま、早紀は言う。
その姿が仁吉には悟りきった賢者のように思えて、
「……千里山さんって本当に僕と同い年かい?」
つい、そんなことを口走ってしまった。
「君はさ。相手が私なら何を言ってもいいと思ってはいやしないかい?」
「……ごめん」
「よく覚えておきたまえ。別に私が大人びてるわけじゃない。年が同じなら男子のほうが子供というだけさ。ミナカタくんは子供な男子の中ではだいぶマシなほうではあるけれどね」
相変わらず早紀は無表情のままだ。感情を表に出すことなく、それでいて失礼なことを言ってしまった仁吉にフォローすら入れてくれたのだから、確かに自分はまだまだ子供だと仁吉は思う。
「それで、そもそもの始まりに戻るわけだが。ミナカタくんの今日の悩みの元はなんなんだい?」
千里山早紀
家族構成:母、姉、弟
誕生日:6月11日
部活:ボードケーム同好会 委員会:図書委員会委員長
好きなもの:読書、図書室、コーヒー、雨
嫌いなもの:猫、スマホ、本の汚れ、運動
備考:占いが得意
図書室のヌシ。仁吉の体感では週五でいる。週末も鍵を借りて図書室を開いているので彼女が図書委員になってから図書室を利用する生徒が増えた。
シェイクスピアが好きでたまにセリフを引用する。しかし好きな理由の三割くらいは『サッと引用した時にサマになるから』という不純なもの。隠れ中二病疑惑がある。