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BARBAROI -鬼方の戦士は八徳を嗤う-  作者: ペンギンの下僕
chapter2“a*en**r b*ea*s *ein**r*ation”
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 力を込めても鎖はびくともしない。

 そうやってもがいている間に、ようやく犾治郎は後ろを向いた。


「ほんと、甘くて温くてどうしょうもないな茨木クンは」

「なん……だって?」

「“彼女”に言われたことを何も活かしとらん()うとるねん」


 犾治郎の視線は冷ややかで、怜悧な声のままその首筋に剣を向ける。


(ついたち)の能力が連弩を出すだけや()うた覚えはないし、()うたとして、それを間に受けたとしたら三流以下や。そうゆうとこが、異能の戦いに慣れとらんっちゅうことやで」


 (ついたち)の切先が泰伯の喉の前で揺れている。犾治郎の気まぐれ次第でその刃はあっさりと泰伯の喉元を裂くだろう。


「そや、ついでやから教えといてあげるけどな。換装しとるから首刎ねられても死なんとか思わんほうがええで。その体は確かに魔力で構築したもんやけど、頭と魔力炉心――要は心臓やな。それだけは生身と変わらん。その二つは真っ直ぐに繋がっとるから、断たれたら死ぬで」

「それは……どうも」

「もちろん、頭や心臓を直で潰されてもアウトや。例えば」


 ヒュン、と風を斬る音がする。

 (ついたち)が泰伯の頭のすぐ横を突いた音だ。


「こんな風にな」

「……随分と、悪質な冗談をするんだな」

「はっはっは、まあそやな。けどな――冗談で済ますかどうかは、今考えとるとこや」


 底冷えするような声だった。

 その顔に、先程までのへらへらとした間の抜ける笑いはない。


「茨木クンは甘い。戦いを綺麗で高潔で尊いもんやと思うとる。これは道場でやるようやスポーツちゃうねんで。ルールもない、卑怯も禁じ手もない。正直な奴は死を晒して、狡猾な奴が生き残る。勝つためには何でも利用せなあかんし、どんな努力も負けたらゴミや」

「……そうだね。きっと君が正しいんだろう。だけど僕は――君の言う甘さを、たぶん曲げられない。いや、曲げたくないというほうが正しいかな」


 泰伯は真剣な目で言う。

 犾治郎も真剣で、その言い分には理があって、いいかげんなことを言えば躊躇いなく泰伯を殺すだろうということは理解していた。

 その上で、泰伯はそう言い切ったのである。


「曲げずに死んでもか?」

「そうだね。死ぬのは嫌だけど、自分の意志に妥協するのはきっと、死ぬより苦しいだろうから」


 そう言った直後。

 するりと、鎖の拘束が弛んだ。


「ま、ええやろ。妥協は()やけど死にたくもないとか甘えたこと()うたら殺したろ思うとったけど、そこさえ腹括れてるんやったら自己責任や」

「……それは、どうも」


 鎖から放たれた泰伯はそのままへなへなと地面に座り込んだ。緊張の糸が切れたのである。

 犾治郎に語った言葉は誓って真実ではあるが、それはそれとして死の狭間にいたという事実は泰伯の精神を疲弊させていた。


「正雀君は……怖い人だね」


 率直な感想である。


「んなこと言わんといてぇや。世の中、ボクなんかより怖い人はいくらでもおるよ」

「世間っておっかないね」

「そうそ。渡る世間は鬼ばかり、やで」


 もう犾治郎はいつもの調子に戻っていた。


「だからさ、これから軽く茨木クンのこと鍛えたるよ。自己責任とは()うたけど、簡単に死なれたらシンドバッドの奴が困るやろからな」

「そのあたりのことも、君は詳しいのかい?」

「まあ茨木クンよりはな。けどそのあたりのことはまた今度にしよや。とりあえず今から、最低限のことだけ詰め込まなかんさかい」


 そう言って犾治郎は(ついたち)を構える。


「いつ何が起こるかわからんからな。戦う気があるんなら気合いでついてきてもらうで」

「ああ、わかったよ。よろしく頼む」


 **


「とりあえず、こんなもんにしとこか」


 犾治郎がそう言った時、泰伯の目に飛び込んできたのは朝日の光だった。木々の中では鳥のさえずりが聞こえ、東の空が白く輝いている。


「……ほ、ほんとに突貫修行だったね」


 泰伯は今、無斬を杖の代わりにしてどうにか立っているが、その足は生まれたての小鹿のように震えている。


「テスト前の一夜漬けとかこんな感じやろな。泰伯クンは真面目やからそんなことせんかもしれんけど」

「……ないよ。彷徨はしょっちゅうみたいだけどさ」


 もう無理と言わんばかりに泰伯は地面に寝転がる。服が汚れるのもお構い無しだ。


「ところで今何時?」

「朝の六時くらいやね」

「……だよねえ。せめて家に帰ってシャワーくらい浴びたかったんだけど、無理そうだ」

「ボクん家の貸したげよか? 流石に着替えはないけど汗くらいは流せるやろ」

「犾治郎の家って学校から近いんだっけ?」

「うん。歩いて三分かからんよ」


 申し訳ない気もするが、汗と土と埃にまみれた体で授業を受ける気は起きない。泰伯は素直に好意に甘えることにした。


「ところで泰伯クン、家のほうは大丈夫なん?」

「遅くなるとは連絡したよ。流石にこんなことになるとは思わなかったけどね」

「不良やねぇ」

「君も同じようなものだろ」


 そんな軽口を叩き合いながら二人は山を降りていく。

 裏山から旧校舎のほうに行かずに別の山道を下り、山を出て数分あるくとそこに犾治郎の家があった。


「……もしかして犾治郎の家ってお金持ち?」


 それは、フットサルくらいならば出来そうな大きさの芝生の庭がついた、左右非対称のモダンスタイルな建物だった。三階建てで、シャッターと屋根のついたガレージは車が三台は横並びでおけるだけの幅がある。

 家に剣道場こそあるが、それは父の家業で使うものであり、その隣にあるのは小さな木造二階建てのみで車庫すらないという茨木家とは雲泥の差だ。


「まあ、せやな。あ、色々あって今は人おらんから気楽にしてくれてええよ。折角やし風呂も沸かそか」

「……お、おう」


 やたらと広く荘厳な玄関を犾治郎は慣れた様子で歩いていく。後ろを歩く泰伯は、一歩進むだけで肩の凝る思いだった。


(気合いで換装して帰ったほうがらよかったかな。好意に甘えると言った手前、ここで遠慮するとかえって犾治郎に悪い気がするし……)


 そうこうしているうちに浴室まで案内されてしまった。脱衣場だけで泰伯の家の風呂場よりも大きく、浴槽は檜風呂だ。少し汗を流すだけのはずが、感覚が徹底して庶民派の泰伯からすればかえって疲れそうなほどに豪華である。

 それでも湯に浸かればリラックスしてくることには違いない。むしろ快適すぎて、今日の夜から自分の家の普通の風呂で満足出来るだろうかと心配になってくるほどだ。


(あんまりのんびりもしていられないけれど……ついつい寛いでしまいそうだ)


 湯加減はちょうどよく、檜の浴槽は柔らかすぎず固すぎずで体が余分な力をいれることもなく――。

 泰伯はそのまま、目を瞑ってしまった。

 自分でもわからないうちに夢の世界へと旅立ってしまったのだ。

 その頃犾治郎は、脱衣所でタオルなどを用意しながら、


「ゆっくり休みぃや、泰伯クン」


 と言って笑った。

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