redhair girl_2
「うう、腕が痛い。明日はこれ、確実に筋肉痛じゃの……」
夜の九時頃。
アパートの自室に帰った蒼天は布団に転がりながら独りごちていた。元より蒼天はあまり運動が得意なほうではなく、趣味といえば図書館通いというインドア派だ。
それがエネルギーの塊のような忠江と中学で陸上をやっていた玲阿に付き合わされて三ゲームも投げたのだから、こうなるのも当然である。
「しっかし、何年張り替えておらんのじゃろうなここの壁紙?」
築二十年。1K八畳、二階建ての涼虫荘。ここが蒼天の住処だ。わけあって今は二つ年上の先輩と同居しているのだが、その同居相手はまだ帰ってきていない。
そもそもが奇妙な縁だった。
蒼天が中学二年生の時、母親が蒸発したのだ。理由はおそらく男だろうと蒼天は考えている。
元から母子家庭で父親の顔は知らず、離婚したのか死んだのかすら聞かされていないし、蒼天も特にそれを気にしたことはなかった。
母に捨てられたとわかっても悲しむことも途方に暮れることもなく、まあなんとかなるだろうと考えて公園でホームレス生活を始めたところを拾ってくれたのが今の同居相手である。
当時高校一年生で一人暮らしをしていた彼女は、素っ気なく、しかし暖かく蒼天を迎え入れてくれた。
『危機感とかないのか? 普通、こういう時って通報とかするものじゃろう?』
当然の疑問として蒼天はそう聞いた。
彼女は身内に先立たれて天涯孤独らしく、家族の遺産で生活している。その遺産というのはそれなりに多いらしく、一人が二人に増えても問題はないものらしいが、それはそれとして、見ず知らずの相手にそこまでする理由にはならない。
蒼天はそう思って聞いたのだが、彼女は、
『親に置いていかれてもまあいいかで済ませる奴に、普通を説かれたくはない』
と真顔で言い放った。
言われてみると確かにそうだ。そこで初めて蒼天は、自らの精神性の歪さを自覚した。
仮に感情が希薄で親子関係に執着がないとしても、生きていくためならば他にやりようはあったはずだ。少なくとも現代日本に住んでいる以上、いきなりホームレス生活よりもましな選択肢はいくらでもある。
なのに蒼天にはそう言った発想がまったく浮かんでこなかった。その理由は自分でもわからない。自分なりに色々と考えてみて、蒼天は思考をやめた。
『なるほど。つまり、余もそなたも変わり者ということじゃ。ならば余らは似合いの二人なのであろうな』
『そもそもなんだその一人称は? 自分のことを余なんて呼ぶとか、どこの王侯貴族だ?』
『そう言われてもの。余にはこれが一番しっくりくるのじゃ。自分のことを私とかウチとか呼ぶような余は、考えただけで寒気がする』
そんな話をして結局、彼女がなぜ蒼天を迎え入れてくれたのかは聞けずじまいだった。そのまま、お互いにもうその話題に触れることはなく、二年が経った。
「高校生になったことじゃし、バイトでも始めるかの。居候の身とはいえ、遊びたいには遊びたいし、そろそろ家賃くらいは入れぬと申し訳ない」
そもそも今までが甘えすぎだという自覚はある。
今日にしても、友人に誘われたところをたまたま見ていた彼女が、ならば行ってこいと小遣いをくれたから実現したものである。
他にも普段の食費から学費まで、およそ蒼天の生活費にかかるものはすべて彼女の世話になっている。
一応、蒼天にも昔何かの時に作ってもらった口座はあるのだが、その中身は雀の涙ほどしかない。
流石にこのままではよくないと蒼天もわかっている。
「とはいえ、何をやろうかの?」
普通、今時の女子高生であればスマートフォンで求人サイトなどを検索するのだろうが、蒼天はそんなものを持っていないし、この部屋にはパソコンもない。
「……また明日じゃの」
同居人はまだ帰ってきそうにない。蒼天は思考を止めて、今日はもう寝ることにした。