sindbad the Sailor_3
包帯の女は泰伯を縛るとそのまま立ち去り、森を抜けようとした。しかしそこで気配を感じ、鞭を構えた。
『転生鬼籙を持ち出したか』
「……誰だ?」
木の上から声がする。しかし姿は見えない。
とりあえず包帯の女は、声のしたほうへ鎖を飛ばした。手応えは、ない。
『それのある下までは潜らなかったようだな。ならばいい。だが、それを使うのはやめておけ。目的はわかる。それを望む気持ちもわかる。だが、お前の進む道の先にあるのは絶望の追憶とさらなる憤怒だ』
声は包帯の女を囲むように、木々の間を縫って放たれる。絶え間なく移動しながら話すことで居場所を悟られないようにしているのだろう。
「黙れ、お前に……何がわかる!?」
『わからないさ。ただ憐憫があるだけだ。だからこそ、子を甘やかす愚母の如き女にのせられて安易な救いを求めるなと言っている』
「愚かは承知だ。ああ、確かに私は身勝手だろうさ。だがな、それでも私は止まらない。気に入らぬのならば殺して止めろ!!」
『気に入らぬのではない。度し難いと言っている。しかし、この場で何かをするつもりはないさ。お前は最後には正しい道を征くと信じているからな』
そう言い残して、気配は消えた。
包帯の女は姿なき声に、言葉に出来ないほどのいら立ちを覚えた。それは、わけのわからぬことを無責任に言われたからではない。
彼の言葉が正しくて、それを頭で理解しながら受け入れられない自分を自覚したからだ。
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船乗りシンドバッド。
フードで顔を隠した男はそう名乗った。
縛られたままの泰伯は地面に転がって男を、船乗りシンドバッドを見上げながら、
「他人にはそう呼ばせているって……それはつまり、自分でつけた渾名ってことかい?」
冷静にツッコミをいれていた。
「真名を名乗るわけにはいかないのでな。些か長いがお前もそう呼べ」
淡々としていて、感情の起伏の無い声。フードの奥はまるでそこだけが異空間になっているように暗く、顔色を窺うことさえ出来ない。
(よくわからない人だな)
と泰伯は思った。
強いて一つわかることがあるとすれば、敵意はなさそうだということくらいである。
「よければ、この鎖ほどいてくれない?」
「呑気な男だ。少しくらい、警戒の色を見せたらどうだ?」
「だってこの状態じゃ警戒してもどうにもならないしね」
「それもそうだ。いいだろう、ほどいてやる。少し待て」
そう言って船乗りシンドバッドは屈み、右手で鎖に触れた。その手の先から青色の蝶が二匹飛び出て泰伯の周りを舞うと、はらり、と鎖はひとりでに緩まった。
「これでいいか? ついでに蜘蛛の毒も消しておいたぞ」
「ああ、ありがとう。それよりも……その蝶はもしかして」
泰伯は前にフェイロンと戦った時のことを思い出していた。
船乗りシンドバッドが出した蝶は、フェイロンに吶喊していた最中、泰伯の視界を横切ったそれと同じ形をしていたのだ。
フェイロンはそれを、術をかけたと言っていた。そして今、船乗りシンドバッドが行ったことは、それが魔術と呼ぶべきなのか、あるいは道術、陰陽術といった区分があるのかは不明だが、科学や物理法則に頼らない術と呼んで然るべきものだと泰伯には思えた。
「フェイロンとの戦いの中で、僕を助けてくれたのは君なのかい?」
「ああ。あんなところで死なれては俺が困る。故に少し助勢した」
「そうか。ありがとう。君のおかげで、僕は筋を通せた。そして今も生きている」
「礼などいらない。俺は俺の都合でお前をいかした。謝意は行動で見せてもらおう」
「無論だとも。何をすればいい? 僕に出来ることならば何でもするとも」
「頼もしいな」
相も変わらず、船乗りシンドバッドの声は淡々としていて、そこに感情は乗っていない。
しかし泰伯はそれを咎めたり怒ったりはしない。
自分の心に立てた誓いを果たすために、力を貸してくれた。命を助けられた。それだけで泰伯には十分、船乗りシンドバッドのために尽力する理由があるのだ。
「では話しておこう。これからこの学校に降りかかる嵐――敵の名を」