lady hermit_3
天珠の存在に戸惑っている泰伯を前にして天珠は、ところで、と話題を変えた。
「彷徨くんのことはいいのかい?」
「ああ、そうだった!!」
泰伯はいきなり慌てだす。
「君はなんというか、実は薄情な人だねえ」
「これだけ矢継ぎ早に色々起きててそんな落ち着いてはいられませんよ!!」
叫びながら泰伯は熒惑砦の中に戻る。しかしそこに彷徨の姿はなかった。
その代わりに、闇の中により濃い、黒い人影がある。フード付きのマントを被って顔を隠したその相手は泰伯の知る人物だった。
「……船乗りシンドバッドくん?」
『遅かったな』
船乗りシンドバッドは起伏のない声で言う。
「遅かったってどういう――それより彷徨は?」
『安心しろ。今は眠らせて俺の“宝珠”の中に隠してある。この騒動が落ち着くまでは目を覚まさないだろうさ』
そう言われて泰伯は安堵の息を吐く。同時に、“宝珠”にはまだ色々と便利な使い方があるものだと感心していた。
「ならとりあえずはいいや。それで、いったい何が起こってるんだい?」
『この山に危険な物がある。不八徳の一人がそれを狙っているらしくてな。奴らの手に渡ると厄介なことになる。力を貸してくれ』
船乗りシンドバッドに頼まれて泰伯は詳細も聞かずに諾を返す。その危険物――“月の心臓”は山頂にあるということなので二人は山を駆け登った。
「ところで君はさっきのあの……北千里天珠という人のことを知っているかい?」
いつの間にか天珠は姿をくらませていた。しかし船乗りシンドバッドと知り合いであるようなので泰伯は聞いてみた。
『ああ、あいつか。あの女のことは気にするな――』
「気にするなっていうのはどうしてだい? 君は色々なことを知っていて、そう言うのにも理由はあるんだろうけれどさ。けど、そういう言い方をされたらかえって気になるじゃないか」
『まあそれもそうだな。しかしあの女は――今のお前に語るにはあまりにも存在そのものが荒唐無稽でな』
「僕にとっては君の存在もかなりそんな感じなんだけどね……」
泰伯は目を細めて船乗りシンドバッドを見る。
顔を隠して正体を明かさない、学校の七不思議のような噂になっている正義の味方。荒唐無稽な存在と呼ぶには十分であった。
泰伯に怪訝そうな物言いをされて船乗りシンドバッドも、それもそうかと呟く。
『まあ、敵ではないというのは間違いではない。しかし安易に味方とも思うな。あの女にはあの女の思惑があり、そのために動いているに過ぎないのだからな』
「思惑っていうのは?」
『それは言えない。というよりも、お前は知るべきではない』
船乗りシンドバッドは最後の部分を特に強調して言った。
『何事であれ、知っていることはよいように思うかもしれないがな。しかし、自分の力ではどうにもならぬようなことまで知るとかえってそれが足枷になることもある。とくにあの女のことは、八荒剣と不八徳の戦いには何の関わりもないことだからな』
「そうなのかい?」
『ああ。だからお前は、あの女のことはもう忘れろ。ただ眼前の敵を斬り伏せることだけ考えていればいい。それがお前の活路を開くことになるだろうさ』
そう言って船乗りシンドバッドは立ち止まる。
泰伯も足を止めた。
その先は開けた山道であり、先ほどと同じような、モンゴル風の服を着た騎兵の軍がいる。そしてその最前には鬼の面を被った男が一際目立つ黒馬に乗って兵たちに指示を送っていた。
鬼面の男が泰伯たちに気づく。
泰伯と船乗りシンドバッドは臨戦態勢を取った。