中国古代史考:匈奴征伐_2
「さて、少し時系列が前後するが武帝期の漢と匈奴について話す前にまずは匈奴の話をしよう。匈奴は漢を破り講和を結ぶと西方に目を向けた。そうして多くの国を滅ぼしたり服属させたのだが、その中に月氏国という国がある。元は匈奴よりも大きな氏族であったが匈奴に敗れて勢力が弱まり、しかも月氏の王は単于に殺されてその頭蓋は盃とされたという事件があり、月氏は匈奴を深く恨んでいた」
「頭蓋の盃って……。なんか、日本史でもありましたね」
「織田信長が浅井長政の首で作ったとされているものですね。割と古今東西である文化らしいですよ」
泰伯の言葉に仁吉は顔をしかめる。
「ちなみにもちろん中国にもあります」
「もちろんって言うなよ。まああるような気はしたけどさ」
「といっても中国の髑髏杯はあんまりないんですよね。大体は頭蓋骨に漆を塗って作られることが多いですが、牛の皮や黄金を巻いて作ることもあるそうです」
なんでこいつはこんなことを知っているんだろうか、というのが仁吉には不思議だった。だがそれを聞くと面倒くさいので、そうかと適当に相槌を打つ程度で済ませた。
「話が出たので少し余談をすると、今出て両者は敵対者の頭蓋骨だが、宗教的な儀式から作られることもある。親族の頭蓋骨で髑髏杯を作ることが親孝行の一環だったという例もあるので、必ずしも蛮行とは言い切れないという点には留意しておいてくれたまえ」
「……親孝行、ですか?」
「死に対する価値観は国や時代によって異なるさ。日本では火葬が基本だがキリスト教では忌避感が強い。それは死体が残らないということが復活という教義に反するからだ。」
「……まあ、それはそうですね」
頷きながらも仁吉は、何故いつのまにか髑髏杯なんかの話になっているのだろうかと思った。
それは高明も気づいたらしく、一つ咳払いしてから匈奴の話に戻る。
「まあ、つまり月氏という匈奴と敵対し、しかも匈奴を怨んでいる大国が西にあることを漢は知ったわけだ。月氏と手を組むことが出来れば匈奴を東西から挟み撃ちに出来るかもしれない。そう思った漢は張騫という人を月氏への使者として把握した」
「その名前は確か世界史で出てきました。シルクロードを開発した人、でしたかね?」
「ああ。しかしその道のりは困難であった。当然ながら、匈奴より西にある国へ向かうのだから、匈奴の勢力圏を通らなければならない。張騫はそこで捕らえられて十年間、抑留されてしまう」
言葉にしてみれば簡単だが、あまりにも長い時間である。
その話を聞きながら仁吉はふと気になったことがあった。
「よく殺されませんでしたね、その人」
張騫は言ってしまえば外交上の密命大使である。万が一にも月氏に行かれてしまえば匈奴は窮地に立たされるのだから、殺してしまうほうが確実だというのがこの時代の価値観ではないかと思ったのだ。
「そうだな。どころか、監視こそつけられたが時の単于から厚遇され、妻を与えられ子まで設けている」
「なんでですか?」
「色々と理由はあるだろう。だが匈奴は勇者に対しては敵であっても厚遇する。彼らは寄る辺のない遊牧生活を営んでいるから、優れた人物を丁重に扱うことこそが生き残るために必要なことだと知っていたのだろう」
そういうものですか、と仁吉は聞いた。
「あとは、情報源にしようとしていたのだろうな。西方への使者として送り込まれるほどの人物となれば漢の内情にも詳しいだろうから、手元に置いておけば何か有益な話を聞けるかもしれないという打算もあったと思う」
「つまり、捕虜にして懐柔しようとしていたと?」
「そうだろうさ。とにかく遊牧とは我らが思う牧歌的なイメージに反してとても厳しい生活だ。彼らにとってはまず生きることが第一であり、そのためには手段を選んでいられない。そういうなりふり構わなさが中国の人たちには野蛮に映ったのだろうが、肥沃の土地を持ち農耕で暮らしてゆける民族と同じ価値観が形成されることなどあるまい」
高明は無機質な、含みのない声でそう言った。