中国古代史考:諡号
「匈奴とは中国北方の遊牧民族の諸連合の総称でね。中国の北の胡は先ほども少し言った通り北狄と呼ばれるが、林胡、烏桓、楼煩など様々な種類がある。彼らは度々北辺に現れては略奪を行った。この侵攻を防ぐために作られたのが有名な万里の長城であり、世界史などでは始皇帝が作らせたとある。だが長城と呼ばれる土塁そのものは春秋戦国時代から存在していた」
「始皇帝が行ったのは正確には、それらの長城をつなぎ合わせ、かつ新規で長城を増築したというところですね」
今や講義は高明と泰伯が講師で、仁吉一人のためのもののようになっている。それは癪だが、自分から聞き出したことなので仁吉は大人しく聞いていた。
「戦国時代となると匈奴の名は中国の史書に次第に現れるようになる。彼らは時に中国の北辺に侵攻したが、しかし一方では中国の国と手を組んだこともある」
「函谷関の戦いですね。孟嘗君が五ヶ国を率いて秦を攻めた……まあ、そういう戦いがあったんですが、そこには匈奴も参戦したと書いてあるんです」
なるほどと仁吉は頷く。函谷関と孟嘗君については分からなかったが、そこは今は重要ではないので流しておくことにした。
「だが戦国時代で匈奴に関連する人物と言えば、何と言っても武霊王と李牧を挙げなければならないだろう」
そう言って高明は今挙げた二人の名を黒板に書いた。
「武霊王ってなんかカッコいいな」
「あまりいい名前じゃないですけどね。といって、悪い名前とも言えないのがこの人の難しいとこなんですが……。えと、この話して大丈夫ですか?」
つい口にしてから泰伯は、また横道に逸れてしまいそうだと思ったので仁吉に確認する。しかし仁吉も少し気になったので泰伯に説明してもらうことにした。
「中国の君主のこういう、なんとか王とかなんとか公ってのは全部、後世の人がつけた名前なんです」
「ああ、戒名みたいなもんか?」
「まあそうですね。諡号って言うんですが、これはその君主の生前の評価でもあって、漢字を見れば大体その君主がいい君主だったか悪い君主だったかが分かります」
「なるほど。で、武霊ってのどうなんだ?」
そう聞くと泰伯は困ったような顔をした。
「武は諡号の中では最上のものですね。字の通り、軍事に功績のあった君主に贈られるものです」
「え、武霊で一つの評価じゃないのかよ? じゃあ霊っ手何なんだ?」
「……霊というのは、諡号の中では最悪のものですね。よっぽどの暴君か暗君にしかつけません」
仁吉は訳が分からなくなってきた。
泰伯も何と説明してよいものかと困っていたので高明が助け舟を出す。
「春秋から戦国初期にかけては諡号は漢字一文字が基本だった。やがて二字の諡号も増えていきはしたのだが、大体は美諡と呼ばれる肯定的な字を重ねる傾向にある。少なくとも、ここまで両極端な二字を組み合わせた諡号は中国史全体を見回してもかなり珍しいと言えるだろう」
「……何やったんだよこの人? 戦争しまくったとか?」
「それなら単純に霊の一文字だろうな。では話を戻すか」
と言って高明はまた板書を始める。
そこには胡服騎射と書かれていた。
「これが武霊王の治世であった軍事改革で、武の諡号を贈られることになった最たるものだろうな」
そう言って高明は胡服騎射について語り始めた。