中国古代史考:戦国中期
「秦という国についてまず説明しておこう。秦は中国の西にある国でね。この国もまた未開の地とされていた。しかし戦国時代になって商鞅という人材が訪れたことで一気に強国となった」
そこで高明は商鞅、と黒板に書く。
「商鞅の行ったのは徹底した法治主義。そして信賞必罰だ。民衆に法を発布し、これを破るものは如何なるものでも罰すると定めた。この如何なる者というのは、例え貴族や公族であっても例外ではない」
「……むしろ、それまでの法律ってそうじゃなかったんですか?」
仁吉が目を細める。法の裁きが身分によって忖度されるなど現代的な価値観からすればあり得ないことだからだ。
「ああ。裁きや賞罰は君主や大臣の裁量、というのが普通だったと思ってくれ。つまりいい政治、悪い政治というのは上に立つ者次第で大きく左右されたのさ。これは中国に限らず、統治機関として未成熟なうちはどこの国にでも起こり得ることだよ。一人の善良な独裁者が円満に国を治めれば敢えてその方法を変えようとは誰も考えず、暴虐な独裁者が国家を私物化すれば、その君主を殺して変えるか国を滅ぼして新たな独裁者が善良に国を治める。それだけでよかったんだよ」
「易姓革命という、王朝交代は天の意志だという思想が中国にはありましてね。悪政を行えば天の意志によってその王朝は滅びる。だから君主は身を慎み民のために良い政治を行わなければならない、というのが中国の王朝の方針だったんです」
高明の説明、泰伯の追加の説明を聞いて仁吉はなるほどと思う。
そして高明はここで君主のことを敢えて独裁者と呼んだ。それは皮肉などではなく、現代人から見た専制君主とはそういう感じのものだという極端な例えなのだろう。
「まあ、易姓革命自体はどちらかと言えば王朝交代の正当化と言うべきところもあるのだがね」
「ああ、天の意志っていうとなんかそれっぽいですからね。そして実際はそんなもの誰も確認出来ないので都合よく振りかざしやすいんでしょう」
杖杜は冷ややかな声で言う。
高明は、そうだなと頷いた。
「さて、では秦の話に戻ろう。商鞅はこうしたそれ以前の、君主の良心に左右される政治を排し、法を人の上に置いた。貴族でも罪を犯せば罰を受け、庶民でも功績を立てれば偉くなれる。こうして秦は一気に強国となった。東で斉、西で秦が勢いを増していった。ここからで面白いところは、戦国時代のこの後は春秋時代の晋楚のような、分かりやすい東西の対立構造が出来なかったところだろう」
「ん、じゃあ秦と斉って仲良かったんですか?」
如水が聞く。そうではないと高明が言うと、如水はわけが分からなくなった。
「いいや。しかしとにかく二国の間には開きがあったからね。どちらの国も手近なあたりの国と戦うなり同盟することが多かった。しかもこの時の同盟とは不可侵条約であったり共同でどこかの国を攻めようというものであり、一応は対等であったんだよ。まあ勿論、実際には国同士の軍事力が関係していたのだがね」
ややこしいというよりも面倒くさい時代だ。
それがここまで説明を聞いていた仁吉と如水の感想だった。
うんざりとした顔をしている二人を見て高明は、
「まあ、戦国時代の説明もそろそろ後期に入る。あと少しだけ我慢して聞いてくれ」
と言った。