中国古代史考:四夷
「今説明した覇者体制とは主に中国の北部だけの話でね。今の中国だとだいたい、山西省、河南省、山東省、河北省、あとは一応陝西省あたりもそうかな?」
高明はそう説明した。ちなみに何も見ずに言っている。
「へえ、意外と意外と狭い範囲なんすね」
如水が気の抜けた声で言った。
「紀元前の話だからね。広大になりすぎると連絡一つでも大変だから、実効支配はおろか間接支配すらおぼつかない。未開の地もまだまだ多かっただろうしね」
「未開の地? それって胡というやつですか?」
仁吉が聞くと高明は、ほう、と声を弾ませて仁吉のほうを見た。
「そうだな。中国には四夷――四方の夷と書くのだが、支配の及ばぬ未開の地をそう呼んだ」
高明は黒板に四夷と字を書きながら説明を始める。そしてさらに、『北狄』『東夷』『西戎』『南蛮』と書いた。
「方角の下についている字はいずれもえびす、つまり野蛮人のことを指す。つまりは蔑称だな。北部の人々は文化人を気取り、自分たちの価値観と違う文化圏の人々のことをこう呼んだ」
「野蛮人を指す漢字がやたらとバラエティに富んでるの、なんというか嫌らしい国ですね」
杖杜が冷静に言った。仁吉もそうだなと思う。
「まあこれらの字も掘り下げていけば個々にまた意味はあるのだがそれを語りだすと文字学の話になってしまうのでまた別の機会にしよう」
「まあ、そういうのを延々と突き詰めだすのって訓詁学の分野になりますからね」
「おい、置いといて本題に行こうって言ったそばから新しい単語を出すなよ!?」
泰伯が軽いつもりで話すと横から仁吉が叫ぶ。泰伯はしまったと思い素直に謝った。
「まあ文字学や訓詁学は置いておこう。それでだ、春秋時代の中心は先ほど言った地域だったわけだがやがて時代が下るにつれて注目を浴び、やがて歴史に表れる国がある。南方の楚という国だ」
高明は『楚』と書き、さらにその横に『荊蛮』と書く。
「楚もこの荊も、字の意味は『いばら』である。荊蛮という字は北方の人々からの蔑称であったが楚の人もまた、文化人を気取る人々に対して当てこするように自らをこう呼ぶこともあった」
「楚って四面楚歌の楚ですか?」
杖杜が聞いた。
「字は合っているが、四面楚歌の故事は春秋時代ではない。これもまた中国史の複雑なところなのだが、中国では勢力を築いた者は自分の氏姓よりも地名を前面に掲げる場合が多い。春秋の楚は熊氏という氏であり、四面楚歌の楚は項氏という氏なのだが、彼らの旗印は『楚』だ。それは彼らが勢力を築いた土地が楚の地だからというところでね。だから色々な時代に同じ国号が何度も出てくるというややこしさがある」
「区別するために後々の時代から前秦とか後秦、北魏とか西魏とか区別されることもありますからね」
「なるほど。鎌倉の北条と後北条、みたいなものだな?」
高明の説明に泰伯が口を挟み、紀恭は日本史の中の知識に落とし込んで納得していた。しかし仁吉と如水はうんざりとした顔をしている。
話が進まない上に分からない単語がどんどんと追加されてくるからだ。
「……あの、高明先生。楚の説明続けてもらえませんか?」
「おっとすまない。ええと、楚が台頭してきたというところだったかな?」
仁吉は頷いた。