中国古代史考:春秋黎明期
時間になったので高明は歴史研究会の部員と講義の参加者に声をかけた。
といっても部員は紀恭と杖杜の二人であり、参加者は仁吉、泰伯、如水の三人である。
「ふむ、こうまで少数ならしっかりとした講義形式でやるよりも自由にやろうか。とりあえず最初のうちは概要から説明していくが、存分に話の腰を折ってくれて構わないので気軽に質問してくれ。脱線も歓迎しよう」
そう言って高明は一応、用意していたレジュメを配る。そこには春秋時代――周の東遷と呼ばれる東への遷都から始皇帝による中国統一までの大まかな年表と古代中国の地図があった。地図は二枚あり、春秋時代と戦国時代で分かれておおよその国の支配地域が描かれている。
「というかそもそも……周って、商の後に天下を取った王朝、であってますよね?」
早速、仁吉が聞いた。
高明が頷く。
「まあ、天下を取ったというのは日本史的な表現ではあるがね。実際のところは幕藩体制や合衆国のようなものと認識したほうがいい」
「といいますと?」
「周というトップはいても各国では文化、言語、通貨から法律まで何もかもが違う。上下関係はあっても支配下ではないんだ。もっと現代日本風に例えるならグループ企業の親会社と子会社くらいの関係さ」
なるほど、と仁吉は頷く。
「しかしそこにある東遷、というのを機に周の力は弱まってしまう。というよりも、弱まってしまったが故に東遷せざるを得なくなってしまったんだ。東遷とはつまり外敵に攻められて逃げたということだからな」
「ええと、それで春秋時代というのが始まったと?」
「ああ。しかし周そのものはそれからも五百年ほど続いている。力はなくとも権威は残っていたからね」
「さっきの高明先生風に言うなら、親会社としてグループを引っ張っていく力はなくてもブランドとしては根強いので、その名前を利用する方向に変わった、というところです」
高明の説明に泰伯が補足する。前にはその説明を分かりにくいと思ったが、説明や例えの方向性さえ掴めたら上手く説明出来るらしいな、と仁吉は思った。
「春秋時代は覇者の時代とも呼ばれる。これは諸国が周を補佐するナンバー2争いを行ったと考えてくれ。もっとも、実際には覇者が中国のことを差配するので実質的にはトップということになるのだがね」
「ふーん。なんだか回りくどいなそれ。他人の褌で相撲を取ってるみたいな感じだろ?」
如水は横から口を曲げてそう言った。
「そんなことしなくても、実力があるならその覇者とやらになった国がさっさと周を滅ぼして王朝立てればいいんじゃないんすか?」
如水はそう言った。
「そこまでする理由がなかった、というところだろうな。周の前の殷は――真偽はどうあれ、歴史的には暴政を行ったので倒されたということになっている。しかし周は悪い政治を行ったわけではない。それなのに周を倒してしまうと諸国からの反感を買う。一人で悪者になりたくないからこそこういう形式になったと見るべきだろう」
「そういうもんなんですか? 政治って難しいんですね?」
「ですがそういうものではないでしょうか? 日本では天皇制が今日まで残っていますし、鎌倉時代には執権という政治体制が出来たこともありますので」
紀恭がそう口を挟んだ。
「分かりやすいトップになるより影の実力者になりたい人間のほうが多いということでしょう。神輿は軽くてパーがいい、なんて言葉もあるくらいですし」
杖杜がさらにそう言う。内容は概ね紀恭と同じだが紀恭よりも表現に俗っぽさがあった。
「とはいえ、こういう体制はそう長くは続かなかったのだがね」
と言って高明は話を続けることにした。