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泰伯は木刀を握ったまま外に出る。
野球部員たちは泰伯が来たことは当然のこととして、そもそも巨大な蜘蛛にすら気づいているのか定かではない。彼らは皆、倒れながら呻き苦しみ、そして段々と衰弱していっていた。身体中から滝のように汗が吹き上がり、頬はこけ、助けを求めて口を開くも声すら出せないという有り様である。
『ほう。また一匹、餌が飛び込んできたか』
その蜘蛛は、人語を喋った。
しわがれて、粘っこい話し方をする不快な声である。
「餌……だと?」
木刀を握る手に力が籠る。そんな泰伯の変化に蜘蛛の怪物は気づかない。
『その通り、餌じゃ。何せ、長いこと閉じ込められておったからの。何をするにもまずは腹ごなしじゃ。若く、筋骨が凝集された男には養分が多い。その点ではお前も、よい餌であろうよ。見ればお前は魔力も詰まっておるようだ』
蜘蛛が愉快そうに語る。泰伯にとってそれは、この世のどんな騒音よりも精神を掻き乱す下卑た言葉の羅列であった。
人外の怪物。
人智の埒外の存在。
唐突に降って湧いた、命を脅かす理不尽。
そういう点ではこの蜘蛛にはフェイロンと通じる所がある。
しかしフェイロンには、理不尽ではあってもその言動に一貫している筋があった。だからこそ泰伯は終始、負けてはならないという使命感はあれど、憎悪や侮蔑を抱くことはなく戦っていた。
しかしこの存在は違う。
低俗で粗野で、そして卑劣。その癖に圧倒的な力を持っていて、強大な力で他者の生命を理不尽に毟り取る唾棄すべき外道。それが泰伯の抱いた感想だった。
「もう口を開くな下郎!!」
『ほう、餌の分際で威勢がいいな。まさか、その棒切れで儂を倒すつもりか?』
「ああ、倒してやるさ。この剣と僕の魂に誓って、お前にこの学校でこれ以上の狼藉はさせない!!」
裂帛の気勢で叫び、泰伯は剣を横に構える。
そして両目を瞑り、心の中に訴えるように念じた。
(頼む。もう一度、力を貸してくれ)
切実なる魂の叫びだった。
そんな泰伯の想いに、彼は応じた。
『……はぁ。やっぱり、お前もそっちの道を選ぶんだな』
ため息の混じった、しかしどこか嬉しそうな声。
泰伯の言葉を嘆くようでいて、こうなることがわかっていたかのような声である。
『いちおう言っとくが、ここが分かれ道だ。この先にあるのは剣戟と干戈の交わる修羅の道で、選んだらもう引き返せないぜ。それでも、己に力を貸せと言えるのか?』
「うん。僕はね――この光景を見て、許せないと思った。偽ることの出来ない本心だ。そして、その怒りから目を背けるということは、魂を殺すのと変わらない。だから……僕は逃げないよ。この選択の先に何があるのかなんてわからないけれど、それでも戦う道を選ぶ!!」
『上等だ泰伯!! ならば、叫べ!! お前の剣の銘をな!!』
「剣の、名前?」
『ああ。お前は既にそれを知っているぜ。なにせ、お前がつけた名だ』
「……もしかして」
『ああ、そうだ。お前も無自覚に気づいてただろう。だからお前は、こうして話している時は一度も、いつものように己を呼ばなかったんだ』
そう言われて得心が言った。
同時に、思い出した。フェイロンとの戦いの最中、消え際に彼が言った言葉を。
『剣士じゃねえよ。己は――鍛冶師だ』
そうして泰伯の心の中に思い浮かんだのは、いつも呼んでいたあの名前だった。
「“虚を断て”――無斬!!」
運命という名の一本道に
希望という名の岐路を創る
それを為すための刃を 剣と呼ぶ