daily life of four_5
五月三十一日、金曜日。
昼休みになって、泰伯はのんびりとしていた。
フェイロンと対峙したあの日からおよそ三週間が経過している。その間、特に変わったことは起きていない。
怪異というものの存在を知ったこともあり、時おり見かける異形の怪物を倒すくらいのことはある。
しかしそれらはいずれも大した敵ではなく、気を抜いてはいないのだが日々の生活を息もつけないようなものに変えるほどではない。
気がつくと泰伯は欠伸を噛み殺していた。
「どうしたの泰伯? 最近なんかぼーっとしてること多くない?」
彷徨がコーヒー牛乳を飲みながら泰伯のほうを見る。そう言う彷徨にしても、目を細めて眠そうな顔をしていた。
「五月病というやつか?」
「もう五月終わりますよ?」
日輪の言葉に孝直がツッコむと、日輪は真剣な顔をして、ならば六月病か、と言い直した。
「そういうのもあるらしいですね。ですが泰伯さんはともかく、彷徨さんのはただの遊びすぎでは?」
「あ、孝直ひどい。別にそんなことないよ。俺にだって色々とあるんだってば」
「ほう、色々とは?」
日輪が真剣な目を彷徨に向ける。途端に彷徨は目を逸らした。
「ま、勉強じゃないことは確かだろうね。新作のゲームか動画見てるかとか、そんなところじゃないかい?」
「ち、違うよ……」
泰伯は慣れた態度で彷徨に聞く。じゃあ何なんだい、と聞かれると彷徨は、
「……アニメ巌窟王、観直してる」
と答えた。
「あの、彷徨さん? 別にそれはいいと思うのですが……去年の暮れと五月くらいにも同じ事してませんでしたか?」
孝直は記憶を辿ってそう聞いた。彷徨はこくりと頷く。不思議そうな顔をしている孝直に泰伯が補足した。
「彷徨は昔からこうだよ。定期的にアニメ巌窟王と小説のモンテ・クリスト伯を読み返してるの。年に二回なら少ないほうさ」
「はあ、毎年ですか?」
「うむ、毎年だな。そして、ことアニメ版に関しては分かりきっているキャラクターの死亡回が近づくと憂鬱になり、その回を観た次の日はロスで学校を休もうとする」
日輪がさらにそう説明した。
そう言われると前にアニメ巌窟王を見返している時にも彷徨は唐突に学校を休んでいた。そして泰伯と日輪はそれを特に心配していなかったのを孝直は思い出した。
「だって……キツいんだよあの回」
その内容を連想したからか、彷徨は憂鬱そうな表情をした。
「あの、それならせめて金曜か土曜に観たらどうですか?」
孝直は至極真っ当な提案をした。
しかし観始めたら勢いで時間が許す限り観てしまい、そういう調整が出来なくなってしまうのが彷徨の性分なのである。
彷徨はあっさりと無理だと言い、泰伯と日輪も諦めている。
「まあ、僕も気持ちは分かるよ。流石に学校休みまではしなかったけれど、大河で上総広常が死んだ次の日は凄く辛かったからね」
泰伯は珍しく彷徨の奇行に少し共感するような姿勢を見せた。
「泰伯さんも割と物語に感情移入するタイプですよね」
「まあね。だってそのほうが楽しいじゃないか」
「そうだな。俺も、初めて三国志を読んだ時は呂蒙と孫権に怒りを覚えたものだ」
泰伯の言葉に日輪がそう返すと、泰伯が少しムッとした顔をした。
二人は共に三国志好きなのだが、日輪が蜀好きの関羽推しなのに対して泰伯は呉推しなのである。なので時おり厄介なオタク同士の喧嘩をすることがあった。
「あれは劉備が荊州返さないからだろ? 人のねぐらをぶんどったんだから借り物の領地くらいさっさと返せばいいものを」
「そもそも最初に荊州を抑えたのは劉備軍だろう? それに借りたというが荊州が孫権の領地であった事実はない。それを返せというのは筋違いではないか?」
「いいや、ちゃんと荊州を借りるという形式を取ってるんだから荊州は呉の領地だよ。それに、そういう言い方をするなら別に劉備の領地だったことだってないじゃないか!?」
「しかし劉備は長く荊州に住み先代の劉琦の叔父でもある。劉琦の死後、荊州を領有することはおかしなことではあるまい」
気がつけば二人は完全に三国志トークモードに入っていた。
こうなると二人は、彷徨と孝直には分からない話を延々とし始めるのである。
「日輪ってさ、普段は落ち着いてるのに三国志絡むとけっこうムキになるよね?」
「泰伯さんも同じようなものでしょう」
彷徨と孝直は少し二人から離れて論争をしている泰伯と日輪を眺めている。
「そーいや孝直は三国志読まないの?」
「一応、少しは分かりますよ。あの二人ほどの熱量はありませんけどね」
「そういや孝直の名前も三国志の人じゃなかったっけ? 確か前に泰伯がそんなこと言ってたよね」
「ええ。日輪さんの推しの国家のインテリヤクザで売国奴の名前ですね」
孝直は露骨に嫌そうな顔をした。
その説明でイメージのつかなかった彷徨は巌窟王で例えてくれと言ったが、巌窟王のほうは孝直が分からないので孝直は、さあ、と返す他なかった。
そして泰伯と日輪はまだ言い争っている。
「……どうしようねこれ?」
「放っておきましょう。授業が始まるまでには終わるでしょう」