let me know why done it_2
始業式の日の夜。
仁吉がターグウェイに襲われた時の信姫の行動には一つだけ不可解なところがあった。
どうしてそんなことをしたのか、ということではない。
その理由は仁吉が“宝珠”持ちだということが分かった今でも、分かりそうで分からないのだが、仁吉はあまり気にしていなかった。
それよりも分からなくて、その上で不思議なのは、何故信姫は一度、“宝珠”を使わず生身で仁吉をターグウェイの攻撃から庇ったのかということである。
信姫の言い分ならば、仁吉が死にかけたところで“宝珠”を使ってターグウェイを撃退すればいいはずであり、事実信姫は最後にはそうした。
その前に一度庇うことに意味があると思えない。
今の仁吉にとっては不八徳や八荒剣、“鬼名”のことなどよりもその理由こそが最も信姫に教えて欲しいことだった。
仁吉はじっと信姫の目を見つめる。
その直視に耐えきれなくなって信姫は目を背けた。そして、
「……それは、言いたくありません」
声を震わせて言った。
「それは通らないだろう。何でも一つ答えてくれるって約束じゃないか!!」
語気を強くして信姫を責める。口にした仁吉自身が驚くほどに、今の仁吉は感情的になっていた。
「……でも、言いたくないものは言いたくないんです!!」
信姫は駄々をこねる子供のように感情をあらわにしていた。その眼にはうっすらと涙を浮かべている。
そして信姫は両手で仁吉の手を取り、上目遣いで仁吉を見た。
「他のことなら、何でもかまいません。それに……」
「……なんだい?」
「もし仁吉くんが望むことがあるなら、なんでもします。それで代わり、ということにしていただけませんか?」
涙で目を腫らしながら、うっすらと上気した顔で上目遣いに仁吉を見つめる。信姫はゆっくりと仁吉に近づいてきた。
暖かくも柔らかい信姫の手の感触と、近づいた信姫の顔の美しさで仁吉はおかしくなってしまいそうだった。
(なんでもするって……ええと、どういうつもりで言ってるんだこの子?)
仁吉にはそれが分からなかった。誘われているような、手招かれているような気分である。
しかもこの状況で仁吉は、前に騎礼に言われたことを思い出した。
『女の子が上目遣いで手ぇ握ってきたらゴーサインだぜ』
どういう話の流れでそういうことを言われたのかはまるで覚えていないのだが、今になって何故か急に思い出してしまい、仁吉はそういうことを意識してしまった。
慌ててその考えを振り切ろうとしても、一度意識してしまうとどうしてもそういうことを考えてしまう。
美人画から抜け出してきたような綺麗で華奢な女性が、自分の手の届くところでしおらしくしている。手を伸ばしてしまえば何をしても拒まれることはないという確信がある。
この状況と騎礼の言葉とを思い出して仁吉は――信姫の手をゆっくり、優しく振りほどいた。
「……御影さんは、ずるい人だね」
切れ切れな声である。
「僕は何もしないと分かっていて、そんな風な言い方をしてるんだろう?」
「……それは」
信姫は言葉を詰まらせた。返す言葉がなかった。
思いつめた顔をしている信姫を、仁吉は真っすぐ見つめる。まだその目は涙で赤くなっていた。
「いいさ。さっきの問いに答えたくないというのは、嘘をついて誤魔化すつもりがないということだろう? 今、そういう顔をしているのは、別のことでうやむやにしようとしていることへの罪悪感だ」
信姫は驚いたような顔をした。
そういう風に解釈されるとは思っていなかったからだ。仁吉の見方はとても信姫に好意的で、信姫の不誠実さを真摯な態度なのだと諭しているようである。
「だから僕はもう、それだけでいいさ」
強がりでも投げやりでもない、芯の通ったはっきりとした声で仁吉は言う。
そして、何か言おうとした信姫に背を向けた。
「じゃあね御影さん。おやすみなさい」
「あ……。は、はい。南方くんも、お気をつけて」
そう言って仁吉は歩き出したが、ふと足を止めて振り返った。
「今日は楽しかったよ。ありがとう――」
「え……?」
それだけ言うと仁吉はまた歩き出し、そのまま家へと向かう。
その一言を告げた時、自分がどんな顔をしていたのか仁吉には分からない。
そして――その言葉が、信姫を一番驚かせたのだということもまた、仁吉は知らない。




