dear my sister_5
仁吉と信姫は坂弓高校の裏山を、ひょうたん池を目指して登っていた。西日がきつく差してくる時間であり、運動には慣れた仁吉であっても額に汗をかいている。
「大丈夫かい御影さん? というか君はいつまでそんな馬鹿みた…………馬鹿みたいな格好をしているつもりだい?」
「……一度言い淀んだなら、無理やりにでも取り繕ってもらえませんかね?」
信姫は息せきを切らして汗だくになりながら眉をひそめて仁吉を睨む。馬鹿な格好とはもちろん、シャーロック・ホームズのコスプレのことだ。
「いやだって……馬鹿みたいな格好だし」
素直な感想である。
稀代の名探偵の衣装であるのに、着物の上からそれを纏って裏山を疲れながら登っている様は実に滑稽であった。
「ところで、そう言えば聞いてなかったけど――君は船乗りシンドバッドに聞きたいことがあると言っていたけれど、何を聞くつもりなんだい?」
「それは……」
「今はまだ語る時ではない、ってのはなしだよ?」
「…………秘密です」
不貞腐れながら信姫は言った。
問いかけを誤魔化されたことは何度もあるが、今はこれまでよりも腹が立つことも、虚しさを覚えることもなかった。結果としては同じなのだが、はぐらかしている相手に余裕があるかないかでこうも違う気分になるのかと思うと、
(僕ってすごく、感情に流されて生きているんだな)
と思わざるを得ない。
それどころか、ひょうたん池までまだ距離はあるのだがかなりキツそうな表情の信姫を見ると、
「……背負うなりかかえるなりしてあげようか?」
とさえ思わず口にしてしまったのだから、いよいよ自分は駄目かもしれないと思った。
そして信姫は仁吉のその言葉に、
「……そういうのは、ええ……いいんですか?」
と頬を赤らめて初心な反応をされたのでますますどうしていいか分からなくなってしまった。
そこで仁吉はふと思い出したことがあり、
「……というか、傀骸装すればいいんじゃないのかい?」
と言った。
解珠が出来る者は傀骸装も出来ると前に龍煇丸から教えられていたので、信姫も出来るだろうと仁吉は思っている。傀骸装すれば身体能力も向上するので、学校の裏山程度の登山ならエスカレーターを使うような感覚で登れるだろうと考えたのだ。
しかし信姫は、
「それは……まだ…………使う時では、ありません…………」
と疲れ気味に口にした。
「その台詞、万能じゃないからね?」
仁吉は眉をひそめた。そして、
「もしかして君……傀骸装出来ないのかい?」
と聞いた。
「ええと……秘密です」
「……出来ないんだね?」
「ば、万全なら…………」
「……万全じゃないのかい?」
信姫は明後日の方向へ視線を向ける。
仁吉は、もしかすると自分は今、千載一遇の好機にいるのかも知れないと思った。
今ならば信姫の首を掻いてしまえるかもしれないと考えて、しかしそんな気がまるで起きない自分がいることに仁吉は一人呆れていた。
(厄介ごとは嫌で、死にたくないとも思うのに……弱みに付け込んで敵を殺すのも嫌なのか僕は。これじゃきっと、ロクな死に方はしないんだろうな)
そんなことを考えながら、信姫に歩速を合わせてゆっくりと裏山を登っていく。
そしてようやくひょうたん池が見えた時、そこには先客がいた。
保健委員副委員長の今津陵と、その姉の今津綰である。二人はひょうたん池に釣竿を垂れながら並んで座っていた。
「ま、お前も男だ。喧嘩の一つや二つもまた青春だって。気にするな」
綰はそう言ってバンバンと勢いよく陵の肩を叩いていた。
「うるさい!! だいたい、たが姉はいつも……」
その無神経な気遣いに苛立った陵が竿を起き、立ち上がって綰に抗議したその時――陵と、ちょうどひょうたん池の近くまで来ていた仁吉との目が合った。
「……たがねえ?」
仁吉は思わず、陵の綰への呼び方をそのまま口にしてしまった。
今までにも陵から綰の話題が出ることはあったのだが、陵が綰のことを呼ぶ時は常に、姉、の一言であったので、たが姉という呼称は新鮮であった。同時に、身内しかいないときの呼称を意図せず知ってしまったことへの申し訳なさもあり、仁吉はすぐに陵に、
「いや、その……ごめん、陵くん」
と謝罪を口にした。
陵のほうも、明らかに聞かれたくなかったという顔をしていたが、
「……いえ。お疲れ様です、南方委員長」
と、取り繕って仁吉に会釈した。