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BARBAROI -鬼方の戦士は八徳を嗤う-  作者: ペンギンの下僕
chapter4“chase the hidden justice”
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仲尼之徒、無道桓文之事者

 申公(しんこう)を自称する怪しげな女は、楚の荘王の――つまり蒼天の前世のファンであると言った。

 しかも口にしてから、わざとらしく両手を頬に当ててそっぽを向いて見せるような照れくさそうな態度を取る。申公は口では、言っちゃった言っちゃった、などと愛の告白をした直後の乙女のような恥じらう仕草を見せているが、それも含めて茶番であると分かっている蒼天の視線は冷ややかだった。


「そういうのが趣味なら一人でずっとやっておれ。余を巻き込むでない」

「えぇ、そんなつれないことを言わないでくれよ。僕は本当の本当に、荘王のことが大好きなんだからさ」


 申公は笑顔を浮かべながら蒼天の周りをくるくると歩き始めた。その様は衛星が地球の周りを周回しているようである。そしてその最中で何かに気づいたように足を止めた。


「あ、もしかして――五覇なんて一括りにしたから腹を立てているのかい? でも考えてみればそうか。確かにあの連中なんて晋の文公以外、ロクなやつはいないものね」


 申公は一人納得したような顔をしている。

 しかし蒼天はそれを否定して嘆息しながら、


「そもそも余は覇者などではない」


 と言った。前に泰伯に五覇と言われた時にも蒼天は馬鹿にするような笑みを浮かべた。覇者と呼ばれることについて、蒼天には含むところがあるのだ。


「それもそうだね。覇者なんて言葉は所詮、儒者の作った幻想に過ぎないんだからね。言葉面は恰好いいが、そんな陽炎の如き称号で褒められたところで嬉しくもなにもないか。ふむ、これは確かに僕の手落ちだ。余計な装飾なんかつけず、ただ荘王が好きだとだけ言うべきだったよ」


 申公も蒼天の言葉に思うところがあるようで自分を戒めるような態度を取る。

 といってその言葉は的外れであり、蒼天は単に申公が信用ならないからその言葉も信じる気になれないだけなのだが、一つ気になるところはあった。


「覇者という言葉が幻想、じゃと?」

「ああ、うん。まあ僕の個人的な感想なんだけどね。気になるかい?」


 蒼天はうなずく。

 覇者という言葉は広義には「武力で天下を制する者」という意味であり、春秋時代においては「衰弱した周王室を助け、その代行者として諸侯に君臨し周と諸侯を庇護する者」という意味を持つ。荘王は前者の意味合いならば当てはまるが後者の意味での覇者ではなく、故に蒼天は覇者と呼ばれることを否定するのだ。

 しかし申公はその後者の意味の「覇者」という語さえ幻想だと言う。転生を自覚してから何故自分が覇者の一人に数えられているのだろうかと疑問に思っていた蒼天にはそれが気になったのだ。


「ふむ。ならば、あくまで僕の偏見という前提で付き合ってもらおうか。そもそも「五覇」という語の初出は知っているかな?」

「『孟子』であったと思うがの」

「その通り。しかも『孟子』ではその時に「五覇」の五人が誰かと名言しなかった。だからまあ、後々になって色々と候補が挙げられて、五覇と見なされる君主は五人を優に超えてしまったわけだが――そもそも儒者の「覇者」へのスタンスに矛盾があるということはわかるかい?」


 儒者とは儒学を修めた者のことである。春秋時代、孔子(こうし)という聖人から始まった学問であり、道徳や仁義を重んじてその力で国を治めようという思想である。

 そして、儒者の語る「覇者」に矛盾があると分かるかという問いに蒼天は首を横に振った。


「『孟子』は五覇を三王(さんおう)――彼らにとって理想たる古の君主たちから見て罪人であると言った。さらに、儒者は覇者について語らないとまで宣言している」

「春秋に義戦なし、というやつであろう? つまり春秋時代に生きた覇者どもはみな、儒者からすれば悪党の類と貶しておるわけじゃの」

「その通り。しかし実は『論語』には(せい)桓公(かんこう)のことが出てくるし、しかも孔子は桓公を絶賛しているんだ」


 『論語』とは儒学の経典であり、儒学の祖である孔子の言行録である。そして桓公は春秋時代の覇者の一人であり、儒者からすれば語るに値しないはずの存在だ。

 申公はおかしな話だろうと言いたげな、嘲笑うような笑みを浮かべた。


「……桓公が特別であった、という話ではないのか?」


 と蒼天は聞いた。


「まあそうかもしれないね。しかしそれなら別に、わざわざ「覇者」なんて語を創作する必要はないだろう? 桓公だけを絶賛して理想の君主と(あが)め奉り、それ以外の君主を(くさ)しておけばいいわけだ。そういう――確かめようのない古人の業績に理想を求めるのなんて、まさに儒学者の十八番(おはこ)だと思わないかい?」


 申公の言は大げさで、そして偏見に満ちている。しかし儒学者が過去の聖人君子をあがめ、そこに理想を求めたという点については間違いはない。儒学は乱世の中で生まれた学問であり、戦乱に明け暮れる世の中を正すための規範を太古に求めざるを得なかったというところはあるだろう。

 しかし申公はそれを、都合のいい創作だと嗤う。

 蒼天はそういった儒教の歴史に詳しくないが申公の言わんとすることは理解できる。そして、


「なるほど。つまり儒者には何か――覇者を表立って否定しながらも密かに褒め、しかも「覇者」の語を作らねばならぬ理由があったと言いたいのじゃな?」

「その通り。ちなみに言うなら「覇者」なんて語が創作されたのは戦国時代でね。遊説(ゆうぜい)が盛んになって、出身国や身分に関係なく識者が天下を往来して身を立てた時代の話さ」


 そう言われて蒼天は、なるほどと呟いた。

 その察しの良さを申公は、さすがは僕の推しだ、と口笛を吹きながら称賛している。蒼天はそれを無視して結論を口にした。


「要するに、古臭い聖人君子の理想について語るだけでは食って(・・・)いけなかった(・・・・・・)からであろう?」


 その通りと敢えて口には出さず、申公は微笑みを浮かべて拍手を送った。

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